私はいかにしてビリーバーでも何でもない友人を説得できなかったし今もできないか
今のところ6話まである。その1(2008/6/21)から順次お読みいただきたい。短いのですぐ読める。
こちらの本気度を示すためには「ほんとにこの話のバカさ加減がわかるのに問題にしないというのなら私はもうそういう人とは友達でいたくありません。さようなら」というべきなのか?これは難問だ。
友人に限らない。(文中にも出てくるが)親戚や親兄弟だって同じだ。
もともと、このエントリが紹介されたTAKESANさんのエントリ「何が目的?」は、一部で話題の大手小町のトピックについてのものだ。そこでも、水伝を信じているのかもしれない恋人(つきあい始めたばかりの)と、別れた方がいいだの大きなお世話だのなんだのという話も出ている。
標題では「水伝やめますか、それとも〜」としたが、実態としては逆なのかもしれない。「水伝批判やめますか」とか「ニセ科学批判やめますか」「スピリチュアル批判やめますか」、それとも……という問題としてぼくらが突きつけられていると考えた方がいいのだろう。少なくともとらこさんは、そういう問題として直面している。
自分ならどうするだろう。
あの話を方便として採用するなんてのは、オレは「汚いやり口」「筋が悪い」と思うということは表明しつつ、広めようとするのでなければ、受け入れられなくてもそれ以上は突っ込まないような気もする。
それで疎遠になるかというと……少しはなるだろうなあ。そうでなくても引きこもりだし、わざわざ友人と連絡をとったりもあまりしないので(かなり親しい相手でも、年に一度会うかどうかぐらい)、表面上は変わらないのかもしれないけど。
ぼくは基本的に、人が第三者の意見によって考えを変えることを期待していないのかもしれない。なにか「考え方」といったものを理解してもらえることさえ、すごく珍しいと考えているところもある。
いや、単に考えなしで、ずるい、ヘタレなのかもしれない。きっとそうなのだろう。
少なくとも、ぼくのエントリは、そういう問題に直面した人には、なんの役にも立ちそうにないなあ……。
友達を失ってもこちらの本気度をそれでわかってくれるならいいのですが「何怒ってるんだ、変な奴」で片付けられると友達だけ失って、あるいは失うまでいかなくても疎遠になって、こちらの言いたいことは何も伝わらないという空しい結果になったりしております。修行が足りないのでしょうか。正解はないのだとは思うのですが。
>そういう問題に直面した人には、なんの役にも立ちそうにないなあ……。
いえ、いつもいろいろ教えていただいております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
>修行が足りないのでしょうか。
いやあ、こういう修行は、あまり積みたくないですねえ……。
結局のところは、どこまでを求めるかということなのでしょうけれども、どこで線を引いても、相手によってはうまくいくけど、相手によってはうまくいかない、ということになると思います。人間相手ってそういうことですよね……。
たとえば、これは生理的な苦痛や嫌悪の問題ですが、「横でタバコを吸われるのはイヤだ」という場合のことを考えてみました(ぼくはヘビースモーカーなので、天にツバするようなたとえですが)。
「公共の迷惑も考えなさい」ということも言えはしますが、まずは自分の近くではやめてくれ、から始まりませんか? そして、それを誰にでも求めるのかどうか、どれぐらいの距離を求めるのか、どれぐらいの頻度までなら我慢するのかといったことは、一律にはできないのではないでしょうか。
一律にできる人もいるかもしれませんが、誰にでもそこまでの一貫性や強さを求めることはできないと、ぼくは考えます。
オレに注意するなら、近くにいるアイツにも注意しろ、しないならやめない、なんて言えますか? ぼくは言えません。
たとえば、喫煙可能な場所だと思い込んでタバコを吸っていて、誰かに「ここは禁煙ですよ」と言われたとします。近くに別の喫煙者もいる。そしたら多分ぼくは、自分のタバコを消した後で、その喫煙者のところに行って「ここは禁煙だそうですよ。ぼくもいま注意されて知ったところです」なんて話しかけるかも知れません。
