だいぶ暖かくなって来た時期だったと思います。ぼくの下宿で、6、7人ぐらいの学生がぼんやりしてたんです。そしたら誰かが
「暖かくなったなあ。そういえば、そろそろ水戸は納豆の収穫期なんじゃないかな」
なんて言い出したことがありまして。
#もう展開が読めた人は末尾へどうぞ。
ゴロゴロしてた野郎が、そのまま、気のない口調で言います。
「ああ、ザル持って歩いたり、脚立に登って収穫するやつ?」
近藤くん(仮名)のガールフレンドの愛ちゃん(仮名)が、けげんな顔をしています。「え?」っていう顔。
「あれぇ? 愛ちゃん(仮名)、ニュースなんかで見たことなぁい?」
二十何年前のふつうの大学生、ニュースなんか、そんなに見ません。
マンガなんか読みながら、ぼそっと言う人もいます。
「ローカルニュースでしかやらないんじゃねえの?」
「あー、でも、オレ青森だけど、知ってるよ」
「映像としては有名じゃん」
「じゃ、最近は減ってるんじゃねえの?」
#ここらで展開が読めた人も末尾へどうぞ。
愛ちゃん(仮名)、目を白黒している。「え? え? そう?」なんて小声でつぶやく。これで野郎ども、がぜんやる気を出しました。本気です。
誰かがむっくり起き上がる。深刻な顔をして、
「あれって、夜も昼も関係なく落ちてくるんだよな? 納豆農家って大変だよなあ」
「ああ、女性はザルを持って、ナットウノキから糸を引いて落ちてくるのをすくうっていうんだろ。一日、どれぐらいの労働時間なわけ?」
「ずっと上向いてるのもつらいよなあ」
「いや、もうさすがに機械化されてるんじゃねえの?」
実際に見た人の話も出てきます。
「考古研の山田(仮名)って茨城じゃん。あの辺、小学校の社会科見学で納豆園に行くらしいぞ」
「え、じゃあ、穫れたてとか食えるのかな? いいなあ」
「なんか、ポクポクしてて、そんなにうまいもんじゃないらしい」
なるほど「収穫直後のナットウノキの実」ってそうなんだ。
「ああ、穫れたては糸が多すぎるから、ざっと水洗いして食べさせてくれるんだって聞いたぞ」
「いや、あれは水でさらすよりも、湯がいた方が風味が立っていいんだそうだ」
グルメ風のうんちくも出てくる。
「ああ、社会科見学だと、そこまで手をかけられないんじゃないの?」
「だいたい、あれは子ども好みの味じゃあないだろう。もったいねえよ」
愛ちゃん(仮名)、気を取り直して口をはさむ。
「えー、あれって発酵食品じゃないですかぁ。大豆でしょ? なんですか、それ、そんなはずないですよぅ」
自信なさげに、でもちょっとニヤニヤしたりもして。
「あ、そうか知らないんだ」
という野郎は笑ってない。びっくり顔の野郎もいる。
「発酵食品ってのは、あのスーパーとかで売ってる納豆のことだろ?」
「あ、じゃあ天然のナットウ、知らないの? 社会科でも習ったことない?」
「えー、知りません、習ってません」
「へー、年齢か? そんなに歳は違わないのにねー」
愛ちゃん(仮名)のニヤニヤが引っ込む。
野郎どもは「天然のナットウと発酵食品の納豆の関係」について議論を始める。
#まだ続くので、なんだかわからんけど飽きた人は絵解きへどうぞ。
「発酵食品の方は秋田の源義家が、ナットウノキの実を再現したわけでしょう?」
「そんな、どっちが先とか由来までは、習ったことねえぞ」
「ふつう学校じゃそこまでやらないだろ。水戸の特産ってだけだろ」
「秋田のは意図的なわけじゃなくて、戦で煮た豆を持ち歩いていたらできたとか、厩で勝手に発酵したとかっていう、偶然に由来する説が定説だよ」
「さすが歴史研究会・戦国時代分科会」
「いや、矢口高雄のマンガで読んだ(笑)」
