多分、ニセ科学もオカルトも、えせスピリチュアルな話も、なにをやったってなくなりはしません。確かにニセ科学批判の射程距離は短いでしょう。しかし、批判が届かないからなくならないということではないんじゃないか。その理由をちょっとまとめておきます。
- 人間は錯誤・思い違い・思い込みをするものだから。
- 自分が好ましいと思う結論や、それを支援してくれる意見は、内容の妥当性を問わず採用したくなるから。
- 呪術的思考はもっともらしく、十分に説得力があり、かなりな程度まで合理的判断を支持するから。
- 楽をしたい、得をしたい、損をしたくないと考えるから。
- 伝言ゲーム的に内容が変わって、したい話を勝手にする人は絶えないから。
- 儲かるから。
呪術的思考とか錯誤とかについては、ググってみるだけでいいんじゃないかな。あと、たとえば「人間の基本仕様」という考察も、役に立つと思う。poohさんちのこれとかこれをとりあえずオススメしておきます。「儲かるから」は、説明の必要はないですよね? 多くのニセ科学的な主張やオカルト的な主張は、商売に使われています。
ここでは「伝言ゲーム的に内容が変わって、したい話を勝手にする人は絶えないから」の例として、バクスター効果を採り上げたいと思います。
■バクスター効果ってなに?
バクスター効果 Backster effect というのは、有名なところでは有名なんだけど、まあ「植物は人間の思考を読み取る」というような主張。ポリグラフ(ウソ発見機)を植物につないで「実験」をしてみたクリーヴ・バクスター Cleve Backster の名前から命名されている。
まとめっぽいブログ記事から引用すると、こんな具合の主張。
・バクスター氏が、ドラセナに嘘発見器をつないで、葉っぱを熱いコーヒーに浸したがなんの変化もなかった。この記事、いろいろと示唆に富んでいます。また後で登場してもらいますが、おすすめです。バクスター効果については後半だけの記述ですが、できたら全文読んでみてね。
・しかし、マッチで葉を燃やそうと思った瞬間、嘘発見器に動きが見られた。
・燃やすふりだと動きはなく、本気で燃やそうとしたときだけ、動きがあるところから、植物は人間の心が読めるのだ、と判断した。
・そしてさらに、知り合いの心理学者に実験をして見せたところ、最初の数本の植物は反応を見せない。心理学者に、植物を傷つけたことがあるかと訊ねると、あると答えた。そのことから、植物は自分たちに危害を加えた人物を記憶し(離れた場所にいる植物にも情報を伝え)、そういう人の前では「気絶する」と判断した。
・植物を嘘発見器として使ってみることができた。
・・・・そう、実は、バクスター効果というのは、「植物には感情がある」というよりも、「植物には人間の心が読める」「植物同士で 情報伝達する」という話だったのです。サボテンは感情を持つか(石野良和のブログ (日々是更新) 2006年08月16日)
■バクスター効果についての資料を探してみる
海外由来の話のようだということは、「バクスター効果」でググるとすぐにわかる。そこで適当にBaxter Effectだのなんだのでググってみると、正しいスペルの候補をGoogleが教えてくれる。ありました。
「Skeptics Dictionary」にも「plant perception (a.k.a. the Backster effect)」という項目があります。これは『懐疑論者の事典』(楽工社)の元になったWebサイト。
また、英語版のWikipediadでも「Plant perception (paranormal)」という項目で語られています。Plant perceptionは「植物の知覚」といったような意味だと思います。
残念ながら、日本版Wikipediaやプロジェクト玄白に残っている「Skeptics Dictionary日本語版」には項目がない。もっとも、楽工社版の『懐疑論者の事典』にはズバリ「バクスター効果」という項目がありますが。
なぜ項目がないのかはわからないけど、まあ古い話だしなあ。
もちろん、カタカナでググっても、少し深く掘れば、先に紹介したサボテンは感情を持つか(石野良和のブログ (日々是更新) 2006年08月16日)を見つけることはできるわけですけど。ただ、サボテンは感情を持つかにも嘆きが書かれているのですが、日本語ではっきりとバクスター効果を否定した記事は、なかなか出てきません。
