アップデートされない知識(Interdisciplinary 2007年7月31日)
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_0840.html
「古い知識では役に立たない場合がある」ということって、どうやって身につけてるのか考えてみると、単に「そういうこともある」と知るだけでは十分でないことがあるのかもしれませんね。実際に「知識が更新されてなかったので判断を間違えた」とか「通用しなかった」というような経験があれば身にしみるんですけど。
現代だと、小学校でも単元が進んだときに類似の体験ができるんだけど、印象には残らないしなあ。
あとは、「類推する能力」というか「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ようになれる才能というか、想像力やら用心深さやらが必要なのかもしれません。
かなり自信を持っていた知識なのにいつの間にか古くなってて通用しなかったって体験をバッチリすると、軽いトラウマになって、別のシーンでも「あっ、この分野でもあっちの分野でもオレはロートルなのかも?」って思えるようになりそうなんですけどね。「ジジババの子育て体験に基づく育児論は、孫に関しては否定されまくり」ってのも典型例のひとつだと思います。たとえばコンピュータ関連とか、分野によっては2〜3年でロートルになれますので、体験するチャンスは多いと思うんだけどな。
でも、世間一般ではそこまで強烈な体験はあまり多くないのかも。
大昔は、知識ってそんなに更新する必要なかったんですよね、きっと。牧歌的だったんだよなあ。ところが現代ではいろんな分野について「いつも畑を耕して新しい空気を入れてないとアウト」みたいなことになってて。いや、世知辛いなあ。
「知識ってもんは常にメンテナンスとアップデートが必要な時代になって久しい」と言えば、それは確かにそうなんだろう。だけど、あらゆる分野について常にそれをしているわけにはいかない。それだけに、なにか重要なことについて判断を下すときや主張を表明するときぐらいは「これはすでにアップデータが出てないか?」とか「最近、オレはこの畑を耕してたかな?」と足下を確認しないといかんってことですよね。
ここだけの話、あちらに書いた水道水についてのエピソードは、自分の事です(笑)
で、私自身が、エントリーに纏めた様な事を考えるに至ったのは、ニセ科学という概念を知って、それを意識して勉強した事がきっかけです(ニセ科学概念を知ったのは、ゲーム脳や血液型性格判断について調べたのがきっかけです)。それと、「ものの仕組みを知りたい」という強い動機が生まれたのも。そうすると、自然科学等について具体的に考えざるを得ませんから、自身の無知を思い知る事になった訳ですね。
やっぱり大切なのは、想像力なのでしょうね。後、自分がよく知らない分野については、判断を保留するのも重要ですね。詳しく無いものについては、鵜呑みにしがちですし。
もちろん、あらゆる分野の知識を網羅する、というのは、あまりにもコストが掛かって大変ですから、もっと一般的な知識や考え方を身に着ける必要があるのでしょうね。それは具体的には、「学校で習う」事も含まれると思っています。