それっていうのは「科学的」≠「機序が明らか」って話。「機序が明らか」ってのは、日常語で言うと「原理がわかってる」「『なんでそうなるか』の理屈や仕組みがわかってる」ってことですよね。ぼくは原理がわかってないと科学的とは言えないと思ってたんですよ、つい先年まで。
ぼくが「原理はわかってなくても科学的って場合もある」ってことをちゃんと知ったのは、約4年前、渋研の連載を始めたころ。44歳にもなってて、通俗科学書なんかを編集したこともあったんだけど知らなかったわけ。ダメすぎ?
でもまあ、そんなもんで、こりゃ、理系じゃない人はほとんど知らないかもよ、と思うわけです。そんで、「それは間違いだよ、それは必要条件じゃないよ」と誰かに教えてあげるときは、「原理はわかってなくてもいいんだけど、どういう条件でどういう現象が起きるかは、ちゃんと確認されてる必要がある。『ちゃんと』っていうのは、たとえば」なんてことも、できるだけペアにしておかないと危ないかもしれない、なんて思う。
■2つの間違いと、その間違い方の違い
かつてのぼくは、薬や治療なんかには「機序(原理)がわかってないもの」はないと思っていたのか。工業製品なんかはどうか。
うーん、当時は深く考えてはいなくて、なんとなくでしかないけど、少なくともちゃんとした薬や治療法、工業製品っていうのは「原理もわかってる」と思ってたんだろうな。そうじゃないと、安心して使えないじゃん、と思ってた気がします。
もちろん、実際には量と効果の関係とか、ほかのものと同時に使った場合はどうかとかいう具合に条件が確認されていれば、問題なく使えるわけじゃないですか。でも、そこには思い至らなかったんだな。
でも、ここは人によって違うんだろうな、とも思う。原理はわかってなくても使えるものもある、となんとなく思っている人もいるんだろう(ちゃんとわかってるわけではなくて、やっぱり4年前のボクと同様に「なんとなく思ってる」状態)。
で、これは偏見かもしれないんだけど、そういう人って、民間治療とかが平気な人だったりする確率が高いんじゃないだろうか。「3た論法」に行っちゃうような人に、多いんじゃないだろうか。そういう危うさがありそうな気が、しませんか?
もちろん、4年前のぼくも「3た」さんも、どっちも間違っているわけだ。で、この誤りは「ちゃんと確かめられるとはどういうことか」をわかってないことに起因しているんだと思う。
■「原理はわかってなくてもいい」だけだと、危うくないか
ってことはですよ、「原理はわかっていなくてもいい」って、それ単体で語られちゃうと、けっこう危ういかもしれん、ってことにならないだろうか。
これは、poohさんが科学、非科学(Chromeplated Rat 2008-07-27)と題して書いておいでのことともつながると思うのだけれども、グレーゾーン問題と考えあわせると、危なっかしさがわかりやすいのかな、と思う。
「原理がわかってる必要があるんだよね」という間違いは、白(まっとうな科学)やグレー部分(どっちつかず)を間違えて黒(間違った科学や未科学、ニセ科学)に分類してしまう間違いにつながりやすい。だから捨身成仁日記のbuyobuyoさんがおっしゃるように
疑似科学を批判する人の中で、時々、疑似科学側の作用機序が明らかでないことを問題の核心みたいに言う人がいるんだけど、それは非常に筋が悪い。ということになる(これはこれで、疑似科学やニセ科学を批判する際なんかには気をつけておかないといけないことだ)。
一方で、「原理がわかってなくてもいい(ただし、ちゃんと現象が確認されている必要があることまでは、理解できていない)」という間違いにハマっている場合、黒やグレーを白だと間違えることがあり得る。
どっちの間違いがマシだとかいうわけでもないのだけど、現実にリスクに直面しやすくなるのは後者の方だよね。そういうことは念頭に置いておかないと、変なものを助けてしまいかねない。よね?
