卒業証書をあげない、は象徴的なもの(uumin3の日記 2009-03-08)
島根県のケースをはじめ、いくつかのケースが紹介されていました。
- 授業料を滞納している生徒には卒業証書を渡さない(島根の県立高校)
- 授業料滞納の生徒から卒業証書回収(山梨の県立高校)
- 大学図書館に図書を返却しない学生の卒業証書保留(福岡県立大)
学校側の意図としてはその通りなんだろうと、ぼくも思います。証書をもらえないだけであれば、実際に対外的な不利益が生じるというのは、あまりないことでしょう(いままで、私学や就職等の際に証書の提示を求められたことはなく、その手の証明が必要な場合には出身校から「卒業証明」みたいなものを出してもらった記憶がある……という程度の経験からの判断です)。ですから、精神的苦痛を与えるぐらいで留めたということになるのだと思います。
卒業させないというよりも、よっぽど柔らかい対応だと思います。でも、適切ではない。2つの筋違いがそのまま残っています。
ご指摘の違いを、最初から明確に意識できていたかと言われると、そういうわけではありませんでした。最初に参照した朝日の報道にあった「卒業式で証書を渡さず、その後渡していた」とか、教委のコメント「卒業証書を人質にとった形で不適切だった」から、「証書をカタにとったのだな」と理解はしていました。でも、その効力というか「卒業させない場合」との違いは、ちゃんと考えてませんでした。明確にしていただいたおかげで、自分が気になっている点がどこなのかが、より明確になったと思います。
■程度はずっとマシなのに違和感が消えない
実害はなさそうだとはっきり気づいてみると、不当さの度合いが低くなるというか、少なくともぼくの怒りメーターはいくぶん下がる気がします。しかし、程度はずっとマシになったのだけど、本質的な構図は変わっていません。
それで、上記エントリへのブックマークコメントでは、こう書きました。
kamezo [メディア][教育][議論][責任の所在][文化] 象徴的行為というか、実害が出ない「おしおき」というか。/大学図書館の例は順当なような。/保護者に向かう場合でも、公的機関や教育機関が恫喝や嫌がらせめいた手法をとるのは違和感が残ってしまうのは潔癖性? 2009/03/08するとuumin3さんから「嫌がらせなのだろうか」というご意見をいただきました。
uumin3 id:kamezoさん、嫌がらせっていうのは陰湿でやなものですが、この件は「嫌がらせ」に思えないんです。むしろ行使する力がない故の苦肉の策に思えて… 2009/03/08新しいエントリでも、そのことに言及いただいています。
「卒業証書をあげない、は象徴的なもの」のコメントへのお返事(uumin3の日記 2009-03-09)
以下、ご指摘いただいた点について、もうちょっと詳しく述べてみます。ただし、高校の話限定です(大学や大学図書館の話は、次のエントリで述べます)。
■善意・配慮の結果なのに恫喝・いやがらせめいている
ぼくも、学校が恫喝や嫌がらせの目的であのような手段をとったと見ているわけではありません。でも、似たようなものだ、結果的にそのように機能してしまうだろう、という受け止め方です。そのために「めいた」という表現を選びました(もうちょっとはっきり書けると、なおよかったかなと思います。「いやがらせまがい」とか「恫喝もどき」とか)。
uumin3さんが〈学校側の姿勢を善意(かつやむを得ないもの)に見るか悪意(かつ抑圧的なもの)に見るか〉と書かれていますが、悪意のある抑圧なのではなく、「善意に由来するダメな配慮」ではないかと考えています。善意は疑っていません。たとえば保身に走ったとか、金さえ回収すればいいんだろうと考えて方法を誤ったとか、そんなことだとは考えていません。それだけに根深い。
学校としては、穏やかな手法にシフトしたつもりだったのだろうに、嫌がらせっぽさは変わらないか、むしろ増加。真綿で首を絞めるようないやらしさがあります。教委が「証書を人質に取る」と言っているのも、そこなのではないでしょうか。
また、親のダメさの尻を子どもに帰すという構図は同じです。程度が弱くなるだけに、悩ましさが増えました。
ただ、「法は保護者と未成年者を一体とみなしているようだ」という理解ができつつあるのに、この違和感、嫌悪感ということは、おそらくは倫理観とか「自分が想定している社会通念との齟齬」というレベルの問題なのだと思います。
■公立・教育機関・未成年と3拍子そろっててやっていいことか
島根の高校がやったことは「払わないなら、当方が考えたおしおきをします。いやなら払ってください」みたいな通知を出したという時点で、恫喝めいています。どっか根本的に間違っています。規定にはないと知ってしまうと、なおさらそう感じます。