■40年前に生まれた「バクスター効果」説は、30年前に否定された
というわけで、以下、Skeptics Dictionaryの情報に基づいて、バクスター効果について補足を(雑誌や論文等へのリンクはぼくがググって見つけたものなので、勘違いもあるかも。漏れは単に探すのがヘタなだけかも)。
さっき「古い話」と書いたように、バクスター効果が提唱されたのは1960年代のこと。「Evidence of a Primary Perception in Plant Life」という論文が『International Journal of Parapsychology』誌(vol. 10, no. 4, Winter 1968, pp. 329-348)に発表されたようだ。
しかし、この論文は10年ほどのうちに、少なくとも2つの論文によって反論される。K. A. HorowitzとD.C. Lewis、E. L. Gasteigerによる1975年の論文(『Science』誌、189: 478-480.に掲載された「Plant primary perception.」)と、J. M. Kmetzによる1977年の論文(『Journal of the American Society for Psychical Research』誌、 71(2): 157-170.「A study of primary perception in plants and animal life.」)だ。Kmetsが『Skeptical Inquirer』誌に明らかにしたところによると、バクスター氏の「実験」は適切なコントロールが行われていなかった(先日の記事で書いた「コントロール実験」の要件を満たしていないってことですね。いやあ、FAQってのは自分のためにこそ書いておくものですね)そうで、適切なコントロール下では、植物が人間の「考え」に反応している兆候は、ウソ発見機には現れなかったとのこと。
■一度生まれたアチャラカは死なない
素朴に言えば、40年前の説で、30年前には否定されている。しかし、社会学玄論さんの記事によると、今でもバクスター効果の信奉者はどちゃどちゃいるという。おお、ほんとだ。「バクスター効果」でググると、なんぼでも信奉者が出てきます。
これでひとつわかるのは、「一度出てきたアチャラカは、否定されてもいくらでも生き延びる」ということですね。
もうひとつ、そうやって見つけた記事群をざっと見ると、バクスター効果の話は、どんどん変質して行っているようです。これは先に紹介したサボテンは感情を持つか(石野良和のブログ (日々是更新) 2006年08月16日)でも、かなり詳細に指摘されています(だから、ちゃんと読んでみてね)。またSkeptics DictionaryやWikipediaでも指摘されているようですから、別に昨日今日はじまったことではないようです。
いま、「バクスター効果」として語られているのは、穏当に言えば「愛情を持って育てれば、植物はその愛情に応えてくれる」というようなことです。石野良和さんは次のようにまとめています。
仮説:当初怪しい理論として発表された説も、洗練されてシンプルになってゆくうちに信憑性が増す。(シンプル似非科学イズベター仮説)サボテンは感情を持つか(石野良和のブログ (日々是更新) 2006年08月16日)
■アチャラカは変形し続ける
最初、バクスター氏が言っていたのは、ぶっちゃけ「植物はテレパシー能力がある」「それはウソ発見機でわかる」というものでした。それが否定されたからかどうかはわかりませんが、いつの間にか「植物には感情がある」とか「植物は、語りかけられた言葉に反応する」といった主張まで「バクスター効果」の名前で呼ばれています。
これが「バクスター効果は否定されたけれども、それとは別にこういう事実が見つかった」とか「そうじゃなくて、こういう可能性だったらあるのではないか」だったら、まだわかるのですが、そういう主張はなかなか見つかりません。ないのかもしれません。
2つの可能性があるのではないでしょうか。
1)別の主張なのに、どこかで混同された
2)第2の主張は自然発生した
自然発生する原因は、伝言ゲーム的に起きたり、願望などでゆがめられる、といったことが考えられます。
