webちくま「科学者にも怖いものはある」菊池誠
むー、制作者は直リンクはお望みではないのかもしれん。ていうか、望んでないな、こりゃ。というわけで、お行儀の良い人は、トップページ( http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/ )からどうぞ。
第1回 君と僕のリアル (08.4.11更新)は、経験と理解の話、と言ってもいいのかな、と思う。ただ「個人的経験は一般化できない」という話ではない。読んでみてねw
明後日の方角にも見える枕から始まる、軽い読み物ふうな筆致。だが、それなりの分量。初回だからなのか、ずっとこのペースで行くのか。でも、ある程度長くならざるを得ないんだよねえ、この手の話題って。
この手の指摘に触れるたびに毎度思うのだが、フィクションに親しむとか、創作の「され方」を知るということが重要なのではないのかと思えてしかたがない(もちろんこれは経験からくる憶測でしかなくて、実証的な根拠はない)。
で、こりゃあ科学とかいうよりも、もっとずっと手前の常識とかの話だよなあ、と思っちゃうのだ。ぼくは日本の国語教育って、善かれ悪しかれ文芸と道徳がそれぞれ軸のひとつになっていると考えている。そしてそれは常識を養うという面でも、一定程度の役には立っているのだろうとも思う。
最近は、中学にもなると「ここに示す3つのイラストをベースに、ひとつの物語を作ってみよう」なんていうお題も出てくる。創作もターゲットになっていないわけではない。
だけれども、フィクションってなんだ、という意識からはかなり遠い。中学程度まででは、「フィクションってなんだ」というのはメタに過ぎる視点だと考えられているのかもしれない。わからんけど。「真に受けてほしい話」ばかりが載っているから、ということもあるのかもしれない。
まあ、フィクションは価値が低いとか、「フィクションってなんだ」という視点を持ち込むと、ヘタしたら教科書そのものが説得力を失うかも……なんて心配をして排除しているわけではないと思いたい。んなこと言ったら、文学作品の半分がたは価値を下げかねないよね。ね。ね。
いやまあ、実のところ「作り話は地位が低い」という固い頭の人は、いまもいるんだろうなあと思います、はい。いても不思議じゃない。そういうことが、なにがしか影響を残していてもおかしくないかも。
もしもそうなんだったら、価値の問題じゃなくてリテラシーの問題として、メタに徹した視点からの国語教育が、中学・高校あたりではあってもいいんじゃなかろうか。「説得力は、論が正しいと自動的に産まれるわけじゃない。基本的には語り手が読み手を意識することで作り出されるもんだ」とかいうことをベースに、どういう論が広く説得力を持つと考えられるか、なんて話はどうだろう。そういう話を学ぶと、理不尽で反感ばかりを買うようなムダな説教をする先生も減る効果もあるんじゃないか。一挙両得。
この手の話題をやると、きっと認知心理学とか論理学とかの基礎的な知見を盛り込まざるを得なくなる。「信じるとはどういうことか」なんてことを相対化して考える役にも立つ。そうした知見を得てもなお信仰をなくさないということが、どれほど強いか、あるいは切迫感があるか……なんていうことを考えざるを得なくなる。不合理とはなにか、合理的とはなにか、ということだって射程に入ってくるだろう。
かつて「倫理」とかいう教科が高校辺りではあった。途中で転校したりしたせいで、受けたことはないのだけど。いまもあるのかな。いまは「現代社会」っていうのかな。あれ? 現代社会って前にもあったか? 「情報」とか、その辺ででもやってるのかな? でも、メディアリテラシーのなかに、こういう生な話は出て来ないような気がするんだよなあ。
確かに、いま、ぼくらはメディアに囲まれて生きている。メディアに対してナイーブでありすぎるのは危険だ。そこまではかなり広く知られて来ているかもしれない。しかし、「信じるに足りる合理的な根拠は?」という問いかけは、それだけでは十分ではないのかもしれない。「疑うに足りる合理的な根拠は?」という問いかけも、ともに必要なのだろう。
「とりあえず疑っとけ」では危う過ぎないか。そろそろ、そんなことも考えてみなければいけないのかもしれない。
そうそう。次回の渋研……じゃなかった九段下研究所(リニューアル版)のお題は「メディア」です。5月20日発売号に掲載予定。そこまでの話ができるとは思えないけど(^^;;
私は、「科学をちゃんと学ぶ」のと、「フィクションで”遊ぶ”」のが、車の両輪なんじゃないかな、と思っています。
何と言うのでしょう。醒めながらも没頭する、と言うか、そういうのがいいかな、と。単に入り込む、というのは、ちょっと危なっかしいですよねえ。それこそ、「メタ」に見る、という事ですね。
サブカルチャーって、「突き放して見る」とか、「醒めた目で見る」認識を鍛えてくれるような。まあ、それが行き過ぎると、激しく中二病みたいになっちゃう訳ですけれど(笑) 厭世的になったり。
