で、思い出したのがTAKESANさんちのこれとかこれとか、自分で書いたコメントのこれとか。
自分で書いたコメントぐらい引用しておこう。typoがあるけど、まあ記録なのでそのまま。
「ITが悪者になっていれば」というのもそうなんですが、「科学技術で生み出されたでありさえすれば」と置き換えることもできそうですよね。化学物質とかね(挙げ句に天然由来でも同じ成分がある物質まで標的にされてることがありますが)。こういうことがなぜ起きるかというと、「手段のためなら目的を選ばない」になっちゃっているからなのではないか、という思いつき。
なんだかニセ科学やトンデモ、オカルトの信奉者には「似ている」や「関係がある」ということと「同じ」ということの区別にあまり頓着しないケースが多々見られますよね。その結果、似たような批判をする人や似たようなのものを批判する人、似たようなものを推奨する人は、ほかの部分がかみ合ってなくても無条件で仲間だったりするようです。あまつさえ、賛意を表明してさえいれば、両立しえない意見を表明する人も互いに仲間と認識していたりすることもあったような。
これも「敵の敵は味方」「坊主憎けりゃ袈裟までも」「ちゃんと吟味しない」の類いなんでしょうね。
投稿 亀@渋研X | 2007年10月24日 (水) 16:08
理由付けとして「ゲームが悪いから」「ネットが悪いから」「科学者(医者・教師・警官・官僚などなど、とりあえず権威と目される誰彼)は目が曇っている(根性が腐っている、利権に目がくらんでいる、自分の利権を守りたい云々)から」と言いたいだけなので、その先(結論)が「だから脳がおかしくなる」でも「だから子供の行動がおかしくなった」でも、なんでもいいわけで。
この場合、形として「気に入らない現象の原因を気に入らない現象に押しつける」となっていることが重要なのです。だから、遠回しに(あるいは直接)「諸悪の根源はこれだ」という話になっていさえすれば、途中が違おうが結論が噛み合なかろうが「仲間だ」と認識してしまう。
わー、つじつまがあっちゃった、わかっちゃった。<だからそれが(ry
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私が見たのは、笹本裕一氏のARIELの何巻だったかで、言ったのは博士じゃなく地の文、その説明がなされたのはダイアナかシンシアかどっちかだったような(http://ja.wikipedia.org/wiki/ARIEL#.E5.AE.87.E5.AE.99.E4.BA.BA)。
でもまあ、笹本氏が別作品からネタを引っ張ってきている可能性もありますけど。
その小説は読んだことないんですが、『パトレイバー』に出てくる内海課長(リチャード王)に対する評価が「手段のためには目的を選ばない」だとかいう話もあるようです。
時期的にはどっちも80年代後半のようですね。岸和田博士はもっとあとかな。ギャグセンスのある人なら考えつきそうなものなので、本家はない(ていうか、みんな本家)ってこともありそうですが。