「どっちにしろ、似てるからナットウって呼ばれてるだけでしょ」
「南米かどっかにパンノキってあるじゃん。ゴムノキとか。あれと理屈は同じだろ?」
「ああ、なるほどな、それは説得力ある、うん」
「いや、それ、どっちが先って話よ」
「ゴムはゴムノキから穫れるからゴム、パンノキはパンに似てるからパンノキ」
「は? じゃあ、どっちだかわかんないじゃん」
そのうち「水戸」と「秋田」が鍵ではないかと考えはじめる。
「ナットウノキの北限がどの辺とか、誰か知らない?」
「あ、そうか、秋田では穫れないんじゃないの?」
「じゃ、房総半島だと暖流の影響で暖かいとかか?」
「ひょっとして、ナットウノキって関東ローカル?」
「え、あたし関東です。埼玉です」
「地場産業のことなら学校で詳しくやるんじゃないの?」
「関東だと工業の話ばっかしてるとかなのか?」
「やっぱ、最近の学校教育っておかしいよ」
もはや教育問題である。産業構造の話にもなる。
「天然のナットウが減ってて、もう伝統工芸みたいになってるんじゃない?」
「あー、なるほど。だいたい、その辺には売ってないよな」
「納豆農家も跡継ぎ不足だろうしなあ」
「オレも食べたことはないけど、高いんでしょ?」
「それでもさ、もっと身の回りのことを採り上げてほしいよね」
「うん、ニュースも社会科もね」
こうして「なぜ学校教育やニュースから『天然のナットウ』が姿を消したのか」「それでいいのか」「どうあるべきか」についての考察が続く。
ゴールはひとつ。愛ちゃん(仮名)が同じスタンスで議論に参加してくる、そのとき。
上記は記憶に基づいた再現です。一部に創作も混じっていますが、ていうか、語られている内容はほとんど全部ウソですが(わあ、ややこしい・汗)、でもまあ、大筋こんな具合のことがあったのですよ。人が悪いですねえ。
でも、特に誰を相手と定めるわけでもなく、こういう遊びを何度もしました。
それにしても、なんてチームワークがよかったんでしょうねえ。事前の打ち合わせとか、ぜんぜんないんですよ? 乗れない人は、だまってたのかもしれません。ぼくは率先して乗る人、ていうか、言い出しっぺだったかも(汗
こういう遊びは何度もやりましたが、だいたいBBCのエイプリルフール・ニュースやモンティパイソンあたりのマネです。たとえば、このナットウノキの元ネタは「スパゲティノキ」で、今調べたら1957年4月1日のBBCニュースだったそうです。「今年も、ここナポリではスパゲティの収穫の時期がやってまいりました。スパゲティ農家の女性たちが、今年もザルを持ってスパゲティノキの下を巡っています」なんて感じだったんでしょうか。
でも、元ネタを知らない人も、テキトーに絡んできてたと思います。察しがよかったんですねえ。
どういうわけか途中から「ああ、思い出した」なんて一緒に捏造する人は、なかなかいない。捏造に参加する人は、口をはさむ最初から捏造に参加。ネタが荒唐無稽だからか、知ったかぶりで調子を合わせる人もいなかったなあ……。
もちろん「あはは、なんだそりゃ」「BBCかよ」「オレもあれ好き〜」とかって展開もあったんだけど、なかに、けげんな顔をする人や、頭からバカバカしいって態度の人がいると、みんな上記のように本気になってしまう。
かつがれている人にしたら、気の毒な話です。
誰かが本気で信じそうになったり、怒りだしたりしたらまずいんで、どっかではネタばらしになるんだけど、そのあとは合評会みたいになることもしばしば。
