高専や大学の先生方の質問は、「7、8割もの学生が居眠りをしているような講義が、フィンランドにはありますか?」という主旨のものだったようです。それに答えて、「そういう講義が絶対にないとは言えないけれども」と前置きがあり、「学び方に応じた教育方法を努力している」と言った、というのです。
彼らは、人間にはそれぞれに適した学習スタイルがあると考えているのだそうです。講義スタイルがいい人もいれば、対話スタイルがいいという人もいるし、集団でなにかをするのが向いている人もいる。
この話をしてくれた吉田氏は「自分は空間認識は得意だが、文章で理解するのはとても苦手」と言っていました。たとえば一度行った場所への道順などは決して忘れない。忘れようとしても忘れることができない。しかし、道順を言葉で書かれても理解できないというのです。だから「学校時代に3次元的に教えてもらえれば、もっとずっと早く理解できたはずだと考えている」というのです。
フィンランドの教育界では、そんなふうに、人それぞれに異なった「適した学習方法」があるという考えているという話なのです。
そこでフィンランドでは、大学入学時に個々の学生について「この学生にはどのような教育方法が適しているのか」を調べるための面接やテストを専門家が行い、その結果を担当する教員に伝え、教員はその学生に適した教授方法を腐心する……という話でした。
ここからはぼくの感想。実は、日本でも「いろいろな学習方法」は気づかれていて、実践されているんじゃないか、まずそう思いました。
グループ学習もあるし、吉田氏がいう「三次元的に」という方法だってありそう。たとえばマインドマップみたいなものが、そうじゃないかしら。KJ法とかいうのもありますよね。ワークショップでは、フセンにばーっとキーワードを書き出して、それを並べ替えて、なんてこともする。こんなふうに、いろーんな学習方法や考えのまとめ方、深め方が提唱されてきましたよね。
違うのは、「ぼくに向いているのはどれだろう」じゃなくて、「どれが一番いいのだろう」みたいな「誰にとってもいいものはいいはず」「みんな同じはず」という思い込みが前提としてついつい働くこと。文章を読むのが理解しやすい人もいれば、マインドマップがいい人もいて……というように、適性の違いがあるのだとは理解されていないように思います。
いまの日本の学校で、フィンランドのようなことがすぐにできるとは思いませんが、「人によって適した学習方法が異なる可能性がある」ということは、念頭においておきたいことだと思います。
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実は、吉田さんはよく知っております。
ただフィンランドに関しては、異論がありまして、昨年も知り合いの研究者が調査に行きましたが、日本の教師の方が、個に応じた指導ができているとの話でした。
学力テストでも、成績のよかったのは、東北、北陸です。まだまだ真面目というか、そんな教育風土が残っているところですね。
そのあたりがフィンランドと共通しているようです。
ある年配の先生の話では、今の教師の方がもしかしたら力量があるかもしれない、ということです。
昔は、「やりなさい」と言えばちゃんとやりました。
今は、なかなかやらないから、子どもがやるような方法も工夫しています。
吉田さんの意見では、それがまだまだ足りない、ということのようです。
吉田さんがフィンランドについておっしゃっていたことのなかに、「小さい国だ」ということがありました。神奈川県ぐらいとおっしゃっていたかな。小さいのでまとまりやすい、というようなことだったと思います。
また、フィンランドの教育について触れた朝日新聞の記事で、60年代には日本の教育法について(もちろんほかの国についても)盛んに研究されていたということに触れられていました。その頃に、日本に倣って6・3制が導入されのだそうです。
どちらかの(あるいはどこかの)教育方法が、圧倒的に優れているなどということは、あまりありそうにないことだとぼくは考えています。国情の違いやら人情の違いやらも、ありますものね。
余談ながら、日本式教育をフィンランドに定着させることを通じてフィンランドの教育改革に貢献したのが、いまはフィンランドを日本に紹介することでメディアによく出ておいでの中嶋博早大名誉教授だそうです。62年から1年間ヘルシンキ大学で教えられたのだとか。
そういう往還が大切なのかもしれませんね。