なんだかWikipediaを巡って(でもないか)こんなことが起きているらしいので、今さらの常識的な話なんだけど一応メモっておこうと思う。
Wikipediaには、3つの基本方針ってのがあって、それぞれこういうもの。
これは、相互補完的な概念で、なんて言って、こういう図も用意されている。
日本語版のWikipediaを利用したことがあればわかると思うんだけど、この3つの条件を全部満たしている項目は、どっちかというと珍しい方ですよね? でもって、
もっと言っちゃえば、出典が示してあっても検証可能であっても、出典を誰かが確認したり検証したのだという意味ではないわけだし。
で、仮に上記の条件は全部満たしていても、学術的な項目だと、専門家には「バランスが悪すぎて話にならない」なんて言われちゃうこともある。その程度のものだってことは、頭の隅に常に置いておく必要がある。だよね。
上記でボクが指摘したようなことは、ちょっと使い込もうとした人なら誰でも気づくこと(つまり、あまりにも当たり前なこと)なので、改めて言及されることは、ほとんどない。正直に言うと、誰かが指摘しているのを見たことがない。
Wikipediaの信頼性を巡っては、過去にもいろいろな議論が行われた(ブリタニカと同程度だとか、そんなことないとか、こんなこととかあんなこととか)。だけど、そうした話の多くは英語版をベースにした議論で、しかも、なんていうか高邁なところがある。ぼくがしているのは、もっとずっとレベルの低いところでの話だ。「彼ら自身が用意したハードルでさえ越えていない項目が、うんとたくさんある」ってこと。
Wikipediaを見ると、末尾にこんな注記がされていることがある。「この項目は書きかけです。調べものの参考にはなるかもしれませんが云々」。まあ、みんなそういう項目だと思っていれば安心かも。
このエントリの目的はWikipediaの可能性を否定するものではないし、もちろん、なかには優れた項目もあることだろう。ボランティアでやってるのであろう管理者の方々には感謝している。
でも、現状はこのレベルなんだってことは、知っておいた方が、きっといい。誰にとっても。
「じゃあ引用なんかするなよ」って言われちゃうと、ぐうの音もありません。すいません。だって便利なんだもん。ググるとほぼトップに出てくるし。って、そういう態度がいかんのね。すいませんすいません。
まあ、引用されてても「信頼できるから」ではなく「便利だから」。そういうレベルのものなんだってことを知っておいてくださいませ。
*1)人によっては間違ったことは書かれていないこともあるけど、だいたいはどっか間違っている。しかも、出来が良くても「そのとき習ったこと」しか書かれていない。
人物に関する項目では主観的な記述が目立ちますし、オカルト関連の項目ですと、「まだ完全に否定されていない」ことが存在の間接的な証拠かのように堂々と書かれていたりして、暇のある素人が編集の中心となっていることは確かだと思います。議論すら起きない(起きても著作権侵害だとか、表現の仕方だとか、本文の内容とは直接関係ないものも多い)とか、明確な間違いが指摘されないことは、参加者が絶対的に不足している事を示しているんでしょうね。
これは時間が解決してくれるのかなぁ。今後、参加者が飛躍的に伸びることはなく、記事の質の向上も牛歩の歩みのような気がします。
あまりにも当たり前な話なので、誰も反応しないかと思っていました(^^;; 感謝感謝。
>ノートに理由や疑問点を書く
編集に参加している人が、必ずしもWikipediaの決まり事や機能をちゃんと知っているわけではない、ってこともありますよね。
たとえばぼくは2、3項目(漫画家について1項目と、あとなんだっけな)手をつけたことがありましたが、「編集の要点」とかいうものを書き残せる機能があるのだということを、つい最近知りました。
>時間が解決してくれるのかなぁ
うーん……量的にも膨大なものになっちゃいましたからねえ。しかも、トリビアルな項目ほど充実しているような……。もはや、「これがインターネットの標準的なレベルだ」というぐらいな感じなので、なんか画期的なできごとがないと、飛躍的な質の向上は望めないですよね。百科であることを諦めてジャンル別にでも分割されれば、あるいはジャンルによってはぐっとよくなるかもしれないとは思います(人的リソースがネット上に潤沢な分野では)。
しかし、現状では牛歩でも向上するかしないか、際どいような……。