相手によっては、それはしないで、ただ立ち去るかもしれないけど、そうじゃなくて、ついでに「どっか、近くに喫煙所はありませんかね?」なんて話もするかもしれません。
「誰になにを求めるか」あるいは「なにを迷惑と考えるか」は、やはりごく個人的な判断基準によらざるを得ない。そういうことなんじゃないでしょうか。
とらこさんのところでも書きましたが、今回の例の場合、問題は水伝よりもむしろ「コーチング」だと思います。
「人格改造セミナー」の匂いがぷんぷんするこの「コーチング」という技法は、日本ではまだあまり広まっていないせいもあって、危険性もあまり大きくは取り上げられていません。
一部の人間関係の改善や、職場の円滑化などにはある程度の効力を発揮する技法です。しかし、例えば社長が「当期売り上げ2倍を目標にする」なんて馬鹿なことを言い出した場合でも、「何とか「コーチング理論を使って、達成しよう」という風に導く、いずれ破綻が予測できる理論です。
一言で言ってしまえば「真剣に願えば夢はかなう」というヤツですね。
そういう非論理的な理論ですから、非論理的(または没論理的)な「水伝」との親和性が高いんです。
皆さんも、「コーチング理論」には、ご注意を。
えっと、ここは渋研Xさんのうちなんだから@渋研Xさんは余計でしょうか。
スモーカーはタバコの煙が私に迷惑だってことは認識していると思うんですが、友人は勝手に変なことを信じていることが「私には」迷惑だ、と私が主張していいんでしょうか。まあ主張する自体は別に問題ないけど実質的に改心を迫っているあつかましさというのは、なんぼ「こっちが正しい」と思っていても心が痛みます。
本当に本当に最終的にはどんな友人でも切れてしまう、切られてしまうところまで覚悟はあるんですが、何も切らなくてもと惑うのもあります。
憂鬱亭さん
自分のとこにも書きましたが、思い返せばやはりひっかっかり率の高そうな友人ではあるのですが、まじめで向上心が高いっていうのがくせものかも知れないですね。なんでそんなに向上したいのか、しかも小金をもっているというのが困ったものです。
憂鬱亭さん
コーチングの本は私も昔何冊か読みましたし、Wikipediaのコーチングの項目を見ても、憂鬱亭さんが言われているようなものではないと思いますが…。
とらこさん
私はカウンセラーでもなんでもない、ちょっとばかし心理学に興味を持っているだけの者ですが、たとえば次のアプローチはいかがでしょうか。(すでに試されていたのなら、おせっかいすみません)
まずはお友達が感銘を受けたコーチング講座の良いところをできるだけ聞き出して対話を深め、他の良いところは認めた上で、「それにしても水伝はまずいから、もし言えるなら講師の方に伝えた方がいいよ…」という感じです。
最初から「水伝なんかの話をする人間のする講義など、すべて信用ならない」という姿勢で話し始めてしまうと、コミュニケーションが成り立たず、次のステップに一歩も進めなくなってしまいます。
>真面目で向上心が高い。
いろんなところに引っかかりそうな条件なのかもしれません。
金があれば、「コーチング」や「セミナー」「霊感商法」。
金が無ければ、宗教などの伝道者、など。
批判的精神をなくさなければ大丈夫かも知れませんが、どうも「真面目な人」というのは「だまされやすそうな人」でもあるような気がします。
とらこさん
>勝手に変なことを信じていることが「私には」迷惑だ、と私が主張していいんでしょうか。
「いいのか」と問われると迷いますが、誰にとってなにが迷惑かは、言われないとわからないこともしばしばありますよね。友人や身内が「ぼくはそれ、やだなあ」という意思表明をしてくれればこそ、「おお、そうだったんだ、すまんすまん。言ってくれてありがとう。以後、気をつけるよ」と言えるって部分もありますよね。
相手によっては「迷惑」という言葉の選択はうまくないのかもしれません。もっと好悪とかいうレベルで語られるべきなのかもしれません。どういう表現を選んだにしても、「わたしにとっては、それはノーだわ」という宣言なので、センシティブであることは確かですよね。
