コメント欄以外で教えていただいたことを、ちょっとご披露します。
詳細は後述しますが、図書館には「ニセ科学や疑似科学の本で、トンデモ本として有名です。科学の棚にはふさわしくない」等と指摘するよりは、「これは科学の本ではなくて、いわゆる精神世界とかスピリチュアル系の本です。この著者は、同様の本をたくさん書いているので、そちらも見るとわかります。併せて分類し直した方が、利用者に親切ではないですか」などというような指摘の方が、ストレートに誤分類だということを理解していただけるかもしれません。
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図書を分類する際、TRCや国会図書館では「テーマがなにか」ということとともに、「どのような扱いか」という検討もして決めるようです。「どのような扱いか」というのは、たとえば水を科学的に扱った本なのか、エッセイや名水案内などのような本なのか、それとも……というようなことです。
おそらくどこの図書館でも同じだと思うのですが、「水の本だから科学」というだけじゃないわけです。
注意が必要なのは、「科学の本と言えるか」というような、「達成度や方法論の妥当性、内容の真偽などを見極めるわけではない」ということです。あくまでその本が採用している扱い方、方法論を見るわけです。
そのため、見直しの申し入れ方によっては「そんな内容の真偽の判断は、検閲に相当します。そんなことは図書館ではしません」という反応を呼びおこしてしまうこともあるようです。
公共の図書館なら「心のあり方や精神世界のことを説いた本なので、そういう本を求めて来た人の手元に届くように分類すべきだ」と考えるとわかりやすいかと思います。そういう人にこの本を読ませたいのか、と言われると「ノー」なわけですが、それは内容評価であって図書館の関与するところではない。ここでは、科学の本という誤分類(ならびに、それによって生じる誤解)を防ぐ、というところに眼目があります。
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水伝の場合、ぼくらの問題意識では「水を科学的に扱った本なのか、心霊研究や超心理学的に扱った本なのか」というようなことになるけれど、ふつうは超心理学的な本かどうかは、すぐには念頭にのぼりそうにありません。「水と結晶だから、エッセイや名水案内などではなく、科学の本だな」となってしまうことは、十分に考えられます。
国会図書館やTRCは、ISBNの分類やタイトルだけでなく、目次や前書きなども見て判断するようですが、すべての図書館に同じことを求められるわけでもないでしょう。
『水からの伝言』の場合、先のコメント欄でも報告されているように、国会図書館やTRCも最初は科学に分類していました。目次や前書きまで見ても、その範囲ではわからないケースもあるということですね。
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さらに、これもどこでも同じでしょうが、同じ著者の同じテーマの本が続けて出た場合、最初の本に倣うということもあるようです。
横着だと考える方もおいでかもしれませんが、毎日山のような書籍を扱うのでしょうから、的確かつ効率的に分類するためにはかなり効果がある方法だと思います。しかし最初に間違えると、間違いを踏襲してしまいます。最初に科学に分類されたから、以後、ずっと科学になっちゃったといったことも起き得ます。『水からの伝言』の類書の場合も、この問題が生じたようです。
国会図書館では、『水からの伝言』について誤分類ではないかという指摘を受けたので、本文や同じ著者の類書まで見て、併せて判断し直したようです。先の方法論を逆に適用したわけです。異例なことかもしれません。
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上記については、先のエントリを書いたおかげでメールやらなにやらで教えてもらえました。
伝聞とはいえ、地元の図書館などには「誤分類の生じた理由」「国会図書館やTRCも間違えたが、テーマの扱い方から判断して、類書も含めて分類し直しになった」「単なる機械的判断ではない」ということまで説明できる材料になります。大変ラッキーなケースと言えそうです。
最後になりましたが、情報をくださったみなさま、ありがとうございます。
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