さっき、「考える前にもっとググっていいんだよ」(Skepticism is beautiful 2008-06-19)経由で、「自分で考える前にググっていませんか?」(Life is beautiful 2008.06.18)を読みました。
今朝、トイレでかなり似たようなことを考えていたので驚いた。ただし、トイレでの結論は、「『ググる=考える』なのではないか」だったのだけど。
◆
トイレで新聞を眺めたりして考えていたのは、ぼくのように学のない人間は、どうやってものを考えているのか、ものを知らないで考えるというのは、どういうことか。ひょっとすると、こういうレベルの人間にとって、「考える」ということはすなわち「調べる」ということではないか? というようなことだった。
というわけで、「『ググる=考える』なのではないか」と思いついたのだ。この思いつきをver.0.1としよう。
昼時、冷蔵庫を覗いて、昼はチャーハンにすっかな、かあちゃんは〆切でテンパってるから、あっちの分はおにぎりにしてやっか、なんて思いながら、さっきの思いつきをまた転がし始める。
基本的には、脳の外を探しまわることが「調べる」であり、それを素材として読み込み(入力という意味でも精査という意味でも)、ばらしたり、つなぎあわせたり、比べたり、で、パズルのピースが合わないみたいに用が足りなくって、また調べたり。
できあがりは、なんとなく見当がついているときもあるけれども、ぜんぜんわかんないときもある。
それが無知な人間がものを考えるということなのではないか。そう思うと、脳内を走査することだって「調べる」なのかもしれんけど。
してみると、「考えることはググる(調べる)ことから始まる」という方が、少し実態に即していそうだ。これがver.0.2。
だとすると、考えないでググってもいい。むしろ、もの知らずは「なまじ手持ち材料だけで考える前にググれ」なんじゃないか。そういうわけで、チャーハンの足りない分はtop valueのカップ麺とかで昼飯を食い終える頃にはver.0.3、標題のまずググってから考えろになったのだ。
そんで、食べ終わってちょっと仕事してからRSSを見たら、「考える前にもっとググっていいんだよ」なんだもん。そのリンク先は「自分で考える前にググっていませんか?」なんだもん。驚きますわよ。
◆
あ、オレがいつもそうしているからそう思うだけか?(゜o゜) うう、そうかもしれない。まあ、これも「脳内だけ調べて書いている」止まりなので、いつになったらver.1にまでなるのかは、ぼくにもわかりません。多分、このエントリは、しばらく前に「Skepticism is beautiful」で読んだ記事の影響を受けていると思うので(すいません、いま、どれだか探す余裕がありません)、あそこで紹介されていた本とか読むと良さそう。
もちろん調べるを「ググる」で済ませては、足りないことも多い。けれども、何も調べないよりはググるだけ100万倍マシだ。脳内走査だけで「調べる」を終わらせるよりも、きっと10万倍はマシだ。で、調べるってえのは、料理で言えば仕入れだ。素材を集めただけだ。そのまま人前に出せるとか思うな。
・考える前にググれ
すでに知っていると思うな、まず調べろ、探せ。それがオレ風情が考えるということの始まりだ。ググりもせずに書くな(わー、今、ググらないで書いてます! わかってます! orz)。
◆
話の始まり「自分で考える前にググっていませんか?」は、大学のレポートでのWebからコピペ問題のようだ。それは考える前にググったとかいうことよりも、ググった結果を「そのままいただいた」という問題じゃないのかしらん。
また、コメント欄で指摘があるように、課題の問題もあるのかもしれないけど、そこはなんともわからない。
やはりこれもコメントにあるように、学生さんは間違えることを極度に恐れるから写すのかもしれない。子どもたちを見ているとうなづいちゃう。で、すごく気になっていることではあるけれど、それは「なぜ写すか」という話で、ここで考えようとしていることとはちょっと違うので、また今度。
◆
以下、おまけというか派生というか。トレイの後で生まれた思考のアブク。なんか、さっきから料理だの買い物だのの話が多くなってんのは、昼飯を作りながら考えていたから。
・ググったら出来上がりだと思うな
調べて集めたもんは、ただの素材だ。並べ替えただけでは手抜きである。
素材の味がとかいうけれど、超絶うまい刺身が作れるのは、目利きの腕っききだけだ。わしらは細胞を崩して食感を台無しにするのが関の山。ふつうにお惣菜料理しましょう。
・1回ググって済むと思うな
まともなもんを作ろうと思うのなら、一度の仕入れで終わらんだろう。それほど手材料だの道具だの技術だのの持ち合わせがあるのか。うちの冷蔵庫にも台所にもオレにも、そんなに「財産」「蓄積」はない。まかない作ってんなら別だが、そんなもんを客に食わせてはいかんだろう。身内用のお惣菜料理なら、「ありあわせ」ってのもありか? いつでもってわけにはいかんよなあ。基本、自分だけが食べる昼飯、つまりはやっぱりまかないぐらいじゃねえか?
