興味深い事例だと思うのと、常々気になっていた部分もちょっと関連するのだけど、ブックマークのコメントでは言い尽くせなかったので、コメント欄に書き始めたら例によって長くなっちゃった。というわけで、小見出しつけたエントリにしてTBお送りします。
【2/21 01:07 追記:きっかけになっている村上春樹のエルサレムでのスピーチは読んでいません。ていうか、村上春樹の作品は多分まったく読んでいません。ちょっと読もうとしたことがないではないけど、関心がもてなくて。ですから、そこら辺に触れた話はありません。ご容赦。】
【2/21 01:13 追記:また、ここでは主にpollyannaさんの元記事に出て来なかったあたりを考察しています。具体的には、スピーチに著作権があるか、ないとしたらどうなのか、スピーチ全文が掲載されていた媒体の権利は、全文引用は、といったことです。翻訳権についてはpollyannaさんの元記事を、公開されている文章を翻訳することについては下記のブログ記事をお勧めします。
翻訳するときに原著者に直接許可もらうようにしてる(科学と非科学の迷宮 2009/02/20)】
こんにちは。翻訳権のことを忘れていないかという指摘や、公文書が著作権の保護を受けない場合が多い(国内の公文書も、ほとんどはそのはず)という点も含めて、刺激的な問題提起だと思います。
以下、主としてブックマークのコメントでは書き切れなかったことを。
ぼくは、自分を知財関係者と言っていいのかどうかもわかってない雇われライター・編集者です。詳しいというほどでもないので、ちょっと迷ったのですが、気づいた点だけ。
まず、ぼくレベルだと「ここ間違い」という部分は見つけられませんでした(強いて言えば、最後の「全文引用」という表現が疑問かな)。エントリ全体の主旨にも賛成です。著作権侵害は権利者が訴えないと法律問題にはならなかったと思うんですけど、微妙な問題がいろいろあるので慎重にしないとですね。自分でもグレーなことをやっちゃうことがあるだけに、自戒を込めて賛成、であります。
■スピーチは著作物なのか
よくわからないのは、まずスピーチや談話が著作物として保護を受けるのかどうかです。メディアが滅多にスピーチを全文掲載しないのは、法的にはグレーだということなのかもしれませんが、単にスペースの制約や、脱落・誤記等の誤りを犯すことをおそれているのかもしれません。著作物だとすると、同一性保持の点で問題になりますし、そうでなくても「そんなこと言ってない」という問題も起きやすいし。
【21:04 追記:コメント欄でスピーチは著作物に当たる、というご指摘をいただきました。】
ただ、インタビュー等の場合、雑誌・書籍では表記を含めてインタビューイーに確認を取りますが、新聞にはそういう慣習がないようです。逆に一定の編集(取捨選択・要約)が行われることが慣例的に認められています。適切な編集でないという指摘を受けることはしばしばありますが、法的に問題になったケースは……ちょっとすぐには思い出せません。これが黙認なのか、法的に問題がないということなのかをぼくは理解していませんが、同じような背景がスピーチの収録掲載にもありそうです。
■スピーチが著作物でなくても問題ありだろう
また、ここからブックマークコメントで書いたことと関連するのですが、仮に「スピーチそのものは著作権の保護を受けるのか」の正解がどちらだとしても、メディアに掲載された文章には権利が生じます。その場合、著作権者は「しゃべった人」だけじゃなくて「掲載したメディア」にもあるはずなんです。
スピーチが著作物だった場合は、出版契約でいう独占的頒布権とか出版権とか複製権とかいう権利がメディアや発行者にあるんじゃないかと。ここは著作財産権の重要な部分のはずです。
またスピーチが著作物としては保護されない場合も、記事そのものは著作物として保護されるはずです。
■原稿があって朗読したのなら、まず確実に著作物
仮に談話が著作物ではないとしても、原稿があって朗読したのなら、まず間違いなく著作権法の保護対象になると思われます。というのは、
- 原稿が著作物、朗読あ発表に当たり、「公表された著作物」の要件を満たすから(後述「引用」の件を参照)
- 録音された音楽作品の場合、演奏・演奏者にも著作権法の保護がおよぶから
逆に「取材時の談話」が著作権の保護を受けられないのだとすると、原稿(元となる著作物)がない、あっても公表されていない、ということなのかもしれないなあ、などと思ったり。
■「全文引用」という行為と呼び方
あと、本題じゃないのですが、常々気になっていたことのひとつなので。揚げ足取りのつもりはありませんけど、ダシにしちゃってすいません>pollyannaさん。
ひとさまの文章を勝手に全文掲載する行為は、「無断転載」だとまずいです。しかし、引用として認められる要件を満たしていれば、無断でも違法にはならないはずです。というか、引用の要件を満たしていないと「全文引用」って言ったらおかしいのかも(^^;;
いま、ぱっと参照できる簡潔でわかりやすい解説がないので、自分の理解している範囲で書きますが、引用と認められるためには、およそ次のような要件が必要です。
