今日のエントリは、「昨日の危険評価の際に、見落としていたポイントや、うまく伝えられなかったポイントがあるので、もうちょっと考えを整理してみたい」という話です。お付き合いいただければ幸いです。
書きながら気づいたのですが、「ポーション型のこんにゃく入りゼリー」限定の話と明示すべきでしたね。内心では気づいていても、明示できていませんでした。すいません。また、標題、とくに副題がよくありませんでした。後述しますが、今回は副題を改めました。「本当に危険か」は、それでいいと思うんですよね。
この話は、かなり低い危険の「程度」というよりは「質」をどう評価するか、という話なのかもしれないという思いが募っています(もっとも、小さ過ぎる危険は、情緒的な誤差が大きくなって評価不能という可能性もありそうです。そういうと終わっちゃうので今はその立場は取りませんけど)。
16:20追記
アップしてから気づいたのですが、これは危険評価で悩んでいるのではないのかもしれません。危険評価としては「危険はかなり低い」、「ベネフィットは好みの問題なので評価不能」で終わるのかも。
ぼくがぐだぐだと悩むのは、むしろ「黙過するにはあまりにも居心地の悪い、隣家の諍い」みたいな話なのかもしれません。「ダンナの趣味が原因で諍いが起きる」「オレにも同じ趣味がある」「その趣味がはた迷惑なことがあるのは知っている」みたいな。
そうだとすると、単に人生観の問題なのかも(汗
いったん上げたエントリなので引っ込めませんが、この先をお読みになるときは、そういう可能性を踏まえてどうぞ(大汗)。
昨日のエントリは、ぼくの意図に沿って要約すると「ポーション型のこんにゃく入りゼリーの危険評価をしてみようとしたら、リスクもベネフィットも低くて、かなり悩ましかった。ボーダーラインぽいけど、受益者は危険にあわないところが引っかかる。メーカーが自発的にやめてくれてよかった」という話です。
グミとかその他のゼリーのように、危なくない程度の柔らかさや形状が確保されればいいんだけど、どうもそれがなかなかできないようだ。法規制もなじまないと思う。困ったなあ。と思ったら、最大手はポーション型こんにゃく入りゼリーはやめてくれるというので「よかった」、という感じです。
今日のエントリは、ぼくの脳内での話の進み方としては、「嗜好品が人に害を与えてもいいのか」⇒「嗜好品だからダメってことはない。利用者本人が被害者になるなら自己責任」⇒「では、第三者が被害を受ける場合は」⇒「被害による」⇒「被害が直接的な『死亡』『重篤な障害』の場合は」⇒「頻度による」⇒「滅多にないが、構図はほぼ常に変わらないとしたら。それが嗜好品で起きるとしたら。それでもバランスシートが変わらないか」(この辺で堂々巡り)というような感じです。ここでいう「第三者」は「ポーション型のこんにゃく入りゼリーを、主に誤認で購入/利用した人」ということになるわけですが。
すでにお気づきでしょうけれども、「嗜好品」「第三者」「死亡事故」ということにものすごくこだわっています。「嗜好品」をはずしても「第三者」「死亡事故」にはこだわってしまう。
で、例によっていくつかの論点にできるだけわけて(うまくわけきれないところもありますが)、さらに考えてみます。まず論点を整理した概要を述べ、詳細は後述というパターンです。
まず概要です。
■論点1:ベネフィットの見積もり不足
その「はっきりしなくなる」の根っこのひとつには、ご指摘の通りベネフィットの扱いがあるのだろう、と思います。まこ氏(きくちさん)の最初の指摘を読んだときには「痛いところを突かれた」感じを覚えました。ダメダメでしたね。ごめんなさい。
でも、嗜好品の「よろこび」というようなベネフィットをどう加算するのかは、やっぱり難しいです。
■論点2:受益者と被害者の不均衡
一方で、昨日のエントリでは、ぼくがどこに不均衡を感じたのかは伝わらなかったな、という思いもあります。これは書き方が悪かったのだろうと思います。「受益者と被害者の不均衡」は構図の問題で、「受益と危険の不均衡」とは違いますよね。すいませんでした。
この辺が「質の問題」ではないかという話です。
■論点3:業界内の不均衡(あるいは対策の不均衡)
それからもうひとつ、後出しじゃんけんみたいになってしまいますが、まこ氏とlets_skepticさんの表示に関するご指摘を読んで強調したくなった「別の不均衡」があります。マンナンライフと後発他社にまつわる2つの不均衡。
昨日の時点では、「3. 関係者の対応は? 改善策は?」に
後発メーカーが安易に似たような製品を作り、配慮に欠けたものを売ってしまう事態も起きているようです(これはシュレッダー事故の際にも指摘されていました)。業界団体が努力しても、その辺はなかなか難しいでしょう。と書くに留めています。ややこしくなるので、踏み込むのは無意識に避けたのかも。ぼくにとっては、どう扱ったらいいのか、すごく悩ましい不均衡です。
で、この辺に至って、やっと「町なかのレース場」という「たとえ話」を思いついたので、それを先ほどエントリとして上げました。
■除外する論点1:政府の介入
ややこしくなるので「意識的に避けた」というものに、野田大臣の介入の件があります。これは理由がはっきりしていて、危険性の評価とは関係ないと考えたから。マンナンライフの判断や、mixi日記だのネット上の意見だのにはいろいろな影響を与えているかもしれないけれども、それは危険性評価に影響を与えたわけではないですよね?
