2009年04月12日

つらい教育

みんな楽しく暮らせるように食べものを残さないようにしたい(どらねこ日誌 2009年04月11日)

どらねこ日誌は主に食育について語られているブログで(先日は黒糖焼酎に反応してしまったけど)、しばらく前から読んで勉強している。今日はエントリの本題についてじゃないんだけど、最後のひとまとまりが、引っかかった。いや、「おかしいな」とかじゃなくて、ぼくにとってのフック。釣り針。えーと、でも「釣り」とかでもなくてね。
 もしかしたら子供に教えるのではなく、子供と一緒に考えるべき問題なのかも知れません。
「君たちはどんな未来だったら良いと思う?」
「○○で○○な未来」
「じゃあ、そんな未来にするためにはどうしたら良いのか、これからみんなで考えていこうか」
 最悪の未来を想定し、それを避けるために行動していては楽しくないとも思うのですよね。

みんな楽しく暮らせるように食べものを残さないようにしたい




たぶん、まず「どうありたいか」がなんとなくでも自分のなかにあって、それから「あれはまずいな」というのに気づいて行くっていうのは、ひとつの理想的な進み方なんだろうな、とは思う。なんとなく、だけど。

幼少期には「不都合な真実」では、キビシすぎるといったこともありそうだ(いや、大人でもそれじゃキビシいって人がいそうだなあ……それは別の話か? そうでもないのか? それはともかく)。でも、それだけでもなくて。

まず「あれはダメ」から始まると、つい「だって、やってる人がいるよ?」みたいなことに大人でもなりがちで。そのときに、ぼくらの「どうありたい」が共有されていれば、そこに反するということがわかるだけでも、子供も大人も混乱が少ないかもしれない。


どらねこ日誌を読んで、自分のmixi日記を思い出した。自分の分のコメント付きでご紹介。
■環境教育2題(2009年03月17日03:08)

偶然、環境教育に関する本を紹介するエントリを続けて読んだ。

●『環境教育 善意の落とし穴』田中優(ほたるいかの書きつけ 2009-03-15)
http://ameblo.jp/fireflysquid/entry-10224367016.html

●足元の自然から始めよう(Outdoor Basic Technique 2009年3月14日)
http://obtweb.typepad.jp/obt/2009/03/post-73bf.html

前者で紹介されているのは、これ。
田中優『環境教育 善意の落とし穴』大月書店
http://www.amazon.co.jp/dp/4272408011

後者で紹介されているのはこれ。
デイヴィド・ソベル『足もとの自然から始めよう』日経BP
http://www.amazon.co.jp/dp/4822247171

後者については書名でググったら、こんな書評もあった。

極東ブログ http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/02/post-430b.html

どちらの本もまだ読んでいないけれど、書評には共感するところも多々。でも、いろいろもどかしい。たとえば、ほんとに「間違ってる」とまで言えることなのだろうか、とか(読んでないせいだと思うけど、特に後者については、なんで自然に対して恐怖心を抱く原因になるんだ? という辺りがぜんぜん腑に落ちてない)。

もちろん、現在の環境教育になにも問題がないなどと言うつもりもない(「プルリングを集めて車いす」の話とかね。昨年の古紙再生偽装の話も思い出す)。ないんだけれど。もぞもぞする。読んでみるしかないとか、読んでも解決しないだろうとか、いろいろ思う。

極東ブログで最後に紹介されているリスのエピソードは、ソベルの話ではないけれど、似たような体験をしたことがあるので、胸に落ちる。少なくとも、そんな気がする。だけど、それとこれとは本当に結びつく話題なのか、なんて気もする。

「黙殺されていい問題ではないけれども、そのアプローチはおかしいだろう」なんていうことは、たくさんあって、ぼくもそれを気にしてなんか書いたりする。議論をしても、たいがい、うまくまとまらない。議論という以前に、問題意識の共有さえ難しかったりする。とくに善意だの正義感だの倫理観だのがからむと、とてもやっかい。いや、法律でもやっかいなんだけど。

