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■インドの少女、欧州での「ビッグバン実験」を恐れ自殺(ロイター 2008年 09月 11日)
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-33702120080911
こういうのって、メディアが殺したんだよなあ、と思う。
上記を読む前に、マイミクさんちで下記を知った。
■痛いニュース(ノ∀`):16歳少女、「ビッグバン実験で地球終了」報道にショック受け自殺…インド
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1174047.html
問題の少女がどんな報道に接したのかはわからないけど、感情に訴える手法、とくに危機感をあおるって手法、いい加減にしないと。
子どもだったからとかじゃないよね。オーソン・ウェルズのラジオドラマ「火星人襲来」の例を見ると、明らかなフィクションであっても大のオトナだってイっちゃう可能性があります(まあ、ウェルズのケースは不幸な事情が重なったということもあるけど)。
参考:
■オーソン・ウェルズの教訓とセキュリティーホールパッチ(Talk about NexTalk)
http://www.uniadex.co.jp/nextalk/side/si2004_04.html
■ラジオドラマ”オーソンウエルズの火星人来襲(ラジオ少年の博物館)
http://www.radioshounen.com/lolipop_dion/koukoku/1938/h.g.welze/kaseijin01.html
mixiの日記が1800件とか反応しているなかにも、痛いニュースのコメントにも、「そんな危ない実験を」っていう声が少なからずある。
それも頭が痛い。
まあ、地球が壊れるようなことになるおそれは万に一つもないからこそやってるわけだけど、そこを信じられるか、見落としはないか、っていうとね、そりゃ人間のやることなんで限界はある。
で、どうしたものかと思うのは「地球が壊れるような可能性が1%でもあるなら、ゼロでないなら、やるべきでない」とか「地球に影響を及ぼすようなことを、地球の住民の過半数の許可を得たわけでもなくやるってのは」とか、そういう意見。
あの、1%なんていう巨大な可能性があったらやらないと思うけど(その事態が起きたら実験者自身が死にますから)、主眼はきっと「可能性がゼロでない」ってことだよね。
これってどんだけ厳しいのか考えたことがないのだろうか。
あの、いま走ってる電車や自動車、飛行機が地球を壊すきっかけになる可能性だって、ゼロではないよ、おそらく。0.00000000000000000000000000001%とか、そういうレベルだろうけど。どんな連鎖が起こるかは、完全にはわからない。
扱うエネルギーが大きくなればリスクは高まる。これは、扱う範囲が広くなればリスクが高まるってことでもある。
いや、ぼくだって「原発が事故るリスクとか、事故ったときにリカバリできる可能性とかを考えると、やっぱ“発電のために原子力を使う”っていうのは、どうなんだろうなあ」とは思う。だから、似たようなものだよなあ、とも思う。思うけど、「リスクを本当のゼロにしなきゃいや」って言ったら、そりゃもう、ほとんどなにもできないってことなんだよなあ……。
「地球の住民の過半数の許可」ってのもね、わかる。「オレの安全に直接関わる問題なのに、オレはぜんぜん聞いてないぞ」ってことだもんね。間接民主制って、オレ自身が選んだんじゃないしね。
別に、直接民主制にしようってことじゃなくて、メディアでそんな大事なことが報道されないって、どういうことだよ、って感じだよね。
「いや、ちゃんと専門家が検討しています」って話だったのに、これまでどれだけの悲劇が起きてきたか。それを考えると、「専門家がだいじょうぶだって言ってるから」って言われても、安心はできない。そうだよなあ。
でもね。これでもだいぶマシになってるんだよ。
数十年前に比べれば、多くの部分はとてもオープンになった。すべてが、ではないけれども。いまだって軍事機密ってことでオープンになっていないものや、人知れずこっそりやられていることはあるだろう。
それでも。「明日こそメシを食わねば死ぬ」というような状況ではない人が世界に増えたおかげで、みんながいろんな問題を監視している。
いや、それでも、こうしてmixiしている間に世界が破滅してしまう可能性がゼロになったわけではない。「不意に世界が終わる可能性」っていうのは、なくならない。人類が知っていることは限りがあるし。
もっと言えば、「不意に人生が終わる可能性」の重さは、昔とそれほど変わらないかもしれない(いや、リスクはすごくすごく減ってる。でも、その重さは変わってない)。
どこにも、「あなたの期待に応えるための100%も0%も用意されてはいない」んだ。困ったねえ。
そういう不安に、人間が作ったシステムで応えられるものは、宗教とか哲学しかない。たぶん。しかも、仏教の本場、インドの少女にはその救いは届かず、「明日来るかもしれない危険」の不安の前に、自分の命を絶ってしまったのだから、どれほどの力があるのかはわからない。
