どう採り上げたものか、迷っているうちに日が経ってしまった。
今月か来月か、関東6県の公立小・中学校の女性校長が、「水からの伝言」を題材にした訓話などをする可能性があります。
こんな、ジュセリーノの地震予知みたいな書き方はしたくない。
しかし、すでにもう、それは起きているかもしれない。
心当たりがあるなら、きくちくんの〈「水からの伝言」を教育現場に持ち込んではならないと考えるわけ〉を、プリントして渡してあげてください。校長先生に直接でなくても、誰かその学校の教職員の目に触れるように、してみてはどうだろうか。
なぜこんなことを言い出すのかを書いておかなければならないだろう。
去る7月4日、関東地区公立小・中学校女性校長会の総会・研修会で、江本の講演が行われたからだ。会場は、埼玉県南浦和にあるさいたま市文化センター。参加者数は、約120名だという。
情報源は下記だ。
江本勝が「関東地区女性校長会」で講演!?(ほたるいかの書きつけ 2008-09-08)
『教育現場に水のメッセージを』(『Hado』9月号)(ほたるいかの書きつけ 2008-09-15)
本エントリの表題は、そのままこの記事の表題である。2ページ見開きの記事で、「OFFICE MASARU EMOTO」の甲斐富紀子氏によるレポート、という体裁になっている。
本記事は次のような文章で始まる。今年3月初め「EMOTO PEACE PROJECT」の事務局であるOFFICE MASARU EMOTOに、1本の電話がありました。
電話の主は、埼玉県所沢市にある小学校の校長先生からで、その内容とは、
「7月に予定されている関東地区女性校長会の総会に『水からの伝言』の著者である江本勝氏の講演をお願いできないでしょうか」というものでした。(以下略)
「水からの伝言」の問題性は、いまさら再掲はしない。ご存じない方は、うちのFAQ(書きかけだけど)や、その「資料編」からリンクされているサイトをご覧いただきたい。
校長が個々の教員に与える影響は、おそらく世間で考えられているよりは小さい。講演会で聞いた話を仮に「いい話だ」と受け止めたとしても、それをクラス単位で話題にさせるようなことは考えにくい(とくに中学では)。
しかし、校長は「全体に向かって」しゃべる機会が少なくない。子どもたち、教職員、保護者のいずれに対しても。地域の集まりでしゃべることもある。
校長先生の言うことを疑う人は少ない。
参加した校長先生方にどのように受け止められたのかは、わからない。よりによって江本を呼ぼうと考えた、事務局だか幹事だかの方が考えたこともわからない(およその想像がつかないでもないが)。
このブログを読んでくださっている方は、中身や質を考えると、分不相応な多さだ。だけれども、「広報する力」が大きいとは、とても言えない。
上記のようなあれこれを考えても、それでも警報を出しておくべきなのだろうと考えて、このエントリを書いている。
子どもたちに探りを入れてみる必要があるのかもしれない。まだなようであれば、校長先生とお話をする機会がある方なのであれば、機先を制して話題にするのもよいかもしれない。その校長先生が、その研修に参加したか。受け入れてしまっているかどうかなどは、まったくわからないのだが。
主催した「関東地区公立小・中学校女性校長会」というのは、関東1都6県のうち東京都以外の6県を範囲としている。
正直に言うと、ぼくの現在の地元である東京が入っていなかったことで、本当に胸をなで下ろした。地元中学の校長が女性なのだ。昨年までこの学区(中学校の学区)の小学校で副校長を務めていた女性は、今年度は隣接学区で校長の任についておられる。「あの2人が参加している可能性があるのか?」と考えてしまったのだ。そして、彼女らと顔を合わせるときのことを考えてしまった。
どう話を切り出すかを考えても、なかなか難しい。話題にできても、もしも肯定的に受け止めていたら、うまく順序立てて説明できるか……。URLを教えたとしても、見ないだろうなあとも思う。プリントアウトして渡すにしても、大部になると目を通してもらえるか……。
あれこれ考えて、冒頭の「心当たりがあるなら」になった。
講演が行われてから2カ月が経っている。「とっくにあいさつで使っちゃったよ」ということもあるかもしれない。それでも、心ある教育者なら、なにか考え直すきっかけになるかもしれない。なにもきっかけがないよりも、ずっといい。
もし、身近に、あなたが働きかけられる教職員がいるなら。ちょっと考えてみてほしい。
2008/09/17追記
学校の先生方の間には、「インターネット上の情報=怪文書」という感覚の方がまだまだおいでだ。そういう方々には、下記の印刷媒体やその引用をお勧めしてみてほしい。
- 左巻健男『水はなんにも知らないよ』(新書 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2007/2/25)
- 岩波書店『世界』2005年7月号「あなたは『水』に答えをもとめますか:疑似科学が蔓延する日本社会から見えるもの」by 二村真由美(webサイトは「おにのかくれ部屋♪」)[2008/9/17リンク等を修正]
