- 合目的的:「ことば使いを正す」という目的に適っていると思えた
- 合目的的:ビジュアルがわかりやすく、教材に好適に思えた
- 共感:自分自身が写真に感動した。そういうものを教材にする方が説得力があると考えた
- 類推:「植物に音楽を聴かせるとよく育つ」という話と類似すると思った
- 信頼性:「実験で確かめられている」と書かれていた
- 信頼性:多数の実践例がある(TOSSを指すのかどうかは不明)
- 信頼性:商業出版物になっている
- 簡便性:指導案としてできあがっているので使いやすい(推測)
- 独自性:(陳腐化する前は)オリジナリティの高い指導案に見える(推測)
- 切迫感:冒頭の指導について、即効性のある教材が欲しい(推測)
- 切迫感:目前に迫る研究授業等での発表に使える題材が欲しい(推測)
付記すると、「最初は半信半疑だった」とのことだったので、「他の教員には意見を求めなかったのか」と問うと、それはしていないとの回答でした。ひとつには、個々の指導案作りではそうした習慣がないということ、もうひとつには多忙が背景にあるのではないかとぼくは推測しています。
妥当とは言い切れない理由もありますが、まったく無防備に飛びついたわけではないこともわかります。しかも、すでに授業から2、3年経って〜であったにも関わらず、この話題を出したとたんに「やっぱりまずかったですかね?」という反応を示しましたので、内心引っかかるものはずっとあったのでしょう(ちなみに、ぼく以前には「小2には難しすぎないか」という指摘が授業直後にあっただけだそうです)。
ひとりの教員でもこれだけ多様な理由を持っている(可能性がある)わけですが、さらに違う理由をお持ちの方も、当然ですがあります。
Web上でかつて確認した例では、批判があるのは承知した上で「事実でなくても、話としてはわかりやすく主旨も正しいので問題はない」とか、ある種の極端な相対主義に陥って「事実というのは主観に過ぎない」と明言している方もおいででした。ただし一例か二例という程度。少ない理由が特殊だからなのか、そんなことはいちいち書かないだけなのか、それはわかりません。このケースは、確か脳内革命や百猿も教材にしておいでの方でしたが、それがかなりな特殊例なのか、そこもなんともわかりません。
また実際に確認したことはありませんが、TOSSに信頼をおいている先生であれば、「TOSSランドやTOSSの本に実践例が出ていた」ということは大きな理由になったことでしょう。
いずれにしろ、それぞれの理由が「妥当性が高いか」とか「多くの教員に共通する理由か」といったことは、個別に検討されるべきであることには疑いないでしょう。