2008年05月07日

本当に「なぜいつまでも水伝?」なんです

さっき、何故かと言うと(Interdisciplinary 2008年5月 7日)経由で、「uumin3の日記」さんの下記のエントリを読みました。

なぜいつまでも水伝?(2008-05-06)
続・なぜいつまでも水伝?(2008-05-06)
続々・なぜいつまでも水伝?(2008-05-07)

いやあ、いわゆる熱意の非対称性だったりするんだろうなあ、と思いつつも、できれば疑問に答える必要がありそうに思うので、できる範囲でご説明を試みてみます。新しい(かもしれない)論点として、「ネガティブにでも採り上げるから広まるのではないか」というご指摘がありますし。

続けざまに3つのエントリを挙げておいでなのに、まったく最初の疑念が晴れないご様子なのは、ご同情申し上げます。「いったいどこに広がっているのだ」とお思いになるのも、ごもっともだと思います。なんだか、「類は友を呼ぶ」ではないですが、懐疑的な人にあちらからは近づいてきてくれないようです。
アンテナ張ってないと事例が拾えないのだとすれば、本当に数少なくなったのかもしれないし、深く静かに広がっているのかもしれません。後者でないことを祈るばかりです。



本当に、水伝を受け入れられない人間から見ると、あれを信じる人がいることこそ信じられないですよね。その点はわかります。というか、ぼくだって実際に身近にそれが来るまで自分からは動きませんでした。どっか非現実的な話にしか思えなくて。

最初はぼくだって、いや阪大のきくちくんだって、早晩、消えてなくなる笑い話だと思っていたんですよ。おそらく2000年頃にはそう考えていたと思います。

でも、どうしてか、いつまでたっても繰り返し出てくるのです。
昨年も明治図書の新しい教材で肯定的に採り上げられたとか、長野の方で校長訓話で肯定的に扱われたとか、今年になっても地域の方が子どもたちに「いい話」として紹介していたとか、フジテレビで出てきたとか、いまもアマゾンの関連書レビューには肯定的なコメントが登場するとか、本当に信じられません。
幸田来未の「羊水発言」って今年でしたっけ? 去年? あの発言の背景にも幸田さんの『水からの伝言』信仰があるのではないかという指摘もありました(真偽のほどはわかりませんが、彼女が水伝ビリーバーなのは以前から放送等での発言から知られていました)。

「水からの伝言」が教育界に広がったのは、2005年頃がピークだったんじゃないかと思います。ぼくはそのときは、「あんなもん、と学会員以外は見向きもしないよ。世間では忘れられる以前に、相手にされずに終わっているに違いない」と思っていたので、完全に足下をすくわれた感じでした。

忘れ去られもしなければ、消えてなくなりもしない。しかたなく、話題にし続けるしかない。

今、少し目立たなくなってきているかもしれませんが、メディアにも教育の世界からもなくなってはいません。ということは、またいつか忘れられた頃に爆発的に広がってもおかしくないと、ぼくは考えています。何年か続けて見かけなくなったら、安心できるかしら。



どうして問題にし続けるのか不思議ということについては、納得いただける説明はできないかもしれません。前述の「熱意の非対称性」とかいうことも関係あるのだろうと思いますが、ニセ科学であれオカルトであれスピリチュアルであれ、疑似科学的なものが広がることに危機意識をもつ方は、それぞれにそれぞれの理由をおもちです。

阪大の菊池くんは「我々はオウム真理教を忘れてはならない」「社会の安易な二分論への強い傾きを感じる」といった動機を語ったことがあります。
山形大の天羽さんは、「ニセ科学と科学はパイを奪い合う関係」とおっしゃいました。
おふたりともほかにも重層的な動機があるはずですが、簡単に列挙できないので省略します。

世間には「バカな話をしてやがる」と人をバカにしたくて話題にする方もいるのかもしれません。しかし、継続的に問題として指摘を続けている方は、それぞれに切実な事情を抱えていたりもするのです。