■除外する論点2:「消費者は危険評価なんかしてない」という話
これは改めて書かなくてもいいのかもしれないんだけど、「みんな、そんな危険評価をしていないよ」というご意見はもっともで、だから「危険性評価って、もっとちゃんとやらんといかんのでないか」という話を前からしているわけで。これまでのお題は、主に「メディアは」なんですけどね。でも、消費者だって、そういう考え方に慣れてないと、いろんなところで損な選択をしますよね。この点は「このブログは、そういう考え方で書いています」というわけで、今は敢えて踏み込みません。
以下つらつらと詳細を。
■論点1:ベネフィットの見積もり不足
確かに「好き」をかなり低く見積もってしまいました。というよりも、そもそも
これは意図的に落としたのではありませんけれども、検討不足、不当なバランス感覚と言えそうです。文芸作品がえらくて、エンターテイメントがダメみたいな。娯楽作品にしろ、おいしいものにしろ、実際には多くの人に満足感を与えているのだと考えれば、社会的貢献ですよね。どれぐらいの重みに見るかはともかく、それなりのポイントになる道理です。
で、「どれぐらいの重みに見るか」なんですが、やっぱり社会的貢献のなかでは低く見てしまいます。これはバイアスなんでしょうね。
形状や硬さをどれぐらいまで落とすと、そのベネフィットは失われるんでしょうねえ。また、ポーション型じゃないと維持されないのかなあ。その点、愛好者の方、どうなんでしょう。
また、仮にベネフィットを加算してボーダーじゃなく、リスクやハザードよりもベネフィットがまさるとしても、それによって次の論点「不均衡」に目をつぶれるほど、大きくベネフィットが勝るとまでは思えない。これ、ぼくのバイアスの可能性が高いので、後でそこにも触れてみます。
■論点2:受益者と被害者の不均衡
でも、ぼくにとっての眼目というか最大の悩ましい点は、ある種の「巻き込まれ型の事故ではないか」ということです。「好きで食べるわけではなさそうな人ばかりが被害者」というところです。「受益者は危険じゃなくて、受益者ではない人ばかりが危険にさらされる」という構造上の不均衡。ベネフィットが多少増えても、この構造には影響を与えないんですよね。
フグみたいに受益者「だけ」が一定の割合で死ぬんだったら、別に構わない。まこ氏が「タバコとは危険性が違う」と指摘していますが、自分が副流煙をまき散らす喫煙者であるという事実には、なかなか目をつぶれない。特に「受益者ではない者が巻き込まれる」という点では、完全に同じだと思ってしまう。
これは害や利益の大きい小さいでは語りにくい「質」の問題を含むのではないでしょうか。この点については、自分のバイアスの可能性もあるので、「論点2.5」としてさらに分けてみます。
■論点2.5:個人的な「好き」で【第三者を】うっかり【殺す】ことの後ろめたさ
どうしても構図の不均衡と、ベネフィットやハザードを併せて考えてしまうという話。
TAKESANさんのいうダガーナイフの件とは「好き」という点では似ているかもしれない。でも、ダガーナイフの件って、間違って買った人が巻き込まれるとか巻き込むって問題ではないですよね。そもそもナイフなのだから、購入者も与える人も、一定の危険は承知しますよね。
「好き」とかの個人の快楽なんかを低く見積もると、たとえばボクの大好きな音楽や小説なんかも同類項ってことにもなる。だけど、それで直接的に人が死んだりはしない。大音量で演奏して難聴とか騒音公害ってことはあるかもしれないけど。
メディアの悪影響で殺人とかって理屈に似てるようにも見えるかもしれない。でも、そういう踏み外し方はしていないつもり。あの手の議論は、あるかないかわからない悪影響を「あるかもしれない」と仕立てるのが基本だけど、こんにゃくゼリーの場合、あるのかないのかわからない間接的な関係ではないから。
あのお菓子は、困ったことにまさにそれが直接的な原因で、一定の程度は死んだり後遺症を得たりするわけですよね。
ぼく自身は愛好者ではないんだけど(そもそもお菓子全般に思い入れがほとんどない、というバイアスがあります)、家族はみんな愛好者なんです。そういう面から平たく言うと、「ニョーボコドモの快楽のために、誰かが巻き込まれるように死んでもいいのか」という悩みなんです。ニョーボコドモの嗜好や、ボクがそれを黙認することは、間接的に加害者になることになるんじゃないか。
ぼく自身の出す副流煙とともに、そういう、ある種の後ろめたさがあるんだろうと思います。これでは、ちゃんとバランスの取れた危険評価はできないのかもしれない(いやまあ、そうでなくてもしろうと判断なんだけど)。