・ググるだけで調査終了なわきゃあない
運が良ければネットだけで最低限の材料が手に入ることもあるってだけなので、過剰な期待は禁物。必要なら手近なスーパーだけじゃなくて、専門店にも行くのがおもてなし。走り回ってこその「ご馳走」ってか? だんだんオヤジギャグになってきてないか。
◆
材料によってはレシピを変えることだって、いや、料理(メニュー?)を変える必要だってあるかもだよなあ。
ああそうだ。
専門店がネットにあることもあるんだよなあ。PubMedとかか? ac.jpでググるとかもか?
どう調べればいいのかぐらいは、調べる前に考えるとなおよろしいわけか。それがわからなければ、ググってもなにもヒットしないかもだものね。
調べてもらちがあかないときもあるな。そのときは、プロだ。図書館の司書さんに相談すると吉かも。プロはすごいのだ。日頃は忘れているのだが、これはこれでよろしい。いつでもプロを煩わしては、プロに悪い。
きゃー、時間だ、出かけなきゃ!(汗
それはまた、なんというか(大汗
上記はまだボロボロの隙だらけの話ですんで、もちょっと勉強して再考もしたいと思います。いつになるやらですが(滝汗
ググる(Interdisciplinary 2008年6月20日)
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_1d67.html
こちらで喝破されているように、実は順番やGoogleを使うことにはあまり大きな意味はなくて、調べた結果をうのみにしたり、引き写したり、調べただけで事足れリとしてしまうことが問題、というお話。
というわけで、「調べる⇔考える」で行ったり来たりが大事だよね、という至極まっとうな結論だったりします(^^)
ググりて学ばざれば則ち疑わし。
いや、見当はつかないこともないんですが、というわけでググったら判明(^^;;
元ネタは孔子なんですね。
「学んで思わざれば即ち罔し。思うて学ばざれば即ち殆うし。」
学んでも考えなければ、[ものごとは]はっきりしない。
考えても学ばなければ、[独断におちいって]危険である。
孔子『論語』(金谷治訳注/岩波文庫)
この場合、学ぶということには調べるということも当然に含まれていることでしょう。思う=考えるだというのは、ちょっと考えさせられちゃうなあ……。
ところで「罔し」も見当はつくものの、確かめるためにまたググリました(^^;;
【種】書く前に調べる(2008年02月11日)
http://shibuken.seesaa.net/article/96976565.html
【種】疑う、調べる、考える。順番とバランス(2008年05月17日)
http://shibuken.seesaa.net/article/96976565.html
後者なんか、かなり最近ではないか。
> 【種】書く前に調べる(2008年02月11日)
> http://shibuken.seesaa.net/article/96976565.html
URLが違ってました(すぐ下と同じURL書いちゃってる・汗)。
正しくは下記。
http://shibuken.seesaa.net/article/83606116.html