逃避かもしれないけど、汗をかいて忘れる、なんていうぐらいしか、ないのかもねえ。
ほんとのところ、どういう理由でこの少女が自分の命を絶ったのかはわからない。インドでは2日間ほどこの実験の危険性についての銀論をテレビでやってたらしいが、そういう番組との因果関係も、わからないといえばわからないなあ。
そもそも自殺願望があったか、なかったか、とか。
一方、この情報に接した1000万人とか1億人とかのうちの1人にだけ生じた問題かもしれない。
うむむ。どないもこないも、なりませんなあ。
実験でブラックホールが発生し地球を飲み込む説、学術論文で否定される
(スラッシュドット・ジャパン 2008年06月25日)
http://slashdot.jp/science/article.pl?sid=08/06/25/0444230
んでもまあ、ふつう知らないよね、そんな話。
>これってどんだけ厳しいのか考えたことがないのだろうか。
なくてもおかしくない……よね。
ぼくだって、事故率ゼロを考えたのって、仕事について何年も経ってから、たぶん管理職になってからだったから、人のことはいえない。
これは先日名前が出ていた「疑似科学入門」という本で使われている言葉です。
それが本当に危ないのか安全なのかハッキリしないなら危険が発生しない方向を目指し、
たとえそれが結果的に間違っていたとしても人類にマイナス効果を及ぼさないようにしよう
ということを意図しているようです。
つまり「危ない可能性があるならやるな」ってこと。
この原則を適用するならばあの無闇に馬鹿デカい加速器は使用中止するべきでしょう。
「あちら側」の人間が危険は少ないと言ったからって信用できますか?
連中は自分の好奇心を満足させるためなら多少の危険なんて気にしませんよ。
そもそも素粒子やビッグバン直後の状態や異次元の存在を研究したって何か人類の役に立つわけではないのですから、
「やってみたらしくじっちゃった(笑 @hell」となってしまう前に中止の決断をするべきです。
なんてネ。
自分でこの文章を書いててもナンセンスだと思いました。
でも、こういう考えに至ってしまう本を科学の世界に生きる人が書き、
そして評価されてさえいるのが現実です。
そりゃ「危ない可能性があるならやめておこう」という考え方は印象が良いですよ。
でも本質はただの「事勿れ主義」にすぎないのだけど・・・。
で、一般論としてはメリットとデメリットというか、ベネフィットとリスクとハザードとか、まあそういう天秤の問題になるわけです。
「この程度のメリットで、ヘタすると破産するならやめておこう」みたいな。
じゃあ、それがよくわからないときにどうする。
とりあえず思い切り危険を大きく評価しておけば安心ってもんでもないことを、この例は示したのかもしれない(いわゆる「杞憂」におびえて自殺したのだと考えれば、ですね)。
どーしたらよいのか、というとよくはわからないんですが、メディアはほんとよくよく気をつけてくれよ、ってことのような気がしてこういう標題になったんだけど、それもまたゼロリスク妄想なのかもしれないと翌日には思いました。
だって、この報道に触れて自殺した人が一例だけだったり、ほかの要因が排除されてないんだったら、ねえ。
それをテーマにエントリ書こうかと思っちゃったぐらいで。
科学と論理の信奉者であれば、これまでの知見から一定の精度での推測は可能だということは理解できるはずです。たとえば、下記の記事によると〈英国王立協会の王立天文台長、Martin Rees氏は、[LHCの事故によって]世界が破滅する確率を5000万分の1と見積もっている(ある種の宝くじに当たる確率に近い)。〉といった予測もなされています。
■『LHC』最高/最悪のシナリオ:検証される5つの宇宙理論(1)
http://wiredvision.jp/news/200809/2008091123.html
しかし、その確率やら「一定の精度」やらをどう評価するかとか、それを「こわい」と感じるかどうかは別の話で。
しかもそれを発言したのがエライ先生ならなおさら。
でもコレって所詮は「悪魔の証明」の糖衣錠なんで・・・。
読みながら「これは後で展開させるネタ用の仕込みか?」と疑ったけれど、どうもこの人は本気らしいんですよね。
本の前半で批判していた相手と同じことを自分がしているのに気づいていないらしいこと、
そしてどうもそれに気づいていない読者もそこそこいること、
が気にかかってしかたない。
オカルトにハマる人たちと何が違うの?
当然ですが「危険があったって気にせずGO!」なんて言う気は全然ありません。
本文の方にも書かれてますが、誰だって命が惜しいんで本気でヤバかったらやらない、と思いたい。
たしかに科学者だって聖人君子ばかりじゃありません。
汚職に手を染める公務員がいるように、危険などおかまいなしに無茶する科学者だっているでしょう。
でも、そんな奴はそんな計画を立てていることすら外部に漏らさないので心配のしようがない・・・。