(原稿書きます! 書いてます! 図版作ってます! 校正してます!)>誰へともなく
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直後の追記&ごめんなさい:
ここ数日のこのエントリ↓へのコメントの伸びを知らんかった(汗
kikulog:道徳やしつけの根拠を自然科学に求めるべきではない
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?mode=comment&UID=1164299987#CID1169846033
きっと精緻な議論を展開されている方もおいでだろうから、読むと私もまた違うことを考えるかも(大汗 でも、今は読む余裕がない(><) ので、一時、このエントリはストップします。とほほ。
翌29日06:18 a.m.の追記:
1月23日の、このコメントが伸びのきっかけなんですね。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987#CID1169520554
この投稿以降の議論だけでも長い長いものなので、まだザッとナナメ読みしただけです。それだけでも、あっちでの議論とダブる部分や、「あ、そうか」と自分の誤りや不適切な部分に気づいたりもしました。が、ちゃんと読んで再検討する余裕がない。でもまあ大筋で修正する必要がありそうな誤謬もなさそうなので、ちょこっと手直ししただけで載せちゃいます。
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しつけって、規範意識を身につけることですよね。規範って、この場合、礼儀とか感謝とか気遣いとかそういうもののことですけど。で、そういう規範って自然科学が発達する前からあったものですよね。もちろん、それぞれの内容には妥当なものもそうでないものもあるだろうけど、それは自然科学の知見や法律の存在とは関係なく存在してきたんじゃないでしょうか。
そうした知見によって補強されることはあったに違いないけど、そういうものでも自然科学的な知見が、いや学問的知見が根拠になって生まれたわけではないのではないかと思うのですが。
たとえば「偏食はいかん、やめよう」っていう話で考えてみます。自然科学の知見として「偏食は成長を阻害する。場合によっては健康を害する」ってことも理由にはもちろんなるけど、それ以前に「感謝」とか「礼儀」とかはないのでしょうか。そこが「しつけ」なんじゃないのかしらん。そこは文化の文脈によっていろいろだろうけど、「食べ物をだいじに」「出されたものは全部食べよう」の理由ってなに? 健康を害するからっていうだけ? っていうことです。料理であれ食材であれ、作った人のことは?
はたまた「子供は××ばっかりやらんほうがいい」とか「約束は守ろう」とかっていうのは、教育学とか脳生理学とか法律とかなんか、そういうものの力を借りないと成立しないの? そんなことないでしょう。
そう考えると、「しつけの根拠を自然科学に求めるのはおかしい」っていうよりか、そんな自然科学だとかの力は、別にあってもなくても変わらないはずなのでは。余計だとは思わないけど、そこに着目しすぎると根本がおかしくなる。
それとも学問の支援がないと成立しにくいのかな??? 儒教なんてもんを考えると、文脈を文化依存にしておくとうまくいかんから整理しなきゃとか、そういう側面はあるのかもしれませんね。
だとすると、なんでそういう規範があるのかを考えるのも有効かも。そんときは論理性が重要になって、そこは学問的知見の出番ですね。歴史に学んでみるのもいいだろうし、「逆の場合(ex.ダメといわれているものがオッケーの場合)を考えてみよう」とかもいいんじゃないでしょうか。しかしそういう場合でも、必ずしも自然科学の出番というわけではないのでは。
ただ、しつけの内容が学問的知見とちゃんと符合するっていうのは結構大事だと思いますよ。その規範意識が学問的知見と矛盾する、ものすごく不合理だっていうなら、守らなくていいじゃんってなるしね。でも、これはまた別の話。
タグ:教育
どうしたって文脈依存なところはありますよ。
これまで全然打ち込めるものがなかった子が、なんか打ち込めるものを見つけたんだったら「こんなときぐらい大目に見ようよ」とか、それどころか「応援してやろうよ」とかね。
あ。「それは別の話じゃない」という考え方があるのかな……
うー、また後で考えよう。
・自然科学など学問領域の知見の多くは、そこの文化や文脈に依存しない
・一方、しつけは文化・文脈に依存する
・したがって学問的知見は文化・文脈に依存しないために、しつけの根拠そのものたり得ない
・しかし、学問的知見はしつけの内容の妥当性を検討する働きは持ち得る。それによってしつけの根拠を補強したり、あるいは逆に否定することは可能
こんだけか?(汗
そうすると「文化・文脈に依存しないしつけをどう考えるか」になるのか?