2008年10月09日

「発達段階に応じた指導」とニセ科学2

「発達段階に応じた指導」とニセ科学についての補足です。

黒猫亭さんの疑問は、極論化すると「【1】どれほど理想的な環境にあっても、『受け手の程度を踏まえて教える』という方法は、一定の『誤りの混入』を許すのではないか」「【2】教えることに慣れている者は、『誤りの混入』にも慣れ、その問題を軽視するようになるのではないか」「【3】その結果、ニセ科学的なものなどが入り込みやすくなる事態が起きるのではないか」ということですよね。

で、「受け手の程度を踏まえて教える」こと自体は否定しない(一時にすべてを教えることは、原理的に不可能だから)。ひょっとすると、上書き訂正されるケースでは「それでいい」とさえ考えておられるかもしれない。また、教える者、個々の資質にも解決を求めない。

単に「そこ[上記の構造]を見逃すと解決しないのではないか」とおっしゃっているのだと理解しています。

【1】は、それなりに実例が思い浮かびます。そういう傾きは、確かにある。

しかし【2】は、なんとも言えない。「慣れ」などという問題は、第三者には推し量りにくい。だから、ここで実感なり、事例なりが集まるといいなあ、というのがぼくの願望です。

先方コメント欄での議論への、教育関係者のさらなる参加を熱望します。


posted by 亀@渋研X at 16:55 | Comment(10) | TrackBack(1) | 学校とか教育とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 「発達段階に応じた指導」とニセ科学2

こんにゃくゼリーは本当に危険か2:受益者と被害者の不均衡

昨日のエントリにはいろいろご指摘感謝です。勉強になります。こんにゃくゼリーだけでなくて、危険評価について考えを深める機会をいただきました。ありがとうございます。やっぱり、書いてよかった。

今日のエントリは、「昨日の危険評価の際に、見落としていたポイントや、うまく伝えられなかったポイントがあるので、もうちょっと考えを整理してみたい」という話です。お付き合いいただければ幸いです。

書きながら気づいたのですが、「ポーション型のこんにゃく入りゼリー」限定の話と明示すべきでしたね。内心では気づいていても、明示できていませんでした。すいません。また、標題、とくに副題がよくありませんでした。後述しますが、今回は副題を改めました。「本当に危険か」は、それでいいと思うんですよね。



この話は、かなり低い危険の「程度」というよりは「質」をどう評価するか、という話なのかもしれないという思いが募っています(もっとも、小さ過ぎる危険は、情緒的な誤差が大きくなって評価不能という可能性もありそうです。そういうと終わっちゃうので今はその立場は取りませんけど)。
16:20追記
アップしてから気づいたのですが、これは危険評価で悩んでいるのではないのかもしれません。危険評価としては「危険はかなり低い」、「ベネフィットは好みの問題なので評価不能」で終わるのかも。

ぼくがぐだぐだと悩むのは、むしろ「黙過するにはあまりにも居心地の悪い、隣家の諍い」みたいな話なのかもしれません。「ダンナの趣味が原因で諍いが起きる」「オレにも同じ趣味がある」「その趣味がはた迷惑なことがあるのは知っている」みたいな。

そうだとすると、単に人生観の問題なのかも(汗

いったん上げたエントリなので引っ込めませんが、この先をお読みになるときは、そういう可能性を踏まえてどうぞ(大汗)。

昨日のエントリは、ぼくの意図に沿って要約すると「ポーション型のこんにゃく入りゼリーの危険評価をしてみようとしたら、リスクもベネフィットも低くて、かなり悩ましかった。ボーダーラインぽいけど、受益者は危険にあわないところが引っかかる。メーカーが自発的にやめてくれてよかった」という話です。
グミとかその他のゼリーのように、危なくない程度の柔らかさや形状が確保されればいいんだけど、どうもそれがなかなかできないようだ。法規制もなじまないと思う。困ったなあ。と思ったら、最大手はポーション型こんにゃく入りゼリーはやめてくれるというので「よかった」、という感じです。