どう伝えるか、という点では、aliceさんのおっしゃることにも一理あると、ぼくも考えています。これは考え方というよりは「どういうふうに表現すると、受け入れてもらいやすいか」というテクニック(技巧)の面の話だと理解していますが、子どもの問題行動を改善するためにはどう対応すべきか、なんてときにも「まず相手を認めて、誉めるべき点を誉め、それから問題点を指摘する」とか「いい点を誉めるのはいくつ誉めてもいいけど、改善すべき点を指摘するときには1つだけに」なんて話を、しばしば見聞きします。
ぼくも、たとえば水伝授業をやっちゃった先生にお話をうかがうときや、いきなり問題を指摘すると意固地になりそうな人に苦言を呈する必要があるときには、まず「敵じゃないよ」「攻撃するんじゃないよ」ということを表明することから始めるようにしました。今後も、対面ではたぶんそうします。ネットでは、あまりそこまでしようとは思いませんが。一部分だけ抜き出されることもあるし。
ただ、それが必要なのか、あるいは功を奏するか、ということになると、やはり関係によるのだろうし、問題の性質にもよるのだろうなあ、とも思います。
そして、「説得しなければならないのか」「説得できなければならないのか」「常に指摘し続けられなければならないのか」というと、必ずしもそんなことはないだろうとも考えています。あんなバカバカしいもののために、大事な友人を失うなんて……。
これについては長くなりそうなので、明日にでも別途エントリを立てたいと思います。
憂鬱亭さんご指摘のコーチングについては、おそらくいろいろなケースがあるのだろうと思います。「教育は常に洗脳を伴う」なんて話についても考えないではないですが、「怪しいコーチング」も、いくらでもあることでしょう。自己啓発セミナーとかがそうであるように、「すべての××が怪しい」のではなくて、「××を名乗る怪しいものも絶えずたくさんある」ということなのだろうと思います。
ところでハンドルについては、どうぞお好みで(^^;; 「亀さん」と呼ぶ人は、対面でもネットでもどこででもおいでで、別に違和感はありません。
「@渋研X」はおっしゃるように所属というか、もともとはこのブログ用に「連載記事の渋研Xに出てくる、捏造人格の亀さん」だとか「亀さんの中の人」をイメージしてつけたんです。でも、ストーリーを離れて人格を維持するのは困難で、最初の記事から素で書いちゃってて、なんのこっちゃになってますので、全然こだわりはありません。
>コーチングの本は私も昔何冊か読みましたし、Wikipediaのコーチングの項目を見ても、憂鬱亭さんが言われているようなものではないと思いますが…。
「コーチング」は「自己啓発」を対人関係(コーチとクライアント)の形で行います。そこで新しい「気づき」や「視点を変えた発想」にめぐり合い、問題が解決できることもあるでしょう。
しかし、「クライアント」が乗り越えることが無理なことを「コーチ」に相談したとき、「コーチ」はそれをあきらめる方向に話を持っていけるでしょうか?特に課題が、会社から与えられた要求や目標だった場合。
教科書には、「コーチはクライアントと話し合って、今後の方針について必要があれば修正する」旨のことは書いてありますが、「その課題は無理だからあきらめろ」と言う「コーチ」はいるんでしょうか。
Wikipediaの記述に関してなんですが、あの辞書につきものの、歴史的な説明がありません。私の経験では、そういう時は、書きにくい事情があることが多いです。内紛を抱えているときとか、方針の対立が消えないとか。
実際米国の方で、もめたらしいことは、いくつかのコーチング関係のHPで書いてありますね。
また、コーチングの技法のいくつかは明らかに米国産の人格改造セミナーの技法を受けついでいます。(私は「自己啓発」とは呼びません。意図的に誘導し、無理に「ポジティブな自分」を作り出し、人間関係を壊すからです)
とはいえ「コーチ」というと、「宗像仁」をはじめとするスポーツの指導者を思い出す方も多いでしょう。あっちのコーチまで、否定する気はありません。
私が槍玉に挙げているのは「ビジネスコーチ」です。特に、経営コンサルタントも兼ねているような輩は、会社の崩壊を早めるシロアリのような連中も含みますからご注意ください。
もう一つの方法を思いつきました。講師の方に、直接クレームを入れてしまうのです。
