ときどき書いているように、ぼくが最も近しくしているのは小学校の教員たちです。そして、彼らが相手にしているのは先の法律で言うところの「児童」のなかでも、さらに弱い12歳以下の子どもたち。そこら辺があって、小学校教員たちはモンペ(モンスターペアレント)がいたとしても、子どもたち(モンペ自身の子どもたちを含む)がこうむる被害を少なくすることを最優先にしているようだと感じています。ま、どんなときも常に「子どもたちを最優先」なんです。
先にも書いたけど、ぼくは「どうしようもないなら、躊躇せずに法に訴えるべきだ」と考えています。一般論ですが、何時間も居座って堂々巡りの議論をしかける、しかも難度もやってくる……というケースをメディアなどでも目にします。「そういうケースは威力業務妨害や不退去罪が適用できるんじゃないか。だから警察を呼ぼう」がぼくの意見。でも、小学校の教員たちは「そのモンペにも子どもがいて、本校の児童ということになる。だから、逮捕なんていうことはちょっと」と考える。強硬に議論をするような教員でも、です。
じゃあということで、保護者VS保護者の構図で対処するならよいだろうという提案をしたこともあります。「たとえばボクが、『あの人の行為は、教員や管理職の勤務時間を不当に奪うことで、他の児童(うちの子ども)へ割く時間と手間を極端に減らしている』とかなんとかいう理由で、損害賠償請求を起こすというのはどう? 勝てないまでも圧力にはなるでしょう」というような話。
そんな提案をしても、「お気持ちだけ」と押しとどめられてしまう。やっぱりモンペの子どもが肩身の狭い思いをすることを危惧するうえに、訴訟を起こす人のリスクも気にしちゃう。
「小学校目線」と書いたのは、そういう教員たちのことでもあるのだけど、その教員たちの影響をぼくが受けている可能性は多分にある、ということでもあります。区別しようとしていても、根っこのところでは、19歳のむくつけき未成年者と小学校1年生を一視同仁視してしまっている危険はありそうな不安があるのです。
正直なところ、ぼくは前述のように「保護者の問題は、できるだけ保護者間で」と考えていたりもします。PTAやら学校評議委員やらの保護者組織みたいなところでモンペ問題の一部でも引き受けることができないかなあ、などと考えているわけ。
もっとも、ほかの保護者の賛同を得られるだろうかとか言う議論以前に、教員がぜんぜん乗り気じゃないんですけどね。ドン引きなんじゃなくて、覚悟への感謝はされつつ遠慮される。言わないけど、なんかあったときに学校が責められないかとか考えちゃうのかもしれない。
■多分、学校はもっとドライに対処していい
これも書いたけど、ぼくと同様に「学校は、もっと法に基づいてドライに対応していい」と考えている人は少なくないようですね。もちろん、コストの問題やどこが負担するかという問題さえ折り合いがつけば、でしょうけど。
ぼくは、学校が対応に頭を抱えるような悪質なケースについては、配慮しまくって、努力しまくって、なお解決できないということがほとんどだと理解しています。ですから、その後は、もっとストレートに強硬に法的手段に訴えていいのに、と考えているんです。そこで変な遠慮をしちゃうから、よくわからないねじれを起こすんじゃないかと疑っています。
また、もっと教育委員会や保護者に尻を回していいと考えています。日常おつきあいのある学校現場では、教育委員会に問合せや照会をすることにも、保護者に対しても、及び腰になっていると感じているのです。
あまり具体的に書くと差し障りがあるので曖昧な言い方になってしまいますが、いろいろと諦めが先に立ってしまっていて、そのために問題を学校現場に抱え込みがちになっている。それが悪循環を生んでいる部分がある。そう考えています。
ただ、ドライにって言っても、うまく言えないけど「あれこれ極論に走ろう」ってことじゃないんです。先にも書いたように、主に「どうにもならない部分」ですね。法律で許されてるなら問題ないじゃん、っていうスタンスは、なぜかモンペと似ているし。それではきっと解決しなさそう。
■原因は教育現場の疲弊だとしたら、どうするか
少なくとも、今回のようなケースを、教育機関が堕落した証だとか、道徳観に問題のある保護者が増えたのだ、なんてことではないと考えています。少なくとも、そう言い切れるだけの根拠はない。いろいろなものがからまって、こういう状況を生んだのでしょう(アホ=愚かな行動をする保護者が増えたのかもなあとは思うけど、劇的に増えたのかと言うと、まだ疑問。戦後すぐぐらいまでの方が、おかしな保護者はたくさんいただろうと思うんだよなあ。「女の子は高校なんか行かなくていい」って、うちのオフクロだって言われてたらしいし)。
端的には、メディアの公教育バッシングと、モンペが悪者にされやすいですよね。まあ、あまり異論はないですが、それだけに集約しちゃうのもなあ、とも思うのです。右往左往する教育政策に教育現場が何十年も振り回され、しかもNOと言わずに現場努力でつじつま合わせをするということを続けたせいで、それに慣れてしまったことにも問題の一端はあるのでしょう。
教育現場に限りませんが、自分たちの利益を守る道具としての「組合」や「運動」という手段・道具を、社会全体がなにかおかしなもののように扱うようになったことも関係がありそうだと思っています。ほかにも、個人主義というか功利主義というか、いろんなことが関係あるのでしょう(「浅ましい」とか「いやしい」なんて言葉をあまり聞かなくなった、なんてことだって関係あるんじゃないかなあ)。
ぶっちゃけ、みんなでよってたかって学校を弱体化させちゃったんだとしたら、逆側に振り子を戻すにも、「よってたかって」がいいのかも。ここらで地元市民や保護者も学校に顔を出して、教職員たちや教育委員会とも雁首並べて相談できるようになることが必要なのかも。
「あれ、まずいですよね。どうしよう」「オレにも、なにかできることありますか?」「先生、なんでこういうことはできないの?」なんてぐらいに。最初は学校が質問攻めに遭うかもしれないけど、まあ初年度と2年目ぐらいですよ。
■漢方薬のようなコミュニティ・スクール
というのはですね、うちの地区は3、4年前からそんなふうに動き始めているんです。こういうの、国はコミュニティスクールって呼んでます。全国で推進されています。最初は「えー?」って腰が引けていた先生のなかにも、今年度はじめぐらいには、モンペ的な親が減った、対決姿勢にならなくてよくなった、いろいろ助かってる、そう言ってる先生もいます。
ある日を境に劇的に変わりはしなくても、少しずつ変わって行くって感じかも。世間で言う漢方薬のイメージみたいに。いや、雑菌にさらされて抵抗力がついたってことかもしれない(「ニセ科学的っぽいがそうではないもの」にたとえると似合うのはなぜだ・汗)。
個人的な観測範囲での話でしかないですけど、モンペって、学校や先生をあまり知らないことが多そう。元を正せば「不安なだけ」なのに、メディア情報に振り回されて、先入観で疑心暗鬼に陥って強硬になってる部分がある。教師なんか恫喝しないと動かない、とか思い込んでたりすると、当然だけど解決策を一緒に模索するなんてできないよね。
逆に教員のモンペへの警戒心だって、その一部はメディア情報に乗せられて増幅されてる部分があったようです。直接の利害関係にない保護者の顔見知りが増えると、それだけでもだいぶ違うみたい。
遠回りに思えるかもしれないけど、意外に最短距離かもしれません。
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