そろそろ寝ようかと寝酒をはじめたら、「
想像して欲しいのは」(Interdisciplinary 2008年3月25日)を読んじゃいました。
そうか、またぞろそんな報道が多いのか、なんて思ったら、むらむらと書きたくなってしまった。以下、もう言い古されていることが多いとは思うのだけど、改めて。だって、そういう記事を書いているのは、ある意味「同業者」なので。
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もう長い間、「どうしても世のオトナの大勢は『完璧に近いバランスの人間』を求めるようだ」と考えています。例外として、「えらい」とほめるときには、逸脱加減を賞揚もしますが、基本的には「最多層よりもちょっとマシ」というような「中の上」辺りを理想型として思い描くようです(かつての「中流幻想」を思い出してしまいますね)。
「ほどほど」とか「たしなむ程度」というのが「いい具合」なのでしょう。ひとかどの者になるにはそんなんじゃダメだとは知っているのだけど、多少入れあげても「ひとかどの者」なんかに簡単にはなれないってことも知っている。だから、安心して「好きなことだけやってちゃダメ」と口にできる。いや、これはボクのなかにも同じ傾きがあります。それ自体はおかしなことじゃないんだと思う。
ただ、これが「問題行動を起こした人は、なんか問題のある背景があるはずだ」「その問題のある背景っていうのは、家庭環境・生育環境に恵まれなかったというケースが多い」「でも、それだけじゃなくて、
よくない流行の類いも原因に違いない」っていうような話になると、おいおいと言わざるを得ない。
で、なんでこういう話につながっちゃうのかというと、どうも先の「完璧に近いバランス」というのがズレているのではないか。「ほどほど」とか「たしなむ程度」っていうのは、実はぜんぜん「いい具合」じゃないのに、それをバランスの取れた状態だと思ってたりするからズレていくのではないか、なんて、ここ10年ほど思い始めているのです。
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posted by 亀@渋研X at 05:35
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渋研X的日乗
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