- 朝日新聞社『AERA』2005年12月5日号:『水からの伝言』の仰天 ベストセラーの「トンデモ科学」度(江本氏のインタビューを掲載。インタビューは、水商売ウォッチング:「水からの伝言」江本氏の主張で全文読める)
- 日本化学会『化学と工業』2006年9月号論説:「水からの伝言」と科学立国(PDF)by 安井 至
平成19年度 関東6県の公立学校校長数
小学校 中学校
合計 男 女 合計 男 女
茨城 577 494 83 236 232 4
栃木 408 260 148 172 160 12
群馬 340 291 49 176 170 6
埼玉 824 707 117 430 418 12
千葉 853 756 97 385 375 10
神奈川 891 727 164 426 383 43
計 3,893 3,235 658 1,825 1,738 87
文科省 学校基本調査「職名別教員数(本務者)」による
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/08010901/003.htm
関東6県の女性校長数は745名、そのうちの120名ということは女性校長のうちの約16%、全校長数(ほぼ学校数だろう)から考えると約2%。
同じ調査によると、関東6県の小中学校に在籍する児童・生徒数は2,419,243名。その2%はおよそ5万名。
講演を聴いた校長のすべてがこの話を学校で披露するとは限らない。話を聞いたすべての人(児童生徒や教員、保護者)が真に受けるとも限らない。
影響を大きいと見るか、小さいと見るか……。
タグ:水からの伝言
【学校とか教育とかの最新記事】
校長さんというのは全校朝会などで話すことを事前に職員に了解を取ったりはしないものなので
「え、そんなウソを子供に広めないで!」
と思った経験が何度かあります
(ゲーム脳とかあるある大事典とか)
「校長がこんな話をする恐れあり」
という情報があれば
「校長先生こんな笑い話があるんですが・・・」
と校長を傷つけずに予防線を張ることもできそうです
それにしても事務局の誰かの思いつきが何処からもストップがかからぬままに開催されてしまったことが残念ですね
ご覧になっているかもしれませんが、kikulogの「関東地区公立小・中学校女性校長会」コメント欄で、「空気の醸成」という話題が出ています。
この辺から
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/%7Ekikuchi/weblog/index.php?UID=1221526817#CID1221658081
「一見良さげだけれども、実は怪しい話が教育の世界にも入り込んで来ている」ということが、共通認識とまでは言わなくても「ああ、鈴柩先生がそんなこと言ってたなあ」とか「保護者の亀さんが」などという感じで思い起こしてもらえると、予防線としては機能するんじゃないかなあ、なんてことはぼくも思います。
そういうわけで、知り合いの先生と飲んだりするときには「ぼくはニセ科学がなぜ広がるかということに関心を持ってて」みたいな話もするようにしてるんですけどね。
しかし、理科の先生であっても江本もEM菌も七田式も、まず知らないですね……。知らないでいられることを喜ぶべきか、悲しむべきか……。
私は、あなたのあのような発言(あのような発言をするのはあなただけではありません)には、真剣に怒りを感じています。しかも、あなたは、私が怒りに震え激昂した抗議をした直後に、私がどう受け取るかを十分承知した上で、しかもそれに対する弁明も釈明も反論も必要のない発言であると明言されたので、それは発言に対する怒りから、あなた自身に対する怒りに変わってもいます。
私のkikulogでの発言は、あなたやあなたのような考え方をする人たちに向けて真剣に怒りをぶつけたものです。
「人が悪い」と私をせせら笑うのは御自由にして構いませんが、私があなたのような知謀知略に長けた頭の良い人間でないことは、あなたが一番ご存知のはずです。
上のコメントは、頭の足りないガキにちょっかいを出して、そのガキがぶちギレるさまを見て、あざ笑ってる優等生──という印象を、あなたに対して私が持つことを当然計算済みのコメントだという理解で構いませんか。
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_a5a6.html
黒猫亭さんに対する私の怒りは、たぶん、これと同じ種類のものです。
津村ゆかりさんは、結局、きくちさんや柘植さんの怒りの本質を理解する事も、きくちさんや柘植さんの怒りをおさめる事もできませんでした。でも、きくちさんや柘植さんの怒りに対して真摯に向き合い、率直に自分の見解を述べ、誠実に対応しました。