■原理がわかっていない場合には、なにがわかっている必要があるのか
というわけで、「こういうこと」の例も書いておこう。
4年前、ぼくがわかってなかったときに菊池君から指摘されたメールかなんか残ってないかなと思って探したんだけど、見つからなかった。でも、もうちょっと経ってから菊池君に確認しているメールがあった。その該当部分を抜粋する(菊池君には許可を得てないけど、まあよかんべ)。
「きちんと説明できる」というのは、このときのボクは、確認しないでいられなかっただけあって、ほんとにこのちょっと前までは「その主張が科学的と言い得るための条件」のなかに「なぜそうなるのかの原理がわかっていること」を入れていたんですよね。
「再現性がある」ことが確かめられるということ。
必ずしも、原理がわからないといけないということではない。
原理がわからなくても、例えば「これを飲むと、ある病気が治る」という
ことは、経験的に確認できるかもしれない。
だけど、それを例えば臨床的に実証するんだったら、
ほかの作用が混入してきてないかとか、
偶然ではない(十分な数、何例もある)とか、
さまざまな条件を整える必要がある。
それができていて、「こういう条件を整えると、
これぐらいの確率で、こういうことが起きる」と説明できれば、
なぜそうなるのかという原理はわからなくても「科学的実証」と
言っていいですよね。Date: Fri, 3 Dec 2004 12:44:36 +0900
Subject: [popscijp_x:0086] 科学的ってどういうこと
この数ヶ月前あたりに、なんか一覧っぽく書き出して、菊池君に「それは不要」って言われたとか、そんなことがあったんじゃなかったかなあ、と思うんだけど、それが見つからないのよ。
で、これに対して菊池君がこう返信している。
それでよいです。あー、念のため。これだけの説明で完全だ、なんてことはないはずです。ここでは菊池君が「それでよいです」と言っているけど、それはこのメールに至るいろんなやりとりがあって、そのなかで整理し直しているから「それでよい」な可能性が高いです。そこは要注意。
原理がわかることは「科学的」であることの必要条件では
ないです。
「遺伝子」の正体がわからなくても、ダーウィンは進化論
を言えたわけで。
漢方薬なんか、原理はわからないものが多い。効くことが
きちんと確認できていればいいのです。
疫学なんてのはまさにそうで、まずは食中毒の「原因食品」
がつきとめられればよくて、その中のどの物質が本当の原因
かはまた別の話ですね。
ただ、ダーウィンとか漢方、食中毒の例は、「ああそうか」って思えるでしょ?
■なぜ原理も必要だと思っていたのか
思い返してみると、そのころのぼくは「○○という現象について科学的に解明されました」っていう類いの話を思い浮かべていたのだろうな。だって、メディアで触れる話って、そういうのが多いじゃないですか。
「こういう条件が整うと、こういうことが起きるということが確認された」っていう話もいくらでもあったはず。ただし、そういう場合、ちゃんとした記事なら「なぜそうなるのかわかっていないが」とか「原因はわかっていないが」とかっていう注釈がつく。そうすると、ぼくの脳内の引き出しでは、「なぜなのかが、まだわかってない話」に分類されるんだろうな。いや、それだとおかしくないな。その引き出しって、「謎の現象の話」「怪しい話」みたいな引き出しに近いところにあるんですよ。多分。
これは、本当は「○○と××について、こういうことがわかった」という話なわけじゃないですか。それなのに、なんだろう、間違って「わかってない話」に整理される感じ。
カガクっていうのは「ここはわかったけど、ここはわかってない」の集積なわけですよね。でも、日常感覚では大分類が「わかったことの棚」と「わかってないことの棚」だったりするんだか、そういう中途半端なものを入れておく引き出しの数が圧倒的に不足しているんだか、収まりどころがあんまりないのですね。だもんで、「現象はわかったが原理はわかってない」てなものは、うっかりと「わかったこと」か「わかってないこと」に誤分類してしまいがちなのでしょう。
なんでそう思うかというと、最近はこの誤分類をやらなくなったような気がするから。そういう分類を知っただけでなくて、そういう分類が必要になって、使うようになったんですよ、この連載のネタ整理のために(^^;;
それまでは、いらなかったんですね、その引き出し。なくても困らなかった。
■当時のボクの科学音痴加減も書いておく
以下、ざっとぼくの経歴を追ってみる。興味ない人は無視して。んでも、「そりゃあ、そういう経歴のお前だから知らなかっただけだよ」なのかどうか、そこを考える材料になるといいなあ。ま、ぼくは「どうもオレだから知らなかったわけじゃないよな」と思えてしかたがないわけなんだが。
まあ、理科音痴でした。大学受験のころ、十代終わりにはぼくのカガクに関する知識は、SF小説やマンガで読んだこと以外は忘れ去られ、小学校6年理科ぐらいまで退行していたんじゃないかと思う(今もだけど)。
高校で私立文系コースに進んだところで、ほとんど理系の授業から解放されたせいもあるんだろう。途中で高校を転校してカリキュラムに不整合が起きたせいもあって、化学と生物しか受けていない。物理とか地学とかは受講したことがない(これはちょっと珍しいかな?)。
あ、こういう話をするとわかりやすいかな。渋研以前、おそらく最後に菊池君とカガクの話をしたときのこと。
オフクロの葬式のときだ。渋研の20年あまり前。うー、1983年の夏かしら(うわぁ、オフクロが死んだ年を覚えてないよ)。当時ボクは三流私大法学部のスーダラ学生で、大学入る前に2浪してたので、高校を出てから4、5年経ってたと思う。だから、生物も化学も完全に忘れている。
