2008年05月09日

「国語力低下」調査は辞書の宣伝のため?

以前、調べたのは誰の国語力?と題したエントリを書いた(2007年12月11日)。岩波書店が、小学校の教員に意識調査をしたところ、国語力が低下していると答えた教員が約9割にのぼったという報道についてのもの。もっとも、時事通信の記事がいかに情報不足でミスリーディングを起こしやすいかを話題にしたものなのだけど。

そのとき、コメント欄では六さんが「岩波だけに『辞書を買おう』というメッセージに違いない」とか言っていた。

で、さっきたまたま、こんなところにたどり着いた。

人力検索はてな(2007-12-10)
http://q.hatena.ne.jp/1197291768
この記事にある「岩波書店が行った調査」について、より詳しいことのわかる記事などはないでしょうか。(記事の詳しい内容はコメント欄にメモしました。)


そしたら、なーんとなんと、だったのだ。


人力検索で寄せられた回答が示したURLはこれ。

●「広辞苑」新しくなるけれど…|Webマガジンまなびと|トピックス(2007年11月号)
http://www.nichibun-g.co.jp/magazine/topics/008.html

●asahi.com:「国語力」と辞書 - 出版ニュース - BOOK(2007年11月25日)
http://book.asahi.com/news/TKY200711270266.html

かなりはっきりと、広辞苑がらみの調査だったことがわかる。
さあて、なんでそんな話を2週間も後の12月10日になって時事通信が配信するんでしょうね? まったく、大手新聞が採り上げていないのも当然だわ。「あ、それ前に載せた」と思ったでしょうからね。

まーったくもう!
タグ:メディア
posted by 亀@渋研X at 15:39 | Comment(4) | TrackBack(0) | 学校とか教育とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 「国語力低下」調査は辞書の宣伝のため?
この記事へのコメント
以前の記事の時に自分が全然コミットしてないのが不思議なのですが(笑)

こういう記事の時って、どうして語彙などの単純な知識の面ばかりが取り上げられるのでしょうね。今回のように辞書が絡んでる事例では当然だとしても。まあ確かに言葉の重要な一面ではありますけれど。

それよりも、ライティングや場面に合ったコミュニケーションの方法などのテクニックをきちんと教える体制が整っていない、ということの方が重要な問題だと考えています。現役の国語教師の方もその辺りは頭が痛いようで。
日本語は確かに母語なのである程度不自由無く使いこなせるものでもあるのですけれど、トレーニングしなければ身につかない技術もたくさんあると思うのです。

こうやって色んな所で国語力低下を叫ぶニュースが出回る割には年末年始辺りに国立国語研究所があわや廃止か、という事態になったり、大阪ではこんな話題が持ち上がったりで↓
http://sociologbook.net/sb.cgi?eid=254
なんかちぐはぐな印象を受けるんですけどね(行政側には行政側の都合があるんでしょうけど)。

すいません、本題から外れまくって愚痴になってしまいました。まあ「だからお前らが頑張れよ」という話なのではあるのですけれど。
Posted by dlit at 2008年05月10日 02:06
dlitさん、こんにちは。
年末はお忙しかったとか?(^^;;

まあ、おっっしゃるような出来事の根底には、OECD加盟国で最低クラスの教育予算とか最大クラスの個人負担とか、そういう以前から指摘されている「国の姿勢」とかいうのがあるのでしょう。その背景には、「実のところは経済よりも教育を軽視している社会(市民・資本)」があるのでしょう。
悩ましいです(と言っていても始まらないのだけど)。

ご紹介いただいたリンク先で言及されているような事態を読むたびに思うのです。

ぼくが小さな子どもだった1960年代と比べると、本当に社会は、日本人の生活は豊かになったと思うんですよ。あの頃は、今見れば廃屋としか思えないような家に住んでいる人が近所にいた。青バナをたらしている子どもも、まだいた。