■論点3:業界内の不均衡(あるいは対策の不均衡)
新たな証言みたいで、議論としてはズルいかもしれませんが、考察のためということで勘弁してください。扱いあぐねているので、意見をあおぎたいという面もあります。
まず、「マンナンライフの製品は改善を進めているが、後発他社は配慮不足が多いようだ」という調査があります。それから、そのためか「事故は他社製品の方が比率としては高い」ということがわかる報道もあります。蒟蒻畑での事故は圧倒的なシェアを考え合わせると、実はかなり少数例と言えそうなんです。
そのため、事態としては「マンナンライフや業界団体がガンバっても、後発他社が台無しにする不均衡」と「それにも関わらずマンナンライフが製造中止にするという不均衡」という2つの不均衡が生じています。
まず先に挙げた調査。
事故が注目されていた95〜97年よりも、2007年には硬く弾力性がある製品や、危険表示がない製品が増えていた、という国民生活センターの調査があります(つまり業界の施策やセンターの広報にも関わらず、危険度が高い製品が増えていた)。
http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20070705_1.html
この調査で出てくる「ソフトタイプ」というポーション型の新タイプは、従来製品よりも柔らかい製品だからか、危険表示もなかったようです。それで、安心だと思って購入したんだけど、やっぱり喉に詰まらせて窒息死ってのが出てしまった。しかも、大きさの問題ではないらしく、スプーンですくって与えても事故が起きている。いかにも「あちゃー」って話です。
次に挙げた報道の件。
昨日の引用記事に、こういうくだりがあります。
国民生活センターの統計では、こんにゃくゼリーによる窒息死17件中3件がマ社の商品で起きている。全日本菓子協会によると、こんにゃくゼリーの売り上げは07年度約100億円で、うち約3分の2がマ社。マ社の売り上げの約9割は「蒟蒻畑」が占める。シェアの3分の2がマンナンライフで、その9割相当が「蒟蒻畑」。つまり、市場の半分強が同社のポーション型製品。しかし、起きている事故(少なすぎて比率を出すのは無茶ですが)では17分の3=6分の1ぐらいでしかない。
こんにゃくゼリー:マンナンライフが製造中止 - 毎日jp(毎日新聞)
同社の製品は、かなり飛び抜けて安全。だけど、同時に「そこまでやっても死者が出ている」ということでもある。2007年には小学生2人が学童保育で死んでいたんじゃなかったかな。一方で、マンナンライフだけが製造中止してもダメじゃんという意見もあり得る。
いずれもだからどう、という意見まではまとまらないのですが、無視しない方がよい事実なのかもしれないという思いがあります。
■もう一度、ポーション型の危険の「低さ」についても考えてみる
小さい小さいと言ってはいても、まだリスクとハザードを見積もりそこねているのかもしれないとも疑っています。
確かにこんにゃくゼリーの事故は滅多にないことではあります。だけど、食べる頻度や量から言ったら、けっこうな確率なのかもしれない。たとえば子どもや年寄りが1000例食べて1例の事故なのか、10万例食べて1例の事故なのか、その辺はよくわからない。それでも、子どもやお年寄りが食べること自体かなり減っていて、それにも関わらず事故が起きるということではないかと疑っています(つまり、子どもや年寄りに限定すると100例に1例とかいう頻度だったりしないか、という疑い)。
アルコール系のお菓子や飲料を間違って摂取した場合の被害では死なないだろうけど、困ったことにあのお菓子の場合、起きるのは窒息なので死んだり後遺症が残ったりが中心ってこともあります。
「滅多に起きないって、実のところどれぐらいなのか」とか、「滅多に起きないが、起きれば死ぬ」という危険って、評価しづらいです。
■マンナンライフの判断をどう考えるか?
ポーション型に限定して死者が出ているようなので、これ、どんな食品にもあること、たとえば「うどんでも、年寄りがむせて、喉に詰まらせて死者が出ているに違いない」とかいうこととは違いますよね?
うどんでいえば「こんにゃくを材料に使った極太うどんは、幼児や年寄りがのどに詰まらせやすい」とか、そういう内容ではないでしょうか? それでうどん全部をやめようってのは無茶だけど、「こんにゃく極太うどん」はやめるというのは、「こんにゃく極太うどん」の固定ファンがたくさんいたとしても、メーカーとして正しいんじゃないでしょうか?
