んで、消費者的にはどうしても「誰の腸から摂ったのよ(笑)」みたいなネタ系のツッコミを思いついちゃう模様。
調べた人の話(個人ブログの、どんだけの精度があるかわからない記述)によると、ヒトから採取した乳酸菌という意味ではなく、ヒトの腸内に巣くう乳酸菌と同じ乳酸菌という意味らしい。そりゃそうだよな。しかし、それをヒト由来と呼べるのか? という気もする。
で、気になったのは、なんか、こういう文脈のキャッチコピーって多くないかってこと。なんかどっかに「ヒトに由来するものは、薬効がすぐれている」とか「害が少ない」とかいう話でもあるのだろうか。エビデンスというか、信頼できるソースというか、そういうの、あるのかしら。
なんか怪しげな健康法とかでも、そういうのってあったような気がする。牛乳有害論もそうだ。「あれは牛の飲み物です。ヒトには合いません」ってやつ。んなこと言ったら、ハチミツとかローヤルゼリーとかはどうなるのよ。穀類だって、別にヒト用なわけでもなければ、人類発生当初から食ってたわけではないでしょうよ。ヒトはヒトの生肉でも食ってろって話かいな。
思い出すのは「種痘をすると牛になる」という、明治あたりの話。同じ発想かしら。
それがなにに由来するものかという事情と、薬効だの副作用だのに関連があるという話は聞いたことがないのだけどなあ(いや、あるのかもしれませんけどね)。
というわけで、有名メーカーに「エビデンスがあるんですか」と空気の読めない問い合わせを出してみました。返事が来るかどうかはわからんけど。
生息域の違いなのでしょうが、ちゃんとした分類なのか今ひとつわかりにくい。
そもそも植物性だからどうなんだ?と疑問に思うんですが、CMでは「植物性」というだけで効用についての説明がない。
「ヒト由来」「植物性」が実態を離れて、善のイメージとしてとらえられているということなんでしょうか。
イメージだからなかなか論理では覆らない。
実態はどうか、ではなく自分が持っている善のイメージに合致するかどうか、が判断基準になっている人が多いのか、と思っています。
それにしても、赤ちゃんの腸内細菌っていつ定着するんでしょうね?
ウチの子のプーは本当に臭くて、善玉菌を渡し損なったーとがっくりしているんですけれど(笑)
『動物のお医者さん』の菱沼さんみたいな(ちょっと変わった体質の)ヒトの体から取り出して、培養してるんだと思ってました。
そのうち「私の体から採りました」みたいな写真が付いてくる日が来るのだと・・・・・・。
これは勿論何の根拠もないわけで、オレなんかは、喰い物というものは須く程度の差こそあれ人体には毒なのだと考えていますし、文字通りの意味で天然自然のものであればあるほど人体にとって敵対的に働くのが当たり前だと考えています。
これはつまり、食品というものは須く人体にとっては異物なのだし、そんな異物を採り入れる為に体内で化学反応が起こっていて、それによって栄養を得ているのだから、物を喰うという行為それ自体がゼロリスクではあり得ないということですね。
また、どんな「食品」でも、それ自体独立した生物である以上は、自身の生存の為に存在するものであって、人間に喰われる為に存在するものなどあり得ないわけで、そんなものが存在するとしたら人間が作った物だけですよね。
勿論、植物の果実のように他の生き物に喰われることを生存戦略に織り込んでいるものもあるわけですが、そんな生物が他の生物種の健康をきめ細やかに気遣ってあげる義理などはないわけで(笑)、精々他の生き物に喰われやすいような味や芳香を発するという程度のものでしかないわけです。
ですから、自然食品礼賛がもっと先鋭化すると、満更莫迦な人ばっかりがそれを信奉しているわけではないのですから、その部分に対する疑義が生じてきます。その文脈上で「牛乳は牛の飲み物だから人体に毒だ」なんて話も出てくるわけで、これは文脈次第ではあながち間違ったことを言っているわけではないと思います。