その際、ニセ科学だからといって批判するよりも、人間どうしのあるべきコミュニケーションを阻害する、といった論調の方が良いと思います。なぜならコーチングの講師なら、科学よりコミュニケーション技術に興味があるでしょうから。下のサイトあたりが参考になるかと思います。
水に芸術はわからない
http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2007/02/post_f593.html
言葉の力
http://ameblo.jp/fireflysquid/entry-10101020367.html
憂鬱亭さん
それほど悪評高いとは思っていませんでした。良いコーチングの講義が一つもありえないほどひどいんでしょうか?自分でも評判を調べてみます。
上でaliceさんが進めている方法、アプローチとしては有効だと思います。ただし、「コーチ」にとっては「クライアント」が目標を達成しないまま離れていくのは、かなり受け入れがたいと思うので、接触を断ち切る方法ではなく、内容を変えてもらうような方向に持っていくのが良いかと思います。
aliceさん
すみません、言葉足らずでした。
コーチング自体は、現在日本ではかなり好意的に受け入れられていると思います。特に、ビジネス関係で。
でも、思い出して欲しいのは「自己啓発セミナー」という名の「洗脳セミナー」に会社を挙げて社員教育に使っていた企業も多かったことです。社会で受け入れられているからといって、手法や論理性が正しいという話にはなりません。
「自己啓発セミナー」も当事者には評判が良かったと記憶しています。問題になったのは、秘密主義と法外なお金を取ること、そして周囲の人間関係を壊すこと、でした。
ああ、そのほかに、セミナー経験者が目標を達成できずに、自分を「ダメ人間だ」と攻めるという問題はありましたね。
詳しくは『洗脳体験―増補版 』
(宝島社 1998年 二沢 雅喜・島田 裕巳著)を読んでみてください。
>まずはお友達が感銘を受けたコーチング講座の良いところをできるだけ聞き出して対話を深め、他の良いところは認めた上で、
aliceさんは親切な方とお見受けします。おっしゃるとおり、良いところもあるから友人がはまっているのであろうとは思いますが、ごめんなさい、私はこういう手段は取りません。有効であろうことは認めますが私は原則として「私のことを思いやって説明してよ」というのは甘えだと思っています。「上からの目線結構じゃないか派」なんです。相手が子供とかの場合は別ですが、ストレートに用件に入りたいのです。
>それにしても水伝はまずいから、もし言えるなら講師の方に伝えた方がいいよ…」という感じです。
そういう言い方は、繰り返しますが有効であるのは認めます。しかし私はそこまで親切ではありません。
>最初から「水伝なんかの話をする人間のする講義など、すべて信用ならない」という姿勢で話し始めてしまうと、コミュニケーションが成り立たず、次のステップに一歩も進めなくなってしまいます
まさにそれは私が取った姿勢ですが、私のところをご覧になっていただければおわかりかと思いますがコミュニケーションは成り立っていると思うのですかいかがでしょう。私と友人とは実際に非常に単刀直入に率直に話し合っています。相手も私がそういう奴だとはっきりわかっている間での話です。
aliceさんがおっしゃっていることは、たとえばカルトにはまっちゃった人のマインドコントロールを解く時などには大事な心構えだと聞いております。状況と相手によってはそうしなくてはならない時もあると思います。そして、日常においてもそれを応用するのは、有効なアプローチの一つだろうと思います。
しかし、私はたとえば、水伝なんかを持ち出す「コーチング」は即ダメとみなします。プロとして失格だと思います。そこまでは友人に言わないのは説得したい気持ちもありますが親切でないからというのもあります。
それと、私がこういう姿勢を取ったからといってコミュニケーションが成り立たなくなるような相手だったら最初から関わりません。私は実生活でもネットでも相手の姿勢ではなく中身だけを問題にする人間で、友人もそのことは知っています。それじゃあ人間関係がやりにくいだろう、友達が離れていくだろうと思われるかもしれませんが、そのとおりです。私は友達の少ない人間で、それでいいと思っています。
