2008年07月22日

子どもとゲーム:実は「ゲームが問題」ではないことも-1

読売新聞の家庭欄に「子ども」という連載記事がある(ネットには上がっていない)。

Yomiuri_200807.jpg

この7月17日から始まった第4部のテーマは「ゲーム」。初回の冒頭で、こんなふうに主旨説明されている。
 子どもに普及している電子ゲームに、親がほんろうされている。6月に掲載した「子どもゲーム」の記事には、読者から約150通の投書が寄せられた。そのほとんどがゲームの扱いをめぐって苦悩する内容だ。年間連載「子ども」第4部では、引き続きゲームに焦点を当て、親の不安の背景を探る。
(読売新聞「子ども/ゲーム」第1回 2008年7月17日)
今のところ、第3回までが掲載されたが、「親の不安の背景を探る」というだけあって、読者から寄せられた不安の内容を紹介する部分が多い。コンピュータゲーム(記事では「電子ゲーム」とされている)を子どもにどう与えるかは、保護者にとって大きな悩みの種なのだ。

興味深い記事なので、懐疑的に採り上げていたTAKESANさんとちょっと話題にしていたのだが(ナンセンスのコメント欄とか子どもとゲームと親)、ここらでぼくも一度エントリを起こしておこう。

■保護者の不安をクローズアップしすぎていないか
第3回まででは、子どもの精神的な発達に与える影響を懸念する読者も多いことが、繰り返し書かれている。おそらく、今後もこうした部分は少なくないだろう。
今後の展開も見てみなければ評価はしづらいが、記事としては、不安を煽るような記述にならないようになんとか踏みとどっているように見えつつも、先行きが危なっかしい展開ではある。

たとえば、第1回「4歳児 ずるずる3時間/操作簡単 はまりやすく」ではこんな不安が紹介されている。
 東京都の主婦チエさん(33、仮名)は、格闘ゲームに没頭する長男(5)を見ていると、漠然とした不安に駆られる。茨城県土浦市や東京・秋葉原の連続殺傷事件などの容疑者がゲーム好きだという報道を見て、長男の姿に重ねてしまう。現実とゲームの世界の区別がつかなくなり、道徳心が育たないのではないか、と思う。
(読売新聞「子ども/ゲーム」第1回 2008年7月17日)
この回には、子どもとゲーム関連で保護者が不安になった体験が5例並んでいる。上記はその最後のものだ。ほかはもっと具体的に記述され、より大きなスペースを割いている。
また、投稿者がゲームの影響かもしれないと心配していることが、本当にゲームのためなのかはここでは指摘もされない。原因を明らかにする術もないが、投稿者の思い込みだけが提示されるのである。
実際にそういう投書が寄せられたのだろうけれども、このように書くことで不安を煽る結果になりはしないかということが懸念される。

主要読者は、おそらく「よくはわからないながらも、ゲームが子どもに与える影響について不安になっている保護者」だろう。彼らに読まれるような記事のつくりを、と考えると、まずは「共感メソッド」を、と考えてしまうのかもしれない。「こういう不安、あなたにもありますよね」というわけだ。
というのは、3回を通しても読むと、「ゲームが原因と決まったものではないよね」「っていうより、ついついゲームと結びつけて考えちゃうけど、別の角度から考えた方がいいのかもしれないよ」というような姿勢が透けて見えるようにも思えるのだ。もしもそうなのであれば、せめて、その心配なできごとが、本当にゲームの影響なのかといった釘を刺すとか、そこを含めて考えていこうといった「記事の方針」だけでも書けなかったものか。