たぶん、単純化して語られてしまうことの危うさとか、そんなものと関係している部分もあるのだろう。

そもそも、人類が今言われているような意味での「環境問題」を「発見」したのって前世紀後半のことだろう。公害や開発による環境破壊や、人間をはじめとする生命への影響についての議論が発端だったのではないかしら。だとすると、かなり日が浅いわけで、一部の専門家を除いたらおおかたの理解がとても表面的だとしても、なんの不思議もない(温暖化についての議論は、さらに日が浅い)。有史以来と言えるような問題でさえ、ごく一部に違いない「その道の専門家」を除いたら、ぼくらは意識さえしていないだろう。

だからいいとか、だから仕方ないということではないし、公教育には特に神経を配るべきではあるのだけれど。

公教育が現代の視点で構築されなければならないのは当然だと思う。ひからびたような古い話だけで構築されていいとは思えない。いま現在の問題に直接役立つような知識やノウハウを、というのは社会の要望でもあろう。でも、どこまで「現在」を持ち込むのかは、よくよく考えなければならない。そういうことなのかもしれない。

喉が渇いた動物を、水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない、なんて話がある。そうなのだとすれば、公教育は、いくつかの水場を紹介することと、いくつかの水辺の見つけ方や確かめ方を体験してもらうこと、それぐらいに留めておく方がヒトの身の丈に合っているのかもしれない。
追記的なコメント。
おまけ。

●やさしい学校はいかが?
http://koyasu.jugem.jp/?eid=1604
元気をなくしている教師、学校でいやなことがあった教師はこれを読むと元気をもらえる気がする。
すっきりわかることは、重要な要素。周辺に拘るとすっきりしなくなる。
他方で、それほどすっきりわかってないことも世の中には多い。わかってないことを分かったように言われるのも問題だ。だから、どこがすっきりわかっていないか、その場所がすっきり示されるといいのかもしれない。
ていねいな教育というのは、そういうことかもしれないと思ったり、新しいテーマを安易に持ち込んでは、こういう負担をどんどん増やして精度を下げるだけなのかもしれないと思ったり。
コメントへの応答。
非対称性というか「ラフな導入に対してラフな批判をすると、『その批判はラフだ。いいところもある』と突っ込まれる」なんていうことはありますよね。「そりゃブーメランだろ」だったりもするわけですけど。

あ、上記の著者にしろ評者にしろ、必ずしも安易だと思ってるわけではなくて、ぼくのは「いろいろもぞもぞするなあ」というぼやきに過ぎないのだけど。

環境教育とか食育とかの導入やら普及やらを推進している側には、ラフな話や人が多くないか、とはぼくも思います。でまあ、ラフな、というか妙な批判をしちゃう人ももちろんいると思う。困ったことに。

採用する人も批判する人も、ラフというか安易・安直・粗雑な人もいれば慎重・精緻な人もいるし、同じ人でもテーマによってスタンスが変わるということもあるし。ううう。

一見よさげな話は突っ込まれにくい、ということなのかなあ。
教育であれ批判であれ、どらねこ日誌のどらねこさんが言うように、「いっしょに考える」というスタンスが必要、ということなのかもしれない。これがまた、なかなか難しいのだが、もしも望ましい未来の共有といったことを考えるのであれば、欠かせない、のかもだなあ。
posted by 亀@渋研X at 17:29 | Comment(13) | TrackBack(1) | 学校とか教育とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - つらい教育
この記事へのコメント
いつも楽しく拝読しています。
個人的にタイムリーなエントリでした。

最近は食育の問題でか、”昔は結構そういう先生がいたけれどあれはひどい指導だったよね”-といわれてきた、給食を残させない指導が私の周りではちらほらと復活してきています。

”なるべく残さない方がよい理由”はとても説得力のある内容で子供たちに知って欲しいものでした。大切なことだと思います。

亀@渋研Xさんは確か、学校評議員をされていたと思うので、そういう目から見たとき、教育現場で”なるべく残さない方が良い”が”絶対残すな”というところまで行ってしまったら保護者はどうすれば良いと考えますか。残菜の中から口のつけられていないりんごを拾わせ、”洗って食べろ”-というところまでいっていたら。

