「それって、なんかおかしいんじゃない?」
と考えた人がいました。で、有段者に実際に技(?)をかけてもらいました。
結果はどうなったでしょうか?
という話がASIOSの、先日始まった公式ブログに出ている。
気功で人を倒せるのか(ASIOS公式ブログ 2008年05月07日)
結果はリンク先をどうぞ。
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私の出番がやってきたようです(ASIOSのブログがあったんですねえ)。
恐らく、リンク先の結果のようなケースを信じた遠当て肯定派は、「あれは未熟者だから出来なかったのだ」、とでも説明するでしょうね。よく見られる話ですね。
ちなみに、合気道なんかでは、武道館で行われる演武会で、普通に遠当て(と言うか、触れずに投げる)をやっている師範がいたりします。その一方で、そのようなものを見世物にしている事を憂えている人々もいますね。
まあ、私から言わせると、そんなに時間掛けてちょっと離れている人を倒してどうするの、という感じです。武術としての実用性も皆無だし、その他の応用も利かないし。
でも、一見「それは無いだろう」と思えるきちんとした技が存在したりするので、ややこしい所ですが。「触れずに倒す」系は、ほぼ全て(ごくたまに、色々の条件が運良く重なって、そういう現象が成立する事がある)インチキ(これは暗示ですよ、と明言しているものを除く)でしょうね。
こんな事書くと、肯定派に悪魔の証明を求められそうですけれど(笑)
ASIOSのブログは始まったばかりですね。ぼくも、この9日に知ったところです。
>「あれは未熟者だから出来なかったのだ」
「信じる気持ちがない」とか「舌の位置」「足の親指」とかいう弁解は、まじめな(?)気功の人には、どう映るのでしょうね。
こういうケースで「この実験で、否定にしろ肯定にしろ、どこまでのことが言えるか」というのは、いい練習問題になると思って、そういう角度からの記事にしようと思っているうちに日が経ってしまいました。
「誤った二分法」の問題もあって、ついつい、これだけで一般化した「ある」「ない」の両極の答えのどちらかを言おうとするのが、ぬるいマスコミなどでよく見る記事ですよね。それがおかしいことは、すぐにわかる人も多いと思うのですが、じゃあそこから先は、というと、そこをうまくまとめられなくて。
誰か、うまい解説を書いてくれないかなあ。
いかがですか、TAKESANさん(笑)
>一見「それは無いだろう」と思えるきちんとした技が存在したりする
こういうことがわかっている人が解説するのが、いいんじゃないかなあ、と思ったり(^^)
それから、ASIOSの基本路線は「批判」のスタンスはとらずに事実を提示する方向なんで、一事実から「結論」を導かれても困っちゃうのですけどね。でも、実際にそういう結論に行っちゃう人は多いですよね。
「この実験で、否定にしろ肯定にしろ、どこまでのことが言えるか」みたいなところは、是非ニセ科学批判方面の人に言及してもらいたいところ(トラックバックとかも)。
>一事実から「結論」を導かれても困っちゃう
そうでしょうね。「こういう事柄については、こういう説明も可能だ」とは言っても、「それですべて」とは言わない。確かジェームス・ランディも、そうですよね。それ以上は言わない。
それじゃあもどかしいという人もいるでしょうけれども、しょうがない。
今回の気功のケースだと、TAKESANさんも書いておいでのような「実験に参加した術者がインチキだった(あるいは未熟だった)だけだ。すべての“遠当て”がインチキと決まったわけではない」なんていう「まとめ」も予想できますよね。
これ、かなりもっともらしくて、反論しにくいと思います。
ぼくも「そこまで弱い結論しか導けないわけじゃないよな」「蓋然性とかを踏まえるともっとちゃんとした評価ができるんじゃねえか」なんてことは、おそるおそるでも思うんです。しかし、そもそも蓋然性ってなんだって説明が、ぼくにはできなくて。
それができてたらトラックバックしてたんですが<うわ、言い訳がましい(汗
誰かチャレンジしてくださいまし。
ちょっと調子に乗って、長いです(笑) しかも細かい。