■保護者の不安はメディアに起因している
「感情暴走 不安な親/「ゲーム脳」科学的に批判も」と題する第2回では、冒頭からこんな調子だ。
 子どもが電子ゲームをすることで、脳の発達に悪影響があるという、いわゆる「ゲーム脳」を心配する親は多い。
 新潟県の母親(37)は今冬、長女が通う幼稚園の配布資料に「ゲーム遊びは、幼少期の子どもの脳の発達を妨げる要因になる」と書かれていたのを読み、不安になった。
 小学2年生の男児を持つ兵庫県の母親は、「死ね」などと言いながらゲームをしている子どもを見ると恐ろしくなる。「ゲームをしているときの脳はキレやすい」とニュースで聞いたことがあるからだ。
(読売新聞「子ども/ゲーム」第2回 2008年7月18日)
上記に引用した部分では、不安がなにに起因しているのかがはっきりと書かれている。
〈茨城県土浦市や東京・秋葉原の連続殺傷事件などの容疑者がゲーム好きだという報道を見て〉
〈長女が通う幼稚園の配布資料に「ゲーム遊びは、幼少期の子どもの脳の発達を妨げる要因になる」と書かれていたのを読み〉
〈「ゲームをしているときの脳はキレやすい」とニュースで聞いたことがあるから〉
「報道」「配布資料」「ニュース」である。幼稚園での配布資料も、メディアを通じて得た知見である可能性が高い。コンピュータゲームとの関連を疑わせるような身近な事例があり、漠然とした不安を抱く。そこへメディアを通じてゲーム悪玉論が紹介されると、はっきりとした不安が形作られ、強く印象に残ってしまう……といった図式を示唆している。つまり、保護者たちの不安は主にメディア報道によって明確化されたものだと、ほかならぬ新聞が明言したに等しい。

■「ゲーム脳」の扱い方、慎重だが不備も
行きがかり上、どうしても「ゲーム脳」に触れないわけにはいかない。第2回では、前記引用の後「ゲーム脳」説そのものが紹介される。
 ゲーム脳という言葉は、日本大学文理学部教授の森昭雄さん(脳神経科学)が、2002年に「ゲーム脳の恐怖」という本を出版してから広まった。長時間ゲームをすることにより、脳の前頭前野(おでこの内側付近)で活発な働きを示すベータ波が低下する状態を示す造語だ。
 森さんによると、前頭前野は脳の司令塔のような役割を持っていて、理性や道徳心、善悪の判断を決定する場所。その前頭前野が機能しなくなると、記憶力が低下したり、無気力になったり、感情のコントロールが利かず、キレやすい性格になったりする恐れがあるという。
 森さんは「すべてのゲームが悪いとは言っていない。ゲームによっては前頭前野の活動が増大することもある」と話す。ただ、幼少期は脳の発達にとって大切な時期。どんなゲームでも時間制限が必要だという。「幼児にはゲームはやらせず、小学生は一日15分までに制限すべきだ」と森さんは訴えている。
(読売新聞「子ども/ゲーム」第2回 2008年7月18日)
「2002年に「ゲーム脳の恐怖」という本を出版してから広まった」という表現は、間違ってはいないかもしれないが、正確ではない。同書が高く評価されたとか、口コミで評判を呼んだというような印象をもつ者が出てもおかしくないような書きぶりだが、実態はそうではないからだ。
逆に、この本は出るや否や噴飯ものの烙印を押されていると言っていい。2003年度の第12回日本トンデモ本大賞にノミネートされ、次点となっている。この本は、新聞や雑誌などのメディアで大々的に好意的に採り上げられたために広まったのであって、そうでなければ、ただのとるに足らない戯れ言として、一部の好事家以外には知られずに消えていった可能性さえあるのだ。
「出版後に広まった」などと自然現象みたいな顔をしていていい状況ではない。

また、森の専門を「脳神経科学」とするなど、本人の主張に引きずられている感は強い(森の専門は運動生理学のはず)。しかし、言葉はかなり慎重に選ばれている印象もある。「ゲーム脳という言葉は」日大の森昭雄による「造語」とされ、その主張も慎重に「森さんによると〜する恐れがあるという」などと、学界の主流的なもののように書かれているわけではなく、森による主張であることが明確にされている。そのため、妙に「森さん」が頻出する。もっとも、はっきりと「森独自の説」と書かれているわけではないので、読者にそれがどこまで伝わるかは、まことに心もとない。

