で知りましたが、自衛隊の方々自身が、自衛隊が旧軍の直系であるかのように「公然と」表明する時代になってたんですね。
「ほたるいかの書きつけ」では赤旗の記事にリンクされていたので、こちらでは毎日新聞地方版の記事(魚拓)にリンク。
で、あっちにもあるけど、公式サイトにある33連隊の沿革のページ(魚拓)へもリンク。
これまでも、帝国陸海軍の系譜に連なるものであるかのように言う方はいましたが、自衛隊関係者がそれを公然と言うということはなかったのではないかと思います。そうではないのかな。
精神性を受け継ぐとか、伝統を遵守するとか、そういう話ならともかく、組織として継続性があるのだとして「百周年」を「記念」しちゃうというのは、防衛省(国防省だっけ・苦笑)が許さなきゃできませんよね。違うのかな。
しかも町中での武装パレードというのは、例外的なようです(従来は「構内での」観閲式であったようです)。
いずれにしても、こりゃあエポックメイキングだなあ……。
まあ、いまの日本というのは、こういう状況にあるのだということで。
#魚拓のiframeって、うまく表示されないよう……orz
なんというか、「それを言っちゃあおしめえよ」という感じですよね。半ば公然の秘密的なもんなんでしょうけど、しかし、まさに「組織として継続」しているのを宣言しちゃったようなもんですからねえ…。
ちなみに武装パレードは、佐世保でもやってるんですよね。国民の反応を見てるんでしょうか。
>「それを言っちゃあおしめえよ」
まったく。
ああいう考え方がある、ということと、それを当事者が平気で出せるということの間には、恐ろしく開きがあると思うのですよ。
それで、Internet Arichivesで、いつごろからあのページの記述があるのかを確認しようとしましたが、残念ながら空振りに終わってしまいました。
あのページを作ったときからあるのでもうんざりですが、一方「防衛省への昇格」あたりがきっかけだとしても、かなりうんざりですねえ……。
>武装パレードは、佐世保でも
ちょっと調べてみましたが、佐世保では2003年から銃を携行したパレードが行われているようですね。
長崎新聞「陸自今年も銃携行 11日の佐世保市中パレード」(2004年9月8日)
http://web.archive.org/web/20051225213310/http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kako/200409/08.html#03
> 市中パレードでの銃の携行は、一昨年、市から「本格武装では過激すぎる」と市民感情への懸念が示されたため見送ったが、昨年は「陸自本来の姿を披露し、市民の理解と信頼を得たい」と実施した経緯がある。
だそうで、一度は見送ったものを蒸し返したわけですね。まあ「自衛隊は軍隊です」ということを、ちゃんと示していると言えなくもないけど……。いまさら既成事実化もくそもないし。
東京と埼玉の県境にある朝霞駐屯地では、有名な観閲式があるんですが、確か駐屯地内(隣接の演習場ぐらい)だったはずです。公道には出てこない。まあ、あそこは重車両(っていうのか?)とかがあるから無理なだけなのかな……。
で、いずれにしても「百周年」とか言いだしている部隊は、ほかにいないと思うんですけどねえ……。そうでもないのかなあ。
33連隊の沿革のページで「 旧軍と同じ地に同じ部隊番号をもつ部隊は、全国自衛隊の中でもここに駐屯する第33普通科連隊だけです。」が削除扱いになっているからには、ほかにも同じ条件の部隊があるわけですよね。そこはどうしてるのかなあ。ちょっとググったぐらいではわかりませんでしたが……。
それはともかくとして、貧弱な装備&精神論でどうにかする&管理職が机上の数合わせでしか作戦しない&現場の人的損耗はほとんど無視、っていう、兵站軽視組織の直系を名乗られても、逆に頼りないわけですが。
まあ、自衛隊も、正面装備に金を回しすぎて予算不足でトイレットペーパーが足りなくなったって話をどっかで読んだ記憶があるので、そういう昔も今も変わらない「現場の貧乏」にシンパシーを感じて直系と言いたくなるのであれば、気持ちはわからないでもないんですが。
陸自の演習の時の現場の通信がNTT頼みの携帯電話だったって件はもう改善されたんでしょうかねぇ。
そうですねえ、自衛隊が軍隊であろうがあるまいが、ねじれた地位であろうがあるまいが、「意図と目的に適った機能を備えた組織」なのかというと、そうじゃあないんだろうと思います。とりあえず骨抜きになってさえいればいいのだ、という意見の方もいるようなんですが、そういう「オトナの判断」は苦手です。
ミリヲタで思い出しました。
先日会った友人(ミリヲタ入ってる中年男)によると、海自はずっと前から帝国海軍の直系を公然と自任しているらしいです。なんつうか、それが誇りというか。
で、陸自は、駐屯地になるような場所は戦前から駐屯地だったわけで、精神的にも物理的にも直系と認識せざるを得ないような環境があるのだとのこと。
空自に限っては完全に戦後の組織なので、なんかアメリカ空軍の直系のような精神性があるんだとかなんとか。
そりゃまあそうなんでしょうが、ミリオタにかかると身もふたもないちゅうかなんちゅうか……。それにしても、それを公的なコンテンツとして表示できるかとか、行事名に掲げちゃえるのか、それでいいんかというと「まあなあ」という反応でしたが。
上記でちょっと調べたときにも気づいていたのですが、海自は数年前に「日露戦争百周年」「日本海海戦百周年」なんてのをやってるんですよ。で、ぼくはこっちは構わないような気がしちゃって、自分の感覚に戸惑ったりもするのでありました。
あと、記事で採り上げた33連隊は、その経緯から言っても「いかにも」なんですが、旧軍からの「遺産」を展示した資料館を敷地内にもっていて、一般公開しているんですよね。百周年とか言いたがるのも、むべなるかな。
いろいろとネジレを抱えているのが気持ち悪いです。
自衛隊の行動に影響を与えるほどミリオタが増大していたら、それはそれで問題なような。^^;; > apjさん
組織の実態とタテマエが矛盾しているのは一般論としては問題なんでしょうけど、政治家的には、(1)米軍の支援に海外へ行く、(2)高価な兵器を購入して軍需産業を潤す、という意味では十分存在意義を果たしているのではないですかね。いい悪いの問題は無視して言ってますが。
陸軍における「連隊」って「郷土の軍隊」的な意味もあるし、様々な階層(師団、旅団とか大隊、中隊など)の中では帰属意識の特に強い特殊な組織なので(例:猛犬連隊^^;;)、ノスタルジックに連続性を感じる気持ちはわかるんですが…。
でも、旧陸軍歩兵第33連隊って、上海派遣軍第16師団として南京事件に密接に関わってるんですよね。そこの清算をきちんとやらずに連続性だけ言われても、そりゃ困る、としか言いようがないんですよねえ。