まあ、それをもっと上位のレイヤーにおいて言うと、間違っていなくても無意味なことを言っているということになるわけで(笑)、食品一般須く人体にとって異物であり毒なのですから、じゃあ相対的に謂って牛乳以上に「安全」な食品なんてあるのかという話にもなるわけです。
そこで出て来るのが「ヒト由来」なるアヤシゲなタームなんじゃないですかねぇ。ヒトに由来するものなら人体にとって「異物」ではないわけで、一方的に都合が好いはずだ、みたいな。ですから、やっぱり自然食品礼賛とかヒト由来指向みたいな考え方というのは、基本の部分で人間中心主義的な考え方なのだと思います。
ただ、乳酸菌のような有用微生物はさておき、「毒」という観点で謂えばヒト由来だからこそ危険だという事柄はむしろかなり多いわけで、たとえば先般の秋葉原の事件で広く周知されましたけど、他人の血液や唾液というのはかなり危険なもので、迂闊に触れたり口にしたりすると相当な衛生リスクがあるわけです。
これは「人体」一般にとって人体由来の物質が「異物」ではないからこそ高度なリスクが伴うということで、亀さんが書かれているような「誰の腸から摂ったのよ(笑)」というツッコミというのは、一種「他人の体内常在菌なんて気持ち悪い」という触穢の感覚に近いと思いますけど、人間というのは経験的に同じ人間から出てきた物質というのは衛生的な観点で有害なことが多いということを識っているわけですね。
排泄物とか唾液とか鼻水とか血液とか、もっと謂えば屍体とか、そういう、割合人体の構成に近い物質に迂闊に触れるのは危険だという知恵は素朴な触穢の感覚として生きているんだと思いますね。
そういう意味では、自然食品礼賛や人間中心主義的な指向が必然的に導き出す「ヒト由来」指向というのは、オレの感覚では飲尿健康法に近い転倒・倒錯した感覚だなと思うんですよ(笑)。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF#.E7.94.A3.E5.BE.8C.E3.81.AE.E8.83.8E.E7.9B.A4.E3.81.AE.E5.88.A9.E7.94.A8
ttp://www.hyogo.bc.jrc.or.jp/oshirase/2006.10.10-purasenta/2006.10.10-purasenta.htm
ウィキの記述の「ただし、実際にはアンチ・エイジングというような美容目的や健康目的でこれらを使用するケースも多いといわれる」というのは、まあこれは完全に呪術がバックボーンにありますね。
あんまり言うと逆に偏見を助長することになるので控えますけど、「プラセンタ」が美容な健康という目的を持つ人々にアピールするというのは、これは歴史的にかなり普遍的な呪術的発想なんではないかと思います。
「ヒト由来」と「植物性」が、両方とも同じようにいいって話だとするとつじつまが合わないですよね。
前者は類感呪術的な発想、後者はマーガリンや食用油なんかの「動物性脂肪よりも植物性脂肪が健康にいい」かな。別々の論拠(?)なので矛盾を感じないとかかな。
くりずさんのいう「自分が持っている善のイメージに合致するかどうか」も呪術的な発想の仲間と言えるでしょうから、まあ覆りませんよね。黒猫亭さんご指摘の「他人という異物」に思い当たる人は、最初から「そんなのなんかやだ」で、これはこれで覆らないものかもしれません。
実際のところは、トイレから採取されるものだろうが、ごみためから採取されるものだろうが、衛生的に処理されていればいいはずなんだけど、そうは問屋が卸さないんだろうなあ。
「植物性乳酸菌」、わからんのでちょっと調べてみました。植物を原材料とする発酵食品に住んでいる乳酸菌のことらしいですが、この用語、大学のサイトでも使われていますね。食品メーカーと同じような説明がされていますから、ことの当否はさておきメーカーのいう「過酷な環境下で生きている植物性乳酸菌の方が、生きて腸まで到達することを期待できる」という話は、学者さん由来の説であることは確かなようです。
どこかで読んだ「トンデモな話は、消費者やメーカーが思いつくわけではない。学者が言い出すのだ」という話を思い出しました(これも、常にそう言えるのかというと疑わしいですが)。