自分について言ってしまうと、編集者でライターという自分の仕事をするうえでも、「事実と紛らわしい話の広がり」「専門家が言ってることにすれば、記事としてはオッケーな風潮」には苦慮しています。また、地域で義務教育に関わりを持っているので、根拠の怪しい教育施策が採用されること全般に困り果てています。その一環としてのニセ科学批判やオカルト批判でもあります。
マイナスイオンというアチャラカな話が90年代にあったことは知っていましたが、これも消えずに広まり続けていることも、その頃に改めて知りました。
そんなこともあって、2004年に雑誌の連載でニセ科学全般を採り上げることしました。それがこのブログを始めるきっかけとなった「PSJ渋谷研究所X」で、いまも別の雑誌で装いを変えて続いています。



もっと重要な問題があるのではないか、という点について。

「水からの伝言」の問題は、代表的なトピックではありますが、ひとつの事例であり問題の一部に過ぎません。いや、継続的に問題として採り上げている方々は、上記のおふたりに限らず「ニセ科学という問題の捉え方だって、問題の一部に過ぎない」と考えているケースは少なくないようです。

血液型性格判断についても、ゲーム脳にしても、「オーラの泉」にしても、代替医療のうちの悪質なもの、「あるある大事典」的なエセ演示実験、ID論、変わった事件があるとコンピュータゲームの影響が取りざたされること、911陰謀論(米政府の自作自演説)、みんな同根かもしれないという疑いを持っています。
そして、そうした話題を採り上げる都度、似たようなものが増えていっているようにさえ思われるのです。
今のところ終わらないもぐらたたきのような気がしています。

どの話題にも、ピークがあったかもしれません、それは短かかったかもしれません。世間が相手にするとは、にわかには信じ難いものも少なくありません。しかし、それで安心はできないことを、ぼくや菊池くんは「水からの伝言」で学んでしまったのは、すでに書いた通りです。



子どもでも本気で信じはしないのではないか、という点について。

心から信じてしまった大人には、ぼくも実際に会ったことはありません(ネット上ではそれらしい人を見かけますが)。
実は、『水からの伝言』に基づく授業を次女が受け(多分2002年)ました。その授業をした先生にお話を聞いてみたことがあります。
授業を受けた翌年、次女が事実だと信じていたことが偶然にわかり、慄然としたためです。で、その先生の場合、実は半信半疑であったことがわかっています。

そうそう、その水伝授業を受けたムスメは、当時小2、いま中2です。
この次女、つい先日もなんかの折に不意に「結晶がきれいになったりして(笑)」と茶化しました。「先生にあんなふうに言われたら、信じるよね」と笑い、その直後にぽつりと「ほんとにそうならいいのに」と真顔で言いました。orz

つい最近、フジテレビで採り上げられた際に、信じちゃったブロガーがどれぐらいいるかな、と調べたときはほんの十数件しか見つかりませんでした。少ないです。はい。
でも、「そうだったらいいのに」と思うことと、信じちゃうことの間にほとんど距離のない人もいるのだ、という事態は変わりません。おそらくずーっと。

悲しいかな、信じてしまった方には「調べる」という習慣を持たない方が、少なくなさそうです。これは飽くまで印象にすぎませんが(もっとも多数の事例を見た上での印象なので、あまり疑っていません)。



話題にするから広がるのではないか、という点について。

今のところ情報が共有されている範囲では、「ネットで否定的に扱われている例を見て知った」ということはあっても、「それで逆に信じた」というケースは知られていません(少なくともぼくの周辺では)。しかし、それは「そういう例はない」ということを意味しませんよね。
先に少し話題になったブログ記事で「記事の最初にトンデモな主張を引用してから、後段で批判するという記述の仕方をやめてほしい」というものがありました(これ)。「引用されているトンデモ説の方が、わかりやすく受け入れやすい話なので、そっちだけ読んで信じてしまう」というものでした。ですから、どこかで本当にあったことなのでしょう。

また信じてしまっている人は、批判的な言説に触れて逆にかたくなになることがある、というケースはよく知られています。

どちらも、本当に熟慮しなければならないことではあると思います。

ぼくの周囲では、批判は「信じてしまった人」には届かないと考え、半信半疑の人や、これまで知らなかった人に予防的に知ってもらうことを目的としている人が多数派です。しかし、世間は広いので、そうではない方もおいででしょう。その場合、心ない批判が展開されていることもあるのだと知らされています。実際に目撃したことはないのですが、その存在を疑っているわけではありません。



