2009年04月27日

【資料】血液型性格判断と差別(kikulogから)

血液型性格判断が差別につながるということ、そしてそれは血液型性格判断がニセ科学かどうか(合理的な根拠があるかどうか)とは関係がないということ。その件について、菊池誠が述べている部分を kikulogからピックアップした。

ほとんどひとつながりの文章として読めてしまうのだが、実際は「血液型 差別」でサイト内検索して結果を、ヒット順に配列してあるだけ(関係の薄いコメントや、コメント内の内容に関わらない応答は除いてある。それにしても驚愕)。

きくち May 9, 2007 @00:26:28
血液型性格判断は実際に差別と結びついています。
ただ、これは血液型性格判断の正否とは別なんですよね。仮に血液型性格判断が正しいとしいも、差別に使ってはならないわけです。
きくち May 23, 2007 @00:36:33
仮に血液型性格判断が当てになるとしても、それは「やってはいけないこと」なんです。基本は「本人の努力ではどうしようもないことで、差別してはならない」ですから。
きくち May 23, 2007 @01:40:54
おっしゃるとおり「建前」です。
  
現時点でも「入社の面接で血液型を訊かれた」という話は、いろいろなところで挙がっています。血液型による差別は「すでに存在する差別」と考えるべきでしょう。
 
僕たちはふたつのことを世間に訴えなくてはなりません。
まず「血液型性格判断はニセ科学であって、根拠がないこと」そして、「よしんば血液型性格判断に根拠があったとしても、それを採用のための判断基準とするなど、差別の根拠としてはならないこと」です。
きくち May 26, 2007 @09:57:16
たしかに「自分ではどうしようもないことで差別してはならない」は非常に一般的なスローガンなので、その中身については個別に考えなくてはならない点がいろいろあると思います。
「人権」については、長い長い議論の歴史があるわけですし。
 
そういう意味では、就職差別についていえば、「個人の能力・適性だけで判断せよ」ということですよね。
まず「個人」ということが重要で、「個人の属する集団の性質」ではない。それから、「適性」については、職業ごとに違いますし、技術の進歩によっても変わっていきますから、完全にケースバイケースでしょう。
  
スローガンについては、その背景にある考え方まで説明しないと誤解を招くかもしれない、ということでしょう。「道徳を自然科学で根拠づけるべきではない」でもそうでしたが(^^;
まあ、どんな場合にも「一文」ですべては語れないわけです。ただ、キャッチフレーズもそれはそれで重要なので。まあ、そこはいつでも悩ましい。
きくち May 27, 2007 @11:21:56
現実には「血液型で人を判断する」のは差別であるとみなさん考えておられるわけです。それはいいですよね。そこにまで疑問符を付けるかたに対しては徹底的に議論しますが。
 
その先の「仮に血液型と性格にかなりの相関があったら」は、問題設定が非現実的なので、実はなかなか真剣には議論しづらい。しかし、それが来るべき「遺伝子差別」と非常に近い問題であることは認識しておいたほうがいいでしょう。
むしろ、"ファンタジー"にすぎない血液型のことは忘れて、「遺伝子差別」の話にしたほうがはっきりするかもしれません。
この問題については既に多くの論考があるのだと思いますが、僕はあまりフォローしていません。ただ、少なくともグールドの「人間の測りまちがい」くらいは読んでから議論したほうがいいかとは思います。 
きくち October 22, 2007 @09:24:31
ふたつの問題は別とも言えるし、別でないとも言えて、なかなか整理は難しいです。
 
僕は「血液型性格判断は差別につながる」と主張しています。この点は、何度か出てきた放送倫理を議論する機関であるBPOの声明にも書いてありますし、「血液型性格判断の社会的影響」を考えるうえでは最も大事な点だと思います。
そして、それ自体は血液型性格判断の科学的な成否とは関係ありません。仮に事実であっても差別につながるということです。
たしかにABOFAN氏はその問題に無頓着であり、「法律違反でないからいい」という趣旨の発言をされるかたであることがわかりました。それはそれとして、批判されるべきであると考えていますし、実際、その議論は行なわれました。
  
ただし、ここでは科学的な成否についての議論に、より多くのコメントが割かれています。ひとつの理由として、ABOFAN氏がネット上で「血液型性格判断を科学的に肯定しようとする論客の代表的人物」とみなされていることが挙げられます。ABOFAN氏の議論が科学的にも論理的にも破綻していることは、一連の議論で完全に明らかになったと思いますが、ABOFAN氏はまだ続けるおつもりのようです。そうであるなら、純粋に科学的な議論は、差別とは別問題として続けたいと思います。
 
科学的な問題に関して、僕やほかのみなさんがABOFAN氏を批判しているのは、その論理的でたらめさと議論における不誠実な対応です。
差別に無頓着であることとどこかでつながっているのかもしれませんが、いちおうそのふたつは分けています。
 
