あとで読む:聖火リレー報道 2008年04月27日21:46
『聖火リレーin長野』スタート&ゴール地点状況まとめ
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080426/p1
同はてブ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080426/p1
痛いニュース
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1118410.html
その場にいたチベットサポーターの日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787996903&owner_id=2071143
#ここでは中国とチベットの問題そのものや、デモがどうだとか、そういうことには触れません。飽くまで「マスメディアはフェアな報道ができてるだろうか」とかそういう話。
テレビは見てないけど、朝日新聞での報道も〈「チベット支援」の人たちは、別のところに隔離されてた〉なんて話は出ていなかったよ。中国人の横暴も警官隊のえこひいきも出ていなかったよ。60年代からずっと、この国の大手マスコミがやっていることは変わっていないのだね。
大手マスコミが「長いものに巻かれる」のは、まあ、そんなもんではある。しかし「そんなもんだ」だけで終わらせては、いつまでも変わる可能性がない。だから、こうして「そりゃあ報道としてアンフェアなんでない?」という声を上げるのは、とても意味がある。記録としても残るし。
それにしても、ネットの普及とデジタル技術の発達は、ちゃんと恩恵を与えてくれておるのう。
以下余談。
マイミクさんの日記へのコメントで、「圧倒的な政治的若者の時代の後に、政治的な立場表明をしない方がカッコいいみたいになっちゃったツケ」としての、今の国民性とかマスコミとか、そういう話もちょっと見た。
それで思い出したのは、ニセ科学問題をあつかうブログなどで何度か見た「不敗メソッド」の話。議論で絶対負けないためには(本当は勝ち負けじゃないんだけどね)というような話で、重要な点については相手の言うことを聞かないというかスルーして、反論できそうな部分だけ反論し、基本的には延々と自分の言いたいことだけを言う……みたいな話じゃなかったかと思う。これで「勝てないけれども負けない」わけだ。
能弁なビリーバーさんなんかの方法論だ。しばらく見ていると循環しているのがわかるのだけど、一部だけ取り出すとなんかまともなことを言っているように見える部分もある。
「立場表明をしない方がカッコいい」でこれを思い出したときは、「70年代に手ひどく負けたから反動」とか「立場表明をしなければ不敗だということになっちゃってんじゃないか」などという「仮説」とペアになってた。
天の啓示である(^◇^;)
実際のところ、「不快感としての負けた記憶」とか「負けるのはひどく損なので避けたい」とかいうバイアスをもってなければ「勝てないかもしれないけど負けない」なんてメソッドを採用する理由はないだろう。だから、政治の季節だのと言われた60〜70年代あたりの「敗北の記憶」でそれ以降の若者の行動が変わったのだ、なんてことはあまりありそうにない。
もっとも、不敗メソッドみたいなものを採用することで、傷つくのを避けているとかいうこと自体は、あるのかもしれないけどさ。
いつも頭の片隅に置いてあることというのは、こうしてときどき「ぴゃっ」と勝手に結びつく。これが正解だったときは「天の啓示」かもしれないんだけど、基本的には「寝言」である。夢のストーリーがはちゃはちゃなようなもんである。
#多分、脳みそはそういう「結びつけ」を自動化するような基本設定になっていて、
#しかも、それはそれで気持ちよいのだ。
#だもんだから、天啓だ、いいアイディアだと思っちゃうのではなかろうか。
魅力的でも整合性があるように見えても、寝言は基本的に信用してはいけない。「本当にそうなのか?」とちゃんと考えましょう。
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