2007年07月09日

不安解消装置 1

TAKESANさんちの「確信」発、NATROMさんちの「信仰と狂気〜吉村医院での幸せなお産」経由で、下記の記事を読む。

幸せなお産(オーガニックエッセイ たけまつばなし一覧)

まずはNATROMさんちの本文ならびにコメント欄をぜひともお読みいただきたい。

■合理化の手前にある不安解消装置
実際問題、リンク先のケースは極端かつ稀なケースだろう。それを一般化し、あまり大きく考えるのは慎重な態度ではないに違いない。しかし、あまりの痛ましさに「何が起きているのか」「何ができるのか」を考えないでいられない。

NATROM氏やコメント欄のみなさんが書いているように、このケースはある種の自己正当化なのだろう。ひょっとすると、妻や母親などに対する弁明もいくらかは含まれているのかもしれない。

人は自分が招いた結果が重大だと気づいていればいるほど直面することを避け、無意識のうちに責任回避しようとするのかもしれない。「合理化」ってやつですね。それを克服することは並大抵ではないのかもしれないし、ひょっとすると多くの場合は不可能でさえあるのかもしれない。

ささいなことでも失敗を認められず自分を正当化しないといられないことが多いのが人間だとしたら、大きな不幸の前では、必死に「悪者」を探すのだろうか。そうだとすると「自分の選択が誤りだった」という結論に達するときでも「自分にそのような選択をさせたなにか」を見つけ出してしまうのだろうか。

あれこれ考えるうちに、ゲーム脳仮説を「抗不安サプリメント」と位置づけたブログ記事を思い出してしまった(「「ゲーム脳」と類似の構造式の抗不安サプリメント達」[シロクマの屑籠(汎適所属) 2006-03-09]と「不安や葛藤を解消するサプリメントとしての、“ゲーム脳”の適応的意義(汎適所属)」)。
今回の場合、抗不安サプリメントと呼ぶにはあまりにも事態が深刻だ。単なる自然志向とはもはや異質な、強烈すぎるほどの「信念」をライト感覚なサプリメントとは言いにくい。いわば万能の不安解消装置だったのではないか。他の記事なども読むにつけて思うのは、お産の問題に限らずさまざまな(そして根源的な)彼の不安を解消する万能薬のはずだったのではないかということだ。

であれば、その装置は最大の不幸に直面したときも見事に機能して精神的危機「だけ」は回避させた。いや、その装置が完全であるはずだという信念がそれを成し遂げた、と言うべきか。

■小さな不安解消装置
【余談】efuto=絵封筒展」([3tkss]三鷹:教育ウォッチング 2007年07月09日)で言及されている展覧会。他愛なくかわいい展覧会とその作品。
記事中で何度も何度も同じ展覧会に通ったという女性のブログが紹介されている。そのブログには、買い物と展覧会通いがつづられている。おそらく、ごくふつう程度の「買い物好き」「展覧会好き」なのだけれども、「幸せなお産」の読後なので、ついつい「依存」などという単語を思い出してしまう。

でも、彼女にとっての買い物や展覧会が、小さな不安解消装置=「抗不安サプリメント」だったのだとして、多くの人は似たような小さな不安解消装置を持っているのかもしれない。
「抗不安サプリメント」だとすると、代替品もなくそれを採り上げてしまっては平静ではいられなくなってしまう。「抗不安サプリメント」によって平衡を保てるのだとしたら、あとの問題は、そうした依存の「程度」だろう。

ときどきは「自分はネット依存になっていないかな?」といった具合に、「抗不安サプリメント」に依存しているかもしれないと自分を疑ってみたり、その程度を、重度かな? 遠ざけるとどうなるかな? などと考えてみるのは、悪くないことのように思う。
(この項、続く)


posted by 亀@渋研X at 18:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 不安解消装置 1
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