ポーション型こんにゃくゼリーの場合、少なくともマンナンライフに「大きな」落ち度はない。マンナンライフがやめ「なければならなかった」のか、というとすごく微妙。ただ、最大手がポーション型をやめたことで規制は見送られ、後発各社が追随してくれるかもしれない。
もっとも、「やったあ」と後発他社が参入しちゃうのかもしれない。でもまあ、そこまではマンナンライフには責任とれないし、とれというのもおかしいから、これは別の話ですよね。
■新たに気づいた「悩ましい点」
今回、改めて考えようとして困った点が2つありました。
「じゃあベネフィットに加点します」と言っても、数字で勘定できているわけではないので、危険とのバランスシートがどう動いたのかが「内心の問題」になっちゃって、自分でもはっきりとは見つもれない点。
もうひとつは、どうしても個人が受けるベネフィットだと「感じてしまう」。いったん「これは社会への貢献」と考えても、気づくと「個人の嗜好が」と考えてしまっている。すごい「社会性優先」のバイアスがぼくの内心にある。困った。
おそらくは、こんにゃくゼリーの危険と利益が決定的な差じゃない、ものすごく低いレベルでの微差でしかないという「思い込み」も抜き難くあるんだろうな、とも思います。やっぱり数値化できないといかんのか、そもそも測れないものを比較しているのか、リスク評価ってそういう部分があるのかもしれない、などとも思うのでした。
ついでに自己分析すると、昨日も今日も、自分でもどうも釈然としない感があります。「はっきりと、どう見てもベネフィットの方が低い」とまでは、ぼくにも思えていないんですよ。だから「やめるべきだ」とも言えない。「作らなくてもいいんじゃない?」「気にしなくてもいいとまでは思えない」ぐらい。だから「マンナンライフから下がってくれてほっとした」なんだと思います。
> ■論点2:受益者と被害者の不均衡
において、被害者が受益者でないという前提を置かれているようなのですが、端的に言って間違いではないでしょうか?
食べたくないものを食べさせている状態での事故であれば、確かに受益者≠被害者ですが、こうなるともう過失致死っぽいイメージになってしまいます。
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あと、たぶんマンナンライフ擁護的な意見を持つ人(私も含めた)が注意しなければならないのは、マンナンライフの販売中止は強制/規制/禁止の結果ではないということですよね。
こういうデータがあるんです。
参考:こんにゃく入りゼリーによる死亡事故一覧
http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20080930_1.html
まず、全例ではない。消費者センターの把握している分だけです。また、老人の場合は、確かにわからないというか、「受益者ではない」というのは間違っているか、言い過ぎの可能性があります。
でも、17件中9例にあたる幼児や子どもは「与えられたから食べた」わけですよね。「嫌いだったのを無理に」どころか、好きだった可能性ももちろんあります。しかし、だからといってこれを自己責任が生じる受益者とは、ぼくには考えにくいんです。
特に幼児のなかには、注意表示がなかったために「安全なタイプの製品」と考えた親が、スプーンですくって与えたことがわかっているものもあります。
過敏なのかなあ。
僕の感覚では、幼児に与える食べ物については、かなり気を遣います。基本的には発達段階に応じて、何なら与えてよいかを考えるわけです。二歳にならない子供に凍らせた「こんにゃく入りゼリー」を与えるというのは、僕には理解しがたいのですね。
こんにゃくだから、ただのゼリーよりも体にいいとでも考えたのだろうか。
学童保育でも、スプーンであげた親でも、祖母でも、単に「ほかの『こんにゃくなしゼリー』と区別ができていなかったのか」「なにかこんにゃくゼリーならではの利点があって、安全な製品ならこんにゃくゼリーの方がよいと考えていた」のか、そういうところですよね?
mixi日記やWebでの言及を見ていると、こんにゃくゼリーはダイエット支援食品だという認識は広く見られます(ダイエット効果があると考えているものも合わせて、ダイエットの邪魔をしないみたいな受け止め方)。
製品紹介には、食物繊維が豊富でお通じにいいというようなものも。確かに同種のこんにゃく入りではない製品よりは低カロリーで、通じにもいいのでしょう。
だから、子どもにも肥満対策としてわざわざ選んだ、という可能性はありますね。
仮にそうだとすると、また話がややこしい……か?
