以前は「ホメオパシーとはなにか」みたいな記事(www1.odn.ne.jp/homeopathy/what_is_homeopathy.htm)ぐらいしか読んでなかったんですが、学会発表(www1.odn.ne.jp/homeopathy/literature.htm)なんか読んで、頭がぐるぐるしてきました。
ここでいう「学会」は「日本ホメオパシー医学会(www.jps-homeopathy.com/index.html)」のことで、これ、現職の「正規の」医師の団体のようです。ここの説明(「包括医療であるホメオパシー www.jps-homeopathy.com/html/home_02.html」とか「ホメオパシーの危険性 www.jps-homeopathy.com/html/home_06.html」とか)なんか読むと、さらにアタアがぐるぐるぐるぐるです。
ベンベニストが引っ張りだされたりはしていても、必ずしもメチャメチャなことを書いているわけではないと思います。真摯な方々の集まりという印象。
でまあ、「この人たちの言っているホメオパシー」は確かに治療行為なんだろうなあとは思うのです。この学会の言っているのは、なんというか「ホメオパシーの方法論“も”活用した、総合的な医療行為」とでもいうようなもののようで。
もちろん世間でこの手の治療法だのなんだのを声高に言っているのは、不安をかきたてる商売みたいな、医師でも薬剤師でもない、とんでもねえ商売人の方が多いのだろうなあとは思いますよ。「この学会のサイトを見てホメオパシーを信じた」ではないですよ。もちろん「この学会の人たちのホメオパシーは本物だ」みたいな真贋の話でもないですよ。
これ、患者のメンタルケアに重きを置いた問診が最大の特徴なのではないですかね。問診に1時間程度かけるのがふつうというから、もうこれはカウンセリングの域かも。医者で待ち時間以外にそんなに過ごしたことないです。レメディは医師と患者のコミュニケーション成立と信頼関係樹立のシンボルなんじゃないかと思ってしまいました。
「治療行為」というのはなんというか、奥深いというか悩ましいですねえ。いや、悩んでいる医者や患者が多いと言う方が正しいか。
代替医療や伝統療法と呼ばれてしまったアプローチの中でしか「楽になった=救われた」と実感できないのであれば、そりゃあその人にとってはかけがえのない「治療」だろうと思います。いや、代替医療でなくたって縁側の茶飲み話でもそうなわけで。
先の開業医がターミナルケアと疼痛緩和に取り組んで来た人で、針治療とプラセボの比較なんかを前にあれこれと書かれていることと考え合わせると、こうしたアプローチに200年前に「ホメオパシー」という名前がついてしまい、レメディというシンボル(かなにか)が生み出されてしまったことが不幸だった、と強く思います。創始者だとされるハーネマンの意図したことは、「なんの方法論の確立だったんだろう」とも思います。
「患者との関係樹立の際には、丁寧で親身な問診が役に立つ。症状(主に原因不明の痛みや不定愁訴)によっては、それだけで軽快・改善される」ということであれば、多くの人は違和感をもたないでしょう。そこに「レメディと名付けられ、患者の状態に即して諸方・選択されたとされる、内容的にはほぼ無害な(無意味な)錠剤があると、なおいい」というのも、「それが相互理解の象徴として、患者の精神の安定をもたらすからだ」ということであれば、別におかしな話ではない。プラセボ効果は、疼痛の緩和の際にしか機能しないとかいう説もあるそうですが、それともうまく合致するし。
だからといって、ホメオパシーを根拠にして予防接種やワクチンを否定したり、既存の「実証された医療」を拒否したりしては場合によっては命に関わるし、それが伝染病などだった場合はテロにも等しいかもしれないわけだから、全面的に安全だとは言えないわけですが。
ニセ科学商品にも、ニセ科学的説明が問題なだけであって、製品としてはイイモンがあるのかもしれないっていうことと、一脈通じる問題かもしれません。