■「ゲーム脳」批判の扱い方が舌足らず
記事ではその後、次のような指摘が紹介される。
 一方、このゲーム脳については、データの不備や調査手法などを理由に、「非科学的」と批判する専門家もいる。
 日本デジタルゲーム学会会長で、東京大学大学院情報学環教授の馬場章さんは「前頭前野は将棋をやっているときもあまり働かないというデータもある。だが、将棋を長時間やると、脳に悪影響を与えるとは言われない。ゲームによる影響について、海外でも様々な研究が行われているが、ゲームを続けると前頭前野が機能停止状態になるという『ゲーム脳』の考え方が広まっているのは日本だけだ」と指摘する。
 ゲームが、子どもの脳にどのような影響を与えるのかは、まだ科学的には明らかになっておらず、定着している学説はない。ただ、脳への影響は別にしても、ゲームについて「漠然とした不安」を持っている親は多い。「ゲームはテレビに比べ、ずっと新しいメディアで、どんどん進化している。ゲームを知らないことが、親の漠然とした不安を生んでいる」と馬場さん。
(読売新聞「子ども/ゲーム」第2回 2008年7月18日)
ここもいかにも弱い。
まず、「批判する専門家もいる」では実態を表しているとは言えない。ぼくの知る限り、肯定している専門家はいない。それどころか、日本神経科学学会の津本忠治会長は、『ゲーム脳の恐怖』や『脳内汚染』について、「こういった本は神経学に対する信頼を損なうことになる」「これからは間違いを正すべく努力したい」とまで述べている(学会報『神経科学ニュース』2006年1号)。つまり「専門家はゲーム脳を認めていない」または「 専門家はゲーム脳を否定している」ぐらいがより実態に近い。

もちろん、専門家自身はそうは言わない。「ゲームをやりすぎることが、子どもの発育になんらかの悪影響を与える可能性」が否定されているわけではないためだ。心ある専門家なら、その点については結論は出ていないと考える。それが記事中の「ゲームが、子どもの脳にどのような影響を与えるのかは、まだ科学的には明らかになっておらず、定着している学説はない」だ。こうした状態であるにもかかわらず、すでに結論が出たかのような「すでに得られた知見についての大きな誤解」を避けようとするのが、まともな学者の態度だ。
ただし、そのために「ゲームをやることによって脳の一部の機能が破壊されるなどという研究成果は存在しない」、したがって「ゲーム脳などという論は、ただの思い込みかとるに足らない戯れ言のレベルだ」という意味では伝わらない。誤解の訂正までの力は持っていない。

一方で、ムチャやデタラメや戯れ言を言う側は「断定できないはずのこと」を平然と断定する。そして記事の前段で森の専門を「脳神経学」としてしまった愚と相まって、「学問上、議論の余地がある」かのような印象を与えてしまう。記事の作りとしては、ここをなんとかできなかったのが、大いに悔やまれる。

「データの不備や調査手法などを理由に」というのも、十分ではない。「ちょっと足りない」とか「ミスがある」とかいうレベルではないのに、そのような印象を与えかねない。実態としては、研究や調査というにはあまりにもお粗末で、その考察も杜撰に過ぎるのだ。
これもまた、慎重な専門家はこういう言い方をしない。いや、できない。なぜか。まともな論文が出ていないのだ。手前味噌な自分で作った学会に出された、中途半端な論文が一本あるだけで、著書刊行から何年も経つのに、そして明白に主張しているのは自分だけなのに、森は追試もしているようすもなければ、まともな論文も出さいない。
つまり、外から見ている分には「とてもまともに研究をしているとは言えない」状態なのだ。
まともな論文がないと、ちゃんとした検討ができない。ちゃんと検討できないと、いつまでも「怪しいなあ」という状態で、はっきりと「ゴミです」「ヨタ話です」とまでは言いきれないのが専門家同士の評価語の使い方というものなのだ。
こういう状況を「データの不備や調査手法などを理由に」と述べるのは、表現を和らげ過ぎだ。

■この記事を整理し直すとこうなる
この辺、重要なので念のため繰り返す。この記事で専門家たちが言っていることは、日常語に直すとこういうことのはずなのだ。

ゲーム体験が脳に悪影響を与えるなどという学説は存在しない。そのようなことを主張しているのは、森昭雄ただひとりなどごく一部である。その主張も、学説の体を成していない。そのために、森とその主張は批判されている。
7/22 03:53 TAKESANさんからいただいたトラックバックのご指摘により「森昭雄ただひとり」を「森昭雄などごく一部」と修正しました)

噛み砕き過ぎと考える人もいるかもしれないが、主旨としては間違っていないはずだ。しかし、前述のような記事では上記のように読み解ける人は、ごく限られることだろう。
また、この記事からは読み取れない部分を補うと、こうなる。

森昭雄の専門は脳科学ではない。そう言っているのは、森昭雄のみであり、それをそのまま伝えるマスメディアだけだ。
教育や保育の専門家のなかに「ゲーム脳」説を引用する者がいる。それは、マスメディアを通じて、あたかも確立された学説かのように誤認したためである。いわば、森とマスメディアにだまされているだけである。
脳や神経の専門家で、「ゲーム脳」説について肯定的な発言をしている者は、まずほとんどいない。

