2008年04月27日

「自業自得の線引き」などだまされた側の責任範囲【4/28加筆】

kikulogのエントリ「ホメオパシー」コメント欄での、はちでかさんのコメントへの勝手な応答の続き。

4/28注記:コメント欄ではちでかさんより、お身内がハマったのは、実はホメオパシーではなく「水商売と健康食品」というご報告があった。そうであったとしても本エントリの主旨は変わらないが、読者におかれては、以下の文章は必要に応じて適宜読み替えてほしい。】

はちでかさんは、お身内がホメオパシーに関わることになってしまったとのこと。詳細は不明ながら、ホメオパシー医(ホメオパス)としてであれ、患者としてであれ、悩ましいことです。
ある意味、他人事ではないので、コメントにあった次の点について考察してみたいと思います。
1「被害者は騙された事で罰を受けるべきでは無い。」 
2「自業自得の線引きはドコか?」

ぼくができる考察は、法律論ではありません。法律っぽいことばを使ったりもしていますが、いわば社会常識といったものに基づいての考察です。ですから、法に照らし合わせれば、責任の軽重はもちろん、責任の有無についても結論は違うかもしれません。
また、社会常識なんてものは、違う考えをもっている人がいてもまったく不思議ではありません。飽くまで、こういう考え方があるというに過ぎません。

1.被害者は騙された事で罰を受けるべきでは無いのではないか

誰でも、どんなことを信じようが、なにを言おうが、どんなことをしようが、原則として自由です。しかし、その結果についての責任は問われます。だまされた(信じた)こと自体に罪はないですが、周囲に迷惑をかける行為があればその責任は問われます(危険を増やすようなものを含めて)。
もちろん、だまされたためといったことをはじめ、事情によっては責任が割り引かれることはあるでしょう。でも大迷惑をかけたら、完全に免責されることは少ないでしょう。法的にはともかく道義的な責任は残ると考えます。

だからこそ、人をだます行為は罪深いのだとも言えます。

責任の有無と重さを考える判断基準は、社会常識のレベルで考えてもいくつもありそうです。「他者への危害(被害)の有無」「危険(被害)の程度」「故意の有無」「行為と被害の因果関係」「責任を軽減できる事情の有無と程度」なんていう辺りは、表現はともかく、別に法律談義じゃなくても念頭にありますよね。これこれの行為が迷惑だ、なんていう話をしているときなんか、無意識のうちにでも、こういうことを勘定しているのではないでしょうか。
「何事もなかったからよかったようなものの、なんで放っておいたんだ」なんていう叱責もあります。これは潜在的な危険や、直接実行するわけではなくても見過ごすことに責任を問うているわけです。オトナに求められる責任範囲は、しんどいけれどもかなり広いとも言えます。

だまされた人、その家族、ホメオパシーを吹き込んだ人、だまされた人に勧誘された人、その他のすべての登場人物に上述のような基準を等しく適用してみると、誰を法に問えるかという判断ぐらいは、つきやすくなるかもしれません。
最初の3つが黒なら法的に責任を問える可能性が高いと思います。3つともグレーでも、身内以外を含めてもめ始めたら、法廷でけりを付けるしかないかもしれません。他者への危害が白(ゼロ)なら、法に問われることなく済ませられるかもしれません。

しかし、「じゃあ、具体的には誰にどれぐらいの責任を問えるの? どう処遇したらいいの?」という点は、法廷に出ない限り答えは出ないでしょう。法的には責任が問われなくても、道義的責任というものもあります(訴えられなければ責任がないわけではないですよね?)。その裁判でさえ、量刑は議論が分かれることがあります。「理屈ではそうだろうけど、気持ちが済まない」という人だって、いるかもしれません。いつもは温厚な人が頑固になったり。誰もが納得する答えはないかもしれません。

2.「自業自得の線引きはドコか?」

自業自得というためには、まず自分の責任で自分がひどいめにあうという構図が必要かと思います。この場合線引きと言っても、「どういう条件があれば自業自得とみなされないか」という線引きと、「自業自得で済まされる範囲は」という線引きという形での、2つの問題設定が可能かと思います。