これが「払わない場合は定められた法的措置がとられます」だったら「恫喝や嫌がらせめいたもの」とは受け止めなかったと思います。まっとうな事務連絡です。強制的に義務を果たさせるのと、なにか罰を与えるというのは、かなり異質ではないでしょうか。後者を公立高校が恣意的に行う図は、グロテスクな悪い冗談のようです。
善意による配慮のつもりだろうなあと思えても、許容できるある一線を超えていると感じてしまうのです。「歓迎できない」「感心しない」というよりは「情けない」「汚い」。「それでもいいけど、スマートじゃないよね」や「そうなるのも仕方ないか」じゃなくて「いやいや、それはやっちゃダメでしょ」です。「うわ、公立学校ともあろうものが、えぐい手法を使うのね。さすがに引くなあ」という感じ。問題の把握にズレがあるからなのでしょうか。
公的機関や教育機関といった機関には、私企業よりも公正さというか、高い倫理性を求めてしまいます。酷かもしれませんが。知り合いの公立校の校長が「やる」と言っていたら、詳しい話を聞くまでは看過できない。仕方ないなと思えるのは「やれることはやった」場合、「法的措置も手配したんだけど、うまくいかない」というケースぐらいでしょうか。ただし、公的な教育機関なら当然求められる水準として共有されているかというと、迷いもあります。品位の問題といったことになるのかもしれません。ブクマコメントで「潔癖性かな」と書いた由縁です。
【13:55追記】書いている間に、uumin3さんが新しいエントリを上げられた。
授業料納付問題の参考に(uumin3の日記 2009-03-10)
さらに各地のケースが挙げられている。島根どんぴしゃのものはないが、どこでも十分にくどいほど手順を踏んでいるようすがうかがえる。もちろん、法的措置についても触れている。
結局のところ島根のケースも、どれほどの説明もスルーし、ありとあらゆる手段を講じても応じなかった筋金入りのアホ保護者が少数いたということで、ほぼ間違いないのだろう。島根の高校だって同じような手順を踏んだ挙げ句の、本当の窮余の一策だったのかもしれない。
そうだとすると、最後の最後の手段として今できる方法としては、認めざるを得ないんだろうなあ。くそう。ウチの学区で起きたら、教委の許可をもらってオレが取り立てに行きたいよ(泣)
■「弱者」としての学校と未成年者
学校に力がないゆえの苦渋の選択であろうというご意見にも、ほぼ同意できます。なんで「ほぼ」なのかというと、こういうことです。
交渉ごとなどの際に、A>B>Cという力関係が生じていても、みんなふつうにオトナなら「まあスキル不足ってことか。正当な競い合いで負けるんなら仕方ないな。不満があるならBもCもがんばれや!」でいいんでしょう。ただ、今回のケースは、ハンディキャッパーが混じっていて、そのせいで「無法者(アホ保護者)>学校>ハンディキャッパー(未成年者=アホ保護者の子ども)」という力関係になっているのではないのか、ということです。無法者に屈するのは仕方ないけど、それでハンディキャッパーに自分の負け分を回すのか、ふーん、すごいことするんだね、という。
地下に眠るM氏の「オトナが子どもを守ろうとしなきゃ」の理屈を借りると、申し訳ないがオトナである学校には、それはコラエてほしい。本来どっちも責任を負わされるべきではないという意味では理不尽だけど、当面はどっちかが背負うしかないならば、オトナたる学校がシワを寄せられることを覚悟してくれないと、ということ。
「カルネアデスの舟板」的な緊急避難だったとしても、かなり残念。「オトナがそれじゃダメだろう」とまでは言えなくても、「うーむ、情けない」と思ってしまいます。
■もっとストレートに判断してほしかった
ご指摘をいただいてみて、「借金の未返済を百叩きの刑で処理する」みたいな「罪科と刑罰の前近代的な関係」を感じるのだ、ということにも新たに気づきました。規定にないんだとする「私刑」っぽいものさえ。
授業料滞納は卒業や在籍の要件不足とみなせるので、本当はさほど遠い話ではないのに。また、現代でも犯した罪と位相の違う刑罰ってふつうにあるし(経済犯罪が懲役刑とか)、払えない人になにがなんでも払えと言っても始まらないという事情も了解しているのに。
それでも気持ちが悪いということは、「未払い扱いになるということは免除申請してないということ。ということは、払えるのに払う気がないだけに違いない」という意識や、「法的に対応関係ができてればOKなわけじゃない」という意識があるからなのでしょう。