有り体に言うと「学者なら、『ゲーム脳』などと恥ずかしいことを主張するのはやめなさい」と言われているのが実態なのだ。そういうことも、はっきりと書くべきだった。

もっとも、内容や経緯についてあまり知識のないデスク等から、もっと表現を和らげないと訴訟リスクなどを考えると掲載できない、などと圧力をかけられた結果だったりするかもしれない。あるいは、そうならないために通りそうな原稿を書いた、なんてこともあるかもしれない。もちろん、記者自身がここまでの認識は持っていないのかもしれない。
しかし、上記に引用したような書き方では正確な把握につながらない。

■榊原意見が記事としての結論なら、もっとはっきり打ち出してほしい
第2回は以下のように結ばれる(あー、結局、第2回は全文を引用してしまったなあ……まあ、致し方ない)。
 お茶の水女子大学教授で小科医の榊原洋一さん(発達神経学)は「ゲーム脳の考え方がもてはやされているのは、親が子どもからゲームを取り上げる根拠が欲しかったからではないか。しかし、ゲームをやらせるかどうかは、親の価値観に従って各家庭で決めることだ」と話している。
(読売新聞「子ども/ゲーム」第2回 2008年7月18日)
記事を書いた記者としては、ここをいちばん言いたかったのではないか、とも思える。というのは、次の第3回「仲間はずれ心配 「反対派」/なくても遊べる 子どもの力」は次のように結ばれているからだ。
 不安に駆られるばかりでなく、子どもの遊び環境についで親同士が語り合い、ゲームに対する「我が家の方針」についてじっくり考えたい。
いつかどこかで見た「最初に結論を書いてくれ。まずトンデモ説を紹介してしまうと、最後まで読まずにトンデモ説だけ読んで『なるほど』となってしまうからやめてくれ」という話を思い出す。
そうでなくても細切れな新聞連載では、前後の回まで含めて読み解くといったことはしにくい。

この連載にはリード文がない。あれば、記事のスタンスがもう少し明確になったかもしれない。ぼくも「どっちに行きたいのだろう」とやきもきしないで読めるのだが……。

■不備はある。しかし、後続の記事に期待
これまでの連載の記述は、上記に見るように、かなり慎重に書かれている印象はあるが、十分でない部分が何カ所も見られる。また単独の回だけ読むとゲームに対する誤解に基づく不安を助長させかねない部分もある。

「ゲーム脳」のような杜撰かつ誤った主張に対しても「科学的に批判も」といった見出しも出してはいるが、評価の甘さも目立つ。もちろん、科学的に批判されているのだが、それがどういう意味なのか。つまり、学説としてはまともに採り上げられていない、ということが、この見出しで伝わるのか。とはいえ、この文字数でどういう見出しを書けばよかったのかというと、悩ましいのも事実だが。

ただ、まるでダメな記事かというと、必ずしもそうではないだろう。強いて言えば、志に追いついていない、眼高手低といったところか(自分の仕事を棚に上げてしまいますが)。
すでに根拠の怪しい主張に惑わされている保護者たちを「その不安には根拠がないよ」と引き戻し、「いたずらに不安にならずに、ちゃんと考えていこうね」と促すのだとすると、今のところいかにも物足りないだけでなく、逆効果なのではないかとさえ思える部分もある。そこがもどかしいのだ。

明日22日に第4回が掲載の予定。果たしてぼくが期待しているような方向に進んでいくのか、それともぼくは期待し過ぎなのか。
今後の展開を注視していく。


posted by 亀@渋研X at 02:23 | Comment(5) | TrackBack(1) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 子どもとゲーム:実は「ゲームが問題」ではないことも-1
この記事へのコメント
余計なことかも知れませんが。
 
「幼稚園の配布資料に」というのが悲しいですね。
 
「ゲーム脳の恐怖」が広まったのはマスコミの責任も大きいと思うのですが、それを再生産しているのは、今ではマスコミよりむしろ教育機関ではないかと思います。
 
「ゲームばっかりやってないで勉強しろ/外で遊べ/早く寝ろ」
という指導のために、あまりにも都合の良い理論(?)だったからですね。
 
誰かが批判しようにも、
「ゲームを擁護するのか」
「たとえ部分的に間違っているとしても、“ゲームはほどほどに”という結論は正しい」
「良いところだけを取り出して指導に活かすことはできる」
 