そして、”絶対残すな”という理由は”なるべく残さない方がよい理由”のような洞察あってのことではないように思えるんですね。
Posted by ハッター at 2009年04月13日 08:35
 こんにちは、どらねこです。
 私の記事は教育について専門外な人間が恥ずかしげもなく書いた内容ですので、実際の運用を考えてもいない無責任なものです。そこら辺は本当に申し訳ないです。

 小学生には将来は先生になりたい、と発言する子供が今でも多いと思いますが、それぐらい個人個人の先生はとても苦労され愛情を持って接しているわけです。
 私も学校の先生にはあこがれというか信頼感というようなモノを持っていまして、先生の発言は親言動と同じくらい影響があったと思います。
 ですので、先生自体が自分から見て明らかにおかしい発言をしていたり、普段の先生からは考えられないような方針にそって行動していたりすると混乱をするんですよね。悩むのです。
 そればかりか、もう少し大きい年齢になるとダブルスタンダードには拒否的になると言うか、そんな先生には信頼を置けなくなっていました。
 自分の疑問に対して検討するわけでもなく、決められた回答を押しつけてくる人もいましたが、今でもハッキリ覚えています。
 私のように口に出す人もいれば、内にしまい込んでしまう人もいる。そして、無条件に信じ込んでしまう人もいれば、反抗する人もいる。

もう一つ 
 子供に質問をしながら進める形式の授業の筈なのにシナリオが決められていたら・・・それを何かの拍子で知ってしまえば自分だったらどう思うのか?(TOSSへの感想です)TOSSほどで無くても、食育であるとか道徳にはそれと同じような臭いがするのです。
 
 なんだか回りくどい表現になりましたが、何となくでも伝われば幸いです。

 渋研様や関連記事などを読み、もう少し勉強したいと思います。
 どうぞよろしくお願いします。
Posted by どらねこ at 2009年04月13日 13:30
ハッターさん、こんにちは。
ユタさまのお話のとき以来、かな?(^^)

そういう「絶対残すな」への流れが起きているとは、まったく知りませんでした。そういう指導をする方が、少数ながらずーっといる、ということはWebで知っておりましたが、増えているのでしょうか。

残菜から拾い食いをさせるというのは、衛生上もマナー上も、まったく賛成できません。家でも生ゴミを漁れというつもりでもあるまいに。

どういう経緯でそんな指導になったのかが重要だとは思いますが、なにしろ「残さない」が形式主義に陥るのはまずいと思います。なんのために残さないのか、なんのために残さず食べるのか、捨てないほうがいいのか、そういったことを抜きにして「ほら、残菜が減った」という結果だけを求めるのは納得できません。

先日、愛読しているブログで「押し付けがましいあいさつ指導」「そのために、あいさつなしで素通りした小学生を、ひじを引っ張って引き戻し、あいさつさせた校長」というようなエピソードを知りました。そこでは「大人に対しても同じことをするだろうか」という疑義が出されていました。

挨拶の習慣づけは、どうあったらいいの。(教育の窓・ある退職校長の想い 2009年03月08日)
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1222311.html

腕を引き戻してあいさつをさせる、なんて、そんな無礼な礼儀って、ないですよね。わけがわかりません。「なにがなんでも全部食べる」というような頑さのある指導には、同じようなものを感じます。

うちの方の小・中学校では、基本的に「できるだけ残さないために『取り過ぎない』『食べられないものを取らない』」という指導になっています。「嫌いなものはまったく食べないで済む」というのも、どう考えたらいいのか悩ましいのですけどね。

その一方で、指導の細部は担任にもよるようです。たとえば、ある時期の長女の担任だったかな、この先生は「牛乳は、全員が一口だけでも飲むこと」という指導でした(おそらく、大量に牛乳の廃棄が出ただろうと思うのですが……)。

この件に限らないのですが、ぼくが学校と話をするときには、まず「こういう指導をしているのですか? なぜそういう指導を行うのですか?」ってところを尋ねます。ぜんぜん想像もしていないような理由があったり、そもそも、そんな指導は行われていなかったり(できごとの一部だけを見ると、そう見えるだけとか)ってことがあるので。

