23:13追記:
思いのほか多数のアクセスをいただいているので、ご注意を申し上げます。
エントリ中でも「そう思うのは、ぼくが法律や世間の常識に疎過ぎるからなのだろうか」などと書いたのが、恥ずかしながらビンゴだったようです。コメント欄でも少し触れましたが、このエントリではとくに法律関係で誤解・思い込みによる間違いをしでかしている部分があります。
コメント欄ならびにトラックバックで種々のご指摘をくださった方々、ありがとうございます。
現在整理中ですが、すでに条文等で確認できている特に大きな間違いは次の2点です。また、それだけでなく情緒的な願望が混在して論を混乱させてしまっているようです。
- 誤:入学に際しての契約主体は保護者なのではないか? → 正:契約主体は生徒である
- 「未成年者は保護される」ということの法的な意味
簡単に修正できそうにないので、できれば明朝までに整理しなおして新しいエントリをアップしようと目論んでいます。ムシのよい話で恐縮ですが、そんなわけですからくれぐれも下記の記述を鵜呑みになさらないようにご注意下さい。
3/6 11:11追記:
法律に関する記述の誤りについて、エントリを上げました。
「未成年者」「保護者」についてのボクの誤解と訂正
しかし上の追記長いよ! すいませんね、いつもこんなで……。
3/7 04:06追記:
前記「誤解と訂正」や、コメント欄等をできるだけ踏まえて。
「親がアホ」のツケ 3:保護者と未成年者は一体なのか?
3/14追記:
その後の関連エントリ(いずれも2009年03月10日付け)。
「親がアホ」のツケ 番外:「卒業させない」と「卒業証書をあげない」
親がアホ」のツケ 4:大学について思いを巡らす
「小学校目線」というバイアス
ニセ科学とは関係ないし、ちょっと前の話なのだけど。
先日、島根県の公立高校で「学費滞納が生じた生徒には卒業証書を渡さない」という告知がなされたという件について、県教委が高校の判断を問題としたという報道がされた。
授業料未納なら「卒業証書渡しません」 島根の県立高校(朝日 2009年2月27日)(魚拓)
問題になるのはわかりやすすぎるくらいの話だと思って、特にブックマークもしていなかった。ところが、賛否両論だということに今頃気づいた。今見たら100件以上もブックマークがついて喧々囂々。
はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):授業料未納なら「卒業証書渡しません」 島根の県立高校 - 社会
バカ親に困らされている学校現場には激しく同情するけれども、この高校のやり口は筋違いも甚だしいんじゃなかろうか。
この件ではapj氏もエントリを起こしているが、まったく賛同できない。
教育的配慮が暴走すると規範をぶちこわしにする(Archives 2009/03/01)
「バカ親憎しの一念が暴走した高校が、未成年や善意の第三者の保護をぶちこわしにした」の間違いではないのだろうか。未成年や善意の第三者の保護というぼくの理解が合っているとすれば、学校の規則だとかよりも、ずっと根本的な法理=重要な規範をぶちこわしにしたということにならないだろうか。重要な約束を破っても何とかなるという実例を作って規範の崩壊を進めてしまったのは、この学校だということにならないだろうか。
すでにはてブでも批判が起きているが、コメントのおおかたはうなづけるものだ。なんの責任もないうえに責任を取る能力もない未成年のところに責めを及ぼすことを容認していては、規範もへったくれもないだろう。「未成年者・年少者(18歳未満)は保護される」「犯罪や誤りを犯した行為者本人だけが罰せられるべきで、特段の理由もなく家族等が代わりに責めを負うべきではない」といった前提こそが間違っていて正されるべきだというのでない限り。
apj氏が引用しているエントリも読んだ。
卒業証書は誰のもの?(ケミストの日常 2009-03-01)(はてブ)
タイトルを借りるならば、卒業証書は、学校が卒業する学生・生徒・児童(子ども)に授けるものではないのだろうか。少なくとも学校が親に売るものではないはずだし、親が金で買って子どもにくれてやるものでもない(実態としてそうなってしまっている学校があるとしても、それでいいという話でもないだろう)。
親がムチャクチャだと、学校だって卒業証書を出したくなくなるのはわかるけど、それは八つ当たりというものではあるまいか。児童生徒等へのおかしな「教育的配慮」を持ち出した結果、おかしな処遇がなされることもあるだろうけれども、このケースはそうした事例とは異なるのではないだろうか。
大学の先生だと、学生には成人が多いからピンと来ないのだろうか。いや、はてブを見ると、そもそもわかりやすい話題じゃないのかもしれない。
というわけで、以下ぼくの理解を書いてみる。あんまりびっくりしたので乱筆乱文度合いがいつもよりも激しくなっている自覚がある。もしも話の筋道がおかしいよ、ということがあったらご指摘いただきたい。また、法律には詳しくないので、そちらについても誤認があったらご指摘いただけるととっても幸い。
はてブで地下猫氏が「親の因果が子に報いるのを肯定しちゃうのか」みたいなことを書いていたが、もっともな指摘だと思う。端的にはそこに尽きる。
また、「学費不払いはネグレクト(育児放棄)に当たるのではないか」といったことを書いておいでの方もいた。高校生ぐらいになってもネグレクトという概念が成立するのか、よくわからないけれども、小学校の給食費不払いなんかはドンピシャと言ってもよいのではないか。
親からの支払いが途絶した結果生じる不都合を、なんの責任もない学校が負わねばならないという構造があるのは確かなのだろう。だから、ついつい愚痴も出れば八つ当たりの一つもしたくなるのかもしれない。そうだとすれば、その矛盾をこそを正さねばならないだろう。払えるのに払わない親がいるのだと明らかになったケースで、教員が出張って行って取り立てをしなきゃいけないような状況はおかしい(近所の話ではないが、給食費の滞納では、そういう事態が起きていると聞いている)。それが教員の仕事とは考えられない。控えめに言っても承服しにくい。
たとえば、税務署による代執行のような強制的に徴収できる手段が提供される必要があるという話ならば、理解できる。親の勤務先に連絡して給料から天引きできるとか、脱税のように追徴金の徴収が可能とか、そういうイメージだ。学校現場が悪質と判断したケースについては、行政が集金等を代執行するような、そういう法律ができてほしいと本当に思う。
◆
非常識なことをすれば報いを受けるのは当然だと言うのであれば、ちゃんと非常識なことをした本人が報いを受けるようにすべきだ。ふつうはそうなっているのではないか。見せしめのためでも抑止のためでもなんでも、当事者ではない家族親類縁者一族郎党が、困らされたり恥をかかされるのも不当だろう。すでに「非常識なことをする家族・親族がいる」という恥をかいているのだから。