もちろん、別の主張がちゃんとあった可能性も否定できません。Skeptics DictionaryやWikipediaを最後まできちんと読み通す元気と時間がないので、ぼくが気づいていないだけという可能性があります。そっちには別の主張がちゃんとあったのだということも書かれているかもしれません。貧乏なので楽工社の『懐疑論者の事典』は買えていません。誰か、どれかに当たってみてください。また、その3つに書かれていなくても、ちゃんとどっかにはあるのかもしれない。
■「第2の説」は自然発生することもあり得る
とは言いながら、ぼくは第一印象として「どこかで変質が起きたのだろう」と考えてしまいました。2つほど類似例を思い浮かべたからです。ひとつは「神の手」のチェーンメール。もうひとつはゲーム脳です。
「神の手」のチェーンメールそのものについては説明を割愛しますけど(過去記事はこちら。たくさんあるよ)、話が伝わって行くうちにいろいろと細部が変わって行ったり、果ては「あれはガセネタだよ」という説明の中に、いつの間にか「お尻画像を加工したもの」というかなりあり得ない説明まで登場してしまったのを目撃しています(その話はここで書いた)。そういえば「不幸の手紙」が「棒の手紙」になった例もありましたね。いずれにしても、早とちりやら伝言ゲーム効果やらで、そうやって変わってっちゃうことはあるわけです。
ゲーム脳のケースというのは、自分の想定するゲーム有害論に、勝手に森教授のゲーム脳の名前を冠して語る、というような構造の主張です。森ゲーム脳説は「ゲームを長時間やると、脳の前頭前野の機能が壊れる」「それは自分が作った脳波計で脳波をはかると確認できる」「認知症と同じ脳波」「ゲーム脳になるとキレやすくなるなどの症状が出る」などというものでした。講演などでは、恥知らずになるとか、先天性疾患のはずの自閉症になるという話もしてましたね。
「コンピュータ・ゲームのやり過ぎが脳に悪影響を与える」という主張が妥当である可能性は、なくなったわけではありませんが、森氏の主張は基本的に「自分が気に入らない若者の生態はコンピュータ・ゲームやパソコンのせいだ。そうに違いない」というレベルの話で、ほとんど根拠らしい根拠がない、完全に破綻した主張でした。したがって、ほぼ否定され切っています(詳細はTAKESANさんの「ゲーム脳Q&A」あたりをどうぞ)。しかし、だからだかなんだか、自分の気に入らない「ほかの話」まで「ゲーム脳だ」「ゲーム脳になったからだ」と言い出す人が後を絶ちません。いわく「勉強をしない」「親や先生の言うことを聞かない」「素行が悪い」などなど。
■「第2の説」が自然発生するにも多様な理由
余談ながら、順番が逆なら、まあ言いたいことはわかるんです。素行が悪いというか親の言うことを聞かないので、ゲームをやりすぎるようになり(親がそれを止められず)、ついにはゲーム脳を疑いたくなるような症状が出始めた、とかですね。でも、そうじゃなくて素行が悪いのはゲームのせいだ、となっちゃう。お子さんのゲーム三昧にお困りなのはお気の毒なのですが、そんな話は「なんだそりゃ、単に外に犯人が欲しいだけじゃないのか」なんて言われちゃうわけです。
ゲーム脳のバリエーションを展開している方々は、多くの場合は、森氏の主張そのものは読んでいないようです。だから森氏が言っていることとは違うなんてことに、気づきようもない。ということは、主張の変質だとしても伝言ゲームのようなものではなく、自分が欲しい結論をくれるものは、あまり検討せずに採用してしまう、それを勝手に同じ主張だと思い込むといったことなのかもしれません。
もちろん自分が知っている事例に合致するからというだけで、なにかを断定することはできません(つい、やってしまうのですが)。バクスター効果 ver.2についても同じことです。でも、そういう「自然発生」がふつうに起き得るということは言えそうですよね。
そうだとすると、上記の2つ「否定されても生き延びる」「勝手に変形する」だけでも、ニセ科学やオカルト、間違った根拠に基づく話などは、やはりなくなるなんてことはありそうにないと思いませんか? ニセ科学批判に限らず、どのような言論活動や教育が行われても、根絶されるなんてことはなさそうですよね。
もっとも、だからこそ「その話は誤りだ」とか「それは勘違いだよ」といった指摘や、「この話のどこがおかしいんだろう」といった議論は有用だと思いませんか? なによりも、自分たちはどういう間違いを犯しやすいのかを知っておくことは、ぼくたち自身の転ばぬ先の杖になってくれそうだと、思いませんか?