これまでにuumin3さんがご覧になった議論のなかに、どのようなものがあったのかは知る由もないのですが、ひょっとすると「ニセ科学批判の飛沫」みたいなものをご覧になったのかもしれませんね。
いや、「水からの伝言」批判に主流とか本流とかがあるというわけではないのですけれども、かなり慎重な言及も多々されているわけで、しかし、そうした配慮とは無縁の乱暴な言説も、前述のようにきっとあるのでしょう。そして、それはそれで慎重な言及群の影響下にあるのかもしれません(そうじゃないかもしれませんけど)。そういう意味で「飛沫」と表現しました。

どのような話も、一部分だけ取り出して語られたり、ねじ曲がって伝わることがあるものだということは、最近も体験しました。ちょっと余談めきますが、昨年、「神の手」というチェーンメールのことを調べて「お下劣ギャグ写真へのオマージュとして作られた加工写真だった」というエントリを書いたのです。しばらく継続的に追っていましたら、チェーンメールの内容も変わっていくのですが、それに対する説明もどこかでねじ曲がって、「元画像はお下劣ギャグ写真」とか「神の手はお下劣ギャグ写真を加工したもの」って説明をし始める人が出てきました。「それは無理だろう」という反論が出てきたのを見たときは、頭痛がしました。どっちも、ググレよ、はてなのキーワードぐらいちゃんと読めよ、みたいな。
同じようなことは、おそらくどんな内容ででも起きるでしょう。

今でこそ「水からの伝言」で検索すると否定的な話がたくさんヒットしますが、2006年ごろに学習院の田崎さんが「『水からの伝言』を信じないで下さい」を公開するまでは、主唱者である江本氏のI.H.M(波動関連商品を販売しています)や、その話を肯定的に引用・紹介するページ、TOSS関連の授業実践例ばかりがヒットするありさまでした。だから、みんなすごいなあ、よくここまで広げたなあと思うとともに、断片だけをつまみ食いして人を責め立てるような人に、燃料を与えてしまったかもしれないとも思います。

ただ、メディアや教育界に、どれだけの影響があったかは定かではありません(前述のように、いまもちょくちょく出てきますから)。失敗例はこっそりとなかったものにされるだけで、「あれはマズいよ」とかいう話は伝わりつつも、「なぜマズいのか」は伝わっていかないということもあるのかもしれません。

ですから、もぐらたたきだと思いつつも、やめないことに一定の意味があるのではないかと、ぼくなどは考えています。ねじ曲がって使われることがあるとしても、だからやめるというのではなく、より慎重に文章を組み立てるということで配慮するしかないと考えています。



下記は自分の書いたもので、しかも作りかけで恐縮なんですが、ぽつぽつとお読みいただけると、言及していないいくつかの疑問についてのヒントにはなるかもしれません。

作りかけと言いながらも全体としてはけっこうな量なので、拾い読み用に、直接の関わりが深そうな項目をいくつか拾っています。

【作成中】『水からの伝言』の基礎知識【基礎編】


私家版「ニセ科学用語の基礎知識」β1
 
 「ほかの問題の方が大きいのに」という点については、前述のように継続的に話題にしている人は、ほかの問題も採り上げているケースが多いと思うんですが、そうでないケースをご存知だとしても、「優先順位問題」をご覧いただければと思います。
なぜ信じるのかについては「ビリーバー」「極端な相対主義」「科学依存症」あたりも関係ありそうです。

また、余裕があれば「水からの伝言 呪術」なんいうキーワードで検索してみることをお勧めします。なぜ信じちゃう人がいるのかについて、考えるヒントになると思います。

ここまで書いてきたことで、少しでもuumin3さんの疑念が晴れることを願いつつ、今はここまでにしたいと思います。


posted by 亀@渋研X at 15:28 | Comment(3) | TrackBack(2) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 本当に「なぜいつまでも水伝?」なんです
この記事へのコメント
あ、いまひとつ気づいたことが。
「なぜいつまでも水伝か」の理由のひとつに、人間の不合理とかについて思いを巡らしている人の関心をやたらと惹いてしまう要素がある、ということがありそうです。それこそ「なぜあんな話を思いついてしまうのか」から「なぜ信じてしまうのか」に至るまで。呪術との関連で言及されるのも、そのひとつですよね。
また、ニセ科学批判を問題視する方々も、特に「水からの伝言」批判に強い関心を示すことが多いようです。

