この件にしろ、ほかの件にしろ、学校がからむとどうしても気になってしまう。で、修羅場中なのだけど、ふとmixiの関係コミュを検索してみた。ありますねー、数千人規模のがいくつも。
で、ふと目に留まったトピックを読んでいて気づいたのだけど、養護教諭ってとっても孤独なのですね。職場に同じ職種の人がいないのがふつうなんですもの。他校との交流も、ほとんどないだろうし。
で、自傷行為が多いのは、一に看護士、二に教員、なかでも養護教諭が多い、なんてことを夜回り先生が講演で言っとった、なんて話も引かれていました。医者が必要なのは、彼ら自身だったりするのかもしれないわけです。
近隣の学校を見ていると、それでなくても教員というのは孤立しています。教員同士で力を合わせて事に当たるというのが、あんまり多くない。他校の教員との交流も、ほとんどない。まあ、いろいろな事情が重なってそういうことになっているのでしょうけど。
ふつうの会社員は、「ほぼ同じ立場の同僚」がいて先輩社員がいて、あれこれ相談したり指導されたりしながら働くのが当然なのに比べて、「ひとりでやってる感」がとても強い。ほかの学年やほかの教科は、会社で言えば「他の部署」みたいなものなのでしょう。ってことは、多くの学校では1人か2人でひとつの部署って感じになります。1学年に3クラスとかある小学校(いまどきでは大きい方です)でも、3人でひとつの部署って感じ。
それでもふつうの教員は職員室があって、そこにいるのはまぎれもなく同僚や先輩や。だけど養護教諭は一日じゅう保健室。おとなは養護教諭ひとりだけ。
内服薬も出せない。児童生徒が頭が痛い、熱がある、お腹が痛いと言っても、鎮痛剤だの風邪薬だの正露丸だのも出せない。聞くところによると、虫さされの薬をつけたら保護者に「勝手なことをするな」と言われたケースもあるとか(ソースは一般の教員)。
保健指導としては、子どもたちの心の健康のことまで踏み込まねばならず、カウンセリングルームを兼ねているところや、保健室登校なんてものもある。
これは……追いつめられるよなあ……。代替医療に手を出すのって、なんかわかってしまう。「孤独な職場なんて、いくらでもある」とか「それでも、みんながトンデモに行くわけじゃない」とか「担任をもつよりも楽」とか言ったって始まらない。構図としては、そっちに行く人がいても、ぜんぜん不思議じゃないって話。
単に「プロとして代替医療なんかを学校に持ち込むのはどうなの」なんて言ったって、さらに追いつめるだけかもしれない。
やっぱり、日本養護教諭教育学会とか全国養護教諭連絡協議会とかに、根っこの部分から取り組んでもらう必要があるのじゃないかしら、などと思ってしまうのでありました。
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養護教諭の実情については詳しくないですけれど、期せずしてウチのほうでも同じような話を書いてしまいました。
もうちょっと範囲の広い漠然とした話なんですけれど、教育に携わる職種の方って、この時代性においては、要求項目が苛酷化するのに比例するかのように、職域外の誰からも助力を得られず、とても孤立無援なんではないか、そういうふうに思います。
ドキッとする題名に目がとまりました。
私は元会社員から養護教諭になった者です。
学校現場は会社とは全然違う世界で、
最初は戸惑いばかりでした。
おっしゃるとおり、養護教諭は1人で対応していくわけですから大変な仕事です。
私も最初は誰に助けを求めたらいいのか分からず
孤独でつらい日々が過ぎていきました。
でも、あるときから変わりました。
それは、養護教諭サークルとの出会いです。
そこには自分と同じような思いを抱えながら
毎日子どもたちと向き合っている先生方がいました。
サークルでは、それぞれの学校の様子や保健指導の実践報告をしています。
現場で役立つ教材を作りをしたり
校種別の意見交流では学ぶことがたくさん。
時には自分の悩みを打ち明けることも。
そのときは、みんなが優しく受け容れて
気持ちに寄り添い、支えてくれる。
私にとって養護教諭サークルは、
「私の保健室」であり、心のオアシスなんです。
変わりゆく時代の中で、
教育現場は益々厳しい状況に置かれています。
しんどいことはなくなりません。
でも、今の私は孤独ではありません。
仕事にも慣れてきて、
学校の先生方とも上手に付き合い
色んな人を巻き込んで保健室経営をしています。
私がこうやって前向きな姿勢でいれるのは
仲間である保健の先生たちの支えがあったから。
なにより、子どもたちからもらった感動があるからです。
子どもの成長した瞬間を心で感じ取れる
愛してやまない養護教諭の仕事が私は大好きです。
最後に、養護教諭について書いてくださったこと嬉しく思っています。
ありがとうございました。
現職の養護教諭の方からコメントをいただけるとは思いませんでした。
やはり大変な思いをしておいでなのですね。
お話をうかがって、自分の危惧は正しいのではないか、いやもうちょっと危ないのかも、という思いを深めています。
つまり、孤立していて、養護教諭サークルが救いになっているからこそ、もしも万一、そこで代替医療やニセ科学的なものなどが「よさそう」という話題として出てきたら、それを拒めないだろう、いや批判的に検討することさえ難しいだろうということです。
それとも、そうしたサークルは、飽くまでそうした話題の内容そのものを、特にその妥当性を、是々非々で論じ合えるようなところなのでしょうか。そうであればよいのですが……。