▼▼▼引用▼▼▼
次回の渋研……じゃなかった九段下研究所(リニューアル版)のお題は「メディア」です。
▲▲引用終了▲▲
楽しみです。脳トレの回も、興味深く読みました。
「なんでこんな出来の悪いヨタ話に引っかかっちゃうんだろう」などということも考える立場としてはですね、とりあえずの目標としては「批評眼を養う」なのかな、と思ったりもします。19世紀の人なんかだと「教養を養う」と言ったのかもしれません。教養のないことでは人後に落ちない私(雑学は少しあるけど)が言うと、笑われるだけですが。
批評的な見方を、誰もが楽しみつつできるかというと、難しいのかもしれないんですけど、ちょっとハマるとそういう目って、ある程度は自然に持ち始めると思うんですよねー。
といっても、感想文に毛の生えたような印象批評のことを言ってるんじゃないんですけど。あー、いや、印象批評がダメなんじゃなくて、それ「だけ」じゃあかんやろって意味ですが(対義語というか、対立的やら補完的な立場をなんていうのか見つけられなかったんで、うまく言えないんですけど)。批評って言葉も教養って言葉も、難しいなあ(汗
長いのは、月二回計10000字がひとまとまりだからです。リハビリのつもりで、やることにしたのですが、10000字のエッセイって、かなり辛いです。
家電批評、お読みいただいたのですか、ありがとうございます。
や、いつのまに。
「月二回計10000字」かあ。そりゃあ、半年ちょっとあれば単行本にできる量が溜まりますな。リハビリにしてはハードかもしれんけど。お気張りやすー。
単行本一冊分って厳しいなあと思っているです
これは、重要な視点だと思っています。単純に信じるのも疑うのも簡単なんですよね。というか、信じるには疑うが付随しますし、逆もまた真。
信じるもの、疑うものを恣意的に選択していたら、いつまで経っても同じですから、「根拠に応じて信じること」「根拠を評価すること」みたいなところを身に付けなければいけないんですよね。
たどり着きましたので、コメントだけ残しておきます。
「とりあえず疑っとけ」は、「懐疑主義」に対する誤解でもあるじゃないでしょうか。「懐疑主義」のなんたるかはわかっていませんが、そんな浅薄な「主義」はないだろ、とは思うのです。
わんだーままさん
えーと。
アフィリエイト収入目的だと言い得るかどうか、考えてみろという挑戦……だとすると、この話題だからのコメントなのかもしれないですね。
消さないでおきます。
亀@渋研Xさん
>消さないでおきます
「これはもしや、ネタフリなのか」
「という訳で、以下はこのワタクシの指先の、さらにその先のケラチン質で送るあの方へのメッセージです」
「張るだけのリンクは、ただのリンクだ」
「いや、リンクだけでコメントが成立するものでも無いんですよ?」
「貴方の英知で張ったリンクなら、ニセ科学に振り回されている人々を、是非とも救って見せてくださいね」
「分かりました!」
_________
亀@渋研Xさん
>「とりあえず疑っとけ」では危う過ぎないか。そろそろ、そんなことも考えてみなければいけないのかもしれない
成るほどです。では早速私も(^^。
「取り合えずリンク張っとけ、ではブログ主さんに失礼では無いのか。そういえばもう初夏ですね。そろそろ衣替えも考えなければいけませんね」
あさっての方向にorz。
>いまだに現実とフィクションの境界をさ迷っています。
その境界は、きっと誰にでもあって、白黒つかない部分の広さや、そのなかのどこにどれが位置づけられるかだけが人によって違うんじゃないでしょうか。
で、そのネタに詳しい人にとってはグレーゾーンが狭かったり、位置づけの精度が高かったりするかもしれないけど、境界領域がまるっきりない人ってのは、あまりいないんじゃないかなあ。
>ケラチン質
知らなかったのでググっちゃいました(^^;;
>そろそろ衣替えも
いやあ、その通りでして。最近、その場にいるなかではボクだけが「スキー場に行くときの格好」をしていることがあります(爆)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/kikuchi/index.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/kikuchi/index.html?080411
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/kikuchi/01_1.html
見ておいたほうがいいようなコメントはない。笑えるコメントはあるけど(最後の。マクラの話しかしてないの(^^;;)。
はてなユーザーには、ちくまな人は少ないということなのであれば、きっとどっかほかの方面に届いているのだろう(とは限らないけど、そうでも思わないとやっとられんがね)。