学校は負担を背負い切れないのだとしても、だから未成年にツケを回そうというような話は、とうてい容認できるものではない。
可能な限り、もともと責任を負うべき者にきっちりと負ってもらおうではないか。ダメ親の責任はダメ親に、保証人がいれば保証人に、だ。それでもダメなら行政か保険会社かなにかの出番という方法はとれないのだろうか。百歩譲っても、受益者である生徒が、成人後に就職したら分割払いで返すとか、それぐらいが限界なのではないか。
それが戦後社会の指向するところだったのではないのだろうか(余談&聞きかじりからの想像だけど。戦前の民法では「家」が中心だったので、一族郎党に責任負わせて回収しようでも法的にオッケーだったのかもしれない。しかし、今は違うんじゃないの? 個人か、せいぜい配偶者といった「生計を一にする同居親族のうちの成人」が負うので限界じゃないの? それがおかしいというならば、そこから変えなきゃって話なのでは?)。
◆
少なくとも、親がアホであることのツケを、公立高校が未成年だの年少者(18歳未満)だのに回しちゃ、いくらなんでもダメすぎる。成人以後の大学生にまで同じ理屈が通用するかは微妙かもしれない。でも、入学時に学生が未成年や年少者だった場合、法的には単独で契約の当事者になることができないのではないか。
そう思うのは、ぼくが法律や世間の常識に疎過ぎるからなのだろうか。ぼく自身すでに貧乏人で保護者だからなのだろうか(なんか、そういう理屈にはなりにくい気がするが)。
未成年者が単独では契約の当事者になれないのならば、基本的には保護者が支払いをするという契約のはずで、そうなると未納が生じた際にも子どもは「善意の第三者」ということになるのではないか(親が学費の支払いをやめると言っていて、学生も「それでいいよ」と承知していたとか、そんな事情でもあるのならともかく)。
いや、未成年じゃなくてもそうかもしれない。消費者=学生・児童・生徒、小売店=県立高校、クレジットカード会社=自治体だの国だのの行政機関、カード詐欺=保護者……というような関係なのではないのか。学校や自治体の辺りはちょっと違うか。でも、たとえばカード詐欺(保護者)に偽造カードで買い物をされちゃった(学費を払うのをやめられちゃったとき)時は、直接の債務はカード詐欺たる保護者が負うわけで、消費者たる子どもは善意の第三者じゃないのか。消費者がカード詐欺の尻を持たなきゃいかんってのはおかしいだろう。
カードを紛失した時など、カード会社にストップする前に誰かに買い物されたらカードを落とした消費者が払うしかないってケースはあるだろう。でも学費未納は、そういう過失責任を問えるような状況じゃないよね?
◆
大元の島根の高校について言えば、「お前らがツケを払わないときは、お前んちの子どもを困らせてやるから、観念して払えよ」みたいなアホな通知を言い出したわけで、これは非常識と言われない方がおかしいだろう。「ナニワ金融道」みたいな違法な町金融じゃないんだから。親の不法行為のツケが子どもに回るような仕打ちは、世間一般では押しとどめようもないかもしれないが、公的機関がやっていいことではないだろう。「支払い能力があるにも関わらず未払いの場合は、債務不履行として法的措置をとる」とでも言えばいいのに。
学校現場が、打つ手がないことに歯がゆい思いをしている、いや、歯がみをしているという事情はわかる。DQN親の子どもにDQNが多いとかいう話はよく聞くし、累を及ぼしたくなる気持ちもわからないでもない。でも、未成年者まで巻き込んで共同共謀容疑で責任を問えるというようなことにはならないんじゃないか。
「子どもは親の従属物だ」「子どもは親の私有財産だ」というならば別だろう。親権というものを、そのように理解するならば、この高校のやったことは当然の判断と認めることになるのかもしれない。逆に言うと、このやり口を認めてしまうことは、そこへあとほんの一歩になってしまうんじゃないか。そんな気がしてならない。
◆
規則に「卒業させない」と明文化していないからとか、「未納の場合は出席停止にする」と明文化されていたならばそっちにすればよかったなどということでもないのではないか。債権者のはずの子どもが、その債権を放棄するとでもいうのであればともかく、法廷に出たら適法性のない内規として無効と判断されるのではないかとさえ思う。
たとえば子どもが不登校になった場合、家で虐待を受けているとわかったら、杓子定規に「規則では出席日数不足だと退学なんで、キミも退学だよ」とか言い出す公立の小中高校はなかろう(残念だが私学の中にはあるかもしれないという気はする。大学も、すでに年少者ではない学生を「準・成人」とみなしてそう判断するものなのかもしれない)。親を指導するか、親から引き離して保護するはずだ。授業料滞納も、筋論としては、まずそっちから攻めるべきだ(飽くまで基本的な考え方の話。イギリスのように、国が簡単に保護者から子どもを奪ってもいいのかというと、それはまた別の問題もあるだろう→The Child Stealers:英国ケアシステムと外国人(日本人)家庭での子育てなど)。
公立高校や国公立大学は、入学時に保証人を立てさせていないのだろうか。保証人がいるならば、そっちに取り立てが回るだろうから、そもそもいないのかもしれない。だとしても、上記のように考えると、いきなり子どもに(一部とは言え)責めが向かうのはおかしいだろう。
◆
ここまで書いて来たことは、単純に「責任をとるのは責任者だけ」「責任のない者にしわを寄せるのはおかしい」「未成年者は、こういうケースでは責任を問えない」というだけの話のようだ。長かった割にそんだけってのは、なんかアホのようですね。ここまで読まれた方、すいません。
しかし、そうだとすれば、高校が進学率が高かろうが全入だろうがそうでなかろうが、学校教育が無償だろうがそうでなかろうが、親が突然に経済的困窮に陥ったが手続きができていないのだろうが、払う金があるのにシカトを決め込んでいるのだろうが、親が貧乏だと高等教育を受け入れられないのは当然だろうが不当だろうが、必要な支援が届かない層がいるということがあろうが、そうしたこととはまったく関係がなく成立する話だ、ということにならないか。いかがだろう。
◆
公立学校だって「教育サービス」なので、顧客が料金を払わなければ云々という意見も見かける。ついでなのでその話も。仮にそうだとしてもここまでの話で反論になっているとは思うが、あれもこれも教育サービスだからという考え方には、別の疑問があるのだ。
たとえば、財形教育融資では一般に進学先とみなせるような学校へ通うためのお金しか借りられない。予備校などは、専修学校に認定されている場合に限られる。なんでもかんでも教育サービスだとみなせるとしても、教育費用の支援に際してさえもなにがしかの区別はあるのだ。社会的にも「なんらかの教育を施すところは、みんな同じ」ではないと見られていることの証左とならないだろうか。
親に経済力がないと子どもは高等教育も高度医療も受けられない。ことの是非はともかくとして、それが是認されている。その結果、ついつい同じ問題だと思われてしまうのかもしれない。つまり「子どもが不幸なのは親の責任」みたいな。