社会問題としては差別のほうが重要であるというのは、おっしゃるとおりです。
きくち October 22, 2007 @22:22:04
>そんなことはあり得ないのですが

いろいろ調べられた結果として「関係がないことがわかった」のであって、「あり得ない」わけではないです。
 
血液型性格判断以外の問題も考えると、「事実であったとしても、差別の材料としてはならない」というのは極めて重要なことです。
その意味で、「科学的事実」と「差別」を分けておく必要があります。
きくち October 25, 2007 @22:07:54
>倫理観が科学的真偽に依存するようなものではあってはならない

その点では基本的には同意できてると思うんですけどね。
ただし、例外はいくらでもありえます。医療の発達で「生」と「死」の概念すら、かつてとは変わってきています。「脳死」など、かつては問題として存在しなかったのです。そういう新しい概念に対して、新しい倫理を作らなくてはならない場面は今後いくらでもでてくるでしょう。
 
差別につながりかねない発見の多くが、同時に医療につながるものでもあり得ます。差別につながりかねない発見を単に「なかったことにする」「見なかったことにする」では却ってよくないという事態は今後どんどんでてきます。難病が遺伝性であることがわかるなら、治療法につながる可能性があります。しかし、同時に差別にもつながり得ます。
考えるべきは、差別につながりかねない発見を「差別に結びつけない」という社会的合意です。それを「科学者の倫理」だけですまそうとするべきではありません。
posted by 亀@渋研X at 08:48 | Comment(9) | TrackBack(0) | ニセ科学対策教材の種 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 【資料】血液型性格判断と差別(kikulogから)
この記事へのコメント
#亀@渋研Xです
#この投稿は、 4/28 8:50頃に削除しました。
#理由等は、次のコメントで。

#なお、元の投稿は、下記の魚拓で読めます。
http://s01.megalodon.jp/2009-0428-0755-39/shibuken.seesaa.net/article/118154693.html
Posted by SSFS at 2009年04月28日 03:02
上記の投稿は恥ずかしい落書きレベルと判断して削除しました(誹謗中傷とか慇懃無礼などと呼ぶのも恥ずかしい)。

元の全文を読みたい方は、魚拓へどうぞ。
http://s01.megalodon.jp/2009-0428-0755-39/shibuken.seesaa.net/article/118154693.html

ちなみに投稿の内容は、一連の菊池発言は、菊池自身の差別指向を示すもので、それは上記の一連のコメントから読み取れるとの指摘を含んでいます。当否については、読者の判断にゆだねます。

また有用な情報もありました。

昨年11月のJSTサイエンスアゴラでは、血液型性格判断(あるいは、それと差別の関連)はトリビアルな話題として扱われた、というものです。これについて、ぼくは裏は取っていません。事実であれば悲しい理解だと思います。
Posted by 亀@渋研X at 2009年04月28日 08:51
>昨年11月のJSTサイエンスアゴラでは、血液型性格判断(あるいは、それと差別の関連)はトリビアルな話題として扱われた、というものです。これについて、ぼくは裏は取っていません。事実であれば悲しい理解だと思います。

その情報は誰から聞いたのですか? 血液型性格判断をとがめるプレゼンまであったのに、なぜ「トリビアルな話題」扱いなんですか。明らかにおかしいです。私は会場でずっとメモを取っていましたが、一言で言えば「血液型性格判断に目くじらを立てるな」という意外な空気でした。

もし疑うのなら、亀@渋研Xさんはライターさんなんだから、JSTのアゴラ事務局なり、当該のプレゼンをした長谷川氏なり、あるいは毛利氏本人に聞くなどして、ぜひ裏を取ってください。「事実であれば悲しい理解」というコメントをつけたからには、事実かどうか確かめる責任があります。

長谷川氏「血液型性格判断は世俗知の一つである」。
http://jigokuzaka.seesaa.net/article/110126636.html
毛利氏「女の子をくどくときなんか、潤滑油としていいんじゃないですか」。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835549&tid=a1va5dea5a4a5ja59a5a4a5aaa5sa1w4fbbkbcbc&sid=1835549&mid=2027

ちなみに、毛利氏は自身が疑似科学者・ニセ科学者呼ばわりされたことのトラウマを切々と語りました。
http://www.kanshin.com/diary/1635709
http://www.watarase.ne.jp/orihara/20081123.htm
http://www.cmcbooks.co.jp/m-mgazine/mail-backnumber/industrymail/industrymail081203.php
http://d.hatena.ne.jp/Gesundheit/20081123/

これは会場にいた人全員に伝わったメッセージだと思いましたが、天羽氏はそうではありませんでした。
http://www.cml-office.org/archive/1227535202188.html