黒猫亭さんは、私の怒りに対して、嘲笑で応えただけでした。きっと、私の怒りなど真摯に向き合う価値もない、何も言わずともROMにとっては明白に低俗な逆ギレだと理解できるものと感じたのでしょう。自分の理性の欠如を恥じ入るばかりです。
失礼致しました。実は亀さんがご紹介された田部さんのコメント中で、以前のオレとの遣り取りが触れられていて、微妙に田部さんのご理解がズレていると思いましたので、あのような感想になりました。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_0688.html#comments
まあ田部さんに対しては、とくに何か申し上げるべきことがあるとも思いません。第三者の読み手に対しても、リンク先の原文をお読みになって是非を判断されれば好いことかと思いますので、こちらで更めて議論する必要はないだろうと思います。
ところで、TAKESANさんのところでの私の主張は、上で紹介した津村ゆかりさんのブログでのきくちさんのコメントをもじると次のような感じです。
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「或る人間にとって、別段人間の価値や美点は“血液型性格診断を信じるか否か”で決定するとは限らないということもありますよね」という表現がどれほどアンフェアであるか、黒猫亭さんは理解しておられないでしょう。
この表現は「田部勝也は、人間の価値や美点は“血液型性格診断を信じるか否か”で決定するとは限らないというを真剣に考えていない」という主張なんですよ。それは大人をバカにしすぎだと思いませんか。
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危機感を共有できないのは結構。しかし、それならなぜ沈黙を守らないのか。
「オレはこのような“普通さ”自体は否定しません」とことさらに言うことが、いったいどのような意味を持つか、考えられるとよいのではないでしょうか。
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これに対して、黒猫亭さんは、「おそらくこういう成り行きになるだろうとは予想しておりました」「田部さんのご意見に対しては反論を想定しておりません」としか書かれていないので、当然私には自分の主張のどこに問題があるのかも、そもそも問題があるのかどうかも分かりませんでした。少なくとも、黒猫亭さんは反論の必要性がないと明言されているので、この主張を撤回する理由がありません。
だから、kikulogで「空気の醸成」について主張するとき、当然、私はこのような「邪魔」については言及せざるを得なかったわけです(先の2つのコメントはその事を釈明させていただいたものです)。
で、そのkikulogのコメントに対する反応は、今回も「田部さんも、なかなかお人が悪いですね(笑)」という、私を完全に蚊帳の外に置いてギャラリーだけを向いた発言だったわけです。
──何が悲しいって、一番悲しいのは、黒猫亭さんが「田部勝也なんかにいくら説明したって、どうせ分からないだろうから、勝手に怒らせておけばいいや」とはっきり態度表明している事ですよ。「説明してみたけど通じない」じゃなくて、最初から「コイツはビリーバーだから何言ってもムダ。それは第三者の読み手にも明白」と。それも続けざまに3度も。
私は、私が黒猫亭さんの言いたい事を誤解しているのか、誤解した上でさらに私の主張に問題があるのか、黒猫亭さんの意図通りに読んでいるけど私の主張に問題があるだけなのか、分からないんです。
「微妙に田部さんのご理解がズレている」と思うと、なぜ「誤解しています」でも「不本意な引用です」でもなく、「なかなかお人が悪いですね(笑)」というコメント【だけ】になるのか、なにが可笑しいのか、分からないんです。
なぜ、私の「ご理解のズレ」を正す試みをこれほどまでに放棄されるのか、分からないんです。
説明されても分からないのなら自分の馬鹿さを呪うだけですけど、まったく説明されないで徹頭徹尾「分かるヤツだけ分かっていればいい」というだけでは、(先の2つのコメントのように)邪推が膨らむばかりです。
一体、私の何が悪かったんですか。今後、私はどこをどう改善していけば良いのですか。
──以上、私の心の動きを自分が理解している通り正直に隠さず書いたつもりです。
以前、「ゆるい信奉者を殺さないで」と主張されていたのは、newKamerさんでしたっけ、aliceさんでしたっけ。せめて、今回の件は、その事を思い出すケーススタディの一つとして見て頂ければまだ救われます。
おふたりとも、ご説明をありがとうございます。
八方美人めいてしまいますが、ぼくには簡単にどちらかのある点をもって是だの非だのとは言えそうにありません。この件については当面口をつぐむことにします。
ただ、もやもやとした引っかかりはあります。ですから、いずれ直接間接に話題にさせていただくこともあるかもしれません。そんな事柄が多数あるので、いつになるとも知れませんが。
お手数をおかけしました。
>黒猫亭さん、田部勝也さん
