2009年04月10日

足りない保育所:ぼくらはどうしたいのか

なにが言いたいってわけじゃなくて、なんだか気になる話を読んだ、というだけのことなんですが。

昨日かな、新聞で、こんな記事を読んだ。

「保育所使いたい」 潜在待機児童85万人 厚労省調査(朝日新聞 2009年4月8日)

ちょっとばたばたすると、新聞も2日分まとめて読んだりするのですよ。で、「いやあ、そういうふうに聞いたら、そうなるでしょうよ」とか思ったり、「しかし、そこまで視野におさめるべきなのかもしれないなあ」と思ったり。

したら、さっき、こんなエントリに出会った。

保育所が永久に足りないであろう理由(Chikirinの日記 2009-04-08 )

うーん、そういうこともありそう、ではある。とくにこの辺(強調はぼく)。
安倍元総理とか典型的ですけど、保守系政治家の中には「子供は母親が自宅で育てるべき」という信条を強くもっている人がたくさんいるんです。

保育所とは「やむを得ず働かざるを得ない母親や家庭のために」整備するものであってそんなものを「たっぷり作って」「子供のいる母親が仕事を持つのが当然、みたいな“すさんだ世の中”にしてはいかん!」という強い意思がある、んですよね。

これって地方の首長も結構そんな感じじゃないかな。東国原知事(宮崎)、石原都知事、森田知事(千葉)とか思い浮かべてみてください。「女性が子供を持つことで仕事を犠牲にしなければならないような世界はおかしい!」と心から思っていそうですかね。

保育所が永久に足りないであろう理由

思ってないだろうなあ、あの人たち。


保育所については、前にこんなエントリを書いた。

保育所・入所希望が急増:驚いてる場合じゃないよ!?(2009年02月21日)

気になってるんですよ。もう子供が大きくなったって意味では当事者ではなくなってるのだけど、もともと人ごとじゃない(ちなみにこのエントリ、なんでだか、えらく読まれた。ニセ科学の記事なんかよりも、よほど食いつきがよろしくてびっくりした。今のネット人口って、小さい子供がいるぐらいの層がボリュームゾーンなのかもしれない、なんてちょっと思う)。

うちの子供たちはもう中学以上になっちゃったけど、幼小連携(幼稚園っていうか幼児教育と小学校の連携ね)なんていうかけ声もあって、一方ぼくはなにかと学校に関わっている身でもあり、そういう意味では当事者ってば当事者でもある。三鷹市は市立幼稚園を全部廃園にしちゃったしね。


Chikirinさんの言うことは、もっともだとも思う。供給を増やすと利用しやすくなって、それによって需要が増えるってことは、きっとある。これまでは利用したくったって利用できなかったのが、利用しようと思えば利用できるようになるわけだし。

でも、なにか違和感がある。論理のすり替えじゃないのかもしれないけど、そういうものに出会ったときと同じような感覚。きっと、ぼくと視点が違うからなのだろう。

いや、違うかな。

たとえば、「小学校が足りない」「中学校が足りない」なんてことはたぶん起きていないし、おそらくいまの世間はそんな事態が起きることを許さない。

でも、保育所は足りない。なにが違う?? 学齢以上の教育と、学齢以前の養育支援をてんびんにかけて、どっちが重要だ、なんて判断をぼくらはしてるのだろうか?

そして、学童保育も足りないんですよね。……うーん、なにがぼくらにそうさせているんですかね……。母親が家にいて、子育てをしているのが「ふつう」だという思い込み? それだけ????


もちろん、量じゃなくて、質っていうか利便性や安心感なんかを上げたって需要が増えるということも、きっとある。

「仕方なく」じゃなくて、「やっぱ保育所がいいっしょ!」になって、うしろめたくなくて、ってなことになったら、需要も大きく跳ね上がるだろう。

そうなるといいなあ、と本気で本当に言えるのか、というと、またよくわからない。幼保一元化(幼稚園と保育所の一元化)なんてのは、そうなっちゃう可能性も秘めていて、それでいいんかね、なんて気もする。

だって、きっとそういう状況は、それでスポイルされちゃう「いま現に困っている人」を増やすんじゃない? そんなことないかな……。ま、いまのところは杞憂かもしれないんだけど、強烈な不景気以前の幼児教育・養育施策は、確実にそっちに向かっていたのよね。


こう書いてきて気づいたのだけど、あれだな、政治家や行政は、ではなくて「ぼくらはどうしたいのだろう」なのかな。そこが、自分でもよく見えないってのを、Chikirinさんのエントリはぼくに突きつけちゃったのかな。

本当は、お金も時間も人手もあって、保育所「なんか」に頼らないで子供が育てられれば、それが一番いいのだろうか? 〈保育所「なんか」〉なのかな? 幼稚園のほうがいい? それとも全部おうちがいい?

