2008年12月26日

理想の図書館に反社会的な本はあるか

あるのだ。

なぜなら、内容で蔵書を選ばないのが近代図書館の本来の姿だからだ。


大阪府堺市の図書館にBL本がどっさり所蔵されていて(数千冊におよぶ)、所蔵の是非から、その貸出形態、所蔵スタイルなどをめぐって、ときどき話題が再燃する。

Google検索:堺市 図書館 BL

堺市の件は確か2007年からときどき話題に上るのだが、話題になるたびに悶々としてしまう。

今日また久しぶりに話題になったのを見た。

大阪府堺市の図書館で「ボーイズラブ」小説貸し出しを巡り騒動に(ORICON STYLE 2008年12月25日)

なんだかあまり事情に詳しくない人が書いている感じが濃厚。なにしろ、まだくすぶっていたのだろうかと、ググってみた。すると今度は、方針の右往左往(最初は開架、抗議を受けて以降、閉架・開架・18禁・貸出制限なしとあっちこっち)をめぐって、また12月に入ってから話題になっていたようだ。

図書館「ボーイズラブ」に揺れる 堺市、市民の不信感募る(47NEWS 2008/12/23)

 「ボーイズラブ(BL)」と呼ばれる男性同士の恋愛をテーマにした小説に、堺市の図書館が揺れている。市民の声を受けて貸し出しを制限したところ、反対に「特定の本を排除するのは問題」と非難が集中し、制限を撤回。「また突然、対応を変えるかも」と市民の不信感は募っている。

 一般的にBL小説は、1冊に数ページのイラストがある。堺市立の7つの図書館が所蔵する計約5500冊のうち、100冊程度には男性同士が裸で絡み合うような過激な描写があった。盗難も多いため、申請があれば貸し出す閉架書庫に置いていた。

 しかし、ひっきりなしに貸し出されるため、4つの図書館では誰でも閲覧できる棚に配置。7月、「子どもが見るのにふさわしくない」との声が利用者から出た。

 図書館側は、閉架書庫に戻した上で、18歳未満への貸し出し禁止を決定。これに、住民グループが「特定の本を排除したり廃棄したりするのは、図書館ではあってはならない。政治的圧力もある」と反発。有識者も賛同し、11月に廃棄差し止めの住民監査請求が申し立てられると、図書館側は一転、18歳未満への貸し出しも認めた。

 堺市は「拙速で、判断を誤った」としている。

2008/12/23 18:08 【共同通信】
「原点」に戻ったような記事もある。ちょっと特殊な媒体だけど。

公立図書館のBL本(1)(世界日報 平成20年12月19日)

この記事によると、どうも抗議の口火を切った方に取材をした、「目に触れないところに隠そうよ」路線の連載のようだ(会員登録が必要なので、第2回以降は呼んでいない)。

プリンセスオンアイス(塀内夏子) - 漫画偏愛主義 松尾慈子(asahi.net 2008年12月5日)

この記事は書評で、本題とは関係なく最後に2段落が費やされている。堀内夏子やそのファンが「いい迷惑」と思ったかどうかは、皆目分からない。

あれこれと記事を読み進むうちに、これは、公共図書館が真に、名実ともに市民のものになったことを象徴する出来事として記録されるべきなのかもしれない、という気がしてきた。そうだとすれば、本当は喜ぶべきことなのかもしれない。いささか皮肉な思いとともに。


こうした「図書館はどのようにあるべきか」という議論は、これまでもしばしば起きている。日本図書館協会も、さまざまなコメントを出してきた。直接今回の件に合致しそうなものとしては、青少年社会環境対策基本法案についての見解(2001年3月21日)がある。それ以外にも、「差別的表現と批判された蔵書の提供について(コメント)」について(2000年11月16日)といったものもある。

それにも関わらず、たとえば上記を引用し、「ぶっちゃけ、図書館というのは基本的にどんな本でも所蔵します。リクエストがあれば買います。内容によって開架にするかどうか、子どもに見せてよいかなどといった検閲はしません。図書館とは、そういうものなのです。長い長い議論を経て、そうなってきたのです」などという解説をするメディアは、この間見当たらなかったし、いま探しても見当たらない(ぼくが見つけていないだけ?)。個人の意見としてなら、図書館関係者の立場を明らかにして同様のことを書いているようなケースを、ブログ記事やmixiのコミュで見たと思う。

この辺、どこかでちゃんと言及されているのでしょうか?