■余談:バクスター効果はニセ科学か
どうなんでしょう。元の論文やバクスター氏の再反論(あるのかどうかもわからないけど)などを読んでいないので、「科学を装っている」のか、「明らかに誤りなのを強弁している」のかなどはわかりません。バクスター氏がちゃんとした科学者だったのか、あるいは、そのふりをする人だったのかもわからないし。
ここではっきりと言えそうなのは、Wikipediaで「pseudoscience」と書かれ、Skeptics Dictionaryに項目があるということは、海外では有名なニセ科学として扱われているようだ、ということでしょうか。
元々は、単に間違った仮説だっただけという可能性はあると思います。科学的主張として不十分な検証しかされておらず、条件を整理したら否定されちゃった、という話。しかし、その後の「バクスター効果」を名乗る主張のうちには、おそらく「バクスターによって科学的に確認されたのだ」と勘違いしている人が混じっているでしょう。罪な話です。
で、ニセ科学的な話だったとして、ニセ科学そのものではなかったとすると、なにか「その話はおかしいよ」と指摘したら問題があるのでしょうか。
■余談中の余談:「それにしても」というため息
バクスター効果・変形版の蔓延について、ぼくが知るきっかけになったのは社会学玄論さんです。でも、「そこがきっかけ」という紹介だけではあんまりかな、とも思うので、ちょっとだけ内容をご紹介。
さて、上記のようなわけで、ニセ科学的な主張というのは、おそらくどんどん新たに生まれ、古いものも再生産されていくことでしょう。否定されようが笑われようがどやされようが諭されようが、変質したり、自然発生したり、いろいろな形で、しぶとくしぶとく生き残るに違いありません。そうなる理由も多々あるでしょう。
上記のような状況を踏まえると、次のような主張には妥当性があるでしょうか。
「ニセ科学は批判してもなくならないから、批判なんかしてもムダ」「あるニセ科学を批判するなら、それ以前からある似たようなニセ科学も批判していないとおかしい」「『水からの伝言』をニセ科学だと言って批判するのならば、似たような構造を持つ『バクスター効果(変形版)』もニセ科学だと言って批判しないとおかしい」
前掲の社会学玄論さんでは、「バクスター効果が(変質した形で、ということにはお気づきでないようですが)いまだに広く信奉されている」ということを根拠に、上記のような結論が導き出されたようです。なんでそうなるのか、ぼくには理解できないのですが(そう考えてしまう心の機微には興味がないわけでもありませんけれど、そこを考えるのはぼくの手には余ります)。
バクスター効果も水伝も似たような話に思える、ということ自体は理解できます。どちらも「人間でないものに、人間の考えていることや感情が伝わる」といったような話ですものね。前掲の石野良和さんも同様にお考えでしたし、水伝授業をやっちゃった先生が、まさに同じような理由で「植物にあるなら、水にもあるかもと思った」とおっしゃっておいででしたし。水伝先生の話を聞いた後で、きくちくんにそれを伝えたら、「植物は生物で水は無生物なんだけどな」といなされましたが。いや、科学の素人ってとっさにそういうことまで頭が回らないんですよ。動物・植物・微生物・無生物の差について、ちゃんと考えたことなんかないんだもん、ぼくら。アニミズムとか八百万の神とか言霊とかいう国に生まれちゃったし。そういう意味では社会学玄論さんは完全に仲間だなあ。
また「どっちも脳がないから、脳科学の立場から否定されるべきだ」等といったこともお書きです。なんで植物学とかじゃないんでしょう。これはさすがにネタなのかな。まさか、脳科学者は植物の生態についても詳しいとお考えではないだろうし。ひょっとして、茂木某を思い浮かべて、彼なら肯定するだろうと考えておいでだったのか(そうだとすると、ありそうなことだと思います)。
社会学玄論さんの記事は、基本的にぼくは読んでいません。ぼくには役に立てられそうにないから。でも、今回たまたま読んだら役に立ちました。ありがとうございます。
◆
上記で書いたことのほかにも、「バクスター効果の変形版は妥当性がありそうなのか」なんてこともちょっと気になりますが、すでにかなりの長文になりましたので、今日はここまでに留めます。そのうちにFAQの続きとして、またなにか書くかもしれません。「なぜニセ科学にはまるのか(たとえば、自分の知っている範囲の知識だけで『出したい結論』を出せちゃうのも人間、とか)」「ニセ科学批判はどういう役に立ち得るのか(人間がどういう過ちを犯しやすいかを知っておくと、きっと自分が間違いを減らす役に立つ、とか)」「『ニセ科学なんて別に無害』という説は正しいのか(世の中には無数のニセ科学的なものがあって、それに苦しめられている人も無数にいるんだけどなあ、とか)」などなど、今はそんなテーマを思い浮かべています。
