http://aruhenshu.exblog.jp/5503359
経由で、
404 Blog Not Found:書評 - 学者のウソ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50761422.html
を見て知った。そんなジャンルがあったのかあ。
Amazonの「和書」で「ウソ」を検索した結果を「『ウソ』本」という説明はわかりやすいようでいて曖昧なんだけど、まあ、そこはいいや。
んで、上記各記事のエントリとは全然関係ないのだけど、けっこうあるんですね「常識のウソやマスコミのウソを暴きます」的なリテラシー本って。検索結果の半分かそこらはそういってよさそうです。ぼくは『「心理テスト」はウソでした』以外、ほとんど知らない本ばっかりでしたけど。
で、不思議なのは、これだけいろんな人が「簡単に信じるなよ」って言ってるってことは、ある意味「常識化してる」ってことなのだろうに、それでも無防備に信じちゃう人がホントにたくさんいるのだろうか、やっぱり、ニセ科学とかいい加減な報道を素朴に信じちゃうってことではないんじゃないだろうか、ってことで。
いや、これだけではわからんのはそりゃそうなんだけど、でもビックリしたのですよ、あんまりたくさんの「ウソ」本があるので。
渋研も本になると、この仲間ってことになるのか? なんてことも思うし。んー、なんか複雑。
先日のコメント、後から読み返すとあまりにネガティヴなんで軽く鬱になりました。すみません
(-_-;;
> で、不思議なのは、これだけいろんな人が「簡単に信じるなよ」って
> 言ってるってことは、ある意味「常識化してる」ってことなのだろうに、
> それでも無防備に信じちゃう人がホントにたくさんいるのだろうか、
> やっぱり、ニセ科学とかいい加減な報道を素朴に信じちゃうってこと
> ではないんじゃないだろうか、ってことで。
「『ウソ』本」の読者は「○○なんてこんなに嘘ばっかりだ!」というのを読んで、「そーだそーだ!あぁすっきりした!」で終わってしまって、そこから先に進まないのではないでしょうか。
『ウソ』本読者は、「その『ウソ』本が嘘である可能性」とか「『ウソ』本を無防備に信じてる俺」に思い至ることはなく、とりあえず「俺はアイツ等の愚かさを見切ってる」という小さな満足感で終わってしまうことが多いのでは、と...。
つまり「『ウソ』本=リテラシー本」とは限らないのかもしれません。
なぜなら、真のリテラシー本は、最終的には「この『ウソ』本に飛びついてきたアンタも同じ穴のムジナだ」という風に読者を動機付け・誘導しなければならないと思うからです。「○○は××だ!だからアンタのやるべきことは△△!」→「なるほど、これなら安心だ!」という構造のウソにこそ気づけ、と。
僕も別に『ウソ』本を集中的に読んだりしていませんが、「疑似科学本→『ウソ』本」の組合せには、どうも「読者をカモる連鎖」という一面もあるような気がしてなりません。
そうですね。お墨付きもらったら安心みたいな。
「どれがウソなのか二分法で白黒つけてくれ」みたいな気持ちは、kikulogでのコメント欄あたりでは滅多に感じないのですが、それでもありますよね。
「これってどうなの?」と思ったら「君子危うきに近寄らず」でええちゅうねん。仮にそれで損をすることがあったとしても、騙されてむしられることに比べたら百万倍もマシだと思うんですけどね。
ん〜。そうですねー。
最近思うのですが、「しつけに科学」にせよ「ウソ本に飛びつく」にせよ、その「強迫観念の解除」には、そろそろ「自然科学分野と他分野のコラボ」が必要な段階にきているのではないかな、なんて。心理学とか社会学とか。
菊池教授&宮台真司なんて、最強タッグだと思うのですが(笑)