とはいえ、私も生身の人間です。理屈どおりにはいかないよなあーという愚痴を書き並べているのがこちらで取り上げていただいた一連の体験談です。
せっかくご親切におっしゃっていただいているのになんだか素っ気無いお答えで申し訳ありません。しかしご意見を伺いたい、参考にしたい気持ちはいつも持っておりますのでこれに懲りずにまたいろいろご指摘いただければ幸いです。aliceさんのところも読ませていただいております。全然アプローチが違うからこそむしろ参考になると思っております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
>せっかくご親切におっしゃっていただいているのになんだか素っ気無いお答えで申し訳ありません。
いえいえ、お気になさらないで下さい。まだ試していないならばこういうやり方はどうだろう?とちょっと思っただけですので。
また正直にお答えいただき、ありがとうございます。こうして色々な方と意見交換できるのが、ブログの面白みですね。
私のブログも見ていただけてるとのこと、ますますありがとうございます。私もこのエントリを見てとらこさんのブログもブクマしました。今後ともよろしくお願いいたします。
コーチングといえば、『鏡の法則』を思い浮かべますね。あれはとても問題のあるテキストでした。
鏡の法則…げげ、何ですかこれは!?なぜこれがコーチングと関係が?(あ、驚いただけですので、お答えは結構です。自分でも、あんまり詳しく調べる気もしない…)
私がイメージしてたのは、『コーチング入門 (日経文庫)』みたいな奴です。“個性を尊重しながら信頼関係を築き”だの、“「傾聴」「質問」「承認」の三つの重要スキル”だのといったものです。
5年以上前になりますが、ちょびっと部下を持ったこともあったので読んだりしていました。
やれやれ、今どきは妙なものが流行っていますね。
エントリと関係ない話ですが、コメント数のカウンターが直りましたね。seesaa.net全体でここ数日トラブっていたような?
「鏡の法則」検索して行ってきました。
アトピーなんかを扱う小児科の医者がリンクしてます!!
アレルギーなどを扱い続けるのってしんどいから、理解できる部分もあるんだけど、こことリンクしちゃいけないでしょ!!
>aliceさん
その日経文庫のネタは、多分大丈夫だったと思います。確かに役に立ちます。
でも、その3項目、コーチングというより、カウンセリングなんですが・・・。
他人を責めることに罪悪感を持っているのもあるんじゃないかと思います。他人を変えることも難しいし。自分を変えることにすれば他人を変えなくて済む。憂鬱亭さんのおっしゃる「いろんなところに引っかかりそうな条件」がもう一つという感じです。
いい人なんですよ。それがいかんのです。。。
以下も本題とはずれてしまう話題ばかりで恐縮です。トピ主、じゃないや、家主がそんなことではいかんのですが、ご容赦を。
先にもちょっと触れましたが、「コーチング=いかさま」としてしまうと短絡ですよね。そのように受け取られかねない表現は、有り体に言えば損だと思います。すでに誤解は解けたようですし、言及もされておいでですが、まともなコーチングもありますし、スポーツにおけるコーチングだってコーチングなんだし。
TAKESANさんご紹介の「鏡の法則」、ググってみたら、かつて読んだことがありました。かつて読んだときに「一杯のかけそば」の亜種かしらんと思ったような記憶があります。「一杯のかけそば」は無害かもしれませんが、こちらはカウンセリングふうなところが悪質ですね。「トイレ掃除で心磨き」云々なんてのと同質だと思うのですが、似たような問題を抱えている人は思わず飛びついてしまうのでしょうか。実際に父親との確執を抱えていて、子どもが問題に直面している人が、これを真に受けて真似たらとんでもない遠回りをしてその間に手遅れになる可能性もある、と思うと寒気がします。
ライフハックと称するものの一部にも、似たような「変なもの」がありそうです。
以下、さらに本題からずれます。迷ったのですが。
>aliceさん