いろいろな場合に自業自得と言われる可能性があります。ホメオパシーを信じた結果、自分の健康状態が悪化した場合。ホメオパシーを人に勧めた結果、勧められた人の病気が悪化して訴えられたような場合。kikulogで例示されたように、必要な予防接種を受けずに海外に行き、伝染病に罹患して帰ってきたような場合。

上記のどのケースでも自分の行動がきっかけで自分がひどい目に遭っています。それでも「自業自得」と言われないためには、少なくとも次の2点がそろっている必要があるのではないでしょうか。

【a.】善意の第三者であること=悪意の不在
【b.】合理的な理由の存在


【a.】でいう「善意の第三者」とは、法律用語です。ここでは「本人は、ウソや間違いだとは知らなかった」という意味で使っています。「悪意」と言っても、「ひどい目に遭わせてやれ」といった類いの「悪意」ではありません。先の善意の逆、つまり「ウソや間違いだと知っていた」ということです。
さすがに、ウソだと知っていて自分がひどい目にあったら、誰もが自業自得だと言うでしょう。つまり、知らなかった場合だけ、自業自得から免れる可能性が出てきます。

【b.】は、周到に用意された舞台設定とか、医師に見放されて心理的に追いつめられていたとか、「その状態なら、ウソや間違いと見抜けなくても仕方がないよね」「無理もないな」と第三者が納得できるような理由があるか、ということです。前述「1」の「責任を軽減できる事情の有無」のひとつでもあります。
別の言い方をすれば、ふつうのオトナなら十分に警戒し疑える理由があるのに疑わなかったのだとすると、やはり自業自得といわれるに違いありません。そこで自業自得と言われないためには、「警戒心が働かなくても無理はない」という条件が必要になるわけです。

どちらの一方が欠けても「自業自得」、言い換えれば自分が悪いということになるのではないでしょうか。「ウソや間違いだ」とする主張が存在することを知っていた場合は、それでもなお疑わなかったのはなぜかという意味で【b.】が重要になりそうです。ただ、ここでも程度の差はあるでしょう(全面的に悪いのか、部分的に責任があるのか)。

もう一方の「自業自得で済まされる範囲」となると、自分だけがひどい目に遭った場合に限られるでしょう。
これはいわば自損事故ですね。第三者に悪影響を及ぼした場合は、自業自得だろうがなんだろうが関係ありません。「1」でも述べたように、責任の有無については故意かどうかは問題にならないはずです。ただ、わざとしたことではない(不作為)とか、勘違いした(錯誤)とか、うっかりした(過失)とかいう場合は、責任は問われても「責任を軽減できる事情」にはなるでしょう。判断できる状態になかったということでもない限り、責任がゼロになるとは考えにくいですが。



「1」であれ「2」であれ、要は「だまされたなどというさまざまな事情は、責任を多少なりとも軽減することはあっても、責任がなくなるとは考えにくい」ということです。

厳しすぎると感じるかもしれませんが、自分や自分の身内が一方的な被害者として巻き込まれたケースを考えるとわかりやすいと思います。自分たちに被害を与えた人がわざとであってもなくても、だまされたのであってもなくても、被害状況に応じた責任をとってほしいはずです。軽微な被害であれば「まあ、わざとじゃないし」「だまされていたのだし」と思えるかもしれませんが、大金を失ったり死人でも出ていたら、そんなことは言っていられないでしょう。
また、同情する余地があると考えるにしても、自分が納得できる理由でなければ同情もできないでしょう。

以下は、先に はちでか さんへの応答としてkikulogに書いたことですが、ここにも書いておきます。
結局は、いったん当事者になってしまったら、ありきたりですが「自分がのちのち自責の念にかられることのないように振る舞う」しかないのでしょうね……。
そう考えると、今さらですが、身内が代替医療などのリスクを抱え込まないように配慮するのが、最も重要かもしれません。怪しげな話を広める人をなんとかしないと、という話にもなりそうです。