こんにゃくゼリーで無くてもダイエットできますよ、<こんにゃくゼリー>(低炭水化物ダイエット 管理人の独り言)
http://miracle20z.blog97.fc2.com/blog-entry-103.html
うーん、実際はどうなんだろう……。
私も3歳に満たない子持ちですが、子供がどのように食べるかなどは常に観察していますし、そういった観察の結果として何を食べさせていいかなんて事を考えます(他にもアレルギーに関する情報とか色々と考えますけど)。
たとえ、何の注意書きがなくても、大丈夫かは意識しています。話は違う方向を向きますが、公園の遊具の取捨選択と同じようなものです。
もちろん親だからといって完璧なわけではないですが、親の注意義務ってのは無視できないと思います。で、他の製品はさておき、「蒟蒻畑」は目立つところに注意書きがありますし、注意義務の範疇にあると考えています。
今回の問題の発端となった事例で言えば、凍らせるとより危険になるというのは、常識の範囲とは言えないと思いますが、あの大きさの固体をそのまま口に入れるというのはちょっと想像を超えます。コンニャクゼリーじゃなくても、そんなことはしないです。
> こんにゃくゼリーで無くてもダイエットできますよ、<こんにゃくゼリー>(低炭水化物ダイエット 管理人の独り言)
ここは、アトキンソン・ダイエットというニセ科学のページですからあまり参考にされないように。蒟蒻畑のカロリーは1個25kcal、蒟蒻畑ライトは8kcalです。コンニャクというイメージよりはカロリーがあります。多いか少ないかは人によると思われます。
低カロリーを売りにしてるこんにゃくゼリーは当然低カロリーですが
(ポーションじゃないけど0カロリー表示のものもありますね)、
普通のこんにゃくゼリーは甘味料の分のエネルギーがありますので(食べるとベタベタするほど甘い)。
また、寒天でゼリーを作ったとしても味付けに糖分をブチ込めばカロリーが高くなります。
本気で減量しようと考えている人は栄養成分表示をしっかり見るので知らないはずがないことです。
一番やっかいなのは何も考えずイメージだけで動く人かも。
「こんにゃくなら低カロリーで身体にイイ!」と栄養成分表示も見ず、
当然注意喚起の表示も見ずにそのまま子供や老人に与えてしまうとか。
今日ダイエーに行ったら(注意喚起の貼紙はありますが)普通に置いてありました。
メーカーも小売りも販売をやめる気なんてさらさらないんですよ。
ただ今後も売り続けるために準備が必要だから一時停止してるだけ。
こうやってみんなで騒いでるのは再開時のための宣伝をしてやってるようなものですね。
今回の事件の場合は1才児に「凍らせたあの大きさの固体を与える」ことの方が想像を超えているような気もします。
そもそもどうやって食べろと?
幼児に与えてだいじょうぶかという適性の判断は、ほとんどのケースでそれなりに(十分ではなかったにしろ)されているとぼくはとらえています。例外はあるかもしれませんが、最近の親御さんはその辺、神経質なくらいなので。
きくちくんの指摘は、「安全評価」だけじゃなくて、わざわざ「こんにゃく入り」を選びたくなるのだろうか、そうだとすれば、それはなぜだろうかというところなのだと受け止めたのですが……。
ち、違ったかな(汗
>ゴホンといえばリボ核酸さん
>こうやってみんなで騒いでるのは再開時のための宣伝をしてやってるようなものですね。
そりゃまたシニカルな。まあ、そういう効果はあるかもしれません。
# 過去にテストを行ったときより非常にかたく弾力性の強い商品群がみられた
# 普通のゼリーと比べて一目で違うと分かる形状のものはほとんどなかった
# 事故報告のあったこんにゃく入りゼリーの最大径や体積はばらついていた
# 子どもや高齢者に与えないように注意する表示は6割以上の銘柄では見られなかった
# 子どもや高齢者に与える場合、小さく切って与えるよう注意を促す表示は7割以上に見られた
http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20070705_1.html
で、事故の状況を消費者センターがいくつか上げていますので、比較的最近のものを抜粋します。小さく切ってもダメだったという例をはじめ、そんなに多くのケースが無神経に与えているわけではなさそうだと思うんですよね……。
・父親が祖母にこんにゃく入りゼリーをスプーンで小さく切って与えていたところ、喉に詰まらせた。(2002年)
・夫がペースメーカーの手術をした後、自宅で療養中、食欲がなかったため、自宅にあったこんにゃく入りゼリーをスプーンで4分の1ずつすくって食べさせた。(2006年)
・母親が台所で夕食の支度をしている際、別の部屋でこんにゃく入りゼリーを兄と取り合って食べていたところ、喉に詰まらせた。(2006年)
・2007年3月23日、学童保育でおやつとして支給されたこんにゃく入りゼリーを食べたところ、喉に詰まらせ、救急車で搬送されたが亡くなった。(7歳男児 東海地方)
・2007年4月29日、祖父母宅でこんにゃく入りゼリーを食べたところ、喉に詰まらせ、救急車で搬送されたが、5月5日亡くなった。(7歳男児 甲信越地方)