一般教養でも理系科目をほとんど取ってない。科学史とか取った気がするんだけど、内容はかけらも覚えていない。教育心理学は二、三度出席したけど、発達心理学の先生の「発達=善」みたいな話ぶりが不愉快で、出るのをやめた。心理学の授業は、教科書を読んで「なんだ歴史じゃねえか」とか思って、出るのをやめた。そんなぐらい。バカだね。
菊池くんは、この頃すでに阪大に奉職していたんじゃないかな。それとも、まだ東北大の院かな。どっちにしても、もうカガクのヒトだった。で、仙台か大阪から、はるばる武蔵野の地まで来てくれたわけ。80年まで年に一度は青森に行って一緒にバンドをやってたので、このときは2、3年ぶりぐらいに会ったんだと思う。バンドやってるときは、ほとんど音楽の話ばっかりしてたんだろう。菊池君がなにやってんのかなんて、あんまり考えてなかった。それで、「んで、まこちゃんてなにが専攻なんだっけ。物理学? どんなことやってんの?」なんて質問した。物理学がわからなかったわけです。で、わからないなりに「いろんなテーマがあるんだろうなあ」なんて思ってはいて、自分に理解できる語彙で答えてもらおうとか思って、「それってたとえば、大きい小さい? 強い弱い?」なんていうぶっ壊れた質問をした。
それぐらいのカガクオンチなわけです。当時の菊池君の回答は覚えていない(ぉぃ
ではあるのだけど、その後、大学を辞めてから編集プロダクションに拾ってもらって、いろんな仕事をする。そのなかで通俗科学書というか、そのちょっと下というか、「いちおー科学畑の本だわな」ってな本も、何冊か編集してる。東京書籍の脳死の本(著者は大久保病院のえらいお医者さん)だとか、学研の『UTaN』だとか『今、××が危ない』だとか考古学ネタのムックだとか、まあそういうの。自然科学じゃないのも含めると、事典類もやったんで、「ちゃんとした根拠のある話」ってのはどういうもんか、ということについてはそれなりに身につけていたはず。
そのはずなんだけど、「原理はわかってなくてもいい」に出会ったのは、44歳なわけですよ。危ない人、多いと思わない?
この問題は重要なんで私もホメオパシーFAQで触れています。以下のQ6。
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20070502/p1
ASIOS公式サイトのFAQでも、触れられてますね。
http://www.asios.org/faq.html#q09
個人的には、さらに「メカニズムの解明はどこまででも深入りできる」ということも無視できないと思います。無限退行できると言ってもいいかも。
ホメオパシーFAQはおりおり拝読していたのですが、この項目(6. 現代の科学では分からないというだけでは?)が同じ問題を扱っているという意識はありませんでした。また、ちゃんと読み返さないと(汗々
ASIOSの該当項目もいいですね。とくに段階を追っているところ。膝ポンな感じです。
この項目を書きながら、血液型性格判断の「仕組みはあってもいい」という話を思い出していましたが、一緒には料理しきれないので諦めました(すでにいくつかの問題を盛り込んでいて、あふれかけているし)。
いろんな問題が数珠つなぎで、ほんとに容易に言及できないなあ、という思いが日に日に深まります。
ここで言う「仕組み」とは、これは僕自身の勝手な解釈なのですが、「原理」とまでも行かなくても、それを取り巻くもっと広範囲(大雑把)な部分という意味です。
例えて言えば、環境浄化に関わる微生物自身の具体的な作用(原理)は分らなくとも、自然には微生物による自然浄化作用というものがある(仕組み)という知識は押さえておくべきであるという具合です(すみません、こっち方面でしか具体的に挙げられませんので(^^;))。
また、思い込みによって病気が快方に向かったり、逆に悪化したりする(プラシーボ)という事があるという「仕組み」を人間は持っている、とかですね。
科学などに興味がない一般の人達にとって、この「仕組み」を知っているか知らないかでその対応が分かれると思います。
だから最低限、せめて「仕組み」ぐらいはもっと周知させるべきだと僕は思っています。
ここの所は
>どういう条件でどういう現象が起きるかは、ちゃんと確認されてる必要がある。
とのコメントにも被さる部分ですが、往々にしてあちら側の理論ではオミットされている場合が多いです。
なぜかTBがエラーになってしまいまして。
http://taizo3.net/hietaro/2008/07/post_365.php
なんといいますか、自分の周りに「ちゃんとした科学の人」がいるというのはとても大事で、ラッキーなことなんだなあと思いました。
ぼくはこれを書いたときには整理できてなかったんだけど、ASIOSのFAQでだいぶすっきり整理された気がしています。
http://www.asios.org/faq.html#q09
1.「現象の確認」
2.「原因と現象の関係の確認」
3.「因果関係の確認」
4.「メカニズムの解明」
こういう段階を踏んで確認されるんだけど、3までクリアできれば基本オッケーなんだって話。で、水伝などのアチャラカな話は、4までたどり着かないものがほとんど、っていう(この辺、hietaroさんが新しいエントリで書いておいでのこととかなり重なる)。
OSATOさんがおっしゃる〈「原理」とまでも行かなくても、それを取り巻くもっと広範囲(大雑把)な部分〉っていうのも、こういうこととからんでるんじゃないかな。
ASIOSには、ほんとは4段階よりももっと細かいと書かれていますが、まあここまでわかってれば、ぼくには十分な気がします(^^;;
hietaroさんも、水伝なんかは1をクリアしないでいきなり4に行こうとする、それは4のところこそ科学だっていう誤解があるんじゃないか、というようなことをお書きですが、いや、ほんとにそうなんじゃないかと。