- 公表された著作物からの引用であること(隠してあったものを引用しちゃダメ(^^;;)
- 出所の明示(出典や権利者の明示と言ってもいいかも。作品名・作者名・媒体名・出版社名等)
- 同一性の保持(勝手に改変していないこと)
- 引用部分とそれ以外が明確に区別できること
- 引用部分が従であること
- 引用する必然性があること(論評のためとかなんとか。紹介したいってだけでは足りない)
- 必要最小限の引用であること
逆に言うと、全文を掲載していても、要件がそろっていれば引用として認められることになるわけです。
引用に関する詳細は、たとえば下記をどうぞ。
著作権なるほど質問箱(文化庁)
引用に関するQ&A(応用物理学会)
詳しい解説はたくさんあるんですよね。逆に、要点だけをすごく関係に羅列したものや、自社の権益保護のために部分的に解説したものもある(例:共同通信)。ちょうどいい、ほどほどに詳しい解説がないんです。誰か専門家の人、書いて〜(;_;)
スピーチが著作物か否かについては、第10条第1項に言語の著作物が定められており、中には「講演」がありますがこれは例示列挙に過ぎず、「その他の言語の著作物」に含めて問題にはならないでしょう。
なるほど
「第十条 この法律にいう著作物を例示すると、おおむね次のとおりである。
一 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物」
とありますね。とすると、スピーチ一般は保護されると考えてよさそうですね。
著作権法(社団法人 著作権情報センター)
http://www.cric.or.jp/db/article/a1.html
ただ、第三十九条(時事問題に関する論説の転載等)、第四十条(政治上の演説等の利用)、第四十一条(時事の事件の報道のための利用)辺りを読んでいると、今回の村上氏のスピーチや、それを掲載した記事は、例外にあたるんだかなんだか微妙な気もします(^^;;
仮に法廷に出たら違法ではないという判断がくだる可能性があるとしても、自明に明らかとまで言えるケースでもなさそうに思います。こういうときは、原著作権者である村上氏にはひとこと知らせておくのが誠実な態度と言えそうですね。一般のメディアは、スピーチの全文掲載の場合そこまでしているのかなあ。赤塚不二夫氏の葬儀に際してのタモリ氏の弔辞とかは、どうだったんでしょうねえ。
(高校の国語の教科書にも、「作品」として文章が載っているものがあります)
今回の村上春樹のスピーチも、国際的な文学賞と自認する賞の、受賞記念スピーチですから、同じように著作物として扱うのが妥当ではないかと思います。
さらに、引用について考えるなら、上記の川端のスピーチも大江のスピーチも、部分的な引用はかなり頻繁になされているはずです。
引用については、全文ではなく、正しく引用されているなら、大丈夫だと思います。
ところで、20日の国会で、首相が「全知全能を傾ける」と言った、とNHKが報じているのですが、これは正しい引用なのかなあ?ついにあの人、神様になっちゃたのかなあ?
横道にそれてすみません。
談話取材とスピーチの境界線はどこなんだろうなあ。聴衆の存在かしら。「スピーチとして語る」という体裁かしら。いや、ふつうは区別つきますね。ということは、なぜ談話取材には著作権が発生しないのか、と考えるべきなのかなあ。などということも中途半端に気になっています。
「全知全能を傾ける」珍しい用例だなあと思って「全知全能」でググったら、一発で出てきました。
誤字等の館:全知全能を傾けて
http://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/torii002.html
有名な誤用みたいですね(^^;;
どういう人が使うかについては、この記事の書き手の意見に賛同します。
Q:原稿なしで行った講演は著作物ですか。
http://bushclover.nime.ac.jp/c-edu/answer.asp?Q_ID=0000034
原稿がなくても、録音されていなくても著作物だと明記されていますね。「スピーチと講演は違う」と考える理由は特にないと思うので、「原稿がなくてもスピーチは著作物」でよいようです(^^;;
http://bushclover.nime.ac.jp/c-edu/ref.asp
「な行」に「二次的著作物」「二次的著作物の創作権」「二次的著作物の利用権」があります。「翻訳は二次的著作物」「二次的著作物を創作する際には、一次著作物の権利者の許諾が必要」「二次的著作物の利用に際しては、一次・二次両方の権利者の許諾が必要」とされています。
さて、そうすると、引用として認められそうな程度の部分的訳出は、著作権者の許諾が必要なのか、そうではないかのか……うーむう……。
引用として認められそうな程度の部分的訳出は、著作権法第43条の規定により、著作権者の許諾を得なくても問題ないと判断できます。
43条には、翻訳・翻案等による利用ができる場合があげられていて、この場合の中に32条(引用)が入っているので大丈夫です。