しかし、今回のケースはどっちかというと「いったんかけたハシゴが、親の不心得ではずされる。そういうことに公教育が加担するようなことがあってよいのか」というような問題ではないのか。
◆
それにしても、つくづく思う。学校現場は変な責任を負わされ過ぎだ。そのために、学校や教員はどんどん歪んでいかざるを得ないのではないか。もしもそうならば、そのツケは今度こそ否応もなく子どもたちに回されることになる。それでいいのだろうか。
【学校とか教育とかの最新記事】
義務教育である中学までならまだしも高校なんだから、公立でも至極当たり前の行動かと。
高校と契約を結んでいる当事者は、親ではなく生徒ではないでしょうか。
親の意識としては、子供を高校に「行かせている」(行為の主体は親)と感じることが多いとは思います。しかし、親が高校と「自分の子供を在学させる」という契約を締結したと考えるよりは、親が子供を「代理して」高校と契約を結んだと考える方が、私にとっては法的にしっくり来ます。
ちなみに、未成年であっても、高校生ぐらいであれば、親の承諾を得れば問題なく自分自身で契約を締結できます。また、親が子を代理して契約を締結すれば、その効果は直接子に生じます(子が自分で契約したのと同じことになる)。
例として、入学金返還訴訟(これは大学の例ですが、入学金を支払った当時の学生は多くが未成年でしょう)の原告は、その大学に入学しなかった学生自身で、学生の親ではなかったと記憶していますし、高校の退学処分などの取消を求める裁判の原告も生徒自身だったはずです。
つまり、契約上は、学校と生徒一家の関係は、あくまでも学校と(親ではなく)生徒自身の関係であると考えてよいと思います。
そうすると、在学契約の当事者である生徒が授業料を支払えなかったのですから、学校としては生徒の債務不履行として生徒に責任を問うことが可能であるように思えます。(その責任を問うことの内容として、卒業証書を渡さないことがOKなのかという問題は依然として残りますが)
冒頭に書いたように倫理的に是か非かは別ですが、理屈だけで考えるとこうなるんじゃないですか、ということです。
昨春、長女が高校に入ったばかりなのですが、入学金の支払いについては、合否発表から支払期限まですごく短いのと、そもそもの入学手続きの一貫なので、中学でも高校でもかなりしっかりと念を押されます。それでも書類の不備なんかについてよりも、はるかにがっちりと。笑っちゃうことに、入学金は免除されるケースでさえも、入学金の支払い期限について念押しされます。ですから、そもそも授業料の滞納と同列には考えにくいのではありませんか?
だいたい、入学金を納める前に入学できちゃうということが、あるのでしょうか。もしも、入金遅延の了解ができていたために、いったん入学しちゃったというようなことがあるとしても、それは「入学資格の取り消し」ですよね?
あと、終わりの辺りで書いているように、今回のケースはどっちかというと「いったんかけたハシゴが、親の不心得ではずされる」という話なので、そもそも入学できないというケースは別の問題だということもできましょう。
もっとも、個人的な理想を語れば、それでも親が振込を忘れたというような「親がアホなせい」や「振込に行く途中で交通事故に遭った」というような過失責任を問えない状況なのであれば、なんとか未成年者を翻弄しないで済むような手だてがあればいいなあとは思います。無理かもしれないけど。
ご指摘のように「契約上は、学校と生徒一家の関係は、あくまでも学校と(親ではなく)生徒自身の関係である」のであれば、「卒業資格を与えない」といった手段をとること自体は違法ではないということになるだろうと思います。
その辺は、ぼくの理解が間違っているのかもしれません。「法は最低限の倫理」とかなんとか言いますから、残念でもなんでもしょうがない。
もしそうだとすると、後は「法的にはオッケーだけど、だったらやっちゃっていいのか」といった辺りの問題になるのでしょうね。あるいは、もっと細かい「それが公立高校の場合はどうなの」「どういう保護者の場合であっても例外なしなの」といような話か。「原則としてはやっていい。ただし、この場合もそれが適切なのかどうか」みたいな話ですね。
また、hapioさんも「親ではなく生徒ではないでしょうか」「私にとっては法的にしっくり来ます」とお書きなので、断定的なことが言えるほどには明白なケースではないということなのかな。
この辺は、もう少しご指摘が出て来るのを待ちましょう。
あと、ご指摘をいただいて読み返すと、ぼくのこのエントリは倫理と法律の問題が、(気をつけたつもりではありますが)うまく切り分けられていないかもしれません。ううむ、やっぱり感情が入るのかなあ。危うい。
また、一般的な高校においては、本来hapioさんが仰るように「契約の主体」は生徒であり親はその連帯保証人という位置づけだと思います(つまり生徒が成年の場合でも『連帯保証人』は必要)。生徒が契約の当事者である以上、授業料が納入されなければ生徒が不利益を被るのは当然で、その場合生徒が何かを言う先は保護者の方であって学校ではないでしょう。法的には。
なお「親に経済力がない」生徒は、現状、比較的簡単な手続きで授業料の免除を受けられますし、そういった生徒向けの(成績を問わない)奨学金制度もあります。この問題についてはそのあたりも含めて考えるべきだと思います。
ごまかさないでもらいたい。
あなたが考えているのは「卒業証書は、学校が卒業する学生・生徒・児童(子ども)に【タダで】授けるものではないのだろうか」ってことですよね。意図的に【タダで】と補わないと意味が通じない部分を省略し、親の因果が云々、というのはミスリーディングでは。
義務教育ではないし、無償で教育サービスを提供するという仕組みにもなっていないのだから、卒業するための要件としては、出席日数が足りていて成績が基準以上で必要な授業料を全て納めた場合、の3つを揃えるのが普通でしょう。
親が貧乏のツケを子供に回してはいけない(格差が広がるのはよろしくない)から、奨学金や授業料免除といった手当てが必要だと思いますが、親がアホのツケまで社会の側で面倒を見るのはちょっと違うのでは。
トラックバックやらコメントやらでいろいろご指摘・ご教示をいただいて、いくつか自分が勘違い・思い違いをやらかしていることがわかりました(特に法律に絡む部分で)。また、その一方でわかってきても釈然としない部分もあり、自分の論点が混乱しているのも多少なりとも自覚できてきたような……。
いただいているご指摘について具体的にお返事できる状態ではまだないのですが、今夜中にも再度あれこれとまとめ直してみたいと思います。
投入されています。
apjさんらは自分が官僚的発想でその税金をドブに捨てろ、
と言っていることに気が付いていないのです。
■学校と生徒の関係において、重視されるべきは民法かね? それとも教育基本法かね?