今日のエントリは、ぼくの脳内での話の進み方としては、「嗜好品が人に害を与えてもいいのか」⇒「嗜好品だからダメってことはない。利用者本人が被害者になるなら自己責任」⇒「では、第三者が被害を受ける場合は」⇒「被害による」⇒「被害が直接的な『死亡』『重篤な障害』の場合は」⇒「頻度による」⇒「滅多にないが、構図はほぼ常に変わらないとしたら。それが嗜好品で起きるとしたら。それでもバランスシートが変わらないか」(この辺で堂々巡り)というような感じです。ここでいう「第三者」は「ポーション型のこんにゃく入りゼリーを、主に誤認で購入/利用した人」ということになるわけですが。

すでにお気づきでしょうけれども、「嗜好品」「第三者」「死亡事故」ということにものすごくこだわっています。「嗜好品」をはずしても「第三者」「死亡事故」にはこだわってしまう。

で、例によっていくつかの論点にできるだけわけて(うまくわけきれないところもありますが)、さらに考えてみます。まず論点を整理した概要を述べ、詳細は後述というパターンです。


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posted by 亀@渋研X at 15:49 | Comment(24) | TrackBack(0) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - こんにゃくゼリーは本当に危険か2:受益者と被害者の不均衡

「マンナンライフ・サーキット物語」

ポーション型こんにゃくゼリーの危険評価の問題を、レースになぞらえて考えてみました。

レース場で行うクルマやバイクのレースってありますよね。欠陥車だとかいう問題なんかなくっても、参加者や観客に一定程度の人死にやケガ人は出ますよね。だけど、そりゃまあ好きでやってたり見に行ってたりするわけで、少なくとも傍から文句をつける筋合いはない。

しかし、レースが一定の頻度で騒音や飛び出し事故などによる被害を「場外に出す」のであれば話は別ですよね。実際にはレース会場は人里離れたところで、しかも緩衝地帯などを広く設けて、無関係な第三者に影響を与えることがものすごく少ないように作られているので不均衡は生じていません。だけど、町なかに作ったり緩衝地帯がひどく狭かったりすると、てきめんでしょう。

ポーション型こんにゃくゼリーについて、ぼくにはこんなふうに見えているということですが、果たして適切なたとえ話になっているでしょうか。ツッコミ歓迎です。


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posted by 亀@渋研X at 15:33 | Comment(1) | TrackBack(1) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 「マンナンライフ・サーキット物語」

2008年10月08日

こんにゃくゼリーは本当に危険か:受益と危険の不均衡【追記あり】

10/09 20:49追記:
コメントを受けて、2つの新エントリーをアップしました。

「マンナンライフ・サーキット物語」
たとえ話で、起きていることの構図を考えてみます。

こんにゃくゼリーは本当に危険か2:受益者と被害者の不均衡
この記事の不備を補って、再度考えるための記事です。

危険評価に関心がある方、こんにゃくゼリーでどういう事態が起きているのかに関心がおありの方は、あわせてどうぞ。本記事・追加記事ともコメント欄も注目です。

10/11 22:48追記:性懲りもなく、さらに追加。
こんにゃくゼリーは本当に危険か3:ふつうに危険なお菓子
こんにゃくゼリーは本当に危険か4:「ふつうの危険」への対策を考える
こんにゃくゼリーは本当に危険か5:危険評価と個人のバイアス

10/16 19:52追記:13日に、さらにエントリを追加した。
合理化はいかに行われるか(こんにゃくゼリーを振り返りつつ)

こんにゃくゼリー:マンナンライフが製造中止 - 毎日jp(毎日新聞)

この報道を受けて、mixiの日記が爆発しています。15時過ぎで約5800件、そのほとんどが「メーカーは悪くない」「製造中止はおかしい」「コレだけ騒がれているのに不注意で事故を起こした消費者(今回の事故については、親や祖母)が悪い」「モンスター消費者のクレームのせいだ」というものです。百件ほどをざっと見たところ、9割なんてものではなく、ほとんどすべてがこの調子です。

メディアでのこれまでの関連報道には、むしろ「またこんな痛ましい事件が」というものが多く、「より厳格な規制を」とか言いつのるようすを「危険な食品」というイメージ操作に近いものさえ感じていました。そのためもあって、ぼく自身も「ほんとにそんなに危険なの?」「メディアは騒ぎ過ぎなのでは?」と考えていました。