公共図書館のトップは、図書館畑の人ではないせいもあるかもしれない。ただの行政官なので、図書館運営の基本原則も知らず、館内の司書たちの意見も聞かず、「住民から苦情が来た」「上役が怒らないか」「議会で問題にされないか」などということだけを気にしているのかもしれない。

そうじゃなくて、いつまでも同じことで右往左往しているということは、図書館畑の人も黙っちゃったということなのかもしれない。


いずれにしても、こうなってくると図書館人たちのなかにも「『なんでも所蔵、かんでも開架』が当たり前の方針」(乱暴な意訳)という受け止め方ができない、いわば時代と乖離した方針かもしれない、これからは市民自らが図書館の役割を考え、規定し、道を選ぶべきだという意識が広がっている、などということがあるのではないか。そのせいで、行政官が好き勝手に右往左往し放題しているのではないか。

杞憂ならよいのだけど。


堺市図書館の件では、「所蔵の是非」について、下記のような意見をこれまで目にした。
  • 税金で運営される公共図書館にポルノまがいの本はダメでしょ的な意見(先の世界日報とか)
  • なんでもありとはいえ多過ぎるよ的な程度問題な意見(「BLとかどうでもいいけど、5千冊ってなにそれwww」みたいなの)
  • なんでそんなもんをリクエストするか的な利用者の問題ととらえた意見(。前述の「漫画偏愛主義」もこれか)
  • なぜ出版社は「成人向け」を明示しないのかという、出版・流通側の問題ととらえた意見(
前述のようなぶっちゃけ話(ちゃんと言うと、図書館の自由に関する議論ということになるんだろう。参考:図書館の自由に関する宣言)も何度か目にした。

また、ぼくは見てないような気がするけれども「そもそもBLなんて的」な偏見だか正義感だかな主張もあるようだ。それに対する応答になるのか「BLだから目の敵にされるのだとすれば、それは差別/誤解/偏見だ」的な意見もある()。世間にはそういうBL差別もあるのかもしれないし、ひょっとしたら発端となった抗議(この辺かな?)は背景にそれを含むのかもしれない。

けれども、これまでも「不適切な本の所蔵」というような議論は各地であり、そこで槍玉に挙げられたのは、古くは通俗ベストセラーだったりマンガ本だったり、比較的最近では部落差別がらみだったり、「買春ツアー」を扱った本だったり、ジェンダー問題がらみだったり、出版差し止めになった雑誌の扱いだったり、「ちびくろさんぼ」などの黒人差別ではないかと一部で問題視された本だったり、いずれにしても別にBL本じゃなかった。だからまあ、BL差別が重視される理由はあまりなさそうだし、ここではBLに対する偏見や誤解があるのかどうか、またBLが公序良俗とどういう関係をもつのかは問わない。

貸出形態や、所蔵スタイルについては、こんな感じか。
  • 子どもも目にし得る開架はまずいだろ、閉架にしてよ
  • 18歳未満にも貸し出していいのか
  • なにしろゾーニングされてればいいんじゃない
閉架やゾーニングもダメと言い出す人もいるだろう。反社会的な本というのは厳然と存在する、そういう本を所蔵するのがおかしいという人のなかには、きっとそうなる人もいる。

もちろん、特定テーマの本を所蔵しなかったり閉架にしたりするのは検閲に当たるという意見は、少なくない(前述の「図書館の自由に関する宣言」を見ても、ふつうの図書館学みたいな立場だと、自然とそういう回答になると思う)。


標題の話に戻る。

理想の図書館には反社会的な本もあるのか。

あるのだ。

ものすごく観念的な「理想の図書館」を考えたときに、それは素朴には「古今東西のありとあらゆる本(や類似したコンテンツ)が所蔵されている、永続的な図書館」ということになる。いや、「理想の」のなかには予算が潤沢とか借り出ししやすいとか検索性がいいとか、そういうこともあると思うけどさ、まあ、そこは今のところは置いておこうよ。

そうだとすれば、自明だ。どのような反社会的なコンテンツもあるのだ。あるべきなのだ。だって、その時代や地域で異なる道徳律に則って所蔵するコンテンツを選ぶなんてのは、素朴に資料収集と資料利用のうえで不便なんだもの。平たく言えば、反社会的なものを調べるには、その反社会的なものがなくっちゃ話にならないんだから。

ってことは、本来は「図書館の蔵書選択においては、道徳律や社会通念は影響しない」ということにならないか。近代以降に論じられてきた「図書館の自由」などを持ち出すまでもなく、また疑問の余地もないと思うのだが、どうだろう。

余談ながら、まともなニセ科学批判者やオカルト批判者は、きっと「ニセ科学的な本」だとか「オカルト本」を公共図書館から閉め出そうなどとは言い出さないはずだ。「そんなものを買う前に」という愚痴はこぼすかもしれないけど。


実際には、上記のような「理想の図書館」はない。まず時間的な限界があるので、実現できない点がある。すでに失われてしまったコンテンツは所蔵できない。

それから空間的な限界もある。下世話に予算と言い換えてもいいけど、仮に無尽蔵の予算があって、あらゆる時代地域からの収集能力があったとしても、陸地の面積なり地球の体積なりの制約を受けるよね。

あ、そういう話はどうでもいいか(汗


まあ、そういうぼくの理解が合っているのだとすると、議論の余地なんかないはずなのだ。

図書館は倫理的側面であれなんであれ、内容に関する判断はまったくしない。

それが原則だ、ということは、どこの公共図書館でも、今後ともどのような本でも購入し、所蔵し、利用者に提供するのだ。

次エントリ実は「図書館を市民の手に取り戻そう」運動?に続く。
 
 



タグ:図書館
posted by 亀@渋研X at 02:26 | Comment(0) | TrackBack(3) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 理想の図書館に反社会的な本はあるか
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