園長先生の見識と読み聞かせ(ほたるいかの書きつけ 2008-10-18)
松江暁の星幼稚園の、前・園長先生のコラムが「なかなか深い」と紹介しつつ……
「第23回 -社会性(かかわりと関係)から学ぶ- 」では、「水伝」を紹介しつつ、科学的でないとか思考停止だなどと指摘されていると述べたうえで、FSMさんに賛同。園長先生GJ!「心に描いただけで、思っただけで、変えることができる」という発想法は、社会性の欠如を生み出してゆきます。とおっしゃられている。この短い文章の中で、水伝問題の核心が端的に述べられていて、ちょっと唸ってしまった。
私たちは、対話やかかわりの中で、ある時は自己を主張しながら、ある時は自分を抑えながら、苦労しながらかかわりの中で学んでいくのです。
このコラムは直前の百猿に触れたコラムを受けたものでもある。慧眼。
同じ意見だからほめているってわけではない。ぼくも似たようなことは考えたことがあった(Basic Tracksの「水伝」を受け入れるということとか「百匹目の猿」に可能性を見る人々とかでも触れている)けど、もっとボヤケた認識しかなかった。とても「社会性の欠如を生む」というような簡潔な表現までは、たどりつけなかった。だから、すばらしいなあ、と思ってしまう。脱帽。
この園長先生、神父さんでもあるとのこと。それもまた、味わい深い。
あえて園長先生のコラムへ直リンクは貼りません。ぜひ、ほたるいかを経由して、全文ならびに園長先生のほかのお話もどうぞ。
追記:
園長先生、たぶん、この方ですね。>宗教学者で司祭さまで教授。ううむ、深い。
言及&トラバありがとうございます。
自分のエントリにちょっと追記したんですが(書き忘れていたことに朝起きてから気づいた^^;;)、経歴から考えるに、この方にとって「祈る」ということはとても大切だと思うんですよね。そういう立場の方の発言だと思うと、いっそう深みを感じます。