幼児のケースとお年寄りのケース、学童のケースを一緒に考えちゃいけないのかもしれませんが……。
古いところでは、これが気になっています。
・1歳10ヶ月の幼児が母親にスプーンで食べさせてもらっていて喉に詰まらせ、入院した。母親はこんにゃく入りゼリーの事故情報を知っていたが、「ソフトタイプ」の表示があるうえ、他商品にあるような注意表示もなかったため、乳幼児に食べさせても大丈夫と判断していた。(ただしこれは古い。1997年の事例)
・【事例2】(亀注:2007年、学童保育での7歳の事例)では、製品の注意書きに「もし喉に詰まったときは背中を叩いて取り出して下さい」と記載されていたが、事故が発生したときに相談者が当該処置を施しても全く取り出すことができず、駆けつけた救急隊員が医療用の器具を用いて取り出したという状況だった。
この手の、取り出そうとしたがうまくいかなかった(場合によっては死亡)、という話も消費者センターの情報にはいくつか見られます。
消費者センターの、事例が出ている記事(年代順)。
95年 http://www.kokusen.go.jp/soudan_now/data/n-19951016.html
95年 http://www.kokusen.go.jp/soudan_now/data/n-19951101.html
96年 http://www.kokusen.go.jp/news/data/a_W_NEWS_011.php3
95〜96年 http://www.kokusen.go.jp/soudan_now/data/n-19960814.html
97年 http://www.kokusen.go.jp/news/data/a_W_NEWS_063.html
06年(ちょっと無茶に見える事例ですが) http://www.kokusen.go.jp/soudan_now/konnyaku.html
07年 http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20070523_1.html
07年(02年、06年の事例が寄せられた追記部分)http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20070615_1.html
08年 http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20080930_1.html
そうなんですけどねえ。細かくはどういう状況だったんでしょうねえ。あげちゃったおばあちゃん……悔やんでるだろうなあ……。
小さい店舗だったせいかもしれませんが、
「あ、蒟蒻畑がある」と気づいてから食料品売り場を一周しても、他の製品を見付けられないんですよ。
普通のカップ入りのミニゼリーというのがそもそも売られていない。
さすがにこれは特殊な例なのでしょうが、
「こんにゃく入り以外を買える状況だったか?」ということを考える必要があるかもしれません。
「おやつは小型のゼリーじゃなきゃ駄目だったの?」
「ゼラチンで作ったゼリーなら凍らせても安全だったの?」
ということも考えなければいけませんが。
孫を死なせてしまったおばあさんは悔やんでも悔やみきれないでしょうね。
しかし事故で身内を死なせてしまうという例はわりとあるので心のケアに関してはなんとかなると思いたいです。
私は多分、lets_skepticさんと同じように、きくちさんのコメントを読みました。
えっと、凍らせたこんにゃくゼリーを与えた、というケースですが。
何故「凍らせた」物を与えたのか、というのを考えると、それを凍らせた物は「シャーベット」になって、口に入れたらすぐ融けて消えるというイメージを持っていたのではないか、というのも考えました。そういうエラーは起こりそうな気がします。
この件について書かれているものを見ると、「祖母が」、「1才9ヶ月の男児に」、「凍ったこんにゃくゼリーを」、「与えた」という情報しか見当たらなくて、細かい状況についてどこかに説明がないのかなあ、と。養育方法については熟練のはずの祖母が、そんなに不用意な事(凍らせた物をそのまま食べさせた)をしたのだろうか、と思ってしまいます。
ブログとかでの反応を見ると、祖母に対する非難もかなり見られるんですね。私は、それを見る事で、なんか悲しくなるんですよ。祖母に不注意があったのは確かだとしても、そこまで罵倒されるのか、って。甘いのかな…。
私自身、製造中止は行き過ぎの感がある、と考えてはいるのですが(企業はやる事をやっている、と思います)、かといって、割り切れているかというと、そうでも無いのでありました。
ところで、ググっていたら、こんなのを見つけました⇒http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/takenaka/200810/508016.html
私は会員では無いので読めていないのですが、読める方にとっては参考資料になるのではと思いましたので、ご紹介します。
> でも、17件中9例にあたる幼児や子どもは「与えられたから食べた」わけですよね。「嫌いだったのを無理に」どころか、好きだった可能性ももちろんあります。しかし、だからといってこれを自己責任が生じる受益者とは、ぼくには考えにくいんです。