ささいでも、また、まだ実害が出ていなくても怪しげな話に目くじらを立てるのは、こうした考え方が背景にあります。さらに言うと、自分自身が怪しげな話をする側になりたくありません。「まだ認められていないが実は有効な話」を間違えて否定するリスクは残ります。しかし、それは怪しげな話に乗ってほかの人にまで迷惑をかけ、自分自身が訴えられるリスクに比べれば、かなり小さいのではないでしょうか。
posted by 亀@渋研X at 10:29 | Comment(6) | TrackBack(0) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 「自業自得の線引き」などだまされた側の責任範囲【4/28加筆】
この記事へのコメント
「他人事じゃない」というのは、エントリに書いたように、どこでどう巻き込まれるかわからないからもあります。
が、以前触れた叔母の医療事故のからみで、「手術を勧めたものの責任」なんてことや、叔母や叔父が、事故の恐怖の記憶から代替医療に走るようなことがあってもおかしくなかったと思えるからでもあるのです。
自分がはまりそうにないからって、安心できないですよねえ……。

医療事故の話はこちら↓

病院に行く勇気【追記あり】(2007年07月12日)
http://shibuken.seesaa.net/article/47588393.html
Posted by 亀@渋研X at 2008年04月27日 10:47
亀@渋研Xさん、こんにちは。
 私のグズグズコメントの主旨を「ほぼ完璧」に御理解して下さって、感激しております。
 その「ほぼ」の部分なのですが、義理の母が患っているのは、ホメオパシーではありません、すみません。あのエントリーに書き込んだのはマナー違反でした。
 母は水商売と健康食品の重複疾患です。そんなに深刻では無いので、こんな冗談も、まだ言えます。(不謹慎でしたらお詫びします)しかし、笑えない日が来るかも知れないとも思っています。私は「社会の一員だ」ということを恥ずかしながら最近になって、強く考える様になりました。

 私は大人ですが「オトナ」になる為に修行中です。亀@渋研Xさんのコメントを読んで少し昇級出来た気でいます。有段者にも、まだまだな私ですが免許皆伝を目指して頑張ろうと思います。有難う御座いました。
Posted by はちでか at 2008年04月27日 14:46
はちでかさん、こんばんは。

>義理の母が患っているのは、ホメオパシーではありません
ありゃまあ。
でもまあ、命に関わらないようなはまりかたなのは、不幸中の幸いですね。
水商売でも健康食品でも洗剤でもマルチでも宇宙人でも、原則は同じだと思うんですよ。「人に迷惑をかけるかどうか」が最大のポイントみたいな。で、直接迷惑をかけなくても「潜在的な危険を増す」なんてのがあるかどうか、とかね。

お母さまがハマるにも、お金とヒマをもてあました結果とかいうなら、まだよいのですが、なにか余人には伺い知れないご事情がおありなのかもしれません。おいといください。


んー、エントリ、修正すべきかなあ。
基本的に教育や健康、医療に関わるトピックは、オカルトやニセ科学のなかでも問題が比較的大きいのでかなりの警戒が必要と考えていますが、そうじゃなくても地続きなので、同じように考えちゃっても問題は少ないでしょう。ちょっとしたジンクスまで責任問題とか言っちゃったら、さすがに大げさすぎだと思いますけど。
なので、特にエントリに修正は必要ないですね、うん<誰と話してるんだ、おれ
Posted by 亀@渋研X at 2008年04月27日 22:34
必要だと思いますよ。
あなたもある意味騙しているのと同じです。
Posted by いちげんさん at 2008年04月28日 09:52
いちげんさん、こんにちは。
そっかー、そうですね。では注記しましょう。
苦言、ありがとうございました。
Posted by 亀@渋研X at 2008年04月28日 12:02
あっ、そうか!
今頃気づきました。ここで採り上げている問題と、まったく同じ構図に陥っていたんだ……(汗
いや、本当にご指摘ありがとうございます>いちげんさん

あとでもう少し修正するかもしれません。
Posted by 亀@渋研X at 2008年04月28日 12:30
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