高校がいい加減なことをしているとは思っておらず、ちゃんと未払い者の事情を把握しているに違いないと考えている。だからこそ、ネジレた手段を選択しているのではないかと見えるもどかしさ。「なんでストレートに動かない(動けない)のか」という地団駄。
今回、あちこちの議論を見ていて、「悪質なケースぐらい、法的措置に踏み切ればいいのに」と考えている人が多いことを改めて確認しました。どこを問題とするのか、どうすればいいと考えているのか、徹底的な法治主義までは求めなくても、粛々と法的な手続きをとればいい、法制度が不備ならそこから直せばいいとは考えている。立場や細かい意見に違いがあっても、そこは共通していることが多い。ネットでの議論が中心だから、はてな界隈が多いから、かもしれません。ぼくを含めて、もっとモヒカンな対応を求め、ムラビト的なわかりにくい配慮に苛立っているのかな、とも思います。
【おまけ 12:12】
上記は、たぶん、あえて問われたので「どっかに問題が潜んでいないか」的なウノメタカノメ思考になっている部分はあると思う。
最初のエントリにも書いているけれど、もともとの朝日の記事を読んだ際にも「あ、そんなことやっちゃったんだ、そりゃまずかったな」で終了だった。むしろギョッとして反応したのは、全面肯定ではないにしても「高校がああ考えるのは当然だよね」という意見に対してだったわけで。高校に対して「これは格別にひどい、見逃すべきではない、弾劾せねば」じゃないわけですよ。肯定したらどこがおかしいのかを考えていたわけだから、高校の行為を素通りもできないし、言葉はきつかったかもしれないけど。
なんだろうな、「ささいなことかもしれないけど、筋違いは筋違いだよね」「それを『あれでオッケーだったのに』みたいに言っちゃったらマズいじゃん」というような。
そういうことを振り返っても、上記は厳しい目になり過ぎているかなあ、という気はする。いったん拳を振り上げてしまうと、おろすのは難しいというか、振り下ろす先を探してしまうというか、そんな部分もあるのかもしれない。考えるのも書くのも難しいです。
【学校とか教育とかの最新記事】
(なにより卒業式にもでずに、書状を取りに行くのやめようかと一旦思っていたことがあるのが、私の見方に影響を与えていたんだと気がついたように思います)
私の方の泥仕合に引っ張ってしまったようで申し訳ありません。いまだにクリアカットな結論を自分でも出せていないのです。
以前、そちらのコメント欄でもおっしゃっていたかと思うのですが、個別のケースについてかなり具体的にわかって来ないと、あるいはそれでもすっきりと割り切れるようなことはないのだろうと思います。
もっとも、だからこそ「こうするとスッキリ!」というような話に惹かれるのでもありましょう。
毎度のことながら、あれもこれも悩ましいです。
最初に、卒業証書を渡さないという措置を見たとき私が違和感を持たなかったのは、大学では授業料を全部納めないと卒業できない、というのが当たり前だったからなんです。ですから、完納するまで卒業延期といった項目が高校の規則に無いとしたら、そちらの方が奇妙に感じます。
大学の場合、経済的に困難だが奨学金を取るのにも失敗、支払えないやどうしよう、という場合に取りうる手段の一つに、休学というのがあります。休学中は授業料を払わなくて良いし受講もしなくてよいので、その間にアルバイトで学費を貯めてまた復学、といったことをする人も居ます。未成年者も居ますが……。
高校生の年齢ではこの手段がとりづらい微妙な時期なので、より一層授業料免除などを充実させなければいけないのでしょうね。
島根県安来高校の「卒業証書渡さない」の件は、
>結局のところ島根のケースも、どれほどの説明もスルーし、ありとあらゆる手段を講じても応じなかった筋金入りのアホ保護者が少数いたということで、ほぼ間違いないのだろう。島根の高校だって同じような手順を踏んだ挙げ句の、本当の窮余の一策だったのかもしれない。<
こういうことではないと思います。
学校は「悪質滞納者」対策でなく、3年生全員の保護者を対象にしたのです。
それまできちんと納付していても、2月の納付だけがたまたま引き落とし不能等で期限を過ぎた場合でも証書を渡しませんよ、と。
長期滞納など、悪質な場合は別途の対応をしています。
私のブログにそのへんを書きました。
http://ryuseisya.cocolog-nifty.com/hakata/2009/03/---b31f.html
悪質滞納に対しては、最悪、退学や除籍処分もあり得るわけで(島根県でも)、「退学・除籍」でも動じなかった親が「卒業証書」で言うことを聞くなんて、ヘンでしょう。
悪質なケースへの対応と、今回の卒業証書の件とは、別に考えるべきかと思います。