という観点からすると、食べ物を詰まらせて亡くなった幼児/子供全体の中で、こんにゃくゼリーという原因はどういう位置付けになるのかということも考える必要があるのかなと思います。
http://www.fsc.go.jp/sonota/yobou_syoku_jiko2005.pdf
の最後のページによると、毎年30人から60人くらいの0-4歳の子供が「気道閉塞を生じた食物の誤えん」によって亡くなっています。どういう食品がどういう割合を占めているのかが分からないと何とも言えない部分はありますが、数値の単純な比較で言えば、こんにゃくゼリーは食品として特別危険な訳でも安全な訳でもない、くらいの位置付けができそうです。
となると、「好き」というベネフィットをどのくらいに見積もるのか、ということが最大の焦点ということになるんじゃないでしょうか。
>事故で身内を死なせてしまうという例はわりとあるので心のケアに関してはなんとかなると思いたいです。
ほんとうに。でも、あんまり期待できないような気もしています。これが、親があげちゃったんならねえ、まだしも(というのも残酷ですが)。
>私は多分、lets_skepticさんと同じように、きくちさんのコメントを読みました。
やや。2対1。とすると、ぼくのバイアスが最終行にばかり焦点を当てさせたか。ううむ、読み返すと、そうなのかも。
しかし、事例を見ても、そもそも「気にしてないわけではない」のだとは思うのですよ。
>そんなに不用意な事(凍らせた物をそのまま食べさせた)をしたのだろうか
ぼくはそういうような文脈できくちくんのコメントを読みました。
しかしまあ、きくちくんがもしも「保護者の注意義務違反」を言っているのならば、そこには「そうとも言いきれないのでは」と反論できないかジタバタしているところ、ということです。
>祖母に不注意があったのは確かだとしても、そこまで罵倒されるのか、って。
親が祖母と情報共有していなかったのか、そうだったら親がダメじゃんという指摘も見たことがあります。ニセ科学関連の考察を重ねて来て、ぼくの場合、「信頼度評価やリスク評価を、なにもしない」なんてことはないだろう、その人が可能な範囲のリスク評価はしているだろうと考えるようになっているんです。これが間違いなのかもしれません。
> 先ほど、今回のこんにゃくゼリーの死亡事故を話題に、弁護士たちが「少数でもこのような事故が生じているのなら、将来の被害者を一人でも防ぐために製造禁止にすべきだ」と議論しているのを耳にして、私は製造禁止にまですることは「ちょっとやりすぎではないか」とも感じました。
(略)
> しかし、国民生活センターの広報で、欧米の対応やこんにゃくゼリーの特性解説を読むと、それもしょうがないことかと第一印象と相反する考え方にも傾いています。
その後、高齢の入院患者に刺身を与えて事故を起こしそうになった例を挙げ、嚥下事故を防ぐためにはミキサーで砕いてから与えるべきだと指摘すると、患者自身が刺身好きで形のままを望んでいた(明示的にではありません)ことを紹介して、次のように締めくくります。
> このようなリスク(危険性)とベネフィット(便益)、その比較衡量の問題や議論は、こんにゃくゼリーやお茶ゼリー、病院のおかずと誤嚥、窒息というレベルだけでなく、大きくいえば医療的介入、あるいは不介入のリスク・ベネフィット問題に広がり得ます。
>
> それは簡単に結論の出せる問題ではありませんが、それでも適切な尺度、考え方が欲しいものだと思いながらニュース周辺のお話をしてみました。
> 今回の事件の場合は1才児に「凍らせたあの大きさの固体を与える」ことの方が想像を超えているような気もします。
私の表現が明らかにおかしかったですね。私もそういった趣旨でした。
コメントありがとうございます。
>食べ物を詰まらせて亡くなった幼児/子供全体の中で、こんにゃくゼリーという原因はどういう位置付けになるのか
おそらくこの5月に出た厚労省の調査が食品による窒息事故の全容をつかもうとした、全国初の調査です(例の「カップ入りゼリー」と書かれていて、「こんにゃく入り」なのかどうかわからないデータです)。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/chissoku/index.html
この調査では、事例(把握された事故。死亡だけではありません)の総数は約1300件、原因食品が判明している事故はそのうち約800件。人口動態調査では、1年間の食品による窒息事故死は4000件あまりなので、3分の1に当たることになります。
しかし、年齢層×食品別のデータはありませんでした。全年齢層においての食品別事故数や、一部食品の年齢層別の事故数などは出ているのですが、年齢層別でかつ食品別の事故数は出ていないんです。生データからは分析可能なのかもしれませんけれど、年齢がわかっていないケースもあるようです。