ニセ科学批判者は自分たちが護持する考え以外は耳に入らない、という狭量な傾向があります。さらに、自分が見聞きしているのに、都合が悪い部分を故意に伝えないのであれば、卑劣な情報操作です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835549&tid=a1va5dea5a4a5ja59a5a4a5aaa5sa1w4fbbkbcbc&sid=1835549&mid=2029

亀@渋研Xさんはライターさんであり、菊池氏・天羽氏の取り巻きの中では物事を客観視しながら検証できる方だと思うので、こうやって警告を発しているわけです。いま、ネット上でニセ科学批判者批判が渦巻いているのは、これまであちこちで具体的な証拠に立脚しない恣意的な主張を押し付けてきたことのツケといえます。深刻に受け止めてください。

さかのぼって、
>ちなみに投稿の内容は、一連の菊池発言は、菊池自身の差別指向を示すもので、それは上記の一連のコメントから読み取れるとの指摘を含んでいます。当否については、読者の判断にゆだねます。

一連の発言を改めて読み返しても、血液型性格判断がもつ多様な意味合いを一切無視して、「差別」しか目に入っていないように見えます。「と学会」という組織は、「ほらみろよ、こんなバカがいるんだぜ」という根拠のない優越感に浸り、人を見下すことを常としています。「と学会」員である菊池氏はおそらく、血液型性格判断を面白がっている人をバカにして、差別の対象にしたいのでしょうね。

「血液型と性格に関連があるという説が浸透してる」。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_f1dd.html
ヒットし出した本は内容と関係なく、人々の関心を集めてますますヒットする、という側面があります。それに全然気づかないのは狭量さゆえでしょう。
Posted by SSFS at 2009年05月04日 17:00
>その情報は誰から聞いたのですか?

SSFSさんの投稿で読んだことです。そういう主旨で書かれたものではなかったのですか? 魚拓に残っている文を再読しても、ほかの意味にはとれません。

また、わたしのコメントはそういう主旨に読めませんでしたか?

しかし、ぼくの誤解だとすれば慶賀であります。

失礼ながら、新しくいただいたコメントの第2文以降はいまのところ未読です。後ほど拝読いたします。
Posted by 亀@渋研X at 2009年05月04日 19:54
>SSFSさんの投稿で読んだことです。そういう主旨で書かれたものではなかったのですか? 魚拓に残っている文を再読しても、ほかの意味にはとれません。

私の文章を読み、血液型性格判断をトリビアルな話題として扱ったと受け取ったわけですね。トリビアルと「目くじらを立てるな」とはずいぶん違いますよ。毛利氏はじめ、わざわざ騒ぎ立てることはなく、酒席の楽しみでいいじゃないか、という雰囲気でした。

酒席の楽しみ、あるいは会話のとっかかりにすぎないと世間で広く理解されていることを、「差別」「差別」と喧伝する方が異常です。自分たちの狭量で世間に物申すことの妥当性を、菊池氏らニセ科学批判者は再検討すべきでしょう。
Posted by SSFS at 2009年05月06日 01:20
SSFSさん

サイエンスアゴラ2008の件ならびにきくちくんの一連の発言について、また私の立ち位置についてSSFSさんがどのようにとらえておいでなのかは理解しました。

サイエンスアゴラでの血液型性格判断についての扱いが妥当か、また、それをトリビアルと表現することが適切かどうかについては、ここをお読みの方々がそれぞれに判断されることでしょう。また些末な問題ではありますが、上記コメントでの小さなすれ違いが、私の誤読に由来するのか、SSFSさんの表現の問題なのか、あるいはさらに別の要因に帰せられるものなのかも、同様にお読みの方々におまかせしたいと思います。

しかしSSFSさんには、このブログの運営者としてひとつ苦言を呈しておかねばなりません。

今回の一連のコメントは、率直に申し上げてかなり不適切な表現を含んでいます。少なくとも、誰かの態度に言及するにあたって、自分が指摘しているのとまったく同じスタイルで非を鳴らすようでは、説得力のかけらもないというものです。「と学会」はじめ誰かの態度を云々できるコメントとはとても言えません。これでは「『根拠のない優越感に浸り、人を見下すことを常として』いるのはご自身ではありませんか?」などという水掛け論を呼び起こそうとしているかのようです。そんな不毛なやりとりはYahoo掲示板の「マイナスイオン監視室」だけで十分だとお考えであれば、また、今後もこのブログコメント欄への投稿を継続するおつもりであれば、投稿ボタンをクリックする前に、ご自身の投稿を再読することをお勧めします。

Posted by 亀@渋研X at 2009年05月07日 06:28
以下、念のため。
このブログをある程度の期間お読みの方々には今更の話だと思いますが、SSFSさんは「マイナスイオン」とか「菊池」とかいう単語が出てこないと、このブログの記事をお読みになっておらず、お気づきでないかもしれませんので、ご説明しておきます。