チミら、恥を知れ。
>apjさんらは自分が官僚的発想でその税金をドブに捨てろ、
と言っていることに気が付いていないのです。
元々の新聞記事では、65人中64人までが、親が授業料を支払った為にドブに棄てる結果にはなっていませんよね。本当に困っている人には授業料免除という方法があるから、支払わないことが問題にはならないでしょうし。
税金で結構な額を補助しているのに、授業領分を踏み倒してかまわないという人にまで同じサービスをするのは、むしろ盗人に追い銭に近いのでは。
地下に眠るMさん、
>「親の因果が子に報い」を肯定するバカ科学者と、その妄言を支持する寝言垂れ流しの諸君に聞いておく。
「因果」じゃないので、議論自体がミスリーディング。強いて言うなら親の身勝手、といったところでしょう。
>学校と生徒の関係において、重視されるべきは民法かね? それとも教育基本法かね?
義務教育ではない高等学校では、授業料を払わなければ学校と生徒の関係自体が消滅するので、民法が先。
学校と生徒の関係が維持されている間は教育基本法。
前提となる関係を発生させるものと、発生させてからの関係を規定するものの優先準位もつけられないバカはチミの方だな。
「高校の授業料払い込みの契約主体は生徒本人である」
という命題は、すでに法的に確認された間違いないことなんでしょうか?
だとしたら、私が保護者宛に渡してきた授業料の請求書や督促書類は、どういう位置づけになるんでしょうか?
高校と大学について、簡単に「どちらも入学時未成年だから」と、くくりすぎてはいませんか?
多くの高校は生徒のアルバイト等を制限しているので、「生徒に支払い能力がある」という前提でルールを作ることは困難だと思います。
>憂鬱亭さん
>法的に確認された間違いないこと
とまで言えるかは微妙ですが、確認した限りでは、どうもそうとしか考えられません。民法あたりでは、保護者や保証人、後見人などは、未成年者の契約意思に同意を与えることで、いわば裏付けをする役割です。で、責任を果たさせるように未成年者を監督する義務があります。
また、少なくとも島根県の場合は、中学卒業以降に行政の経済的支援を受ける制度も、呼称から察するに生徒本人が利用する制度と位置づけられているようです。
しかし、入学時に学校に提出する誓約書には、学業に専念する旨が記されています。これはおっしゃるようにアルバイトの制限なども意味しているということでしょう。島根県に限らないことだとも思います。
また、先の通知も保護者宛に出されたもので、生徒宛ではありません。
なんか、そこら辺に「誰にどのような責任を求めるのか」についての矛盾が隠れているような気がして、いま整理しようとしているところです。
>>「親の因果が子に報い」を肯定するバカ科学者と、その妄言を支持する寝言垂れ流しの諸君に聞いておく。
>「因果」じゃないので、議論自体がミスリーディング。強いて言うなら親の身勝手、といったところでしょう。
「因果」を「親の身勝手」に換えても論旨はいささかもかわらなにゃーんだが。
よって、ミスリーディングのはずもなし。
>>学校と生徒の関係において、重視されるべきは民法かね? それとも教育基本法かね?
>義務教育ではない高等学校では、授業料を払わなければ学校と生徒の関係自体が消滅するので、民法が先。
>学校と生徒の関係が維持されている間は教育基本法。
>前提となる関係を発生させるものと、発生させてからの関係を規定するものの優先準位もつけられないバカはチミの方だな。
えーっと、チミ、大丈夫か?
学校と生徒の関係が消滅していたら、「学校と生徒の関係」は成立しにゃーんだが。
なんでこんなトートロジーなことをわざわざ言わなければならにゃーんだろう。
いいかい、
生徒を退学処分にしたわけではにゃーんだから、このケースにおいて「学校と生徒の関係が維持されている」んだよ。ここが前提なんだから、ベースとなるべきは教育基本法であって民法ではにゃーの。ヒトをバカにする前に、状況を把握してくれよ。
というわけで、このケースにおいて、考慮されるべきは民法ではなく教育基本法ということは明らかにゃんね♪
当然ながら、「生徒を退学処分にすべきだった」という話も出てくるだろうけど、そもそも退学処分という生徒の人生を左右するような重要な案件において、しかも公的教育機関が、教育基本法や児童の権利条約を無視した判断をしてよいということになるはずもにゃーんだな。
そのあたりについて、エントリをたててこことapjのところにトラバを送りましたにゃ。
http://www.cml-office.org/archive/1235817973282.html#com24
http://www.cml-office.org/archive/1236011949285.html#com4
後者はちょっと冷静さを欠いていますけど(苦笑))、例によって極めて教員寄りのコメントをしてみます。
私自身の考えは、chemist_at_univさんのエントリ記事「教育における法治と道徳」(↓)
http://blog.goo.ne.jp/chemist_at_univ/e/576e49a201b743071b3181c1305284b8
および「道徳とか倫理とか」(↓)
http://blog.goo.ne.jp/chemist_at_univ/e/14bd8ffaf0d3b99dc74e775730979d62
とほぼ同じです。「すべては子どものために」という思いをお互いが共有する(一方的でない)信頼関係・互助関係を築けるのか(築く努力をする気があるのか)、そうでないならドライな契約関係・法治主義的対応以外にありえるのかという問題です。で、もしも互いに信頼関係・互助関係を築く気がないのなら「望ましい形」はどのようなものになるのか――それをapjさんが端的に示しているだけのように受け取りました。
apjさんの示したあり方が「望ましい形」である――と書いたのは決して皮肉ではありません。chemist_at_univさんが上記エントリ記事「道徳とか倫理とか」で指摘しているように、「ようするに個人の負担を引き上げていこう、という現場にとっては最悪の対応法」で現場が疲弊し崩壊しモラルハザードを起こすよりは「望ましい形」と思えるからです(私自身は、医療崩壊よりも遥か以前に、医療崩壊とまったく同じような構図で教育崩壊がすでに進んでいたという立場なのですけど)。
もしも、apjさんの示したようなドライな契約関係・法治主義的対応が、感情的・倫理的に許されない状況を生み出すのだとしたら、問題にすべきは「“親がアホ”のツケは子どもに回って当然」という現在の制度、ないし、それを放置・黙認している社会や世論のほうだと、私は考えます。
もちろん、各種奨学金制度や授業料免除制度などの誇るべき制度は(あまり認知されていないけど実は)かなり充実している事は充分承知の上であえて書いています。私の勤めていたすべての学校(私立学校)では、経済的問題のある家庭に対して、担任がこれら様々な制度を紹介し事務的にも窓口となって対処していました。そのうちのある学校は原則アルバイト禁止でしたが、経済的理由でアルバイトをしている子は何人もいましたし、そういう子に対して学校側がアルバイト先を斡旋してさえいました(これらもchemist_at_univさんのいう「ムラ社会的献身」「(現場の)個人の努力でカバー」の範疇かも知れません)。
でも、繰り返しますが、もしもapjさんの言う「学費未納者は授業を受けさせない」といった毅然とした「学校側の対応」に問題があると考えるのならば、非難すべきは学校側の対応ではなく、そういった制度・社会システム・世論のほうであって、学校側を非難するのは問題のすり替えであり、根本的な問題を覆い隠し目を逸らせるだけです。
「すべては子どものために」という現場の一方的な思い(ムラ社会的献身)が立ち行かなくなった、つまり、ドライな契約関係・法治主義的対応に踏み切る事態になっているわけですから、さらに現場の「教育的配慮」とか「倫理的道徳的対応」とかを言うのは、端的に言って人間の能力以上の対応を要求している事に他ならないと受け止めざるを得ません。非難すべき相手を間違っていると思います。
