2005年12月15日

損失寿命=LLE:Cohenと原発とTOSS

※12:31追記:最初に断っておくと、この件についてぼくは確定的なことは何も書いていないし書けない。ただ、なんだか鼻がぴくぴくするので、それを忘れないように書き留めておきたいと思ったのだ。鼻ぴくの原因はアレルギーや食わず嫌いかもしれない。誰か、この鼻ぴくを解明して下さいまし。
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「損失寿命」とはまた馴染みの薄い言葉だが、いったいなんだろう。広島大地球資源論研究室のWebページから引用すると「損失寿命:LLEとは、ある人の寿命が、ある特定のリスクに遭遇することによって短縮される平均の寿命のこと」だ。
Bernard L. Cohenとその協力者たちは、70年代から80年代にかけて(ひょっとするとその後も)「××というリスク要因によって損失した寿命は××日」というデータをさまざまに提供した。このデータは、危険の相互比較を可能にするという考え方自体は大きく間違ってはいないように思われる。損失寿命を算出することによって、例えば2種類の危険のうちのどちらがより危険か(リスクが大きいか)を数値で比較できると考えた人は少なくないようだ。

この「損失寿命」に出会ったのは、次の文章がきっかけだ。

相手を味方に変える「話し合いのコツ」
http://toss-nishikaze.or.tv/news/7.html

この小学校の先生が書かれた文章は、ぼくにとってはうなづける部分と首を傾げてしまう部分とが混在している微妙なものだ。基本的な態度にはうなづきつつも、事例として挙げている部分に疑義が生じるといったらよいだろうか。首を傾げてしまった部分の代表が次に引用する損失寿命に関する箇所だ。
★次の中で寿命が縮まる危険が最も高い行動はどれでしょう。
死ぬ確率が高いと思う順に番号をつけなさい。

( )兵隊になって戦争に行く
( )一日にタバコを一箱吸う
( )自動車を運転する
( )原子力発電所の近くに住む

一見突拍子もないようだが、これらはすべて統計的な事実で死亡の確率を推定できる。
最も危険なのはもちろんタバコであり、そのリスクは寿命を平均二三〇〇日(六年以上)縮めるほどである。
ベトナム戦争で兵役についた兵士でさえ、寿命が縮まったのは平均で四〇〇日である。
原発周辺に居住することによるリスクは〇.四日である。
これは、統計的に言えばその危険性を抽出できないほどの値なのだ。
タバコを吸うことの方が六〇〇〇倍近くも危険である。
タバコを吸うことによって人類に多大な恩恵があるのであれば、その大きすぎるリスクでも受け入れる気になる。
危険でも自動車を運転するのはそれが便利だからだ。
しかしタバコにそんな利点はない。
我々が原子力発電から受けているプラス面とリスクとを冷静に判断しなければならない。
ぼくはヘビースモーカーだ。だから「え?」と思ったという部分があるかもしれない。けれども、ここで言われている「事実」とはなんなのか。強く「どこかがおかしい」という気がする。重大な錯誤が潜んでいるような気がする。
例えば、原発の事故と自動車の事故は、周囲に与える影響がまるで違う。最悪の場合、付近一帯ばかりか風下になった地域が長期にわたって不毛の地になる可能性さえあるのではなかったか。例えば、事故に遭遇する確率と、その事故によって長期にわたる深刻な障害を得る確率や死亡する確率、周囲に与える影響、経済的な損失などは、個別に比較されるべきものではないのだろうか。リスクを理解するというのは、そういうことではないのか。それを総合的に判断する指数というものが有意なのか、はなはだ疑問だ。
仮にCohenの考え方がおかしくないのだとしても、それぞれのことがらの危険度をこの指標だけで評価するのことに違和感があると言ってもいい。

航空機が墜落など致命的な事故を起こす確率は、自動車が事故を起こす確率よりも、はるかに低いという話がある。だから航空機の方が自動車よりも安全だという主張に用いられることが多い。しかし、航空機で事故に遭遇した場合、被害の大きさが全く違う。万一航空機で事故に遭遇してしまった場合、死亡する確率は交通事故よりもかなり高い……などという反論とペアで紹介されることも多い。
これは、「事故の起きる確率は、航空機や自動車の安全性や危険度を理解するひとつの目安にはなる。しかし、両者がもたらす危険を、事故の起きる確率だけに頼って単純に比較することはできない」ということではないのか。Cohenの損失寿命という考え方は、同じ誤りを犯してはいないのか。