「思いつき」「ちょっと思っただけ」という表現には、ギョッとしました。
それはかなり失礼な態度です、友人を失うかどうかというときに、そんな軽い気持ちで言及していい話題ではないでしょう……と言われてもおかしくない言葉の選び方です。
お気をつけください。言葉尻の問題かもしれませんが、残念ながらここには言葉しかないのですから。
言われた人が問題にしていないのだから構わないとは、ぼくは考えません。
そしてとらこさん
失礼な表現をいたしました。大変申し訳ございません。お詫びします。
まず亀@渋研Xさんのご指摘の表現につきましては、私は全然なんとも思わなかったので、むしろ亀さんのご指摘にギョッとしました。このギョッは「えっ、私もやりかねない!」というギョッです。ですので、この件につきましては私は気分を害してはおりませんが、ご指摘のとおりやはり微妙なところはあるかなと思いますので私も今後気をつけることにいたします。
ところでそれとは別の話ですが上にaliceさんにいただいたコメントの中に
>その際、ニセ科学だからといって批判するよりも、
という点がありました。現在のところでは、しかし私はニセ科学だからといって批判したことはありません。ニセ科学をめぐる議論は大体のところはフォローしているつもりですが、私が実際に言及しているのはこの場合水伝だけです。水伝批判はニセ科学批判と直結していますが勿論同じではなくここで私がやっているのは前者です。些細なことかもしれませんが、私はこれがちょっと気になりました。でも「思いつき」とかは何も気にならなかったんですが。コミュニケーションは難しいですね。
私もお気づきかと思いますがいろいろ言葉が足りないので、こちらがご気分を害することも必ず出てくると思います。そういう時は是非ご指摘ください。
12になりました。「説得しなきゃならないのか」楽しみにお待ちしております。
あと上のほうのコメントで私が即ダメとみなすのは「水伝なんかを持ち出すコーチング」です。「コーチング」を括弧でくくったのはまともなコーチングがあるとして(仮定です。これについては私個人は懐疑的です)水伝なんかをもちだす「コーチング」では「コーチング」の風上にも置けないんじゃないか、即ダメだろうというつもりで、まともなコーチングと言えないんじゃないか、というつもりで「」をつけました。
が、ご指摘の通り即ダメとみなすのが「コーチング」と受け取られかねない表現でした。訂正します。
「水伝なんかを持ち出すコーチング」は即ダメと私はみなします。
↑で、この段階でそれでもアプローチがよくないという議論は出てくると思いますが。
またまた寄り道して別のエントリを書いている間に素早い反応で痛み入ります。
ぼくだってうっかり失礼な物言いをしてしまうことは山ほどありますし、なによりも「書く書くと言いながら書かずに、ほかのエントリをアップする」という、考えようによってはもっと失礼なことをしでかしている真っ最中なので、ほんっとに人のことは言えないのですが、穏やかに受け止めていただけたようで感謝致します。
とらこさん、お待たせしちゃってて、本当にすいません。
>水伝批判はニセ科学批判と直結していますが勿論同じではなくここで私がやっているのは前者です。
おおう。本当に難しいですね。つい自分の問題意識に引きつけてしまう。
多くの場合とは言えないかもしれませんが、「ニセ科学だ」という指摘は、批判だとしてもその一部でしかないということがままある、しかし、ニセ科学批判を問題視する人のなかにはそこを飲み込んでいただけないケースが少なくないように見受けられる、というようなことをずっと考えています。でも、批判者自身もしでかしてしまうってこともありそうですね。
>まともなコーチングがあるとして(仮定です。これについては私個人は懐疑的です)
憂鬱亭さんのおっしゃるような
>私が槍玉に挙げているのは「ビジネスコーチ」です。
>特に、経営コンサルタントも兼ねているような輩
となると、ぼくも「すっごく怪しい」と先入観ばりばりで警戒してしまいます。
どのエントリを先にアップされようとされまいと勿論ブログ主のご自由だと思いますが気長にお待ちしております。
>>水伝批判はニセ科学批判と直結していますが勿論同じではなくここで私がやっているのは前者です。