chemist_at_univさんが上記エントリ記事「教育における法治と道徳」で指摘しているように、「学校現場は変な責任を負わされ過ぎだ」と書いている亀@渋研Xさん自身が、学校現場に「親の責任で子どもが不利益を被らないようにしろ」という責任を(現状の社会や法律に対立しなければならないような責任を)負わせるような主張をしているのは、とても皮肉に感じます。
余談ですけど、この件では倫理と法律を無理に切り分ける必要はないと思っています。倫理や感情に反する法律が良い法律であるわけがないし、法律はより良いと信じる倫理や感情に従って(もちろんそれが世論を動かすほどの説得力を持つものである必要はあるでしょうけれど)、より良いものへと変えていくべきものだと、私は思っています。
その意味では、これまでのapjさんの議論は、法律・制度を固定的なものと捉えすぎている感が強く、「むしろ法律・制度はこうあるべきだ/変えていくべきだ」といった話にならないのが残念ではあります。apjさんは私などよりもずっと現行の法律・制度の欠陥や不備などにも明るいはずなのに……。
いま、教育基本法や児童の権利条約の条文をざっと眺めてみたのですけど、授業料未納を理由に生徒を退学処分にする事が、教育基本法や児童の権利条約に抵触する可能性が高い事は理解できました。
……だとすると、私の上のコメントで「法律・制度」と書いた部分は、すべて「社会的態度/社会的了解事項」とか「世論」とかに変えるべきかも知れませんね。余談ですけど、少なくとも我が国では、この件に限らず、教育基本法や児童の権利条約に抵触する(かも知れない)ような具体的事態が容認・黙認されている事例は、かなり多そうです。
「子どもを守らないものは大人とはいわない」という主張には全面的に賛同し、心から喝采をおくりたい気分ですけど、私の上のコメントから「なんだか私の住むこの社会には“大人”は少ないようだ」「どうもこの社会は“ニンゲンの社会”ではないようだ」といった嘆息を読み取っていただければ幸いです。
その上で、「“ニンゲンの社会”ではない社会」「“すべては子どものために”という現場の一方的な思い(ムラ社会的献身)が立ち行かなくなった社会」においては、やっぱりapjさんの述べるようなドライな契約関係・法治主義的対応こそが(相対的・消極的に)最も子どもを守る事になるような気はしています(気がするだけです、根拠はありません)。全力でガキを守ってあげようというムラ社会的献身が完全な敗北を喫したとき(「ガキを守らない」ではなく「ガキを守れない」とき)、とことんベタで具体的な契約・手続き上の決まり事ではない、基本法の理念とかだけではどうにもなりそうにないんじゃないのかなぁ……とか。
「ガキを守らない」保護者に対して「ガキを守らない」通知を出す事によって、結果的に「ガキを守らない」保護者を「ガキを守ってあげる」行為に促した(促す事に成功した)という今回の事例は、ものすごい皮肉に見えてきますね。
「何のために社会があり、教育があるのか、大人とは何なのか、僕はそういう話をしている」という点について同意が得られない社会での、初等教育機関のありうる姿というのは、どういうものになるのだろうか……とか、思わず考えちゃうよなぁ。
「未納者には卒業証書を渡さない」という通知によって、本当に経済的に苦しい親と子供が困るとはおもえないのですが。既に、さまざまな経済的支援策はあるわけですから。
それとも、貧困家庭が急増し、自治体財政が厳しくなったということなのでしょうか。そのため支援策財源が不足して、未納者が増えていて、このような措置をしたというのなら大問題だと思いますけど。
島根県の場合は、契約主体が生徒であるらしい点は、分かりました。が渋研さんが書いておられるとおり、支払い責任者とのねじれの問題は、まだあるのではないか、と私は感じました。
ところで、今回のニュースの元になったような、「授業料払わないと卒業させないよ」というような保護者への要求は、以前からあったのではないか、というのが私の感触です。
卒業が間近になると、高校の事務長が保護者に未納の授業料を督促するのは見慣れた光景です。
今回の要求に似た言葉を電話口で話す事務長の姿も、これまで数回確認しました。が、今まで問題にはなっていなかったと思います。
ある事務長(もう10年以上前の話です)は「授業料の納入率を上げれば出世できる」と勘違いしていたように見受けられる節もあって、その事務長は授業料免除の話を保護者には教えない人でしたね。授業料免除者が増えると、どうも県が良い顔をしないみたいなんですよ。
というように、昔からこの手の話はあってけれど、これまであまり話題にも問題にもされなかった、ということのように思います。
勿論、ここ数年の賃金の切り下げやリストラで、新たに授業料を払えなくなった保護者は増えてきています。
が、それ以上に、国による地方財政の切捨てで都道府県財政が苦しくなったことと、学校現場への成果主義導入で授業料集能率を上げようとしている管理職が増えていることのほうが、問題の顕在化を促していると思います。
>その上で、「“ニンゲンの社会”ではない社会」「“すべては子どものために”という現場の一方的な思い(ムラ社会的献身)が立ち行かなくなった社会」においては、やっぱりapjさんの述べるようなドライな契約関係・法治主義的対応こそが(相対的・消極的に)最も子どもを守る事になるような気はしています(気がするだけです、根拠はありません)。
そういう論点ならば強い口調で非難はしにゃーですよ。apjの論旨は明らかにそういうものではなかったし。
なににしろ、apjも認めたとおり、この問題で法を考えるのであれば民法を適用するのは不適切というのがガチなのよ。教育基本法にもとる行為は公教育機関に許されてはならにゃーの。
とにかくね
自由民主主義社会では、契約概念が人権概念より優先されるということはなく、ガキは保護対象なのでことさらその人権には配慮しなくてはならにゃーという、あまりに当然のことをいっているだけなんだにゃ。
授業料を払ってない状態で、学校と生徒の関係が維持されていることが既におかしいですよね。もちろん、奨学金とか授業料免除とか、経済的に困っている人には援助した上での話だけど。
児童の権利条約は
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html
にあります。
さて、
教育についていえば、
・中学までは義務教育とし、社会の側に教育の義務を負わせた。
・義務教育ではない高等学校には、行政の補助があって、安価な授業料で通う事が可能な高等学校がそれなりの数維持されている。
・それでも経済的に困る人には、奨学金や授業料免除といった制度が用意されていて、実際に利用されている。
というのが実態なので、権利条約は守られています。
この程度の補助が社会の側に存在する状態で、補助を利用せずに授業料を踏み倒している人に対しまで、なお生徒で居続けさせなければならないということは、児童の権利条約からは導き出せません。教育基本法を読んでも同様です。
条文を持ち出すのなら、具体的に何条に基づくのかまで指摘してもらわないと、話になりません。
なお、報道には、規則にある除籍という方法ではなく、「卒業証書を渡さない」とやっただけで(これは、規則に無いのでむしろ現場裁量が規則違反になってしまっているが)、65人中64人が支払ったとあります。授業料免除の手続をとったわけではなさそうのです。このことからは、払えるのに故意に払っていなかった人達が居たということがわかります。
どうも、複雑な事情がありそうですね。
>授業料免除者が増えると、どうも県が良い顔をしないみたいなんですよ。
これは要するに、県の財政が苦しいということですね。なおかつ、貧困家庭を援助しなければならないとすれば、他の支出を減らすか増税という理屈になります。困った人を支援するのは県民ですから。つまり政治問題でしょう。学校や校長の対応が悪いと批判して住む問題では無いような気がします。
どこからともなくお金が湧いて出ることはあり得ませんから。
2 県教育委員会が高校の行動を「配慮に欠ける」と表明した。
以上から導き出せることは、当該高校が県教育委員会に確認を取らずに暴走した、ということですよね?
