2007年07月18日

【種】新書で「実用としての哲学」に触れる

最近、続けて2冊の新書を読んだ。「読んだ」と言えるほどちゃんとは読んでないんだけど(汗

1冊は小林和之「おろかもの」の正義論』、もう1冊は伊勢田哲治哲学思考トレーニング』。どっちもそれなりに名著として有名みたいなのですけど、読んでなかったんですよ。あっ、どっちもちくま新書だ。

このエントリの標題には「実用としての哲学」なんて書いたけど、別の言い方をするなら、「考える」という技術についての本と言ってもいい。どちらも現代の実社会の問題を例題として扱ったクリティカル・シンキング(批判的思考法)についての入門的かつ実践的な本だと言っていいと思う(小林さんはクリティカル・シンキングとは書いてないけど)。

「ニセ科学にやられない力」は理科的知識だけではない、ということがわかる本でもある。

アマゾンでもレビューがいくつもついてるし、Web上にも書評や感想文がたーくさんあるので、あんまり詳しく紹介する必要も感じないのだけど、「対ニセ科学」な観点からちょっとだけ感想など。

どっちかというと、数字なんかに苦手意識を持っている人には読みやすいんじゃないかと思う。
ニセ科学っていうとどうしても理科の感じがする。同じように検証とかっていうと、なんだか理科の専売特許みたいな印象があって、実証的にとかいうと、ああ、それ理系だ、なんて思っちゃう。で、「オレは文系だしなあ」なんて無意味にヘコんだり……しないか?
が、こうした本を読むと論証ってそういえば文系のワザじゃん、なんてことを改めて思い出せたりする。テツガクって、もっとらしいことをもったいつけてヤヤコシク語ることでも、思い込みでなにかを断定することでもないんだよね、なんてことも思い出す。

そうじゃなくても、「テツガクって無駄の象徴じゃないの?」とか思っている食わず嫌いな人、一般教養でテツガクの講義を取って「なんだよう、偉人伝じゃねえかよお」と嘆いているガクセーさん、ガッコーを出てから久しく「目先の問題解決のためではない思考」というものと疎遠になってしまった文系出身の社会人、統計だとかの理科的手法や理科仕事に倦んでしまって思考停止しかけている方なんかには、おもしろく読め、いろいろと思いをめぐらす契機になるのではないかしらん。

あたしはぶっちゃけ、小林さんの本は「オレは突然アタマがヨクなったのデハナイカ」などと思うぐらいに、日頃漠然と思っていたことがサクサクと取り出されて明晰に整理しなおされていった感じでした。
一方、伊勢田さんの本のほうは「オレはメチャメチャにアタマがワルイのデハナイカ」と思うぐらい、つっかえつっかえ読んだ。これは、これまで自分がまったく整理できていなかった断片について、否応無しに整理しなおすことを迫られたって感じかしら。
どっちも脳みその洗濯をしたような快感ではありました。もちろん、誰もが同じような印象を持つなんてことはないと思いますけどね。楽しそうだと思わない?

こんなことをいきなり書いてもしょうがないのだが、ぼくは読後「想像力って大切だなあ」とつくづく思ったのでありました。

あ、そうだ。本を買うのはかったるいなあと思っている人には、Web上で読めるものをちょっと紹介する。それでおもしろいと思ったら、本を手に取ってみてほしい。

小林さんの方は、その名も「『「おろかもの」の正義論』公式ページ」がある。小林さんのWebサイト(http://thinker.jp/ )にはエッセイなどもいろいろあり。

伊勢田さんの方は「日刊!ニュースな本棚 」の「愛と学問の旅立ち」にあるインタビューが、まさに本書について本人が語ったもの。「哲学って役に立つの?」「なぜ人を殺してはいけないのか?」「パラダイム論以後の科学哲学」「「自衛のため」のクリティカル・シンキング」の4回にわたって掲載されている。
ご本人のサイトはこちら

さっき、伊勢田哲治さんについては、以前、朝日新聞にインタビューが載っていた話を書いていたのに気づいた(これ)。いやあ、朝日のインタビューとは全然印象が違いましたね。この手の話は短いインタビューでは難しいってことか。
posted by 亀@渋研X at 15:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニセ科学対策教材の種 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 【種】新書で「実用としての哲学」に触れる
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