鹿仏童子とミンシュシュギ2008年03月12日01:32
奈良遷都1300年祭のマスコットキャラクターで一騒動してますが、我が家では発表の翌日かなんかに「めざましテレビ」で見た家族一同、「うっ」となりました。ぼくはその前に、マイミクさんの日記で見て「うっ」となってたりします。
で、どういうわけか、選んだ方々ではなく、作家自身に非難のメールが殺到したようで。
事務局みたいな方にメールが行かなかったのは、激しくおかしいと思うけど、まあ、きっと無知というか考えが浅かったんでしょうとかってことで、とりあえず不問(不問になってない? あそう)。
それにしても、選んだ人のことを横に置いてしまうと、ここまでの異論反論って、作品がいけなかったんでしょうか。作家が芸大の教授だったのがいけなかったんでしょうか。コンペで定められていたギャラが500万だったのがいけなかったんでしょうか。全部かしら。
mixi日記の続きです。
●「奈良遷都祭」キャラ作者 批判メール対応に「感動した」(J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/03/07017586.html
感動まではしなかったけど、感心はしました。ああいうふうには、なかなかできるもんではないと思います。すごいです。
いまは、上記記事で紹介されているバージョンから変わっています。
●平城遷都1300年祭マスコットキャラクターに関するお問い合わせに対する総括的なご回答(籔内佐斗司)
http://uwamuki.com/j/130020080308/index.html
まじめなというか、ちゃんとした人だなあ、オトナだなあ……。
でも、「ネット社会の暗部」かあ……。
●〜ある報道関係者からの手紙への返事〜(籔内佐斗司)
http://uwamuki.com/j/130020080311/index.html今度の騒ぎの渦の中で、現状のネット社会は、仮想現実にすぎないことがよくわかりました。ひとつのサークルが50人なのか10000人なのかもわかりませんし、ネットアンケートなども、発信者を特定できるわけでもありませんし、大量クリックの分析などもどのように行われているのでしょう。意見の数やアンケート結果に出てくるのは客観性を装った虚ろな数字だけです。
うーん……わかるのだけれども、既存のメディアに載る「アンケート」「調査」と称するものだって、またその分析だって、五十歩百歩なものはいくらでもあって、ボクが見る限りではちゃんとしたものの方がずっと少ないわけで。だから、ネット上のスカなアンケートも素通りしちゃうという側面もあって。
そういう意味では、もしも言うならば「メディアの中には現実の一断面しか現れない。多くの場合、その断面が歪んでいても気づかれない。WWWもまたインターネットという伝達装置を介したメディアのひとつでしかない」ということ、かなあ。
しかし、それはそれとして彼の苦渋も諦念も、理解はできる。籔内氏が言うように、既存メディアが、そういう点で理解を深めてほしいとも思う。簡単じゃないよね。おそらく経営陣から末端の記者にいたるまで、ひとりひとりの問題なので。
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アレがダメなら、どんなんがいいんやねん。こんなんどや。という話もある。
●平城遷都1300年記念事業の最低キャラ「鹿坊主(仮称)」の破壊的インパクト(その5)2ちゃんねらーが代わりにキャラクターを描いてみました
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/03/130052_ed8b.html
あー、なるほど。この方が一般に受けるかもねえ……。それにしても達者だねえ。ボク、丸い鹿とか、好き。
でも、このなかで、「ああ、きっとこの人にしか作れない作品だろうなあ」と思えたものは、ない。ひとつも。
アートというかビジュアルには疎いボクですが、ついつい断定してしまいたくなります。「その点では籔内作品に勝てているものは、ない」と。
籔内さんは、コンペには立体造形で出品したのかしらん。だとしたら、そっちを見てみたいなあ。あのアニメ的彩色って、彼の作品と考えるとすごく異色。
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なんとなく腑に落ちないでいるのは、きっとボクにとっては「読者が誰なのか見えない」みたいな感覚があるから、かな。と下記(/.J)を読んで思った。
「読者が嫌がっているのだったらアカン」ということは、まあ、ある。が「今の読者が」ということであれば、それはそれで構わない場合もある。
で、今回、薮内さんは「読者じゃない人の声の方が大きいのかもしれない、と思う理由はあるけど、本当のところどうなのかわからん」というような指摘もしている。
ああいうものは、「イベントに来る人=よその人」を相手にしているって側面もあるよね。そうすると奈良県民が読者だ、という見方は半分しか見ていないことになる。