うちなんか、幼児期はともかく、今はトウチャンもカアチャンも一日中家にいて、子供たちは息苦しさを感じてるっぽいもんなあ。いや、幼児と中高校生を比較してもはじまらないんだけど。

ここでも、ぼくは「選択肢が広がるのがいい」「どの選択肢も、容易に選べるのがいい」と考えているようだ(そうは考えない人もいるかもしれない。それは「正しい育児」があると考えるような人、なのかしら)。


貧困や保育所について考えるとき、どうしても思い出してしまうブログがある。

THE BRADY BLOG

イギリスの「底辺保育所」の日々。ぼくはそこに描かれている子供たちや家族たち、「下流社会」の姿に、なにを見ているのだろう。日本もじきにこうなる、と考えているわけではなさそうなのだけれども、なにか読み取れるものがあるような気がしている。

それは「保育所が永久に足りないであろう理由」とは、なんだか噛み合ないもののようではある。「足りればいいってもんじゃない」とかいうことではないんだけどね。

ううむ……。

posted by 亀@渋研X at 03:40 | Comment(7) | TrackBack(0) | 学校とか教育とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 足りない保育所:ぼくらはどうしたいのか
この記事へのコメント
 お邪魔します。

 保育所というのは、公立のものか、認可された私立のものを通常指しますよね。これまではその年齢の子どものすべてが通ってきたわけではないので、待機児童を減らそうとすれば、今までよりも多くの人数の分を認可しなければなりません。認可した以上は、税金の補助を支出しなければなりません。増やせば、それだけ自治体の支出が増えます。

 一方、小中学校は、すでに私立まで加えればその年齢の子どもすべてを受け入れる体制ができています。「待機小学生」や「待機中学生」はいませんから、その年齢の子どもが急増でもしない限り、学校は不足しません。

 かつて、「団塊の世代」が学校に通う年齢に達したとき、教室は不足しました。また、第2次ベビーブーム世代が学校に通う年齢になったときにも教室が不足してプレハブの校舎を使ったり、学級あたりの人数を増やして対応した地域もありました。
 現在は多くの地域で子どもが減少し続けているので、そのような問題は目立ちません。
 また、住民票による把握などで、人口の変動に学校の設備を合わせることが可能なので、小中学校が不足することは日本ではあまり多くありません。(まったくない、ということではありません)

 ということで、やはりこの問題は、日本に住む多くの人々が、「小学校入学前の子どもがどのような環境に育つのがふさわしいと思っているか」ということと、「小学校入学前の子どもの環境の選択肢を増やすために、これまでよりも多くの予算配分をしても良いかどうか」ということにかかっているように思います。

 現状としては、「子どもは母親を中心とした家族が面倒を見るのが良い」「子どもに今以上の予算配分はしなくて良い」という投票行動になっているので、今のような問題が発生しているのでしょう。3年以上前の投票行動ですけどね。

やや長文になりましたね。
失礼視しました。
Posted by 憂鬱亭 at 2009年04月11日 18:50
「ぼくらはどうしたいのか」という言葉に強く共感します。

政治や行政といった社会の仕組みについて話すときに、それが「お上」から与えられたもので、自分のあずかり知らぬところで決められてるのだと思ってそうな方を、ときどき見かけます。
または、「保育所が足りない」という話題と、政治や選挙を結び付けていないのかも知れません。

こういうことを考えるときに「ぼくらはどうしたいのか」と考える方が、もっと増えるべきだと、石田は考えています。

憂鬱亭さん のおっしゃる「投票行動」についても、自分の投票行動(棄権も含む)が世の中にどう関わるのか、自分の頭で考えてる方が少ないのじゃないかと、石田は考えています。
実は多くの方が「お上の決めることに自分の意思は関わっていない」とか、「選挙で世の中は変わらない」とか考えてるのだろうと、石田は思ってます。でなきゃ、もっと投票率が高くなりそうなもんです。

「選挙で世の中は変わらない」と考えてる方が多数であれば、確かに選挙で世の中は変わらないだろうと、石田は考えています。けど、これが小数になれば、きっと選挙で世の中が変わるようになるだろうとも、同時に考えています。
Posted by 石田剛 at 2009年04月12日 00:05
すみません、訂正です。

4月11日18:50のコメントの最後の行、「失礼しました」と打ち込んだつもりで「視」を余分に打ち込んでしまいました。

申し訳ありませんでした。
Posted by 憂鬱亭 at 2009年04月12日 01:04
コメントありがとうございます。
最初の憂鬱亭さんのコメントを見たときに書きかけたコメントがあったんですが、情けないことに、どっか行っちゃいました _| ̄|○

