子どもとゲーム(YOMIURI PC 覗き窓 2008年7月15日)
http://blogs.yomiuri.co.jp/pc/2008/07/post_96f7.html
書き手は読売の記者らしい。
子ども世界でゲームの占める地位たるや大変なものがあります。と始まるこの記事、実は標題を裏切ってゲームと関係のない話になっていくのだ。続きはリンク先でお読みいただきたい。
わが家は、今年に入ってDSとWiiを購入したところ、
最近は、週末といえば男の子たちが集まって
完全にゲームセンター状態です。
「外で遊ぶように」とも、この暑さではいいにくくなり、
これから夏休みを控え、どうしたらいいのか、頭を抱えるばかり。
YOMIURI PCの連載「子どもIT駆け込み寺」をお願いしている
唯野司さんに愚痴をこぼしたところ、次のようなアドバイスを頂戴しました。
思うに、ゲームの扱いに困っている保護者たちの悩みのなかには、確かにこうした側面があるのだ。しかも、自分の体験を振り返ると、少なからず。前エントリで紹介している記事の第3回タイトルが「仲間はずれ心配 「反対派」/なくても遊べる 子どもの力」であることも、その一端を示しているだろう。
コンピュータゲームが着眼されてしまうのは、いま現在それが目の前にあって目立っているからだけでなく、保護者のなかにはゲームに親しんでこなかった人も少なくないからとか、メディアがゲームの害を喧伝するからといった要因もあることは、すでに頻繁に指摘されている。子どもの交遊とゲームの関係や、遊びのなかに占めるゲームの比率も、ある時期には同じ立場としてテレビやマンガが槍玉に挙がっていたわけで、別にゲームに限った話ではないことも同様に指摘されている。
仲間はずれの話もそうだ。流行のおもちゃやテレビ番組、スポーツなどでも疎外感を感じるようなことは起きる。そういったこと全部に迎合的に生きていくことをよしと考えるかどうか、といった話だ。
しかし、そうした構造を指摘しても、いま実際に保護者が気になるほど身近な異物はゲーム機であって、そこから目をそらすことはできないということだろう。
ところが、上記記事ではいとも簡単にゲーム機から目がそれている。しかも書き手である記者は、おそらくそのことを十分に意識できていないことがタイトルから読み取れる。もしもそこに気づいていれば、もっと違うタイトルがついたかもしれない。「ゲームのせいかと思ったら」とかなんとか。
そうでもないか。ゲームとのつきあい方で困っている人に向けて、という意識が働いたから、このタイトルという可能性もあるかな。
まあしかし、上掲の回答者(というのも変だが)の話は、ものの見事にゲームの話「ではない」。小気味よいくらいだ。
また、提示されている内容もよくある「ちゃんとルールを作ろうね」に、具体例がついただけのものである。なんでこれだけで満足できちゃうのか、腑に落ちないものがあるくらいだ。
記者=この保護者がゲーム脳を心配しているわけではないから、かもしれない。
前エントリで採り上げた読売の連載記事も、こういう方向に進んでいくのかもしれないとも思う。そしてまた、「ゲーム脳」という根拠のない呪縛から保護者たちが解放されるためには、こうした「なにをすればよいのか」という処方箋が提示されることが重要なのかもしれない。
とはいえ、それをしなければならないのは、おそらく育児などの専門家だろう。
ニセ科学問題を追い続けている側は、せいぜいそうした方面の専門家の方々の目にも留まり、利用してもらえるように問題を整理して提示することに精出すこととしよう。