それも、おそらく担任ではなく、管理職(校長・事務長)が。
県の判断よりも、今回問題にされた学校の判断のほうを支持する意見がここでも多いのだから、当然と言えば当然なのですが、学校(の管理職)の独断を批判する方がいないのは、私には本当に不思議です。
>教育部門と他部門の予算の取り合い
になっている都道府県は、私にはうらやましいですね。私が住む県は、財政が厳しくなったら、真っ先に教育予算のカットから入ってます。
たとえば、今年度暖房が故障していた福島県立福島南高校は、暖房の修理工事が予算不足で行えず、一冬をダルマストーブでしのいでいます。
たしかに、学校と生徒の間にはサービス業者とその顧客と同様の双務契約的な関係がありますが、民法の世界でも、双務契約において一方の債務不履行が生じている場合に、自動的に契約全体が解除されるわけではありません。解除するか否か、引換給付を主張するか否かは、他方の当事者の選択に委ねられているわけです。(サービスは約束通り給付し続けて、顧客には後払いを認めるという選択は、違法でも何でもなく、純粋に民法的世界であれば、サービス提供者の好みの問題に過ぎません。)そして、学校と生徒の関係においては、学校(または教育委員会)は、この選択権の行使にあたって、まさに教育機関として適切な行動は何かということを勘案することを憲法・教育基本法・学校教育法等によって要請されていて、その時に、上に書いたように「親のネグレクトに結果的に荷担する」という選択をすることを許容すべきかどうかということについての判断を迫られることになるのだと思います。
学校としては、むしろ親の目を覚ますために「卒業証書渡さないぞ」という脅しをかける、という意識であった(そして現実に効果もあがった)のかもしれませんが、それが同時に生徒の学習権をも脅かす手法でもある以上、禁じ手とすべきであると考えます。立法論的な議論をすれば、(1)未納額が一定額に達したところで、ソーシャルワーカー的な人に入ってもらって、親や教育委員会と相談しながら、可能な支払方法なり援助方法を決める、(2)それでも確信犯的に支払わない本格的バカ親であるなら、問題を行政の徴税部門に投げて差押えでもなんでもして取り立てる、というようなやり方もあり得ると思います。単に「払えるのにカネを払わない奴は怪しからん」ということ以上の問題でないのなら、卒業要件と結びつける必然性はなくて、(2)で十分でしょう。
それは理念・理想論として当たり前だという事は、ここを読んだり書き込んだりしているすべての方に共有されている大前提だとして(むしろ当たり前すぎて誰もわざわざそこから話を起こしたりしないくらい、当たり前の事として)……、
>地下に眠るMさん「教育基本法にもとる行為は公教育機関に許されてはならにゃーの」
たとえば、高校や大学で授業料を徴収する事や、小中学校で給食費や教材費などの雑費を徴収する事、着用が義務づけられている制服類が支給・貸与ではない事など、これらの契約条項(と言えるのかどうか知りませんが)は、教育基本法や児童の権利条約に反しており違法である――と裁判を起こしたとして、今日の日本で勝てる見込みはどの程度あるのでしょうか。
また、そのような裁判を起こす行為は、今日の不況下の日本の世論にどれだけ支持される見込みがあるのでしょうか。
さらにいえば、その裁判を起こした主体が、自分の携帯電話料金は払うのに自分の子どもの授業料は払わず、授業料の支払い督促に対して「やるならやってみろ」「なぜ私が子供の授業料を支払うのか」と述べるような人間だったりした場合は、どうでしょうか。
――そのような文脈を踏まえて、上の私の2つのコメントを読んでいただければ幸いです。
apjさんの論旨については、私には語る資格も能力もありませんけど、「“ニンゲンの社会”ではない社会」「“すべては子どものために”という現場の一方的な思い(ムラ社会的献身)が立ち行かなくなった社会」「私が住む県は、財政が厳しくなったら、真っ先に教育予算のカットから入ってます(憂鬱亭さん)」という社会で、今まさに現場で教育や教育支援制度に携わっている人たち――親のアホのツケを子どもたちに回したくないと「献身」してきた人たち――に対して、教育基本法や児童の権利条約の理念がどれほど具体的な(「精神的な」でなく具体的現実的な)力になってくれるのか、少なくとも私には分かりません。
都合が良すぎるといった非難は甘んじて引き受けますが、私が書いてきた文章の中で、LSさん[2009年03月08日 01:28]のコメントと矛盾する部分は、取り下げたものと受け止めていただけると幸いです。
ただ2点だけ。
1つ目。学校側に「親の目を覚ますために“卒業証書渡さないぞ”という脅しをかける」という意識があっただろう事は容易に想像できます。確かに「生徒の学習権をも脅かす手法」と言えるかも知れませんが、卒業までにLSさんのおっしゃる(1)(2)の方法を実行する余地がある以上、「禁じ手」とまで言うのには心理的に抵抗があります。具体的には、「卒業証書渡さないぞ」という(親に対する)脅しは、(2)の手段を実行する前に親の目を覚まさせる最後の希望という位置づけでも悪くはないのかなぁ……とか。
2つ目。(2)の手段を採用する場合は、その本格的バカ親と子どもを引き離し、その後の子どもの安全な生活を保障するシステムを強く求めます。すでにそういうシステムはちゃんと存在し機能しているのかも知れませんけど、私は幸いにもそこまでの本格的バカ親を体験した事がないので、この国が「アホな親から子どもを守る」事にどれだけ真剣なのかはよく知りません。
そうであれば、今の制度を変えるべきだということですから、今の制度に基づいて授業料を請求している学校の行為を批判するのは相手を間違えていると思います。議会で議論すべきことではないでしょうか。少なくとも今の授業料制度のままで、授業料未納を認めろというのは最悪だと思います。
まず、LSの論旨に同意。
それと、
>「“すべては子どものために”という現場の一方的な思い(ムラ社会的献身)が立ち行かなくなった社会」(田部勝也)
これなんだけど、こういう現場の思いというのを「ムラ社会的」といってしまってはまずいと思いますにゃ。近代的社会契約に基づくプロ意識だと僕は思うよ。
ガキの権利というのは、ジンケン思想の帰結であり、ジンケン思想というのは実は極めてドライな社会契約を前提としたものだにゃ。
僕の主張は、バカ親の行為をガキにひっかぶせるような真似を教育機関がするな、というもの。
ここはお間違えのなきよう。
