2017年02月21日

科学的知見と社会的合意

昨夜、このまとめを読んだ。

私の「法と科学」に関するメモ - Togetterまとめ

本題となる部分については、今のぼくの手には負えないのだが、引用されている「小倉弁護士からのリプ」の内容には既視感があった。

カドミウムを人体の大量に投与するとどうなるか実験によって確かめられていない以上、カドミウム廃液とイタイイタイ病との間に因果関係を認めることは出来ないとして「被害者」からの請求を棄却するのが、科学の側からは理想的な裁判ですよね。


これは、ぼくの友人知人にも見られる反応だ。それでつい深夜に連ツイしてしまった。記録としてミスタイプ等最小限の修正を加えてここにまとめておく。この手の議論を知っている人にとっては子供が書いたようなものに見えるかもしれないけど、まぁ記録として。

ぼくの周囲では、公害病関連訴訟での「因果関係がわからない(から補償・救済の対象にしない)」というケースに「学んだ」層に多い反応。社会的合意としての線引き問題だと思うのだが科学の問題と思われがち。

福島原発事故の後、「晩発性障害が出ても、どうせ『事故との因果関係は明らかでない』と門前払いを食う」といった反応を身近に見てきた。ワクチン忌避や副反応被害の話にしても同じ構図。「因果関係が明らかでないと補償の対象としない」という基準は適切かという問いのはずなのだが。

因果関係が明らかでないものまで補償などの対象にしてしまうと、無制限に対象が広がるのではないかという危惧が一方にあり、科学的に因果関係が明らかとまでは言えなくても日常感覚で十分に因果関係が疑えるのであれば対象に加えるべきという願望が一方にある、と言ってもいいのかもしれない。

たとえばワクチンの副反応に関する補償であれば「因果関係は不明でも接種後の有害事象といえれば補償の対象とする」という線引きは可能だろう。しかしこれは科学の問題ではなく、社会的合意の問題だ。接種後という条件がつけば「無制限」ではないが、これを必要以上の救済と考えるか否か、という話だ。


話の途中なのだけど。
副反応・有害事象について、昨夜のボクは「副反応=ワクチン接種によって起きた治療目的以外の反応=薬でいう副作用」「有害事象=因果関係はともかくとして摂取・服用後に起きた好ましくない結果」ぐらいのつもりで書いていたのだが、用語説明を探してみたら、現実にはそう単純ではなさそうだという話に逢着。

複雑怪奇な「有害事象」と「副反応」のまとめ - うさうさメモ〉(2014-04-01)。

よろしかったら後ででもお読みください。連ツイまとめに戻ります。

先に「接種後の有害事象といえれば」と書いたが、そこにたとえば「何ヶ月以内」といった条件がつくとき、その「何ヶ月」に科学的合理性があるかを問えば科学の問題となるかもしれない。しかし、社会は「科学的合理性だけ」で物事を決めてはいない。それでいいのかという問題もあるけれど。

「科学的合理性」はおかしいか。「科学的妥当性」とでもいう方がいいのかな。
たとえば、添加物規制のため基準値を決めるとき、科学的には一定の幅をもった答えしか出てこないだろう。「体重がなんぼで何歳の健康な人間が同じ量を1年間摂取し続けた場合、○○〜△△gあたりを超えると危ない」とか。

そんで、「そうそう条件通りにはいかないよね。じゃあ安全を見込んで、その100分の1までだいじょうぶってことにしよう」みたいに基準値が決まる。そこまでは科学の側の「回答」と言えるかもしれない。でも、99分の1でも101分の1でもない理由は、なに?

その意味では「100分の1」は、わかりやすいとか管理しやすいとかいう「社会的合意」だよね。
ひょっとすると「○○〜△△gあたり」の100分の1は、すごくハンパかもしれない。基準としてはわかりやすく管理しやすい数値に丸められて、実際には99分の1や101分の1になるかもだ。

こういう基準値みたいな線引きは「科学が勝手に答えを出している」わけではなくて、「科学の成果を十分に参考にした上での社会的合意」だよね。で、運用上は十分合理的だったりもするわけだ。
公害病やワクチンの有害事象についての救済でも、そういう判断は可能で、実際になされているはず。

科学の側が提供できるのは、ひとつの指標に過ぎないはずで、それをどう使うかは社会の、あるいは法曹界の側の問題のはず。
思い出してしまうのは「相対的貧困なんて、そんなの本当の貧困じゃない」とかいう話。あれは社会学なりの「科学」が出した指標を社会が受け入れないわけだよね? 違うのかな。

いろんな指標をうまく使いこなすのは、実際、大変なことだとは思う。最近はエンゲル係数の変動をどう考えるか、なんて話もあった。ってことは、それなりに馴染んでくればうまく使えるというほど単純なものでもないのかもしれない。でも、科学的な知見を根拠にして考えるって、そういうことだよね。


ぼくは科学の専門家でもないし(それどころか中学校の理科もあやしい)、法学部に在籍したことはあるものの大学卒業もしてない。一般教養課程での中退なので最終学歴は高卒だ。だから気付かずに正確ではないところ、勘違いしているところがあるかもしれない、おかしなことを書いているかもしれない。というわけで、ツッコミ歓迎です。なにかお気付きのことがあったら、いろいろ教えてください。

ひとつだけ、後で気付いた点を。以前「科学がすでに権威になっていることを忘れるな」みたいなことをネコの人(うわぁ、ハンドル忘れた>< 語尾がにゃーにゃーいう人です・汗※)が言っていた。ような気がする。彼のマッチョぶりが苦手であまりちゃんと話を追えてないのだけど、「だから『科学的知見』ってのは、それはそれはものすごい圧力として機能するのだ」というようなことだったのではなかろうか。それを抜きにして「科学的知見だけでものごとは決まらない」なんて言っても、ぬるいぬるい小学生レベルのお話なのかもしれない。

(2/22 02:25追記)
※:地下猫さん(blogTwitter)だ! ブコメで教えてもらいました! ネット上では直接やりとりもしたことがある相手なのに、誠に失礼しました!><

とはいうものの、申し訳ないけど、まだ本調子とは言えないので議論をふっかけられてもちゃんとお相手ができるとは思えない。だから、この辺の話題に関心を持たれた方にはWebで読めるものをいくつかご紹介。「科学的知見と社会的合意」でググって上位に出てきたものです。全部は読んでないけど、きっとぼくなんかよりも掘り下げた話や整理された話が読めるに違いない。よろしかったらどうぞ。

社会的合意の根拠探し - shinzorの日記(2013-09-23)
PseuDoctorの科学とニセ科学、それと趣味: S01-09: 科学的知見と社会的合意について(2014年12月31日)
現実的に問題を解決するために(科学的知見と社会的合意) - Togetterまとめ(2013年5月22日)

あと、冒頭に紹介したまとめについたはてなブックマークのコメント群もなにかの参考になるかもしれないのでリンクしておく。

はてなブックマーク - 私の「法と科学」に関するメモ - Togetterまとめ

posted by 亀@渋研X at 23:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 科学的知見と社会的合意
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