うちの方では教室不足が慢性的に起きているので、「小学校が足りない」なんていうことを思いついたのだろうと思う、なんてことを書いたはず。

いまだに建て売りもマンションもじゃんじゃんできていて、年度替わりがかなり近くなっても新年度の生徒数が確定しないなんてこともあり、その結果40人を超える学級ができちゃうこともあります。空き教室なんてとっくになくて、ほかの用途に使っていた部屋を教室にまわすことで間に合わせています。いまだにベビーブームにちょっと似ているんです。

中学では、私立中学をやめて舞い戻ってくる子がいます。やめさせられるのか、自分でやめるのかはわからないけど、きっと両方あるのでしょうね。今年度から道場が必要とかいう話は、どうやってやりくりをつけたのだろうなあ、なんてことも。専科の教室(音楽室や理科室、美術室なんかは2つずつあるのです。生徒数が多いから)や地域開放室をつぶす、なんてことにはなってなかったと思うけど……。

もうちょっと激しくなると、プレハブの増築になるのでしょうけれども、なんとかなっちゃってるので「学校が足りない」とまでは言われてないんですよね。そのうちには、ここでも少子化になると考えられているのかもしれません。でも、東京にしては農地がまだたんとあるので、相続が生じるたびに宅地に置き換わって行く傾向が続くのではないかなあ、なんて気がしています。

あ、市内全域でいうと、子供が少なくて30人学級が常態化している学校も少なくないです。でも、学区割りを変えることはたぶん通学距離の問題から難しい。

そういう背景がアタマにあるので、ついつい引き合いに出しちゃうのですね、おそらく。でもまあ、同じレベルで考えていいことでもないはずだということもアタマにあり、中途半端な書き方になったのだと思います。

長文はお気になさらず。
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月12日 20:59
石田さん、こんちわ。

選挙もそうだし、地域でのなにかへの参加ということでも、誰かがやってるんじゃなくて、ほかならぬぼくらがやってるんだ(許しているんだ)、ってことは強く感じます。学校(というか行政)と関わり始めてから、いよいよ強く。

選挙だって死に票になったりするし、意見交換会とか説明会とかで発言しても「話が噛み合わねえ!」という思いも多々するわけです。それ以前に、顔を出せる機会って少ないし。

でも、ちょぼちょぼと足を運んでいるうちに顔見知りにもなって、あれこれ話をする機会もあったりして、「ああ、そうなのか」なんて言ってもらえることもある。

ってことはですよ、彼らがもうちょっと「ああ、そうなのか」体験を積んでくれると、「いろんなチャンネルから意見を吸収するとの重要性」なんてのも考えてくれるかもしれないわけですよね。

えらく気の長い話ですが、まあ一人でやることでもないんで、いろんな人がいろんなところに顔を出していろんな事を言う、ってのが大事なのかな、と。

あ、なんか関係なくなっちゃったかしら(汗
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月12日 21:06
亀さん、こんばんわ。

石田が読む限りでは「関係なくなっちゃった」ってことは無いですよ。石田も同じようなことを考えて、先のコメントを書きました。

自分の意見を述べることはとても大事だと、石田も考えています。なんせ、意見を言わない方の意見は、決してだれも聞いてくれませんからね。
話が噛み合わなくても、「意見の異なる人が居る」ことを互いや周囲の方が認識することにも、(たぶん)意味があるでしょうし。。。
もっとも、話が噛み合わない徒労感を感じることは、石田もときどきあります。。。

選挙のいわゆる「死に票」については、石田はあまり心配していません。結果的に「死に票」になったとしても、それでも投票することはとても大事だと、石田は考えています。
たぶん、選挙で公職に就く方々は、「対立候補に投票する人」のことはちょっとは考えてるでしょうが、「投票しない人」のことは、これっぽっちも考えてくれないでしょうから。
Posted by 石田剛 at 2009年04月14日 22:45
石田さん、たびたびどうもです。
先にぼくのコメントは、自分がどうするかという話と、みんなの話がぐちゃぐちゃになったようで、整理ついてなかったですね。でも、地続きなので素直に考えていると、ぶっつながりになっちゃうんですよね。

> 話が噛み合わなくても、「意見の異なる人が居る」ことを互いや周囲の方が認識することにも、(たぶん)意味があるでしょうし

これは大賛成です。「あ、意見が違う」「なに考えてるのかわからんかった」で止まっちゃったら、袋小路ですよね。

もっとも、これもおっしゃるように、意見交換もなかなか難しいですが。

死に票といえば、ぼくは支持政党を持ちませんで、その場その場で判断するのですが、当選することが少ないという意味では「死に票」ばっかり投じているようなものです。でも、「異議あり」を数字として見せるには、無効票や棄権よりも、「ちゃんと投票行動で示す」方がよかろうと考えているので、あまり残念には思いません。いわば、無効票よりは死んでいない「半死半生票」ぐらいのつもりでいます(^^;;
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月15日 08:51
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