ぼくは菊池くんに共鳴し彼を支援しようという気持ちはありますが、彼とは独立した動機もあってこのブログも連載も続けています。また、彼とは40年来のつきあいであり、それが彼の選択を信頼することにつながっている部分は多々あるものの、それだけで共鳴しているわけではありません。彼に学ぶ部分はかなり大きいとは言え、ただ彼の後を追いかけているわけではありません。ぼくの影響力が小さいのは、ひとえにぼくの力量によるものです。傍からどのように見えるとしても。

ぼくは「と学会」の会員ではありませんが、同じ気分を共有する者ではあります。それでも「と学会」構成員のなにほどかが、彼らの観察対象に対して優越感に似た感情を背景にもっているであろうことは、ぼくも疑いません。彼らは観察対象を「トンデモさん」と敬称を付け、自分たちの行為を「愛でる」と呼んでいます。しかし、「自分たちも同じ愚をしでかす危惧をもっている」人ばかりだ、などということは、きっとないでしょう。その危惧を含めて自虐的に楽しんでいる方も少なくないだろうと思いますが、それでもうっかり自分の無謬を前提にしてしまう危険からは自由ではありません。

また、菊池くんの発言に一切の非がないなどということは原理的に言ってもありそうにないことではあります。しかし、血液型性格判断に関しては、ぼくも従前から彼と同様の主張を持っています(およそ30年ほど前から。ただし、ぼくの場合はモード性格論に近い人間観が背景にあります。また、心理学に限らず「自己評価」の扱いに関してかなり懐疑的です)。

差別に関していえば、ぼくはおそらく菊池くんと同じかそれ以上にセンシティブです。もともと「新左翼シンパ」とか「ノンセクト・ラジカル」などと呼ばれる人たちに近い社会観の持ち主なのです。こうした「カジュアルな差別」といったものは以前からいくつも存在し、それは酒席などで他愛ない話題として扱われる「からこそ」問題なのだと考えています。すでに常識と言ってよいレベルのことであってほしいと思いますが、差別の多くは日常化してしまって差別する側からは見えづらくなり、そのために軽視され、いよいよ厄介さを深めるものです。多くの人は、自分は差別などしていないと思って差別をするものなのです(正当化などではなく、本当に気づかないのです)。

また、酒席などで他愛ない話題として扱われていさえすれば、どのような話題でも問題とするには当らない、などと考えておいでの方は多分めったにおいででないでしょう。そのように設問を設定しさえすれば、あ、そうだ、と気づく程度のことです。

もうちょっと明確に言いましょう。「酒席での他愛ない話題でしかない」という状況は、その問題性をなにほども小さくするものではありません。むしろ、「他愛ない話題」と思われていることは、それが人々の間に深く浸透し内在化されている証左と言えるでしょう。また、多くの人は(ぼくも例外ではありませんが)、このように根拠になり得ないものを根拠にしてものごとを考えてしまいかねないという危うさを持っているものです。

Posted by 亀@渋研X at 2009年05月07日 06:28
おっしゃりたいことはだいたい分かりますが、冷静に考えてみてください。コンピューターシミュレーションの専門家が、血液型性格診断を問題視し、「差別になるからやめろ」と叫んだところで、そんな社会学的な領空侵犯を世間が相手にするわけがないでしょう。そもそも筋が悪すぎる主張ですよ。

亀@渋研Xさんが、ニセ科学批判のコミュニティーにどっぷりとつかって、仲間内の生暖かいやり取りを楽しみたいというなら、それでも構いません。しかし、世間に対して物言いをしていきたいと望むなら、通用しそうなことと通用しそうもないことの峻別はしなければなりません。

亀@渋研Xさんにとって見たくない文章でしょうが、敢えて繰り返します。根拠のない優越感で人を見下す「と学会」の精神は、ニセ科学批判に最もあってはならないものです。ニセ科学批判のリーダーが「と学会」員であることが、ニセ科学批判の原罪というか、そもそもの不幸です。
Posted by SSFS at 2009年05月08日 01:35
うーむ。これは詭弁論で言うところの「対人論法」に陥っている気がしなくもない。
人の属性と、その論の論理性は分けて考えるのが原則で(例外は、その人を分析する場合のみ。)、それは論理学上、非常に重要なのではないかと思います。
純粋に演繹法で記述するのはむずかしいかも知れませんが。
ちなみに、実は私も気軽に酒席で話題にされるカテゴリ(私の場合は医療弱者)に属していて、患者団体でも話題になりますが、差別というのは人間の認知エラーに属するもの(確証バイアスと利用可能性エラー)ですから、なかなか根源的であり、解決が難しいものですね。
そもそも、対人論法自身が、「その人型」というステレオタイプに属させる差別ですからね。
Posted by atlantis_sawamura(Hatena) at 2009年06月12日 15:17
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