●平城遷都祭のキモカワ・キャラに白紙撤回運動(/.J)
http://slashdot.jp/article.pl?sid=08/03/10/1224240
ン十億円使って何年もかけて、イベントそのものはまだ白紙とか、電通丸投げとかしてっからだよとか、なかなか腰が抜けるような話も腑に落ちるような話も出ています。
怒れる地元民(マスコットについての感想を求めるアンケートや、白紙撤回のための署名運動に参加している方だけではなく)の声もあります。そうかあ、強くイヤだっていう地元の人、やっぱり少なくはないんだなあ、ってこともわかります。どんだけバイアス補正をしなきゃならないにしても、まあ、イヤ率が低くはないんだろうな、とは思います。
してみると。
地域おこし的なイベントって、誰に決定権があるんだろう。っていうとなんか違うなあ。
ええと。
これは「ミンシュシュギ的な仕組みがうまく機能しなかった」っていう問題なんだろうか。そういう仕組みがうまく生きたイベントって、ときどきニュースになることがあるよね。珍しいんだとね。だけど、大して注目はされないよね。
ということは、彼らにとって、ぼくらにとって大事なのは「イヤじゃない」ということと「仕組み」のどっちなんだろう。
両方かしらん。「イヤなときはイヤだと言える仕組み」があったって「イヤな結果に終わる」ことはある。ボクは選挙なんか全部そうだ。残念ながら、これまでのところ例外なく。
しかし、仕組みがなくて、イヤな結果が出たから問題なのか。取り返す方法がないからか。そうか。そうかな。そうなのかも。ううむ。
あなた「住民代表として遷都1300年祭の委員をやってください」って言われて、受けます? それを選挙すればいい? 投票率、低そうですよねえ……。
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今のところの結論。
ぼくはマスコットキャラクターの「芸術性」も「大衆性」も「役割」も「期待される機能」も、ちゃんと考えたことがなかったのだということがわかった。そういうイベントはどのように運営されるべきか、誰がどのように関わるべきかということについても、自分がろくに考えたことがない(というよりは、ある一線から先は考えないようにしてきた。教育委員公選制のこととかを思い出しちゃったよ)こともわかった。
で、以下はごたく(って津軽弁か? えーと、四の五の理屈をこねているだけ、みたいな)。
だもんで、あれが「ファインアート」という文脈で認められるならマスコットとしてもオッケーなのかそうじゃないのか、それさえ答えが出せない。ぼくは一目見たときに嫌だったけど、何度も見ているうちに見慣れて来たのも確かだ。でも、神仏習合的だとかいろんな問題点があるとか知ると「うーん、選者は軽率だったのではないか」なんてことも思う。思うけど、多分、そういうこととは別の話なんじゃないかとも思う。
地域おこし的なイベントのマスコットキャラには、地域住民の意向が反映されているのが、本当に望ましいのだろうか。専門家(なんの専門家かはわからんけど)の選択眼が活かされることが望ましいのだろうか。
専門家はボクらが目配りできていない点についても目配りできる。じゃあ、ボクと同様にオリジナリティとかアートなんてもんはよくわからんに違いない大多数の地域住民を置き去りにしてでも、専門家がいいのだろうか。「万人向けがいいのか」「異論はあってもオリジナリティに溢れるほうがいいのか」なんていうふうに単純化はできないだろう。となるとバランスの問題なのか。
さらにまた、専門家が期待された役割を果たさなかったのではないかと疑われるとき、本当に適切な専門家が動員されていたのかに疑義があるときには、どうすればいいんだろう。こういうイベントって、税金で運営されるからって、本当に地域「住民」のものなんだろうか。
多分、どでかいイベントになると、その年だけの問題じゃない、歴史的事業なんだよな……おそらく。でも、グッズとか買うのはふつうの人で、それでお金が落ちるか落ちないかは、地元にはメチャメチャでかい問題なんだよな。
今のところ、どの疑問にも答えは出ません。出ないったら出ない。ていうか、出せない。むう。
こんなことを考えてしまったのは、TAKESANさんちで、この件を扱った「こりゃ凄い」(Interdisciplinary 2008年3月 8日)というエントリを読んでいたり、リンク先を読んでいたり、さらに直接は関係ないんだけど「法との付き合い方を教えてはどうか」(事象の地平線 2008/03/07)経由で「『民主主義なんて茶番だ』と教える学校」(石田のヲモツタコト 2008/03/08 )を読んでいたりしたせいもあるに違いない。
こんなにいっぱいリンクを張ると、どれもクリックしてもらえなさそう……。読んでない記事は、面倒がらずに全部クリックしてみなされ。ここからは得られなかった知見が、必ずや得られることであろう。なんちて。
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