ですから、ぼくだったら、まずは当事者の先生とお話をしてみるか、気を許せるほかの先生に「全校的にこういう指導なの? どうして、こうなったの?」などといったところから対話を始めようとすると思います。

ある先生が突出した指導をしているのかもしれないし、学校内でのコンセンサスができていないということかもしれませんし、そこまで保護者が立ち入るのは大変だし、ということを考えると、うーん……まずは担任の先生、それでなんだからちがあかなかったら、次に学年主任か保健の先生、生活指導の先生(ちょっとお違うかな?)、副校長(教頭先生)、給食の職員さん(栄養士さんがいるかもしれません)のなかのどなたかとお話をしてみるというのがよいのではないでしょうか。

2人続けて妙に凝り固まった人に出くわす、ということも、そうそうないと思うのですよね。

抗議するというよりは、まずは「どうして?」というところから対話ができるといいですね。

ちなみに、ぼくは「居残り給食」の体験者です。50歳になろうとしているのに、「放課後になっても、給食を先割れスプーンでかき混ぜながら、校庭で遊んでいる級友をぼーっと見ていた」という、ろくでもない無意味な体験として記憶されています。たぶん、決して消えない記憶です。webでも「居残り 給食」で検索すると同様の人がたくさんいます。
一方に「あの指導のおかげで好き嫌いが減った」という声も同じぐらいあるようですし、そうした数が実勢を現すとは限りませんが、「そのとき残菜を出さない」とか、少しでも好き嫌いを減らすとか、いったいなんのためにそんなことをするのかを考えるときには、ちょっと思い起こしてほしいものだなあ、と思ってしまいます。
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月14日 03:08
どらねこさん、こんにちは。
どらねこさんのエントリを読むときに、いつも感心するのは、いろいろ調べられているということ以上に、いろいろなことがちゃんと書き分けられていることと、その都度、すごく考えておいでだということです。なにが自分の考えで、なにが資料で、どこに賛成できて……それがちゃんと読みとれる。これって、すごいことですよね。

自分がいま考えていることが、どっから借りてきたものなのか、すぐわからなくなりますものね。

食育に限らず、教育にしろ科学にしろなんにしろ、ぼくはおそらく「ほぼありとあらゆる専門性」から遠いままにこの歳になってしまいました。編集屋って、本作りのプロと言えば聞こえはいいですが、印刷・製本・組版・デザイン etc. etc.といった「本を作る上で大切なこと」のすべてについて、ハイアマチュア止まりなんですよ。それぞれに専門家がいる。そのせいだかなんだか、「最近の編集者は、企画屋だ。編集の仕事を一つもしない」なんて声も、10年以上前からよく耳にします。
おまけに「ふつうの社会人」ではないことに、なんだか妙なプライドをもっていたりして。家にもろくに帰らずに会社に寝泊まりすることを、愚痴りながらも勲章みたいに思っていたりして。

だいぶ前、「編集者ってのは社会生活不適応者がなるんじゃないか」なんて文章を書いたことを思い出します。

どらねこさんのブログからにじむ、誠実な栄養学徒であり、誠実な親であり、なによりも誠実な社会人である、というスタンスに憧れています。
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月14日 03:18
うわ、読み返したら、なんかほめ殺しみたいなことになってる(汗

いやまあ、あの、気負わずに、焦らずに、これからもいろいろと教えてください。っていうか、一緒にいろいろ考えて行きましょうねっ!(汗々
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月14日 03:20
やっ、今頃気づきましたが、toshi先生の「教育の窓・ある退職校長の想い」での話題って、きっかけになったコメント主が「ハッターさん」ではありませんか。

う。3人ともたまたまハンドルがかぶった別の人、なんてことはなさそうだなあ(汗

ひょっとして、校長先生を筆頭にそういう学校なんでしょうか。もしも、もしもそうなのだとすると……ううむ……。
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月14日 04:06
と、さらに先方のコメント欄を読んでみると、ああ、あちらでも食育、給食指導の話題になっておいでですね。