「ナットウノキってのはアイディアとしてどうなの」「いや、パンノキからの連想で」とか、「社会科見学っていうのは秀逸だ」「野菜畑みたいにした方がよかったかも」、いや「秋田の源義家がよかった」「あれは本当か」「出典が矢口高雄ってところまで含めて、全部本当」「おい、そりゃ本当かウソかわからないってことだろ」「いや、あれれ?」なんて言い合いながら大笑いするわけ。
これも楽しかったなあ。
上記は思い出話。ここからは思いつき。
ニセ科学とかヨタ話に引っかかる人って、
1.上記のような遊びをしたことがない人
2.上記のようなときに、すぐに怒っちゃう人
だったりするのかなあ、なんて。
で、ヨタ話を商売に取り入れた人って、
3.上記のような遊びで味を占めた人
だったりするのかっていうと……そうは思いたくないんですけどね。
少なくとも、こういう遊びをした人は、どっちかというとダマされにくいんじゃないかと思うんですが、どうでしょうね。
若いころの私は同僚の馬鹿話も、鼻で笑って無視していました。こう思われていたはずです。「人間味の無い、冷たい奴だ。」
ところが今では私の方が、相手が生真面目な人だと、息苦しく感じます。我ながら、変わったものです^^:。
亀さん>こういう遊びをした人は、どっちかというとダマされにくいんじゃ
夢中になると私は、「自論全開な論客」の斜め上を行く議論をしたくなります。「もっと笑える話を、もっと突っ込んでくれる話を。」この方法ならば、半信半疑のROMの人も次のように捉えてくれる、と考えていました。「なんだ、その程度の話だったのね。信じなくて良かった。」
こんな甘い考えだから私は、いまだに合理的な思考が出来ないのでしょう。
私は目指します。妄想を、空想に変える人間に。
こういうのが好きな人は、フィクションが好きなんですよね、きっと。で、「もっともらしさ」とか「ご都合主義」とかを大事にしたり、批判したりする。
SF同人誌や、仕事でコンピュータ・ゲームのシナリオづくりに参加したことがあるんですが、やってることはほとんど同じです。いちいちネタばらしなんかはしないけど「へえ、そうなんだ」なんて言われると「いや、今作った」とか「いや、本当かどうかはともかく、そういう話があるんだよ」なんて解説ぐらいはする。「虚々実々」でないと、もっともらしくならなくて、ある程度はもっともらしくないとおもしろくもならないので、バランスが大事とかいいながら。
んで、これが合理的な思考なのかというと、そういう部分もあるんでしょうけど、そうじゃない部分もきっとあって。こう「納得力を刺激できるネタ」だと、飛躍があろうが不合理があろうが、多分オッケーなんですけど、そういうことを見抜いて思いつくのがうまい人なんていうのもいたように思います。これは必ずしもロジックじゃない。で、ぼくはそういうのをはそうする力は、ない。あれば帯コピーとか、タイトルとか、うまくつけられるんだろうけどなあ。
そういえば、何度もやったわりに、成功した記憶って、このナットウノキぐらいかもだなあ。いいダマされ具合の人、半信半疑な人がいると、盛り上がるんですが、そうじゃないとモチベーションが維持できないんでしょう(^^;;
>斜め上を行く議論
>その程度の話だったのね
なるほど。そういうことも、あるのかもしれません。「ああ、ああいうヨタ話と同レベルなのか」みたいな反応ですね。「納得力を刺激できるネタ」の仲間かもですね。
実用としては「笑い飛ばすのは大事」っていう話があるんです。これはまさにTAKAさんの「斜め上を行く議論」と同じ発想だと思いますよ。理屈までは聞いてくれないような人に言説を届かせるには、有効だろうっていう話。
連載の『渋谷研究所』『九段下研究所』がお笑い仕立てなのは、「敷居を下げて読んでもらうため」もありますけど、その発想をいただいている側面もあります。