関西では、いや、具体的には大阪では、
そもそもこんな議論は存在しないと思うから。
もしこれが大阪だったら、
例の知事(関西ではブラウン管に登場しない日はない)が
「クソ教育委員会がまたわけのわからないことを言っている」
と叫んで終了。
「入学金払わない奴は入学式に参加させない」
で議論になっていた時に大阪は
「入学金払わない奴は入学取り消しに決まってんだろ」だったし。
「ゴネ得が許される社会だと思われたら負け」でもあるし。
たとえこれで税金をドブに捨てる結果になってもクビを斬る。
「俺にもゴネ得させろ」という連中が多数発生したらもっと多くの税金が浪費されてしまうから。
一人の人間の前に全体の損得勘定。
大阪ならこれが大多数の人間に普通に受け入れられる。
ダテに支持率が高いわけではないのだ。
あ、
関西が、いや、具体的には大阪が日本じゃないという意味ではないすよ。
せっぱ詰まり方が半端なくなると「こんななっちゃうぞぉ〜」ってだけで。
>「俺にもゴネ得させろ」という連中が多数発生したらもっと多くの税金が浪費されてしまうから。
ははは、楽しそうに書いていますね。
しかし普通は恫喝する前に、相手の財産を差し押さえますよ。
だいたいapjさんらが語る民法ワールドはまるで街金パラダイスのようですけど、生活基盤に関わる場面でもほんとにそうなんですかね?
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090310/1236631830
----
>親から取り上げてでも子供に公教育を課すことを教育の自由の保障だと考える」という立場を日本ではとっていないので、
----
と書かれていますが、実態としては介入すでにしてますね、虐待事件とまでいかなくても。虐待殺人などの場合は「なぜもっと介入して食い止められなかったんだ!」とバッシングされたりします(この「ただのバッシング」には反対ですが)。
あと以下のようにも書かれています。
----
>(1)親の親権を制限してでも子供に公教育を課す(このための国家権力の介入は認める)制度を作れ
----
と何か新提案のように書かれていますが「子どもの最貧国・日本」(光文社新書)の山野さん(児童福祉士)と話したことですが、ありがたいことに紙媒体の書評等でも取り上げられている本なので、けっこうテレビ取材の依頼もあるそうです。ソーシャルワーカーは家庭に介入しなくてはならず、無論、家庭の教育方針(一般的にみてそれがひどいものであろうとも)と合わないことは現場レベルでよくあることですね。子どもをいったん取り上げるみたいなものですから。つまり、「『恨み』をかっている場合もあり、なかなかテレビには出にくいんですよね」と話しておられました。余計話が混乱する場合もあるでしょうしね。実名で本をかかれたことは勇気が必要だったと思います。ある自治体ではソーシャルワーカーの1人で120人の担当をしている場合もあり、これを「80人にしてほしい」と要望しているという話も「もやい」の方から聞いたことがあります。私は要望通り担当数を少なくしても大変な数だと思いました。
apjさんは「一般予防」的なモラルハザードについてご心配されているようですが、私はどっちかというと教育機関や行政機関の横並びのほうが心配ですかね。「卒業証書」をとりあげるって、学校がやっちゃいかんでしょう、別に単位が足りないとかそういうことじゃないんでしょう?子供と親と関係ないでしょうに。
あと、apjさんの書き方ですが、うがった見方かもしれませんが「国家権力の介入」と言うと、この言葉だけで脊髄反射のように反対する人がいるので、こういった大袈裟な言葉遣い見ると、なにか誘導的な意図を読みこんでしまいますねえ。
元新聞記事によりますと、未納があったのは、県立安来高校全校で10人前後。
ということは1学年につき3人程度ということで、卒業生は約150人とありますから、未納率は大体2%程度、ということになります。
島根県の他の高校についても、5年7校で65人とありますから、仮に1学年の人数が安来高校と同じ150人であるとすれば、1.2%位。
”理系兼業主婦日記”さんで上げられている新聞記事では、もう少し大きな数字が出されていますが、どの記事でも未納率が数%程度であることには変わりなく、そうそうおかしな数字ではないと思います。
経営についてはよく知らないので、頓珍漢なことを言っているのかもしれませんが、
制度の不備→フリーライドの増加→高校経営の破綻
というシナリオが現実味を帯びるほど、重篤な数字であるように見えません。
正直、「授業料を払わないバカ親」が問題となるほど存在している、ということが今一疑わしく思えてくるのですが、この辺りは如何なのでしょうか。
コメントをありがとうございます。
この問題、見えにくいところが多くて考えにくいですね。ぼくもまだ悶々としています。まとめ的なものに挑戦したいと思ってはいるのですが、なかなか。確定申告を終えてから、かな(汗)。
>制度の不備→フリーライドの増加→高校経営の破綻
>というシナリオが現実味を帯びるほど、重篤な数字であるように見えません。
滞納期間でも金額が変わるため、件数だけではなんとも把握しづらいですよね。自治体によってばらつきがあるようですが、全国での金額合計はえらいことになっています。2007年3月で6億とか。
進むモラル低下 高校授業料滞納6億円(2008年4月30日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20080430-OYT8T00294.htm
ここでの「理由」の増減なんかを、どれぐらいの信頼度で見るといいのかも、悩ましいところです。
経済的な負荷が、各学校にどのように影響を与えるのかも、報道などを見る限りではよくわかりません。たとえば、ストレートにその学校の減収となるとかいう理屈じゃないはずなんだけど、自治体がかぶって学校にはおとがめなしなのか。この辺は運用の問題なんだと思います。
また、学校経営への負荷は経済的なものだけではなく、督促・回収の手間などもあるだろうと思われます。給食費のケースと同様に、教員が集金に歩かされるというようなことですね。未回収=学校の収入減とはならなくても、行政からの指導が厳しくなるといった負担は避けられないでしょう。
また、これは想像ですが、滞納が多い学校が教育委員会に新たな予算措置などを要望しても通りにくくなる、なんてことはいかにもありそうで心配です。必ずしも教委にいやがらせされると決まったものではないですが、もともと学校も教委もギリギリでやりくりしているので、いろいろ心配になるというような。