このエントリ、メインのテーマはとても深いのでとても何か言及はできませんが、^^;;
「バクスター効果」を批判するかどうか云々の話でいけば、
・もしこれが蔓延しているのであれば、批判するべきだろう
・とはいえ、結局は優先順位問題と絡むので、批判すべきと思った人が批判すればよい
・「水伝」はニセ科学のケーススタディとして有用なので(色々な側面からの批判の蓄積がある)、ニセ科学の特徴を学ぶ上で取り上げることに意味がある(血液型性格判断やマイナスイオンと同様に)
という感じでしょうか。
でもまあ「愛情込めて育てれば、きっとそれに応えてくれる」ってのはあながち間違いでもないのですよね(それだけ丁寧に育てるから)。そういう普通のプロセス抜きに超自然現象的な発想であることが明確なら、そしてそれが社会的影響力があるのなら、批判した方がいいのだと思います(モーツァルトがバナナを美味しくする、みたいなやつとか)。
と言いつつ、水伝道徳みたいにあからさまに悪影響を与えるような要素がそれほどないようでもあるので、緊急度は落ちるような気もしますね。
http://x51.org/x/04/04/2414.php
一応真面目な研究の様で、確かに何らかの反応があるようです。あとはその解釈の問題でしょうね。
英語の原典にもリンク出来ますが、最後にバクスターの紹介があるというのが「う〜む;」ですね。
2次情報(人の言ったこと、本に書いてあったことなど)は一般的な傾向を知るには便利ですが、1次情報(直接現場から仕入れたこと)を知ると思わぬ発見があります。
リチャード・ファインマンによると「発見したい者には発見されるが、発見したくない者には発見できない」
これは常温核融合のことを指しているのですが、実際に現場に行ってみると、パトロン達が研究者を囲ってノウハウを秘匿している実態があります。
洗脳されない人というのは、柵の外で見るだけでなく、柵の中に入り、また出る経験を積んだ人たちのことだと思います。
バグスター効果:植物と会話できる人が確かにいます。論文のみを信じて、実際に実験しない方の批判は根拠がなく説得力に欠けると思います。
水伝:量子論的には水が記憶しています。脳が記憶していると信じられている科学的根拠がものすごくあいまいです。脳細胞の電気信号にどうやって記憶されているのかすら分かっていません。
結局、記憶のメカニズムについては何も分かっていません。
千島学説:体内で病原菌が発生するのは十分あり得ます。癌の転移も特定の癌を追っかけて転移を突き止めた研究はありません。
幽霊:エネルギー的に量子論として科学的に説明可能です。霊障という障害が実際にあります。見える人ももちろんいます。
UFO:この間、アメリカが認めましたね。
昔で言えば、地動説、天動説。要は、時の権力さに都合のよい解釈が一般論になる傾向にあります。原理論ではなく、量子論が世間一般の物理の常識になれば、多くの産業が崩壊しますからね。
見える、聞こえる、、感じる、全て五感+気感です。鈍感な人、最初から感じない人は感じられないでしょう。それでいろんな説を似非科学と批判するのは偏見だと思います。
コメントに気付くのが遅くなり、すいません。いまさらコメントしてもご覧になられないかとも思いますが、たまたまここを訪れた方が読まれるかもしれないので、ちょっとだけ。
> そもそも、似非科学っていうカテゴリーは現代で信じられている、または、分かっている理論や原理では説明がつかない科学に対して使われます。
と自明のようにおっしゃっていますが、あまり一般的な用法ではないように思います。俗に「ニセ科学批判」界隈などと呼ばれるあたりでは、以下のような用法が比較的多いかな、と思っております。
▼私家版「ニセ科学用語の基礎知識」β130503
http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html
の冒頭、「ニセ科学」「非科学(的なもの)」「未科学」「間違った科学」「グレーゾーン」あたりをお読みいただければ幸いです。おっしゃるような用法は「未科学」に相当するかしら。