興味深いのは、このCohenらの提供したデータをインターネット上で引用しているページの多くが「原子力発電はリスクが小さい」という主張の裏付けとして用いていることだ。少なくとも、Googleでヒットするうちの上位20件ほどの話は、その傾向が強い。
上述の先生のサイトにも、この話を下敷きにした、エネルギーに関する授業のプランも掲載されている。どうやら、TOSSのシンパの先生のようだ。TOSSだからいかんとは言わないけど、眉につけるつばが増えてしまった。

Cohenのデータをどう考えるべきかは、ぼくにはよくわかってはいない(算出方法さえ知らない)。しかし、このデータの引用の仕方には、「統計の嘘」や「ニセ科学」のような匂いがぷんぷんすると思っている。本来、同列にしてはいけない別の話を混ぜてしまっているのではないか。
以前、kikulogで「惑わされないための練習問題」で出て来た「相関と因果」の話によく似ていると感じたのは確かだ。だからそこにトラックバックしておく。

ちなみに、Cohenらの考える「LLE」とは「Loss of Life Expectancy(損失余命とも)」の略だが、日本語で「損失寿命」とされている用語には、少なくとももうひとつ「YPLL: Years of Potential Life Lost(損失生存可能年数)」というものがあるようだ。こちらはいろいろなシーンで利用されているようだ。しかしここでは、こうした類似概念の比較までは視野に入れていない。
posted by 亀@渋研X at 10:45 | Comment(4) | TrackBack(0) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 損失寿命=LLE:Cohenと原発とTOSS
この記事へのコメント
>このCohenらの提供したデータをインターネット上で引用しているページの多くが「原子力発電はリスクが小さい」という主張の裏付けとして用いている

理由がわかりました。すげえ単純なことでした。下記の本の著者なんですね。

『私はなぜ原子力を選択するか』(ERC出版)
http://www.erc-books.com/ERC/Book/BooksInfo/Book-02_2.html
Posted by 亀@渋研X at 2005年12月16日 00:23
はじめまして。
 損失余命の考え方は環境リスク学の中西氏も扱っていて、倫理的や人道的な問題も存在する事を指摘しています。
 しかし、ハザードばかりに目が行って、リスクという考え方がなければ、個人個人が”選択”する自由を行使できないということも同時に指摘しています。

 つまりは、問題がないわけではないが、測定できないよりは遥かに良いということだと思います。問題点もきちんと認識した上で用いるべきものなのでしょう。
Posted by newKamer at 2005年12月19日 10:45
newKamerさん、情報ありがとうございます。
お名前は以前から拝見しておりましたが、改めてはじめまして。
中西準子さんの
>ハザードばかりに目が行って、リスクという考え方がなければ、個人個人が”選択”する自由を行使できない
というご指摘はもっともだと思います。

大元の考え方の問題ではなく、引用者の問題なのかもしれないとも思います。

ワトスンに由来する一連の引用(百猿やらグリセリンやら)に比べれば、この損失余命に関する引用は、はるかにちゃんと考えるに値するものだとは思いますが(^^;;
Posted by 亀@渋研X at 2005年12月19日 22:35
こんにちは。
 書くのをすっかり忘れていましたが、損失余命の考え方は、「本来比較できないものを比較する」という目的で計算されるものなので、その発生からしてある程度無理は生じると思います。

 で、この考え方が有効に使える場面というのも、制限があるのではないでしょうか?
 私もやりがちなのですが、例えば、BSEのリスクとタバコのリスクを損失余命で比較するといった使い方は間違いなのではないかと思います。これらのリスクは独立して存在するものだからです。

 AとB、どちらかのリスクをとらなくてはならない。そのときAを選択するか、Bを選択するか、そのリスクは本来比較できないのだが、なんとか妥当な比較をしたい…そのような場面で初めて損失余命が意味を持つということです。

 「原子力発電はリスクが小さい」という事に損失余命を用いるのであれば、火力発電(等の他の発電方法)の損失余命と比較するのであれば意味を持つと思いますが、単体ではあまり深い意味は持たないのではないかと考えます。
#ここら辺、環境負荷の問題とかも出てくるので、こんなに単純な話では済まないと思いますが。
Posted by newKamer at 2006年01月10日 17:01
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