全年齢層では、菓子類について見ると消防本部(総事故数の年齢分布「65歳以上が76.0%、10歳未満が12.0%」)では、菓子類の事故が「あめ22例、団子8例、ゼリー4例、カップ入りゼリー8例」、カップ入りゼリーの年齢層別事故数は「1〜4歳2例、65〜79歳2例、80歳以上3例」、救急救命センター(「65歳以上が82.4%、10歳未満が4.3%」)では「団子15例、あめ6例、カップ入りゼリー3例」「5〜9歳1例、65〜79歳2例」です(いずれも2006年の丸1年間)。
全体に、高齢では基礎疾患がある場合が事故を起こしやすいようです。
この調査では、「もち」とカップ入りゼリーについてはさまざまな検討がされていて、食べる状況による危険性の違いなども指摘しています。カップ入りゼリーは、冷やして食べると硬さや付着性など、さまざまな点で危険が増す、もちは口に入れて体温程度まで冷めると付着性が増すが、高齢者用製品は口腔内でも付着性を増さない、などといったことです。
現物を見ていただくと、もうちょっと違う目の点けどころがあるかもしれません。しかし、「カップ入りゼリー」に特別な傾向があるというようなことは推測されている通り、ないのではないかとぼくも思います(団子やあめの方が、よく口にするだろう、なんてことは見当もつきませんしね……)。
>こんにゃくゼリーは食品として特別危険な訳でも安全な訳でもない
>「好き」というベネフィットをどのくらいに見積もるのか、ということが最大の焦点
およそ同意できます(まだ不均衡にこだわっているので(^^;;)。たいした危険性はないんです。ですから、EUや北米、韓国などのようにゼリーへのこんにゃく使用を禁止したり、法的に規制したりするまでのことはないと考えています。誤認や形状が原因で事故が起きるなら、業界の改善努力でなんとかすればいいはず。
ちなみに、食品ではないタバコだってボタンだって幼児の誤飲事故はあるんですよね(窒息するかどうかはともかく)。うっかり幼児の手が届くところに置いたまま席を離れてしまったり、床に落ちていて食べちゃうなんていう……。そういうことを考えると、ほんとに「万物で事故は起きる」んですよね。それはわかってるつもりなんです。
ぬおおお。じたばた。
これは嫌悪感に理屈をつけようとしただけだったのだろうか(それじゃゲーム脳じゃん)。
ポーション型こんにゃく入りゼリーは、特別危険な食べ物というわけではない。しかし、なぜか不均衡があるような気がしてひどく気になる。やめるべきだとまでは思わないが、やめてくれてほっとした。
これはやっぱりぼくのバイアスや偏見が原因なんでしょうね。当初から気づいていた「ダイエット趣味の連中の浅い満足感(この辺が偏見)のために、子どもが死ぬことがあるような製品があるのか、【イヤだなあ】」という以上の理由がないような気がしてきました。
いや、まだすっきりしてはいないし、「別になくなってもいいじゃん」なのですが、これは危険評価ではないんだろうな、やっぱり。単なる製品への愛着のなさと、想起される購買層や販売層への嫌悪感なんだろうと思いますわ。イヤな連中の「好き」をベネフィットに数えたくなんかないという無意識のブレーキがかかるんだろう、とも思います。
その証拠に、ぼくにとっては眼目の「受益者と被害者の不均衡」について、着眼点についての評価(悪評でもなんでも)さえされず、スルーされる。よほど変なんでしょうね(爆)
いやあ、危険評価以上に、バイアスから逃げるのは難しいと痛感しました。自分の嫌悪感は正しい、と理屈づけたいんですねえ……。
さて、そうとわかったら、落とし前のエントリを書くしかないか。
いや、みなさま長々とややこしい話にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
ただ、別にコメント欄をこれで閉じたりはしませんので、さらなるご意見もどうぞお気軽に。
しかし、
>ポーション型こんにゃく入りゼリーは、特別危険な食べ物というわけではない。
というのには、納得できません。
子供が食べると窒息死するお菓子というのは、十分危険なものだと思います。
>ゴンザレスさん
いや、そこで見るべきは、「特別危険な」、という部分で、そこに、リスクの評価が関わってくるのだと思います。つまり、確率的にどの程度危険か、というのが論点になる訳ですね。それがリスクとベネフィットを考える、という視点ですよね。
「パッケージの表示変更」くらいしないとさらにインネンをつけられますし、
だったら新しいパッケージができるまでラインを動かすことは無意味ですから。
個人的には、世の中がマンナンライフに思いっきり釣られてないか?という気がしています。
わざわざ社長さんが思わせぶりな発言をしてみたりしてますし。
特にダイエットに役立つわけでも、
身体に良いわけでもないこんにゃくゼリーという商品を、
「こんにゃくのなんとなくヘルシーなイメージ」
で定着させてきた企業だけに情報戦略が上手だなあと思いました。
さすがに「自民党がこんにゃくゼリー規制法を検討」みたいな話はどうかと思いますが、
それが通ったらメーカーはそれに従えば大手を振って商売できるのでかえって楽かもしれませんね。
ブログ拝見しました。元製造業の方なのですね。反応が遅くてすいません。いま、新しいエントリを準備中ですので、お返事はそちらで。基本はTAKESANさんのおっしゃるとおりでうが、具体的なことも書こうとしています。
いまは、ご挨拶だけでご容赦ください。