⇒http://seisin-isiki-karada.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=7&summary=on
TAKESAN さんからもお叱りを頂戴してしまいましたが、今回はこちらが余計な一言を書き込んだ為に、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。以後このようなことがないように細心の注意を払います。
何をすべきだったのか、何をすべきなのか、ずっと考えていますが分かりません。頭を冷やして、これからもずっと考えます。
亀@渋研Xさんについては、謝る事しかできずにとても心苦しいのですが、本当に申し訳ありませんでした。
TAKESANさんについては、はっきりとご指摘いただけた事に心から感謝しています。本当にありがとうございました。
自動車を坂道で駐車するのに「サイドブレーキをしっかり引いて、車輪には輪留めをかませなさい」なんて教わる訳ですが、まあ、たいていの人がサイドブレーキだけで輪留めまではなかなか噛ませませんよね。でもって、何万台という自動車が坂道で駐車していると、中にはサイドの引き方が甘くて、転がりだしてしまうものもあるわけです。
問題は1トン以上もある自動車が転がりはじめたら、「おいおい運転者、お前が悪いんだからなんとかしろ」で済む話ではなくて、なんとか大事故にならないように皆で協力しなくてはならないことだという事なんですけどね。
ニセ科学というのは本来、転がり始めるおそれがある話をきちんと輪留めもせずに坂道に放り出した様な面があります。転がり始める前ならば、「おい、せめてサイドをきっちり引いとけ」で済むのかも知れないけど、転がり始めたらみんなで協力してなんとかしなくてはならないハズなんです。でも、まだ多くの人がその転がり始めた自動車を「何だろうね」と見ているだけの様な気がします。
ご配慮ありがとうございます。リンク先も拝見しました。
黒猫亭さん、田部さん
このコメント欄でのことを言えば、背景がわかっていなかったので、なにが起きているのか、なにを言いあっているのかがつかめなかったということに尽きます。問題の根自体は深い(と思う)ので、状況が解っても口を出せなかったわけですが。
科学者同士も含めて、意思表明とかが、どういうものならどこら辺から差し出口やら妨害やらになるのか、また、そういう問題意識でこの件を考えてよいのか、なにが単なるボヤキでなにが揶揄かなどなど、なんとも考えがまとまりません。当事者間の問題だけではない部分が多いとは考えているのですが、「スタンスの違い、スタイルの違い」などと片付くものでもなく、また容易に一般化もできないようにも思います。
ここで延々と議論が始まってもおかしくなかったわけで、その場合、トピ違いとはいえ関係のないことでもないので困ったでしょう。しかし、おふたりの節度のおかげでそうはなりませんでした。
そんなわけで、別にぼくが迷惑をこうむったとは考えていません。その点は、どうぞあまりお気になさらず。
「みんなで協力して止める」ということは、具体的には「なぜサイドブレーキを十分に引きそこねる人がそこそこ出て来ちゃうのか」「どうすれば減るのか」という類いのことですよね。
犯人探しとかバッシングみたいなことは、ぼくもあまり関心がありません。教育現場を萎縮させるような圧力については、有害だと考えています。だからこの手の例はよけいに悩ましいです。
まあ、たぶん教育現場じゃなくても、「忘れちゃダメだよ」「ちゃんとしようよ」で改まるような事柄ではないんですよね。
さっき、下記のエントリを読んだもので、ついついそんなことを考えてしまいます。
チェーンメールでいじめ-小学校 教師からのメッセージ ザ・教室blog
http://shiozaki.info/mt/archives/2008/09/post_1397.html
>「みんなで協力して止める」ということは、具体的には「なぜサイドブレーキを十分に引きそこねる人がそこそこ出て来ちゃうのか」「どうすれば減るのか」という類いのことですよね。
いえ、イメージとしては無人の4トントラックが坂道を転がり落ちている時に皆さんはどうされるのか、という事です。そういう現状が見えなければ、人は何もしない。でも現状が見えれば、とりあえず坂道の先に居る人たちに「逃げろ!」ぐらいは叫ぶでしょうし、その先にトラックが突っ込んだら死人が出そうな事が予想されれば、中には自分の車が壊れるのを承知で前方を塞いで止めようとする人もいるかも知れませんね。皆さんにとってはニセ科学の蔓延なんて、「話のネタ」にすぎないんだろうと思います。でもね、人類史をいろいろと見ていると、一つの集団が合理性を失って狂気に走ることは珍しくも無い現象だし、何度も起こってきた話です。そして、私の見る限り、無人の4トントラックが坂道を加速しながら転がり落ちているのと同様に既に、この極東の島国の集団は合理性を失って狂気の方向に転がり落ち始めている様に見えます。そう思えという気は無いのですけどね。