が、ある一点に気づいて、考えを改めたのが10月3日。その視点を「九段下総研」のテーマにしたいと思って、仕事用のMLに投稿してあったのでたまたま日付がわかりました。まだ連載で採り上げるかどうかはわからないのですが、原稿をまとめるときのためにも論点を整理してみたいと思います。

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posted by 亀@渋研X at 17:58 | Comment(10) | TrackBack(6) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - こんにゃくゼリーは本当に危険か:受益と危険の不均衡【追記あり】

いまどきのプラセボ事情

TAKESANさんちのコメント欄で、プラセボ(placebo プラシーボ、偽薬)についてのやりとりが続いています。

プラセボ効果の違い?(Interdisciplinary 2008年10月 5日)
そのコメント欄

最近は、アクティブ・プラセボとインアクティブ・プラセボという概念があるらしいです。真薬を偽薬として使ったのが前者。偽薬を偽薬として使ったのが後者ということらしい。知りませんでした。っていうか、頭がごちゃごちゃ……。

わけわかんなくなってしまったので、ここに書いて整理してみよう、というのがこのエントリの目的。「おかしいぞー」というようなことがありましたら、コメント欄でご指摘いただければ幸いです。

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posted by 亀@渋研X at 14:38 | Comment(5) | TrackBack(0) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - いまどきのプラセボ事情

2008年10月05日

「発達段階に応じた指導」とニセ科学

教育と嘘事(黒猫亭日乗 2008年10月 4日)を読んで、ううむとうなっています。
詳細は先方でお読みいただくとして、ぼくなりに要約すると、こんなことです。

学校教育には、「発達段階に応じた履修内容」というカリキュラム構造がある。そのため、どうしても低学年では厳密には正確でない説明で教えるという事態が生まれる。

こうした構造は、必ずしも「低年齢では間に合わせの説明」ということではなく、それなりの根拠があって選び取られているのだが、どうしても「上の学年で、より深い理解、より正確厳密な説明にアップデートされる」というスタイルへの慣れを生むだろう。

黒猫亭さんの危惧は、端的には、そうしたことへの慣れがあるために、ついつい「水からの伝言」のような説話の問題点に目が向かないということがあるのではないか、教材にしやすいかどうかみたいな点にだけ目が向きがちな状況を生むのではないか、結果として不適切な構造をもった説話でも採用されやすい状況にあるのではないか、ということになるでしょうか(先の「人間も永遠のベータ版」というエントリとも、ちょっと重なる部分がありそうな気もします)。

そうなのでしょうか。外野が考えてわかることでもないと思うので、先方コメント欄への、教育関係者や教職経験者の方々の議論参加を期待しています。

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posted by 亀@渋研X at 13:13 | Comment(4) | TrackBack(2) | 学校とか教育とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 「発達段階に応じた指導」とニセ科学

科学も人間も永遠のベータ版:地域教育と読書感想文つながり

よく、自然科学の知見は、いまのところ最も適切と考えられている解釈にすぎず、後に修正されることがある、なんていう話があります(これを竹内薫さんのように『99.9%は仮説』とまで言っていいのかは、いろいろ考えると、なんとも落ち着かないところではありますが)。

実は、人間の判断も同じだ思うのです。誰であれ、なにかするときは、そのときまでの知見での最適解を選ぶわけですよね(この程度のことなら、考えるコストをかけない、流れに任せるというのも判断のひとつだとすれば)。ただ、それは「そのときには、そこまでしかできなかった」だったり「適切に選んだつもり」だったりもするわけで。もっと別の経験をすると「あ、こういう方法もあったのか」とか、「あのときの自分の知識でも、判断がついたはずだ」とか、そういうことっていくらでもあるわけじゃないですか。

誰かが「科学は永遠のベータ版だ」と言いましたけど、人間もおおかたそんなもんだってことですよね。

「ベータ版」って表現に乗っちゃうと、人間の場合、デバッグだとかバージョンアップの機会はいろいろある。仕事であれ人間関係であれ社会参加であれ読書であれ、そこここにデバッグの機会はあるわけです。それは場合によっては、不快なことの場合もある。なんかをしくじって「そうじゃねえだろ」ってツッコミを食うことだったりね。気がつかないこともあるんだろうな。

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posted by 亀@渋研X at 01:06 | Comment(2) | TrackBack(0) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 科学も人間も永遠のベータ版:地域教育と読書感想文つながり