もうひとつ。件数や金額の多寡は、確かに「広範な問題かどうか」「深刻か」というような意味では重要なんですが、こと人権問題のようなものと考えた場合は、少なかったら放置でいいってものでもないし(apj氏はともかく、ぼくはそういう側面もあると考えているので)。
仮に「ごくごく少数の例外」「個別事例として考えるしかない」というケースでも、「基本的な考え方」は確認しておかないと安易に「その手があったか」式に考えられちゃうと危ういということもありそうだし。
ぼくとapj氏のこの問題のとらえ方はかなり異なりますし、apj氏が言うように蟻の一穴とかドミノ理論で「このままでは雪崩を打って増えるのでは」とかいうことではなくても、ある種の前兆、傾向の顕在化という可能性もありますよね。
書いていて「貧困といえば、学校自体が経済的に恵まれていないという問題もあるんだよなあ」などと改め思ったり……。
とりとめなくてすいません。
確かに原理原則の話は重要なのですが、それが支持されるか否かはやはり問題の規模を抜きにしては考えられないのではないかと思います。
単に貧すれば鈍す、というのもありますし、仮に高校の経営が授業料の未納によって危機的に逼迫しており、解決策として卒業証書を人質にとることが有効であるなら、倫理上どうであっても現実的にそれを止めることは不可能でしょう。
件のapj氏にしても、因が親で果が子になるこのやり口が筋悪なのは当然気付いている上で、65人が1人になった効果の高さを評価している面もあるのでしょうし。
(氏の記事には人質に取った結果、卒業証書が貰えなくなる生徒が発生する、という視点に乏しいように思われます。ああも過激になるのは、施策の結果損害を被る生徒が少ないと考えているから、というのは穿ちすぎでしょうか。)
そう言う訳で、規模についてなのですが、件の記事は5年で滞納額6億とあります。
つまり年間1.2億。
一方、高校の年間経費なのですが、
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/005/08112604/002.htm#a001
この手の資料を読むのは殆ど初めてなので正しい資料を提示できているか不安なのですが、これによると2兆7000億、とあります。
教育費が削減されて負荷が増しているのは間違いなく事実なのですが、未納はそれに何も影響しない。というか、おそらく対処するだけ負荷が掛かる、というのは認識しておいても良いのではないでしょうか。
おっしゃることはわかります。ぼくも気にし過ぎて現場の負荷が増大することの方がまずいのかもしれないとも思います。
2兆7000億というのは「第4表 学校種類別の学校教育費」ですね。いただいた数字に刺激を受けて、ちょっと計算してみました(ちょうどエクセルも立ち上がっていたし。確定申告からの逃避・汗)。文科省の学校基本調査(http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/08121201/001.htm)によると、平成20年度のすべての高等学校数(通信制、定時制、分校も含む)が5,243校なので、1校平均の支出は約5億(……ほんとかしら。大きすぎるような気がしちゃうけど、なんか間違えてます? 人件費とか建設費とかも入るだろうから、平均するとこんな額になるのかしらん)。
滞納額で見ると1億2千万÷5243校で1校平均2万3000円/年。5億円対2万余円。5年分の滞納をまとめて見る必要があるとしても11万円ぐらい。なるほど。これは確かに一律に考えてしまうと、誰にとってもまんべんなく不幸かもしれない。おっしゃるように「対処するだけ負荷が掛かる」ような数字ですね。
一方で、大阪のように274校で2億5177万円だと1校平均で91万/5年。府としては支え切れない高額なのはわかりますが、滞納2位の北海道は9515万円÷321校で1校平均29.6万/5年、3位の神奈川が4123万円÷240校で1校平均17万/5年ですから、大阪がいかに突出しているか、とかいうこともあり。上位3府県で5億9千万のうちの3億5千万になることも、改めて気になります。
大阪にとっての2億5千万と北海道にとっての9500万って、どっちが被害甚大なのかなんてことも頭をかすめます。「被害が軽微な自治体は、所定の手順を踏んだら後は放置しておけばいい」とも言いにくいですし、線引きも難しいですが、あまり大事にとらえてしまうと軽微な犯罪に大捜査網をしいて犯人を追い詰めるようなバカバカしさはありそうな……。
あまり軽はずみなことも言えませんが、少なくとも総体的な問題としてだけでなく、並行して個別の問題として見る視点を忘れてはいけないということですね。個々のケース単位、学校単位といったことは頭にあり、某所へのブコメでもそんなことを書き、そういった視点からのエントリも考えたりしていましたが、自治体単位での大きなバラツキのことは念頭にありませんでした。さらにいろいろな視点で見て行かなければ、粗雑な議論にしかなり得ない……かな。
個別の問題というと、いきなりミクロな事例が思い起こされてしまいます(我ながら極端ですが)。先日、uumin3氏のところで読んだ、「母親が授業料をパチンコに使い込んでしまって言い出せず、父親はそれを知らなかった」というケース(http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20090311#p2)が、このところ何度となく思い起こされています。
このケース、いつ頃のことかも定かではないですし、母親が愚かと言えば愚かなのですが悪質とも言いがたく。それで卒業証書を学校にいったん返却する生徒。そこまでの話にならないと家族にも告白できなかった母親。父親にしても蓄えを取り崩したのであれば、すぐに払えただろうから、なんか金策したのでしょうね。おそらく支援を受けるほどの貧困ではなかったのでしょうけれど、じゃあサラ金で調達したのかしら、とか。教育が無償化されていればよかったのか。でも、そしたら食費を使い込んだりして、とか。ほんとに頭を抱えます(と同時に、やっぱり「どうやって保護者のアホさから子どもたちを守るか」ということなのかもしれないとか、これはさすがに法律の出る幕じゃないような、とか)。
究極には、折り合いのつきようがない事柄のひとつなのかもしれません。