>おおう。本当に難しいですね。つい自分の問題意識に引きつけてしまう。
念のため、問題意識としては私もニセ科学批判(の一部)としての水伝批判も考えています。ただ、自分の守備範囲が限られているので、実際に批判するときは慎重に言葉を選んでいます。
ニセ科学という言葉は、外部に向かって発信するには私はまだ今のところは使っておりません。aliceさんにいただいたコメントに「ニセ科学だからといって批判するよりも」とあるのは私がそういうアプローチを取りそうだと読めましたので、念のため、私は全くそれは言っていないと確認させていただいた次第です。くどいですけど言っていないからといって思っていないわけではありません。問題意識としてはそんなに遠くないのではないかと思うのですが、水伝の場合ニセ科学を持ち出さなくても批判できる部分を私は集中的に攻めています。それが成功していない、というのはまた別問題ですが。
おともだちに対して、水伝のニセ科学部分を批判しているわけではないとのこと、了解です。
あと、
>コミュニケーションが成り立たない
と私が書いたのは、お友達との交流自体が断絶すると考えていたわけではありませんでした。
あの時想定していたのは、「ある時、とらこさんがお友達のある状況を変えようといろいろ働きかけている」という場面において、とらこさんとお友達の一連のやりとりが、とらこさんの目的どおりに完了する、という意味合いを念頭において「コミュニケーションの成立」と書いていました。
コミュニケーションという言葉は色々な意味を含むのでもう少し具体的に書けばよかったです。誤解させてしまいすみません。
コミュニケーションという言葉については了解しました。
>水伝のニセ科学部分を批判しているわけではないとのこと
ここについては、もう少し補足します。最初私は
>ニセ科学だからといって批判するよりも
の「だから」にひっかかりました。ニセ科学はカバータームとして色々便利だけど、今のところそこまで市民権を得ていないだろうという思いがあります。
ニセ科学を定義して、ニセ科学だったら何がいかんのか、どういかんのかという個別の事例をたくさん検証して、ああやっぱりニセ科学ってよくないよねというコンセンサスが得られたら「ニセ科学だから」という言い方も使えるようになると思うけれど、今はまだ「水伝は?」「ニセ科学です」「血液型は?」「ニセ科学です」「陰謀論は?」「ニセ科学ではありません」みたいなことをしている段階ですよね。分かっている人の間ではとっくに終わっている議論かも知れないけれど、「ニセ科学だから」で一般に説得力をもった批判ができると思うのは時期尚早と考えます。
ニセ科学というのは、水伝や血液型や、個々に問題を抱えているものを個々に批判していたら出てきた共通項ですよね。だから水伝批判をしていたらニセ科学批判と重なるのは当然で、そういう意味では私も
>水伝のニセ科学部分
も批判しています。繰り返しますが、「ニセ科学だから」という言い方をしていない、なぜならニセ科学ということばが「だから」というだけで「どうだめなのか」を説明しないで納得してもらえるほど一般化しているとは思えないからです。批判者の間で、ある程度の共通理解があるのは別の話です。そして、その啓発(こういう言葉はお嫌いな方もいらっしゃるかと思いますが。「上から」ぽくて)のために、どれほどの努力が払われているかについては、認識しているつもりです。まだ浸透していないのではないか、というのは私の現状認識です。そして私がしていることは個々の水伝批判に留まっていると思っていますが、ニセ科学批判の一部でもあるかも知れないことを否定するものではありません。
もう少し補足すると言ってもうたくさん補足してしまいました。すみません。
>今はまだ「水伝は?」「ニセ科学です」「血液型は?」「ニセ科学です」「陰謀論は?」「ニセ科学ではありません」みたいなことをしている段階ですよね
批判者サイドがこういう視点で批判をしていると言うつもりはありません。このぐらいニセ科学っていう概念はまだ知られていない、だからその言葉を使う時にはいちいち説明がいると思います、というつもりです。他にもまだ変なところがありましたらご指摘ください。