2008年10月04日

ロイターのイグ・ノーベル賞報道には困ったもんだ

さっきmixiで知って日記にもしたのだが、今回のイグ・ノーベル賞についてのロイターの記事は、いろいろと困ったもんだと思うわけです。ほとんど誤報と言っていいのじゃないか。わたしは色気づいたバカムスメを我が子にもつバカ父なので、激しく困る。

コーラの殺精子効果研究など受賞=イグ・ノーベル賞 | 世界のこぼれ話 | Reuters(2008年 10月 3日)
ユーモアがあり、かつ意義深い科学的研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が2日行われ、コーラ飲料に精子を殺す効果があることを発見した研究などに賞が贈られた。

 ボストン大学医療センターのチームによるコーラの殺精子効果の研究は「化学賞」を受賞。1985年に発表された研究だが、受賞者の一人であるデボラ・アンダーソンさんは当時、コーラが避妊薬として利用されていたことから研究に着手。その後、エイズウイルスの感染を防ぐ効果もあることも突き止めたとしている。(以下略)
これでは、まるで「コーラには精子を殺す効果があるよ」と言っちゃっているようなものである。実際のところ、イグ・ノーベル賞ってのは内容を評価する賞ではないんで、コーラが精子を殺すんだか殺さないんだかは、受賞の事実からもこの研究からもわからない。

ロイター記事の翻訳を担当した方と、それを通したデスクさん、あんたらんちにはアホな女子高校生とか女子大学生はいなくって、そういう連中はこんな記事を読まないとかなんとか考えたのかもしれない。だけど、実際には情報ってのは再生産ってえか、人から人へ伝わるんだよ。誰かがこれをネタに、記事を書くかもしれないんだよ?

で、ロイターの記事は「都市伝説が実は本当だった」と受け止められる可能性が確かにある。現にmixiではそういう主旨の日記がたくさん書かれている。

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posted by 亀@渋研X at 21:51 | Comment(16) | TrackBack(0) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - ロイターのイグ・ノーベル賞報道には困ったもんだ

共感・善意・熱意だけではもろすぎる:地域教育を例に

先のエントリに呼応するかのように(自意識過剰)、いや、シンクロニシティのように(悪い冗談)、kikulogで「善意ほどやっかいなものはない、熱意ほど扱いづらいものはない」(2008/10/3)というエントリが上がっている。いやまあ、同じことが気になっている人が多いってだけなんですけど。

あ、poohさんもだ。

「善なる」こと(Chromeplated Rat 2008-10-03)

kikulogコメント欄では、平泉のしだれ桜に関するJanJanの記事と、そこのコメント欄でのやりとりの不毛さなども話題に上がっている。読んでくだせえ,悩ましいから。

某マイミクさんの日記でも、kiklogに触れつつ善意とか熱意について、思いを巡らされておいでだった。深く共感し、そこについつい長いコメントを書いてしまった。そのコメントをここにも貼っとく。

どっちかというと、外野の雑音に対するイラダチがこういう文章を書かせたような気もするし、ニセ科学はカガク絡みの独立した問題だと勘違いしておいでの方に向かって書いたような気もするからだ。ここに置いておいた方が、誰彼の目に留まる可能性もあるかもしれんではないか(いま思いついて、ちょっと空白行を増やし、区切りの◆を入れた)。

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posted by 亀@渋研X at 01:30 | Comment(6) | TrackBack(0) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 共感・善意・熱意だけではもろすぎる:地域教育を例に

2008年10月02日

ニセ科学やオカルトは善意や熱意に巣食う。あるいは、「不安産業」としてのメディアの責任

校長会で水伝の件は、関係者に問題点が伝わったようです。

関東地区女性校長会の件・続報|ほたるいかの書きつけ(2008-10-02)

「ほたるいかの書きつけ」でも、またソースとなったkikulogのコメント欄でも触れられていますが、学校はいま、本当に萎縮しています。うまい具合に情報が伝わってゆくとよいのですが。


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posted by 亀@渋研X at 18:01 | Comment(1) | TrackBack(1) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - ニセ科学やオカルトは善意や熱意に巣食う。あるいは、「不安産業」としてのメディアの責任
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