紹介されているエントリは……ううむ、沖縄の件はすでに懐疑的な見解も示されている話だし、うむむむ。

いやまあ、同じ方だという前提で話を進めるのも乱暴か(汗)。自分でわざわざ地雷を掘り起こしてきたみたいだな(大汗

えーと、「どのような指導がよりよいか」という話と、「おかしな指導が行われていると思えるときに、ぼくらはどう行動できるか」という話は別と言えば別の話ですよね。

で、詳しい状況がわからないままですので乱暴な話かもしれませんが、もしも、全体にわたってあまりにも強圧的な、教育や指導というよりは条件付けや調教に近いようなことが全校的に行われているように見えるときは、ぼくなら「スクラムを組む」ことを考えます。ふつうなら、先に前のコメントの要因「そうなの? なぜなの?」を確認するわけですが、もしもそれが必要ない、あまりにも明らかだというような場合ですね。

つまるところ、まずあ周囲の親御さんに、話をしてみます。そこで、状況についての共通認識を作り、それぞれにできることを探すか、あるいは一緒に行動するか、それを相談します(ここで、誰も疑問に思っていない、という事態を想定していません。そういう経験がないからなのですが、そういうケースでは役に立たないかもしれません。あるいは、自分の見方にバイアスがかかっていないかを考えてみる機会なのかもしれません)。

学校の窓口として誰を考えるかといえば基本的には前述と同じなのですが、おそらく市教委に話を持って行くことを前提に証拠固めのような感覚で動くと思います。同じような問題意識を持っている先生に出会えればラッキーですが、そのために探しまわったりはしない。一人だけの先生の突出した指導ではなく、学校全体の方向性としてそっちに行っている、ということをある程度は確認したうえで上に話を持って行く、という感覚です。

教育委員会に電話一本で圧力をかけられる、といった動き方を勧めているつもりはないのですが、誰か話ができる人を捜すために延々と時間を費やすのも得策とは思えない、という感じです。

誰か、気心の知れた先生がいて、その方と相談ができると一番いいのですけどねえ……。
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月14日 04:26
わー、どらねこさんのコメントを読み返したら、ぼくのコメントは全然応答になってないではないか。最初の段落に反応しただけだあ(汗

えと、後段については、また後ほど(大汗
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月14日 04:40
亀@渋研Xさん

レスありがとうございます。
そして同一人物でございます。
マルチポストをしたつもりはないのです。
先生の立場の目線でどういう状況が考えられるかをうかがいたいということと、保護者側の目線として亀@渋研Xさんはどうお考えになるのか、それぞれに助言をいただけたらと思いました。

この春
”あいさつ”の学校を卒業し、
”給食”の学校に入学しました。

最初の給食の日に1学年のほかのクラスであったことのようです。
給食お残し禁止は全校的な取り組みのようではあるのですが、その程度は担任によるようです。
まだ、入学したばかりで、なじみの先生はいないのですが、すぐに2者懇があるので担任の先生に”まずは「どうして?」”をうかがってみたいと思います。
Posted by ハッター at 2009年04月14日 08:57
ハッターさん、かえってお気をつかわせてしまったかしらんと、気がとがめています。マルチポストを疑ったのではなく、本来別々に行われていた話を、うっかり結びつけてしまったか、と危惧しました。

しかし、そうですか、あの学校からあの学校へ。入学したばかりというのもキビシいですね。まだ知り合いの保護者も少ないかもしれませんね。ううむ……。

幸い、多くの学校では、おっしゃるように新年度早々の保護者会や懇談会が行われている時期ですね。そこで、状況を確認できるといいですね。

一部地域では、昔から「伝統的に管理教育の傾向が強い」みたいな言い方がされることがありますよね(強いというのはおかしいかな。適切な表現を忘れてしまいました。愛知県や千葉県なんかがパッと思い出されます)。そういう事例でなkればよいのですが。

たまたま住んだ土地、生まれた土地に理不尽が横行していたら、それに耐えなきゃいけないというのも戦わなきゃいけないというのも、さらに理不尽な気もします。「土地」というのが「国」「時代」の場合もあるわけで、もうそうなると、一市民としてはどうしたものか……。

