呪術と「人間の基本仕様」(Chromeplated Rat 2008-05-01)経由
図説金枝篇を読んでニセ科学について考えた(あなたの正義は誰を殺しますか 2008-04-30)
合理的思考の出発点の姿のひとつが呪術だったりするというのは、実にまことにそう思います。そんな話をいつか書きたいと思いつつ、果たせないでいました。手に余る。
御両所とも、そこをうまくまとめてくれています。感謝。
呪的世界というか、あの世界にはちゃんとある種の論理的整合性があって、ないと成立しない。だから物語に仕立てても、説得力があって楽しめるし、奥深く感じられる。ただ「物語の外でも」「条件が整ったら」「常に」再現できる必要はなくって、逆に再現できないということは「実は条件が整ってなかった」ことになる。
それでそれなりに筋が通って見えますものね。不可知な部分があることを、なぜ不可知なのかという説明で済ませることさえできれば。
考え方の素朴な部分ではいわゆる科学とも共通する部分がたくさんある。たぶん条件の扱い方の精度とか、そういう差が決定的にあるのでしょうけど(実のところ、どこが違うのかをちゃんと書き出せはしない。ぼくがどちらもよくわかってないからでしょう)。説得力があると感じて採用しちゃう人が耐えないのは、とてもよくわかる。とてもよくできたフィクションというのは、現実よりも十分なリアリティを備えているのだと考えたりもします(水伝のことではない。あれは出来の悪いフィクション。だって、あからさまにつじつまの合わない部分が、これでもかというほどあるんだもん)。
しかし、そのうえで「オレはメソッドとしては採用できない」「適うなら採用すべきでない」と、やはり結論してしまうんですよねー。心弱くなったときとか、しょうがないじゃん、などと思わなくもないのですが、心弱くなったときこそ気をしっかり持たねば、被害損害は増すばかり、なんてことも考える。
最近、「わかった」と思うことにとても(しかもどんどん)臆病になっているのですが、呪術的論理構造みたいなものから自由になれないからなんですよ。
これだけ安穏とした社会なんだから、生きていく上では呪的思考から自由になる必要もないのかもしれないけど、「なにかを明らかにしようとする」には邪魔で邪魔で。ふんとにもう。
おまけに、「ロジックもどき」だとか「科学もどき」だとか「宗教もどき」だとかそういうものは、往々にして「本家よりもゆるい」んですよね(なかには例外もありそうだけど)。受け入れやすくできているんだよなあ。
「あ、これいい」と思ったら、危険です。などと言ってしまうと乱暴ですが、「あばたもえくぼ」になってるかもしれねえな、とか、「都合がいいから=受け入れやすいから受け入れてたくなるだけではないか」とか、ちょっと踏みとどまって考えてみたほうが、安全。
そんなわけで、これで「人間について何かがわかった」などと思わないようにしようと改めて思う。とりあえず「そういうもの(本、考え方、エントリ、ブログなどなど)があることを知った」ぐらい。んで、しばらく大事に抱えこむのだ。ときどき取り出して、眺めて、あれこれ考えるのだ。パズルのいろんなピースがはまるときまで(そんなとき、当分、来ません)。
タグ:呪術
ご存知のとおり、ぼくは科学的思考と呪術的思考のあいだに優劣みたいなものは認めない立場です。それはそれぞれ適切な場で適切に使うべきだ、みたいに考えています。どちらかがどちらかを装うのはよくない、みたいな。
で、どちらにしても使うにあたってそれぞれをできるだけ深く理解し、考えながら使うことが大事かな、みたいに思います。どちらにもそれぞれの文脈上の「理」はあるわけなので。ファンタジーのなかでも、呪術的思考のなかにある「理」を解き明かしたほうが勝利するじゃないですか。
>Francisさんのところへのリンクが違ってるみたいです。
うぎゃあ! ほんとだ。直しました。ありがとうございます。
>優劣みたいなものは認めない立場
その立場も理解できる気はします。ていうか、ある意味、王道でもあるわけで。「優劣はない」というのは本当なんだと思うんですよ(って変な言い方だなあ・汗)。
我が身に照らして言うと、企画だとかそういうところでは活かせるんだろうなあ、そういうのが上手な人、いいなあ、とか、そんなことも思う。諸星大二郎とか大好きだし。
