「ニセ科学の見破り方教えます ver.2」開催(スラッシュドット・ジャパン 2008年09月09日)
神奈川県立川崎図書館が開催するサイエンスカフェ第13回のお題は「ニセ科学の見破り方教えます ver.2」。副題として「〜水と健康をめるぐニセ科学にご用心〜」とある。開催日は10月5日(日)、午後1時半から3時半の予定(川崎県立図書館Webサイトのサイエンスカフェページ)。これですね。
講師は水商売ウォッチング主催の山形大学 理学部 物質生命科学科 准教授 天羽優子さんである。
第13回 サイエンスカフェ ニセ科学の見破り方をお教えします Ver2
http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/kawasaki/information/science_cafe.htm
apjさん、お疲れさまであります。
ver.1は4月に左巻さんがやってらしたのね。知らなかった。
サイエンスカフェ結果報告(2008年度第1回:通算第10回)
ニセ科学の見破り方教えます!‐波動水からマイナスイオンまで徹底検証‐
http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/kawasaki/information/osirase08011.htm
川崎図書館もグッジョブ。
左巻さんのときは、サイエンスカフェのページに「参加応募者が189名と過去最高を記録。約5倍の競争率」なんて書かれているので、今回も席にあぶれる人が出ちゃうのだろうな。
参加できなかった人には、左巻さんのときのレジュメ(だと思うのだが)「ニセ科学商品にあなたの財布と心が狙われている(PDF:202kb)」が配布されているので教えて上げるといいかも。
今回のも、そのうちには結果報告とか出るだろうし。
この手の問題を扱った本もある。かつてに比べれば、増えていると言ってよさそう。パッと思いつくだけでも、『水はなんにも知らないよ』、『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』、『疑似科学入門』、『健康情報・本当の話』などなど。帯に短し、かもしれないけど、ないよりずっといい。
しかし今回も前回もテーマが「水」というのは、やっぱりそっちの事例が絶えないからなんだろうなあ。うむむ。
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もちろん、見破れるというだけではいろいろと足りない部分もあるわけで、そこら辺をブツブツ言う声もスラドのコメント欄にはある。いわば市民講座みたいなものに、一体どこまで求めようってのか。とか言っても始まらないのだが。
限られた時間で一から説明してなにもかもは語れない。なにしろ、おそらくは「ニセ科学(とか疑似科学とかオカルト)とか呼ばれるものがあってね、それはどーゆーものかとゆーと」から話を始めねばならないのだろうからして。まずは「自分や家族が引っかかって大損こいたりしないようにするには」みたいなところまでで精一杯だったとしても、おかしくない。
それでも、忙しい時間のなかをそうやってお話をする機会を作るってのは、なかなかできることではなく、いろんなリスクだって負うのだからして誠に頭が下がる。
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こういうことに関心がある人にしてみれば、それはなんでどういうものがあるのか、なんて話はもうお腹いっぱいだったりもするのだろう。その先にも、それはまあいろいろな関心領域があるわけで、無理もない。
「ハマってる人を見かけたらどうすべきか」とか「どう働きかけるとよいか」という説得関連の方向だとか、「そういう業者を見つけたら」「あの報道も」という告発関係の方向だとか、「そもそもどうすればハマらないのか」とか「なにゆえハマるのであろうか」という原因関係の方向だとか、「それよりあっちが」「いやこっちが」とかいう優先順位関係とか、「ああいう批判は感心しないよね」「それを言うなら、こういうアプローチが」とかいう批判のしかた批判関係とか、グレースケール問題だとか、すでにあちこちで語られたことだけでも掘り下げ方はいくつも思いつく。
しかしまあ、そこはそれぞれの問題意識とスキルに応じて、いろいろと調べつつ、できることをやってみてください。
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切実なところでは、たとえば「勤務先で、その手の製品開発をやることになってて」とか、「実は勤務校で同僚が」とか、そういうのをかつてニセ科学フォラムなどで見聞した。「うちのカアチャンが」とかいうのもあるに違いない。ほんとに頭を抱えるような事態も起きているに違いなく。説得関係のなかでも身近なケースと言えるかもしれない。
どの問題が最も重要だとかいうことも言えないが、切実な問題を抱えている方にはお力になれればなりたいものだとも思う。だけど、説得というのはおそらく当事者の人間関係の問題が大きくて、そこでなにをどう主張すればいいとかなんとか簡単に整理がつくものではない。また、そこにハマるにはハマるだけの個人的な事情というものがあるに違いなくて、それを抜きにして対症療法的にニセ科学的問題から遠ざけても、一時しのぎにしかならないかもしれない。
ぶっちゃけ、なかなか第三者が力になれるというものでもなかったりするかもしんないわけだ。
悪徳商法系であれば、クーリング・オフがどうとか、相談機関に、とか、そういう情報提供はできる(人もいる)。それでも、どっかに「ニセ科学商法被害者の会」みたいなものがあるわけじゃない。
ただ、(もしもあなたが当事者だとして)あなたの代わりに、あなたの身内やあなたが抱えている問題と戦ってくれる人はいないかもしれないのだが、あなたに「知識」だの「経験」「知恵」だのを貸してくれる人は、いるかもしれない。
言ってみれば、前線への補給ラインか。しかし、そういう補給ラインには載って来ないものもあるだろうなあ。たとえば根気とか勇気とか。それはラインに載って来るものから、あなたが生むしかないのだろう。あと、絶対に載っていないのは「正解」とか「万能の処方箋」とかだろうなあ(そういうものを欲しがるから、ぬるいオカルトとかにもハマるのかもなあとも思うが、それを言っても詮ないよなあ)。
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こういうことを言っていると、悪徳商法問題みたいなことばかりを重視して、社会的な傾向の問題として論じることを軽んじているのだとか、そういうことを言い出す人もいる。むしろ、もともとは「そこに困っている人がいるから」とかいう話よりは、「なんでこういうことになってしまっているのか」が動機だったりもする(人もいる)のだが、いろんな風に見えるものなのだろう。
あ。そういう意味では、社会学やら心理学やら宗教学やらの方面からのアプローチとして、「人はなぜそういうものに引かれるのか」という問題提起をされる人もいるので、そこは分業と考えれば、それでよいような。
逆に言うと、そっち方面からのアプローチでは、ひょっとするとなんかについての部分(「現象や効果の有無って、どうやって確認されるべきか」とか)は薄くなるかもしれないのだが、それが悪いってもんでもないってことにもなる。だから、誰だってひとりで全部は背負えないわけで。
よくは知らないが、そっち方面の補給ラインには「正解」とか「万能の処方箋」とかに似たものが載っているかもしれない。ただ、その答えが口に合うかどうかは、人によるのだとすれば、やはり「万能」ではないのだろうけど。