単に露出が多いので話題になりやすいということもあるかもしれませんが、いろいろな意味で、大変に興味深いケースということなのでしょう。
Posted by 亀@渋研X at 2008年05月07日 16:50
おはようございます。

話題にするから広がるのではないか、という点についてですが、硫化水素自殺報道と水伝批判では全く違うのじゃないかと思います。報道を見てまねる人はそれが悪いことだと分かってまねているわけでしょう。いわば「確信犯」。良い子はまねしないでね、と言っても悪い子はまねするだろうから、注意しない方が良いのではと言うようなことかと(ちなみに、うちの子供は、良い子はまねしないでね、悪い子はできるだけまねしないでねというフレーズにはまっています。)

一方、uumin3さんが心配されているのは、水伝批判を見て、「ニセ科学だと分かっていながら、江本氏にあやかって、一丁おれも儲けよう。」などということではないですよね。批判を誤読して水伝を信じ込んでしまう人もいるのではないかという危惧ですね。(それにしては、子供でも分かるという記述と齟齬をきたしますが)確かに、そそっかしい人も世の中には存在するかもしれませんが、そんな人のことまで心配すれば何もできなくなってしまいます。「毒キノコ注意」の注意書きを見て、食用と誤解することを心配するようなものでしょう。もちろん、誤解を受けるような紛らわしい注意書きは避ける必要がありますが、表現を慎重にすれば済むことで、注意書きを止める理由にはなりません。

エントリーの主旨から外れますが、硫化水素自殺報道も私は問題無いと思っています。自殺するような方は普通の心理状態ではなく、報道に接する前から自殺願望は有ったのではないでしょうか。たまたま硫化水素という手段を選ぶきっかけに報道がなっただけのことではないでしょうか。もし、それを知らなければガス自殺というもっとはた迷惑な手段を選んだかもしれません。まあ、想像に過ぎませんが、実証することは可能です。統計をとって、硫化水素自殺は増えているが、自殺総件数は増えていないか見れば分かります。

こういう「寄らしむべし、知らしむべからず」は人を馬鹿にしているようで嫌じゃありませんか。悪い子を無くそうとするのではなく、悪いことを知らせなければ良いというのでは、良いことと悪いことの判断もできない人間ばかりの世の中になるわけで。
Posted by zorori at 2008年05月10日 07:20
zororiさん、こんにちは。
そうですね。
ただ、あえてリスクの高い方法で露出させる必要はないので、発信側には注意が必要だと言うことはあると考えています。
個人にもマスメディアにも同等に求められるのかといえば、影響力の大きさからして同列に論じるべきではないでしょう。着眼点としてはオトナなら知っておきたいことですし、マスメディアに携わる側が個人レベルの注意でいいとも思われません。そういうさじ加減みたいなことも大事にしたいですね。

先まで読まないとか、記事の主旨には目がいかないで、トンデモない部分だけに頭が行っちゃうような人ってのは……まあ、書き手としてはどうしようもないわけです。どんなプレゼンでも、その人のツボにはまる「あ、こりゃいかん」が目立つところに書かれていない限り、おそらくどうにもならない。
もっとも、「水からの伝言」でいえば、食物みたいに「食べるな死ぬで」とまでわかりやすくは書けないって問題もありますが。

>こういう「寄らしむべし、知らしむべからず」は人を馬鹿にしているようで嫌じゃありませんか。

同感です。ほんとに、できることならなんでもオープンで行きたいというのがぼくの長年の願望の一つでもあります。もちろん、利害が絡むとかで、そうはいかないケースもあるわけですけどね。
Posted by 亀@渋研X at 2008年05月10日 08:37
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Weblog: PSJ渋谷研究所X
Tracked: 2008-05-07 15:45

動機と材料
Excerpt: uumin3さんがなぜいつまでも水伝?、続・なぜいつまでも水伝?と云うエントリを挙げられていて、それに続く続続・なぜいつまでも水伝?と云うエントリをお書きになっていて。で、それに対するレスポンスとして..
Weblog: Chromeplated Rat
Tracked: 2008-05-08 22:27
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