戦えないときは、せめて人と意見を交換して「おかしいんじゃない?」「おかしいよね?」と確認して、少しでも安心するぐらいしかできないのでしょうか……。
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月14日 15:11
 こんばんは。とりとめの無いコメントを書いてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。先のコメントに対するご返答はもう十分頂いたわけで、めいっぱいお褒めの言葉を頂いてむずがゆい気持ちでいっぱいです。
 それはともかく、昨日書いたコメントにTOSSの感想なども書いたわけですけれども、偶然なのか退職校長様の過去記事を読んでいたところ、ほぼ同じ趣旨のエントリーがあがっていたことを見付けてちょっと驚いた次第でした。よく考えたら児童の主体性を重視する人がTOSSに感じる違和感は共通なのかな・・・とも。ともに育つという観点とはTOSSはほど遠いわけで。このような考え方をもった先生ばかりであれば保護者はそんなに心配しなくてすむのになぁ、なんて思ってしまいます。

 私も子供をマクロビ保育園に預けておりますが、まさに保護者同士でおかしいんじゃないのと意見交換し、安心を得るという状況ですね。そんなときは親がしっかりした方針を持つことが大切なのでは無いかと思ったりします。何を学校に期待し、家庭では何が出来るのかという事ですね。

 参考になるリンクを教えていただいて感謝しております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
Posted by どらねこ at 2009年04月14日 22:37
どらねこさん
や、とりとめないとかをお気になさらず、コメントはお気軽にどうぞ。
どうもこのところ、アタマが働いていない自覚がありまして、あれこれと及び腰になっちゃってます。離煙パイプに挑戦してるからかなあ(汗

先にいただいたコメントでは、いくつか「もう少し大きい年齢になるとダブルスタンダードには拒否的になる」について「今まさに、ウチでもそうなんだよおう(泣) 子どもに対してもついつい何様! とも思うのだけど云々」とか、「子供に質問をしながら進める形式の授業の筈なのにシナリオが決められていたら」については「TOSSのなかでも、酒井式の図画教育って美術のはずなのに、まさにそうですよね、あれって云々」とか、あれこれドバッと浮かんでしまいまして、フリーズしちゃった次第です。

toshi先生(退職校長先生)のブログは、おすすめっていうか、ぼくは強く共感し、また学ぶところの多いブログなのですが、食育に関しては大変素朴な認識……というか「誰かの話を一読して、自分の体験と照らして膝ぽん」で思考停止しちゃってる感ありありですね。食べ残しについては、「次回、記事にさせていただきます」と今朝のコメントにありました。「刮目して待て!」の心境です。

しかし、先日も発達障害の子どもたちの指導に真剣に取り組んでいる方のブログで、クリスタル・チルドレンに肯定的に言及されているのを見たりして、ううむぅと絶句しちゃったりもしました。「いやあ、それってどうなんだろう」という話をするのって、あれこれ考えすぎちゃってなかなか話題にしづらいものがあります。すごく単純な事実誤認とかだと、そうでもないんですけどね。

まあその、ご覧のように、知識のないところをごそごそ調べたりしながら、ぐずぐずといろいろ思いを馳せるのがスタイルというようなブログで、はなはだ煮え切らない記事が多いのですが、そういう「ぐずぐず」をさらすことで、なんかこう、考えるヒントにでもなればなあ、と思っています。

あ、念のため。どらねこさんの記事を「安易な批判」だと思って、自分の日記を思い出したわけではないですからねっ! 環境教育の難しさつながりってなところとお考えいただければ。

教員のダブスタと子どもの反応、酒井式については、また今度(^^;;
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月15日 08:36
tosi先生のエントリーをました。

 新しいエントリー、上がっておりましたね。今でも基本スタンスは変わっていないようです。
 もちろん、食事を残さないための学級運営方針には異論は無いどころか、素晴らしいなぁ、なのですが、食生活の乱れについては、kamezoさんが仰っていたとおりなのですよね。

 どうしたモノでしょう。
 とりあえず、いっとき話題になった50歳寿命説を調べてみたいと思います。
Posted by どらねこ at 2009年04月16日 09:23
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Weblog: どらねこ日誌
Tracked: 2009-04-14 18:52