人を説得するにも有効かもしれない。で、自分でもきっと気づかずに使ってたりするんだろうなあ、とも思います。
「できるだけ深く理解し、考えながら使う」というのは、おそらくどんな道具についても、それがその人に重要であればあるほど言えることですよね。難しいことですが。
ただ、ぼくには今のところ使いこなせそうにないんです。だからおもしろがってもてあそぶのはやめておこう、敬して遠ざけておこう。それだけのことかもしれません。
しょぼん(´・ω・)
Francisさんの論考、実に分かりやすいですね。分かり易すぎて、当たり前のことじゃないかと思ったり、どこかで聞いたことのあるような既視感さえ覚えます。
当たり前かもしれないけど、それで多くのことが説明できるというのが強力だなあと感じます。
ところで、科学にしたって適用範囲はあるわけで、一見、呪術とは程度問題のように見えます。その質的違いは何かと言うと、適用範囲を広げる営みを停止し完成したものが呪術なのかなという気がします。科学は未完成ということを自覚しており、常に変化し続けますね。
>科学は未完成ということを自覚しており、常に変化し続けますね。
そうですね。誰かが永遠のベータ版とかおっしゃっていたような。
呪術が「完成」といっちゃうと、なんだかよくわかんないんですけど(^^;;
あ、でも、呪術は閉鎖系で、科学は開放系? あうあう、自分でもよくわからんことを口走ってしまった(汗
はてブに、こういうコメントがありました。
>呪術をフレイザーだけで考えると齟齬が出るかもしれない、それ以降の研究も絡めてみるとおもしろかもしれない
で、2007年のご本人(あ、poohさんがしばしば言及しておいでの「琴子さん」ではないか)のブログ記事にリンクされていて「フレイザー以降に発見された呪術の種類」なんて話もあって、誠に勉強になります。
水からの伝言:リターンズ 〜似非科学は何故消えないのか:文化人類学編〜 (泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々))
http://d.hatena.ne.jp/tot-main/20070115#1168874345
わ、コメ欄に「ふ」が湧いてる。
宗教学(原始宗教の成立について)(泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々))
http://d.hatena.ne.jp/tot-main/20070116#1168933119
上でも亀@渋研Xさんが引用されてますが、このあたりの話をぼくや琴子さんがしていたのはもう1年以上前になるんです。ひょっとするとそれをお読みになったのが、既視感、と云うことなのかもしれません。分かりませんが。
で、ぼくは素養が足りなくてひとりじゃ議論を進められないし、琴子さんはお忙しかったりとかでなんとなくあまり早いペースではアプローチが続いていなくて。そこにFrancisさんのていねいな絵解きが登場した、と云う感じでした。でもまぁはてブなんかの反応を見る限り、けっこう需要はあった感じですね。
>これで「人間について何かがわかった」などと思わないようにしようと改めて思う
>パズルのいろんなピースがはまるときまで(そんなとき、当分、来ません)
成るほどです。おかげで今は、次の事に思い至りました。
「賢明な人たちが、有意義な意見を活発に交わしている時に、ろくな論考も出来ない人間が、コメントを差し挟むのは、不遜である。ましてや今現在、合理的な思考を勉強している身で有りながら、呪術的な思考を弄ぶ事など、もっての他である。いまだ非合理思考から抜け出せない人間は、何も言わず、ただ議論を傍観していた方が、身のためである。もしくは当たり障りの無い、ただ賛同した旨の意見だけをその都度、書き込めば良い。その場合、特段の批判も無く、喜びのレスが返るであろう。」
確かに理解が深まっていない対象ならば、たとえ違和感を感じても、ただちに自分の考えを表明しない方が良さそうですね。亀@渋研Xさんのこの論考を、今後のコメントの書き方の、参考にします。
うーん、そこまで禁欲的に書いたつもりもないんですけど、そう読めちゃった?