>菱沼さん
なぜそこで彼女が(^^;;
黒猫亭さん:
>喰い物というものは須く程度の差こそあれ人体には毒
「須く」の使い方が、とかいうことはさておき(^^;; なんだっていい面と悪い面があるんで、「よいところしかない」とか「悪いところしかない」なんてもんは、多分、ないんですよね。証明できないけど(^^)
あの、「○○由来だから毒だ/薬だ」ということ自体は、あるんだと思うんですよ。あってもおかしくないというか。有用成分だけ取り出すとかいうことをしなければ、不衛生なところから採取したもんは、やっぱりカラダに悪いんだし。
それぞれ、採取なり培養なりしたときの方法だの事情に依存するだけで、なんにでも通用する「由来を原則とした法則」なんかないってだけなんだと思うんですけどね。
大事なことを書き漏らしていました(笑)。薬学の世界では、概念的には「毒>薬」の関係になるということで、毒と薬は分けて考えられないものだということです。毒と薬という別々のものがあるわけではないということですね。
この両者を隔てるのは、「人体にとって有用な作用の有無」という恣意的に設けた相対基準で、化学的な絶対基準ではないそうです。この両者の関係で謂うと、毒は必ずしも薬にはならないが、薬は必ず毒になるということですから、薬はすべて本質的には毒だと謂っても構わないわけです。これは概念上の基準ですので、勿論法律で決められている毒物とか薬物を定義する要件でないことは一応お断りしておきます。
なので、「喰い物というものは須く程度の差こそあれ人体には毒である」というのはそういう前提を踏まえた言明です。具体的な例で謂えば、水や塩にすら半数致死量というのがありますから、これも毒だと謂って差し支えないわけです(笑)。
ミステリのトリックで、空気を静脈注射したり寝台の下にドライアイスを仕掛けて窒息死させるなんてのもありますが、純粋酸素だって二酸化炭素だってそれだけを吸入し続けていたら死ぬわけですから、そういうふうに考えていくと、人体に入って化学的に作用するもので毒ならざるものは存在しないわけで、すべて量の関数の問題になるようです。
喰い物が栄養になったりエネルギーになったりするのは、人体の中で化学反応が起こって人体にとって有用な作用を及ぼすわけですから、非常に広義な意味では薬に近似の働きをするわけですが、薬というのは「すべて」毒ですし、有用な働きだけではなく副作用も「必ず」あるので、一方的に人体に都合好く働く食物というのは存在しないはずなんですね。
単に、副作用に代表されるようなリスクの相対値が大きいか小さいかの違いでしかなくて、ゼロリスクというのはあり得ないわけです。生物のメカニズムというのは、本来異物であり毒として働く可能性の高い物質を体内に摂取して、その化学物質を有効に用いるように進化してきたわけですから、そうそう普通の喰い物を喰っても命や健康に関わらないように出来ているわけです。
偏食を避けてバランス良く食品を摂りなさいというのは、そういう意味で食品の持つ毒性のリスクを分散させる為と謂えるでしょう。あるある方式の「驚異の○○パワー!」の胡散臭いところは、あるかもしれないベネフィットだけを誇張して伝えているということにもあって、番組が謳うほどの効果がホントにあるのかどうかはさておき、それを過剰に摂取することに伴うリスクについては何も言わない辺りが不誠実なわけです。
ですから、仰る通り「由来」から推定出来そうなのはリスクとベネフィットの相対値の見込みだけであって、ヒト由来だからゼロリスクでいいこと尽くめなんてことだけは絶対にないわけです。ヒト由来だからこそ効く部分もあれば、ヒト由来だからこそハイリスクな部分もあるわけで、その関係性だって一様な法則性があるわけではない。