今は、ぼくレベルの底辺に近いような年収でも、安価なインフラが充実しているおかげで、生きていくのには困らない(将来のことさえ考えなければね(^^;;)。ネットまで使えている。なんか、自分が戦中派のじじいになったような気がしますが、「昔に比べれば、とってもよくなった」と言える。
ある程度稼げる人は、もう、健康とか年金とか「自分の将来のこと」とか「いま充実感が得られないこと」とかが悩みの中心になるのもわかります。それを途上国の人や、いま現在苦しんでいる人のことを考えれば「あんたの悩みはぜいたくな悩みだ」と言うこともできるといえばできるんだけど、当然のなりゆきでもあって。

豊かになったのであれば困っている人(ぼくのような怠け者じゃなくてね)の救済に関心が向かってもおかしくないわけで。そしてある程度はそうなっていると思う。だけど、それはこうした問題にまで届かない。
これはどういうことなんでしょうね。
ひとつには「どん底の人」やそれに近い人のことが本当に見えなくなっているのでしょうかね(ひとつには「将来の不安が大きい」ということもあるのでしょうけれども)。きっと身近にそういう人がいないとか、すぐとなりにいても気づかない、気づけないという面があるのかも(と書いてきて、ひとつ思い出したことがあります。これは別エントリにします)。

それとは別に、国語教育+大阪で思い出した件がひとつありました。

●大阪の児童文学館に廃止案 国内最多の70万点所蔵(asahi.com:2008年04月26日)
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200804260150.html

教文の広辞苑の広告記事(だと思います)でも、「本を読まなくなった」ことを国語力低下の理由として挙げている教員が多いなんてことが書かれています(それが真の理由かどうかはともかく)。彼らも、岩波書店さえも、大阪のケースのようなことは望んでいないんでしょうけど……。

橋下知事の登場で予想できたと言っている人もいるのだけど、誰が出てきてもこういうことはバランス感覚の問題なので、常に起きてくるのだと思います。その都度「いやいや、それは採算性で論じちゃダメな部分でしょ」「利用率が上がらないなら、上げる工夫をする必要がある部分でしょ」と声を上げるしかないんでしょうね。
Posted by 亀@渋研X at 2008年05月10日 06:29
お邪魔します。
実は本業は国語教師のはず、だったりします。

ですが、あまり文学を好まない、国語教師としては少数派に属する身だと思っています。
 国語教師の大半は読書が好きで、文学も好きです。そういう人たちにしてみれば、「本を多数読まないこと」自体が嘆かわしいのであって、国語力低下の原因の話とはまた別だと思います。

 一方、この手のニュースで欠けている情報がもっとあるのでは、と感じます。
 「誰が」本を読まなくなっているのか。
 「どんな」本を読まなくなっているのか、です。

 以前に比べて、大人だって本を読まなくなっている気がします。
 それから、「歴史的文学作品」を読んだ経験がある人が減っている気がします。
 まとめて言うと、それほど本、特に文学作品を読まなくとも、恥ずかしいと思わずに済む社会になっているのではないか、と思うのです。

 橋本知事の発想に似てるのかもしれませんが、
「そこ(文学)はそれほど重要じゃないでしょう」という傾向を、日本社会がもってしまったんじゃないでしょうか。
Posted by shunsoku at 2008年05月10日 21:15
>他人が見えない

ネットの普及のおかげで情報はむしろ得やすくなってる面もあるかと思うのですが、それにどれだけリアリティを感じられるかどうかは人それぞれでしょうしね。

(特に公共の)施設や機関についてはもちろん採算性などの議論も重要なのですが、「完全に無くしてしまう」ことのデメリットを受け止める覚悟がどれだけあるのか、というところがいつも疑問なのですよね。
その辺りは専門家が声を上げていくべきなんでしょうけど、保身や身内びいきと取られることも多いので難しいところです。

国立国語研究所の処遇を決める際のヒアリングの資料に、有識者の一人が「最近日本語の乱れがひどい、だから国研はいらない」というような発言をした記録があります。
そもそも「日本語の乱れ」の内容もよくわからないのですが、それを本当に問題だと思うのなら考えるべきは「どのように改善していくか」だと思うのですけれどね。
Posted by dlit at 2008年05月11日 05:53
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