わかってないことを断定的に語るのは危ないから気をつけたいけど、沈黙しかないかというと、それはそれでぼくなんか何も書けなくなります(爆)
「これはなんだろう」とか「こうなんじゃないだろうか」っていう意見交換なんかは、端から見ててもすごく役に立つこともあるし、それはそれでいいんじゃないかなあ。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」っていうのは、それじゃあ何も言ってないじゃんって場合もあるだろうけど、みんながわかったような気になっているときに水を差す働きをしてくれるかもしれない。
そういうグズグズしたスタンスのつもりです(説明になってる?)。
で、TAKAさんが斜め上ツッコミを入れているようなコメントの多くは、「正面から相手をしなくても、それ(斜め上ツッコミで笑う)で済むよね」っていうようなものが多いと思ってます。なんていうか「穴だらけだから不採用」っていう信号にはなってますよね。
それが相手に伝わるか、多くの人に伝わるのかっていうと、ケースバイケースでなんとも言えないけど、それで伝わる人もいるだろうとも思います。きっとファンもいますよ(^^)
実は最近、私は少し不真面目モードに過ぎたのでは無いかと、一人考えていた所なのでした。例えば最近の、kikulogなどへのコメントです。面白いコメント内容に、偏っていたのかなと。
おそらく呪術的思考を、自在に使いこなせるように成ればまた、意味深い文章が余裕で書けるのかも知れませんね。
プロの亀@渋研Xさんに励ましてもらえたので、うれしく思います。お付き合いくださりありがとうございました。これからも勉強して参ります。
>意味深い文章
うーん……。そんなものを目指さなくても……いや、好きずきですが。わかりやすい言説が優れているってもんでもないでしょうし。
>ふざけ過ぎ
いやあ、えーと、不謹慎とかそういう話でもないと思うんですよ。
以下、本当に大きなお世話なんですが、「プロの亀@渋研Xさんに励ましてもらえた」とか言われると、ちょっと釘も刺しておきたくなるというか、予防線を張っておきたくなるというか。
ええとね、TAKAさんが今選択している手法は、いわば変化球なんだってことは自覚しといたほうがいいと思いますよ。直球に比べれば、受け取り損ねる人は、必ず一定程度いるんです(直球でも豪速球とかだと、やっぱり受け止め損ねる人もいるけど)。
ひょっとすると、受け止めやすいスローボールを放っているつもりなのかもしれませんが、スローボルだって思い切り山なりの高い球を投げると、取り損ねる人は出てくる。
プロの野球選手って、中途半端なボールは打ちにくいんだ、なんて話を聞いたこともあります(真偽は知りません)。
どういうボールを投げるかは、投げ手の得手不得手もあるし、どういう受け手を想定するかもある。だから「これがいい」という唯一のベストなんかない。
で、今のTAKAさんの手法は、「ある種のコアな人」には確実に届くと思います。ただ、人を選ぶんじゃないかな。
それが具体的にどういう層で、TAKAさんの望んだ受け手なのかどうか、そこはぼくにはわからないです。
ぼくも、Webではもうろうとした文章しか書けないので、自分を棚に上げた話なんですけどね。
>人間の物事に対する認知や理解に関する基本仕様に両者が載っているからこそ、呪術と科学に共通項が見いだされる、というだけなのでは?
エントリそのものについてですよね?
いや、おっしゃるようなことなのだろうと思います。
なんだろう、こう「知った」と「わかった」の間でうろうろしているのだけど、「できる」までいかないので、ぐずぐず言っているのだと自分でも思います。勉強不足なだけかもしれず、第三者的には気持ち悪い話なのかもしれません。
デバッグ不能な遺伝子コード。「それは基本仕様です」 - 小学校笑いぐさ日記(2008年5月4日)
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20080504/1209918749
コメント欄で、あれこれお話ししております。
しかし、いらんトラックバックは通すくせになあ、どうなってんねん、seesaa。禁止IPともかすってもないしなあ。