たとえば、プラセンタの話にしても、ヒトの胎盤由来「だから」或る程度効果がある部分はあるわけで、強精剤のサプリなんかでもプラセンタが使われているものは結構効くらしいです。ただそこにvCJDという別のリスク要素が絡んでくると、牛肉の特定危険部位と同様の高いリスクが生じてくるわけで、毒も薬も人体というダイナミックで固体趨異の大きい内的環境における化学的な働きの話なので、イメージ論や人間中心主義的「べき論」のような化学とは別の規範で物差しを当てても、当然妥当でない部分は出て来るわけです。
何でも具体的に実態を視ていかないと何も言えないはずだし、そこから何らかの共通する空想的な原理を直観で「思い附く」のは、poohさんが仰るように、おおむね呪術に基づいた感じ方だということでしょうね。
>この両者を隔てるのは、「人体にとって有用な作用の有無」という恣意的に設けた相対基準
ああ、発酵と腐敗なんかと同じ理屈ですね。
だいたいなんにでも致死量があるというのは、ぼくもよく持ち出す例でして、これは結構わかってもらいやすい話かなという手応えを感じています。
「なんにでもリスクとベネフィットがあるんだ」というのは、けっこう説得力もあり、普遍的な法則に近いんじゃないかと思うんですが、これはあまり「類感」してもらえないというのはなんなんだろうなあ。なんか呪術的な発想が働きやすい条件を満たしていないんでしょうね。
ぬ〜ん。これをもって「根拠はない」というわけにはいかんわね。
>>なんか呪術的な発想が働きやすい条件を満たしていないんでしょうね。
呪術的な発想というのは、普遍的に「人々がそのように視たがっている世界観」を支持するものでなくては大向こう受けしないんでしょうね。
「物事にはすべて、良いところもあれば悪いところもある」では、おまえはスネークマンショーかと突っ込まれてオシマイなんでしょうねぇ(笑)。
はあ、ぼくもこのところそれが思い出されてしかたありません。
http://jp.youtube.com/watch?v=zvuC7D_IBuY
手許に音源も資料もないので曲名がわからず、ずっとこれまで「彼らが何万枚レコードを集めていたのか」を思い出せなくて気になっていたんですが、これでようやくスッキリしました(笑)。
このネタでは「いいものもある、悪いものもある」というのは、何の意味もない当たり前の結論を自慢話で修飾して虚勢を張り、大したことを言っているように見せ掛けている、という皮肉なのでしょうけれど、なんというか、最近ねじれた形でこれを思い出す機会が多いですねぇ(笑)。
ぼくは、今回のような文脈(たいがいのものは、リスクとベネフィットの両方をそなえている)の話でばかり思い出すのですが、考えてみると、ある種の「ニセ科学批判批判」なんかも、似たような構図を起こしそうな気がします。「○○って、こういうところがあるあらダメだよね」「うーん、ぼくはちょっと違うんだよね」とかなんとか。
それなのに、実際には、「若い山彦」とはまったく逆に機能するんですね。互いに両立し得ないような話なのに手を組んでしまう。共通の敵がいるという状況がそうさせるのか。
不思議です。
ところで、No.4560さん(7635log)が下記のエントリをトラックバックしてくれました。
君には私の乳酸菌。(はぁと)
http://7635log.mizo4560.zombie.jp/?eid=897770
で、読み始めた途端に、昼間見た、これを思い出しちゃって(汗
咲坂と桃内の「今夜はごちそうさま」
http://jp.youtube.com/watch?v=5QZn8-CbEdI
その親戚からいただいたのは、今年は「トマト」で一昨年?は「冬瓜」だったんですが、もらうたびにヒト(と動物)由来のアレが頭をよぎります。(汗 小は直接してますし、イノシシとかもジャガイモを食いに来てるそうなので、そういうのも残してるんじゃないかな?)
おかげさまで野菜の方は(確かほぼ完全な)有機栽培…というか、(ほとんど)人の手だけ栽培なので、調理する際は僕の場合、それはそれでかなり神経質に洗うようになりました。
(程度が素人にはよく分からない。…というか、逆にそもそもそんなに洗う必要ないかも。)
#悪い癖で、公開後も延々と文章をいじるので、もしかしたらまずい文章も付け加えられているかもしれません。