……水からの伝言と同じ構造ですね。うう。
Posted by filinion at 2008年07月22日 07:27
>再生産しているのは、今ではマスコミよりむしろ教育機関

今もメディアにはしばしば登場するので、「よりむしろ」とまで言えるのかは、なんともわからないところですが、教育機関や教育に携わる人が一緒になって広めちゃっていることは確かですよね。

「いいとこドリができる」というような話じゃないんですけどね、即効性が期待できそうな「好もしい結論」や、インパクトの有るビジュアルの前では、判断が鈍ってしまうのでしょうか。

もっとも、根拠の怪しい「好もしい結論」に飛びつく教育者というのは、古来たくさんいたような気もします。熱意というのがクセものなのかもしれない……なんて思うと頭が痛いですね。
Posted by 亀@渋研X at 2008年07月23日 16:01
今日は。

現在ゲーム脳がメディアで採り上げられる頻度からすると、教育機関による流布というのは重要な所だと思います。「地道」に講演会等で広めてまわっている、という見方も出来ます。しかも、そういう講演を積極的に聴講するのは、元々ゲームにネガティブな、たとえば不安視しているような方の場合が多いでしょうから、その意味では、強く信用するのでは、という懸念があります。

ちなみに、もし間違いでもゲームを止めさせられるなら構わない、と家族の方が考えている、という例もありました(エントリーがあったのですが、どこか忘れてしまいました…)。
Posted by TAKESAN at 2008年07月23日 19:47
こんばんは。
私は、教育機関とメディア、「ゲーム脳」はこの2つは車の両輪となって流布されているように思います。

確かに、TAKESANさんの仰るように、森昭雄氏やゲーム脳の言葉が、直接、メディアに出ることは減ってきたと思います。
ただ、そうはいっても、何か事件があるたびに、「犯人の家にこんなゲームがあった」「犯人は、こういうゲームに熱中していた」というような、不安を煽る言説、さらに、(実際にどうなのかわからない)凶悪犯罪増加なんていうムードの形成。
「ゲーム脳」という言葉は出さずとも、ゲームに対する不安、不信感を作っているのは間違いないでしょう。

そして、そんな報道に不安を抱いたところへ、教育学者だとか、PTAだとかが「ゲーム脳に気をつけましょう」「ゲーム脳は危険です」とキャンペーンを張る。
そうすれば、やっぱり傾いてしまうと思います。

メディアが直接的に広めずとも、広まるための下地作りで貢献しているところがあると思いますね。

あと、
>即効性が期待できそうな「好もしい結論」や、インパクトの有るビジュアルの前では、判断が鈍ってしまうのでしょうか。
という部分なのですが、講演会に行った経験者としては、森氏のプレゼンテーションの巧さもあると思います。
(実際に悪いかとうかはともかく)森氏の言う「悪い脳波」のビジュアルのインパクトを最大限に引き出すための工夫が随所に見られました。
そういう意味では、研究は杜撰でデタラメですが、宣伝に関しては非常に優秀ですよ、あの人。それ、研究者としてどうなのか? というのはともかく(^^;)
Posted by たこやき at 2008年07月25日 19:59
こんな、内容の割にやたらと長い記事なのに、みなさまありがとうございます。

>「ゲーム脳」という言葉は出さずとも、ゲームに対する不安、不信感を作っているのは間違いないでしょう。

そうですね。その視点はありませんでしたが、言葉が出てなければ影響がないというものでもありませんね。

>講演会に行った経験者としては、森氏のプレゼンテーションの巧さもあると思います。

講演を聞いた人や実際に会った人、ということになると、まっさきに思い浮かぶのがメディアの関係者でう。テレビのリサーチャーや新聞の記者なども、そのプレゼン能力にやられちゃってるのかもしれませんね。
プロは、ひょっとするとしろうとよりも「キャッチーなもの」に弱いかもしれませんね。
Posted by 亀@渋研X at 2008年07月25日 21:13
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Excerpt: Interdisciplinary: 子どもとゲームと親の続き。 PSJ渋谷研究
Weblog: Interdisciplinary
Tracked: 2008-07-22 03:25
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