2009年03月10日

「親がアホ」のツケ 4:大学について思いを巡らす

■大学図書館のケースは構図が異なる
uumin3さんが書いていた大学図書館の件(大学図書館への図書未返却に対して、卒業証書を回収したという話)は、さほど奇異に感じなかった。

(1)本人の行為、(2)大学4年ということは22歳とかそれ以上、(3)図書の「紛失」とかでなく、未返却に対して「渡さない」「証書の回収」。ということで、バランスもそれなりにとれているような。

ただ、悪質な未返却は紛失とみなして弁償させればいいのに、なんて思う。やったことと違う位相の話が出てくると、面食らうというのが正しいのかな。

再購入などの手間もかかることを考えると、稀覯本でなくても、絶版書などで入手しにくいものもあるだろうから、書籍代プラスアルファを請求したっていいぐらい。「返却」「返却しない分については手間賃などを含めて弁済」「迷惑をかけたことに関してペナルティ」の3本だてだっていいぐらい。

その「ペナルティ」のなかに「卒業証書を渡さない」が入っていいのかは、よくわからない。そもそも「証書を発行するが渡さない」というやり方を「変なの」と感じてしまう。

余談だけど、ここにも「小さなねじれ」や「恣意性」はあるのかもしれない。なのに、さほど違和感を感じない。そのために、先のエントリの末尾に「おまけ」を書き足した。程度問題だからかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。明確に意識できていないバイアスって、ほんとに厄介だ。


■むかしから大学では学生が契約当事者だった?
最初にこの話を始めたときは、高校と大学の違いはあまり意識していなかった。「入学時には未成年じゃないか」ってわけで。でも、ちょっとそれじゃまずいな、という感覚が出て来ている。入学時には未成年だと言っても18歳以上だし、途中からは成人だ。未成年で18歳未満ばっかりの高校とはいろんな意味で区別されていて当然という部分はあるだろう。

それだけでなく、大学は高校までと一緒にしにくい風土もありそうだということを思い出した。

ひょっとするといまは事情が違うかもしれないが、少なくとも20年あまり昔の80年代前半は、大学生は保護者と別人格で、しかも大学との契約当事者というか「学生が大学と授業料支払いの約束をしている」と扱われていたように記憶している。

ぼくの友人には、ときどき学費を払えなくなる者がいた。仕送りを不定期にモノでもらっていたり、そもそも仕送りが全くなかったり。奨学金をもらってる者ももらってない者もいた。

年度始め、学費未納に際しては学生名義で名前が貼り出される。ほとんどの場合は、本人が未払いを自覚してたけど、掲示とともに学生本人に通知も来る。督促は保護者には送られていなかったのだろう。受け取った学生は、親に「かあちゃん、入ってないらしいぞ、どうなってる。確認してや」と連絡したり、学生課に行ってなにやら相談してみたり、休学してバイトに精を出したりしていた。

■温情主義か教育的配慮か「即時執行」はなかった
新年度が始まる前に払わなければ除籍されるということは、大学の規則にも書かれていた。したがって、ぼくの周囲の学費が調達できない学生は、年度末に休学届けなどの手続きをしてなければ、除籍になったのだとあきらめていた。

ところが、4月も10日ごろになると、「除籍だよ」という掲示ではなく、「未納だよ」という掲示が出るのだ。

そこで「あれ? お前、今年はもう学籍がないんじゃないかったっけ?」「うん」「でも、この掲示だと、まだ学籍があることになってるなあ……なんでだ?」「さあ。でも、今年の学生証持ってないし、学割は使えないし。事実上、もう学生じゃないよね」なんて会話を交わすことになる(学籍がなくても、講義には行かなくてもキャンパスにはいたのだ(^^;;)。

規則にはない猶予期間が設けられていたのかもしれない。「金がない」という事情ばかりだったから、なのかな。

前期と後期の分納ができたので、後期になったところでも、同じ光景があったのかもしれないが、記憶していない。4年目以降、卒業の年に分納していて後期の学費が払えないといった状況があれば、「卒業させるかどうか」という議論も起きていたことだろう。どうしていたのだろう。

■ひょっとすると、運用で変えられる部分もかなりある?
同じ頃か、もうちょっと後か、「子どもが成績表を見せてくれないので、保護者にも送ってくれ」「いや、金を出しているのは保護者なので、保護者にこそ送れ」などと言い出す保護者が出て来た……なんていうことが報道されていなかっただろうか。大学で聞いたのかもしれない。

それこそ「卒業証書は親のもの」的な人、「卒業証書を買う」的な人が出て来たと見ることができる。成績表はドットインパクト式のプリントアウトに角印が押された程度のものだったので、大学もそのうちに「控え」みたいなものを保護者に送ることで、対応していったような気がする(ぼくの在学中にはなかったので、記憶が定かでない)。今はどうなっているのだろう。

もしも学生が契約当事者という伝統的な理解のなかに、保護者と学生を一体として扱うような変化が混ざり始めているということであれば、こう考えることはできないだろうか。

法令や学則の問題ではなく、運用の問題として対処可能な部分もある、と。それで全部なんとかなるわけではなくても、思いのほか多いとか。

まったく逆の可能性もあるんだけど。制度を変えないで運用だけが変わってきちゃって、ひずみが出て来たとか。

また、一体として扱うことの是非はともかく、一体とするなら高校までと同じに考える方が、実情に合ってきているのかもしれない。この20年ほどって、過渡期なのかな。

posted by 亀@渋研X at 13:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 学校とか教育とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 「親がアホ」のツケ 4:大学について思いを巡らす
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック