2008年05月13日

憲法9条と911陰謀論をめぐって3【追記あり】

その2の続きです。
ちょっと目を離しているうちに、こんなやりとりが出て来ていた。
180. ROCKY 江藤 ― May 11, 2008 @23:17:03
>変だけど仲間だから許容しているのか、それとも同類で変と思わないセンスの持ち主なのか、そのあたりは何とも分りません。
 もともと他人の言うことは、反対勢力の言うことはもちろん味方の言うことでも、あんまりちゃんと聞いていないって可能性もあるんじゃないですかね。
「憲法9条改悪反対」なり「アメリカのイラク侵略反対」なり声を揃える場で同じようなことを言っているのならば、それ以外のところでなにを言っていようと気にしない、ちゃんと聞いてみようともしないってこともあるんじゃないかと。

Owner Comment きくち May 12, 2008 @16:15:59
聞いてないのでしょうね。そうとしか思えませんね


うーん。そうですかね。
ぼくの見方は、かなり乱暴で偏った見方だとは思いますが、もっと致命的な問題を抱えていると考えています。「細かい話は聞かない方がいい」あるいは「人は人、我は我」というメソッドを獲得しちゃっているのではないかと疑っています。

「今の日本の市民運動は、かなり壊滅的」「オカルトやら陰謀論との分離はできません」というのがぼくの見方。そこに誰も手を付けられないのだろうなあ。
それでいいって話では、もちろんないんですけどね。

というわけで、ちょっとだけ予定を変えて、その辺の話を。

5/13 03:15a.m.追記
このエントリで述べていることは、上記に引用したROCKY 江藤さんのご意見を、たとえば全面的に否定するといった主旨のものではありません。ぼく個人の内心の問題としては、むしろ、その後に続く同意のコメント群によって、「ああ、そういうことなのね」という共通理解ができてしまうことを危惧しました。わけても、ROCKY 江藤さんの言を引くような形で、しかも「そうとしか思えませんね」という形で肯定した菊池くんの理解を重視しています。
また、「聞かない」というのではなく「聞く気がない」「聞けない」のだろうという提起は、些細かもしれませんが決定的な認識の違いでもあると考えています。その意味で、今の市民運動はもっと決定的にダメになっていると考えている、ということを書いているつもりです。
出典の明示のために上記のような引用をし、これで論点と出発点を示すには十分だと考えていましたが、前述のような危惧についてまったく触れなかったのは不親切だったかもしれません。ROCKY 江藤さんが代表させられた格好になってしまったのも、出発点となる発言をされているので仕方がないとは言いながら、お気の毒な役回りになってしまいました。いわゆるさらし者にして誤りを追求するような意図があったわけでは無論ありませんが、無作法であったとすれば、その点はお詫び申し上げます。
[追記ここまで]

80年代以降の市民運動は、60年代以来の学園紛争やら内ゲバやら新左翼運動やらに、いろんなことを学んでしまっています。なにをって、「異論を問題にすると、語気に恐れをなして人が逃げる」「差異を不問にすると人数が増える」「人数が少ない集まりと日曜の市民集会は、メディアに相手にしてもらえない(後者は夕刊がないから新聞に載らない)」「メディアに相手にしてもらえないと、第三者的にはなにもやってないのと同じ」「あるいは過激派扱いされる」「ていうか、『運動』と思われるだけで人が逃げる」というようなことですけど。
で、まあ、どんどんぬるくゆるくなって行って、それを一世を風靡したワレサ議長率いるポーランドの自主管理労組「連帯 Solidarnosc」(Wikipedia)にあやかって「連帯」なんて称してきた、という経緯があるわけです(全共闘運動時代の「連帯を求めて孤立を恐れず」というときの「連帯」とは、もうなにかが決定的に違ってしまった)。

ぼくは81年から84年にかけて、そのまっただなかにいたっていうか、それを埼玉県の片田舎から横目で見ていたです。ええ、その頃は、それでいいんだと考えていましたとも。浦和の「ニューウェーブ80」なんて連中の方が、党派の連中よりもずーっとましだ、スクラム組んでる学生や労働者の隊列は不気味で、手をつないでフランスデモをやったり、トラックの上からパンクバンドがパフォーマンスしてる方が健全だと思っていました。いや、よくわからないながらも、いまもその方がましだと思ってるところがある。

ただ、その結果、党派性の強い政治勢力と市民運動は一線を画することができたかもしれませんが、運動体としては烏合の衆となることを余儀なくされたわけです。しかし、主張が先鋭化することよりも、実際に自分の生活が変わったり共感し合える仲間が得られることを重視していたし、近親憎悪的に揉めるよりは小異を捨てて大同団結のほうが素敵だということになっていたので、それで問題なしとしてきた。きっと今も、そのままだと思う。

で、たとえば「環境問題を考える」にしても、いろいろな態度があるわけです。ロハス気分でオッケーもいれば、合成洗剤やら化学物質やらは一切使わないとかいう人もいれば、フェアトレード万歳もいれば、なんとか島のバナナもいれば、地球温暖化で京都議定書でグリーン・オフセット(だったかな)が重要とかいう人もいるわけで。

自宅での助産婦さんによる分娩をやってのけた知人がいるのだけど、その人を中心に何人分かを合体させると、こんな感じ。
やっぱり、そういうのをついつい「自然なお産」とか言っちゃうのね。で、ぼくあたりがちょっとつっついてみると、本人はちゃんとリスクへの備えをしつつ取り組んでたりする。だけど、話題にするときにそこを言うのは忘れていたりする。
本人が言うのを忘れるぐらいだから、吉村医院みたいのは問題だよね、ああ言うのを美化するのは危険だよね、というところは共感してもらえても、そこを話題にする気はない。
また、「奄美大島が好きで」「島の天然塩がおいしいんだよ」とかいうと、周りから「ロハス?」とか聞かれる。いちいち違うとか言うのも面倒なので放っておく。ロハスに共感しないのかというと、それ以前にロハスってなんなのかに関心ももっていなかったりする。
デモには行かないけど、アースデイには行って、なんか売ったり買ったりもしている。南北問題とかも気になっていて、フェアトレードにも関心が強い。しかし政治や運動には不信感があるので近づきたくない。そもそも「批判」というのはネガティブでイヤだったりする。
そんな感じ。

なんていうか、「優先順位問題は完全に棚上げ」に成功して「あなたはそれ、私はこれ、それでオッケー」になれて、共闘、じゃなかった、ゆるゆる連帯なわけです。それで代々木公園に2万人とかになれて、メディアでもオシャレ系の話題として露出もでき、「運動? 政治? それって宗教みたいなもの?」という、二重三重に不当な嫌悪感から距離を置くことができたわけです。

最近のアースデイだの9条世界会議だのの「人の集まり」は、ここ30年の市民運動史のなかでは例外的な成功例のひとつです。80年代後半の一時期にあった、チェルノブイリ原発事故(86年)を契機とする「反核運動の高まり」以来ではないかと思います。遺伝子組み換え作物とか環境ホルモンとかいう話もありましたが、市民運動的なものには、あまりなってないんじゃないかな。
そう考えると、テーマがごった煮でもオッケーなせいもあるのかとも思いますが、逆に言えば、ごった煮じゃないと訴求力がないのかもしれません。


まあ、そんな状況分析(というほどのもんじゃないけど)ですから、「異論は唱えない」のではなくて、そんなこと論外なんじゃないか、できない、気にしないのが性になっちゃったのではないか、という見方になっちゃうわけですね。
「ちゃんと聞いてない」というのとは、ちょっと、だけど壊滅的に違うんじゃないすかね。


で、ですねえ、そうであれば、せめてものルールとして「あるテーマで集まるイベントぐらいでは、せめて共有できてない主張はしまっておく」というぐらいの慎みは発揮してもらわないと、まんべんなく迷惑だろうな、と思うわけですよ。
具体的には「9条世界会議」みたいな場では、陰謀論の宣伝なんかは、さすがに勘弁してくれ、と。

そうじゃなくったって、同じコメント欄で南雲和夫さんという方がこんな体験を披露するようなことになってるわけで。
146. 南雲和夫 Website ― May 8, 2008 @11:38:46
南雲です。『9条世界会議』で気になったことを。

5日の日に、たまたまあるブースにいたのですが、そのとき、通りがかった年配の女性が当方の監訳書『アメリカの悪夢ー9.11テロと単独行動主義』(耕文社)を一瞥するなり、一言。

「あらこれ、9.11テロがやらせ(ブッシュ政権の自作自演)ってやつでしょ?そんなのいいわ」

もちろん、当方の著作はそうした「陰謀論」に基づいた著作ではないと説明したのですが、結局理解してもらえず立ち去られてしまいました。

すでに「9.11テロ=自作自演説」がいかにデタラメな主張であるかは明白だと思うのですが、やはりこうした市民運動の中には根強く影響を広げているようです。研究者の一員として、正しい科学的認識と影響力を発揮する責任をますます痛感しました。
返信コメントできくちくんも書いていますが、
そのかたは陰謀論を信じていないのだけど、逆に「9.11の話はすべて陰謀論」と思い込んでいるのですね。
なわけです。
そりゃああかんやろ。まさか、そういうおっちょこちょいが出てくるとは、ほんとに油断も隙もならん。


いやまあ、そういうわけで、別に昔なつかしのかつてのガクセーウンドーが正しかったのだとかいうつもりはない。けれど、もう、これを市民運動とか呼べるのかというと、さすがに違うだろうと。「大きな結論さえ一致していれば、それ以外の主義主張は問わない」というスタイルでしか共存できないようなこれを、一体なんと呼んだらいいのかわかりませんが。
大層に言うと「かつての大衆と遊離した政治闘争への嫌悪感を止揚しないままに来てしまった」わけです。なので、政治アレルギーやら党派アレルギーやら運動アレルギーやらを克服できない。これで、ちゃんとした議論ができるわけもなく、ちゃんとした議論ができないと、あたりまえだが、オカルトも陰謀論も排除できない。ていうか、しなくていい、できないと思っている。そういう感じなのであります。


というわけで、「今の日本の市民運動は、かなり壊滅的」「オカルトやら陰謀論との分離はできません」というのがぼくの見方なわけです。まず、議論することについての耐性をつける必要があるのだけど、その過程で多くの人が逃げていくことが見えているので、誰も手を付けられないのだろうなあ。

繰り返しますが、それでいいって話では、もちろんないんですけどね。どうすればいいんでしょうねえ。


タグ:陰謀論
posted by 亀@渋研X at 00:49 | Comment(13) | TrackBack(1) | 渋研X的日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 憲法9条と911陰謀論をめぐって3【追記あり】
この記事へのコメント
上でお書きになったようなことを私流に表現すれば冒頭に引用された言葉になります。ですからまったく異論はありません。
私からすれば
>うーん。そうですかね。
と言われるようなことを書いたつもりはありませんし、「ちょっと、だけど壊滅的に違う」ことを言ったとも思っていません。
Posted by ROCKY 江藤 at 2008年05月13日 01:16
ROCKY 江藤さん、コメントをありがとうございます。

状況について同じような認識をお持ちだということですので、逆に違和感を持たせてしまったかも知れませんね。
ただ、もしも言葉遣いの問題だけとお考えだとすれば、ぼくはそう考えていないので、上記のような表現になりました。
「聞かない」と「聞かない方がいい」あるいは「聞けない」とでは、かなり開きがあると考えているのです。
Posted by 亀@渋研X at 2008年05月13日 01:42
分かりました!
いまのゆるゆるの「大きな結論さえ一致していれば、それ以外の主義主張は問わない」というスタイルの市民運動平和運動が生まれ出てきた原因である、かつての新左翼運動の小さな相違をてっててきに取り上げて攻撃して相手を屈服させ殲滅するという手法を、実地に示してみせてくださっているわけですね。

いまの気持ちを正直に言えば、歩いていると突然路上販売の人から、
「そこ! そこのあんた! あんたですよ!」
と呼び止められて、なんだろうとうっかり立ち止まったら、たちまち商品説明のダシにされてしまい、これじゃあまるで俺はサクラじゃないかと情けなく思いながらも、
まあ、あいつも商売でやってるんだから、怒ったりするのも野暮か
とか思いつつも、でもなんでよりによって自分がと理不尽な思いに駆られて、しかし憤然と立ち去るのも大人げないかとか考えて、みなの好奇の視線の中で立ち尽くしている、
といったところでしょうか。
Posted by ROCKY 江藤 at 2008年05月13日 02:56
ROCKY 江藤さん、再度のコメントをありがとうございます。

さらし者にして誤りをとがめる等というようなつもりはまったくありません(わたしの「つもり」など、なにほどの意味もないのかもしれませんが)。そのようにお感じになられたのであれば、はなはだ残念ではあります。
菊池くんのコメントだけでは意味が通じないし、出所はできるだけはっきりさせておきたいと考えていますので、ROCKY 江藤さんのコメントから始めるしかないのです。
これが検索で拾って来た無邪気なビリーバーさんであれば、突撃組の発生を避けるために直リンクしないといった配慮をすることもあるのですが、まさかkikulogで……いや、そんなことは言い訳ですね。

モヒカン式のご挨拶で恐縮ですが、引用して言及されたことそのものがご不快だということであれば、人生にはこういうこともあるのだと諦めてください。
不適切な点があるということであれば、ご指摘いただければ再考したいと思います(修正をお約束するものではありません)。

いずれにしろ、ご不快に思われたということは理解しましたので、本文に意図等を追記致します。kikulogにも、後ほど追加コメントをしておきます。
Posted by 亀@渋研X at 2008年05月13日 03:53
結局のところ、政治は数なので、
「手段のためには目的は問わない」ということですね。

それはそうと、右か左かで、陰謀論の黒幕がユダヤの秘密結社か、コミンテルンだとか極左系の非合法集団に分かれますね。
Posted by 六@渋研X at 2008年05月13日 07:29
kikulogにも書きましたが。
私の言語観、人間観からすればどこに決定的な違いがあるのかさっぱり分からないので、ただ「そうですか」と伺っておく他はありません。私自身は差異を突き止めようという気もありません。

>モヒカン式のご挨拶で恐縮ですが、引用して言及されたことそのものがご不快だということであれば、人生にはこういうこともあるのだと諦めてください。
道を歩いていたらいきなり犬に吠え掛かられた時など、なんで通行人はたくさんいるのに私に吠えるんだ、犬嫌いの人ならば他にいるのに?と言った気持ちを抱くことは割とありますが、犬の虫の居所がよっぽど悪かったのだろうと諦めることにしています。
モヒカン式挨拶なる言葉も初めて聞きましたが、説明してもらってもどうせ仕方がないと諦めています。
人生、諦めなければならないことは多いです。

Posted by ROCKY 江藤 at 2008年05月13日 10:00
私は、新左翼が下火になったころ少し遭遇しました。全共闘系の連中と議論になりかけたのですが、何か言おうとすると「ナンセンス」と返ってくるばかり。つまり、議論をする気はないのです。彼らは多分戦争をしているつもりだったと思います。それ以前は徹底的に議論で叩くという方法だったのかもしれませんが、結局武力闘争ですから。

それで、見た目や雰囲気は大違いですが、市民運動も議論をしないというところが共通しているような気がします。議論は個人の負担が大きく辛いので、集団の数で勝負になりやすいのかなあと。でも、人間は社会的動物だから、それも仕方ないかなと思ったり。
Posted by zorori at 2008年05月13日 11:20
六さん

>「手段のためには目的は問わない」ということですね。

そういえば、そんなエントリを書いたことがありました。
http://shibuken.seesaa.net/article/63320687.html

米政府でなくても、どんな黒幕でも用意できるわけで、そこら辺が陰謀論者にとって陰謀論が「使える」ところなんでしょうね。

そういえば、こんな話がありました。

はてなブックマーク > 大半の疑似科学は技術である。 - IHARA Note
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tihara/20080511%23p1
エントリの書き手であるtiharaさん(ブコメにも登場していますね)によると、〈科学はなんらかの現象を「説明できる/できない」で語るものだ。他方、技術は「使える/使えない」で語るもの〉だそうです。

Posted by 亀@渋研X at 2008年05月13日 16:55
ROCKY 江藤さん、重ねてのコメントをありがとうございます。

いまだにご不快であることは、よくわかりました。
前々回のコメントでいただいたサクラのようだというのは理解できているつもりです。そのため追記のような表現となりました。好奇の視線に相当するものがあるのかどうかは、わかりません。ないと思いますが、これは主観なのでどうしようもない。

ただ、なにか不当なことをされたとおっしゃりたいようにも思えるのですが、なにをそうお考えなのかがよくわかりません。また、不当なことをしたつもりもありません。

「どこに決定的な違いがあるのかさっぱり分からない」とのことなので、簡単に補足します。「差異を突き止めようという気もありません」とおっしゃいますが、現段階ではそれぐらいしかできることもなさそうですし。
「聞かない」というのは、意図的であれ気づかずにであれ「聞こうと思えば聞ける」ということが前提になっています。
一方で「聞けない」は能力の問題です。
エントリでは〈「異論は唱えない」のではなくて、そんなこと論外なんじゃないか、できない、気にしないのが性になっちゃった〉と書きましたが、いまの市民運動は「聞かない」のではなく、「聞こうとすることさえできない」という重篤な状況なのではないか、ということです。
「聞かない」のであれば、気づくなり何なり、その気になれば改善され得るということになります。「聞けない」のであれば、改善の見込みはないか、あっても大変に低い。「聞かない」のだとしても、意志の問題だとすると改善が困難であることに大した違いはありませんが、可能性としては「聞けない」よりはかなりましでしょう。

上記のような違いに大した意味はないとお考えということでしょうか。であれば、そこが分岐点なのでしょうね。

ちなみに、ROCKY 江藤さんは「歩いていると突然路上販売の人から」とか「道を歩いていたらいきなり犬に吠え掛かられた時」とおっしゃいますが、あまり状況に即したたとえではないと考えています。
ああした場で発言されることを、道を「黙って」歩いているようなものとお考えだったということはわかりますが、むしろ、いわば公開討論会で発言したら言及されたというのが今の状況ではありませんか?

Posted by 亀@渋研X at 2008年05月13日 17:25
zororiさん
非公然であっても武装闘争を選択した党派は、聞く耳などなかったのでしょうね。議論とは論敵を論破するために行うものだという主張を、どこかで読んだことがあります。新左翼の登場前後煮関する本だったように思いますが、有史以来、そういう人たちはいるのかもしれません。
逆に「懐柔するために行うもの」なんていう一派もありそうですね。

「議論は個人の負担が大きく辛い」というのは、本当におっしゃる通りだと思います。しかも、得ることが少ない(あるいはない)などと考えている方も少なくないので、コストパフォーマンスが悪いことこのうえないってことになってしまう。それだったら、議論などしないで人数だけ増える方法を模索したほうがマシということになるのでしょう。
「人間は社会的動物だから」というのは、孤立を恐れるということですよね? 議論を経て紐帯を深めることもできる(少なくとも、できることもある)、それは議論抜きの結びつきよりも強い(こともある)というだけではリスクに対して十分なリターンではないということなんでしょうね。
しかし、それじゃあ「運動」にはならんでしょうねえ。いや、運動であるつもりもない人の方が多いようなので、当然なのでしょうけど。なんだろう。「流行」とか「ブーム」? 「一過性のもので終わらせたくない」というようなことは言われるので、そうじゃないんだろうなあ。「ライフスタイルの変革」とか、そういうことなのかな? それを広めようとしたら、運動とは違うのかな? 今の彼らが何をしたいのか、よくわかりませんねえ。
Posted by 亀@渋研X at 2008年05月13日 17:35
>「手段のためには目的は問わない」ということですね。
そういえば、そんなエントリを書いたことがありました。

そういえばそんな話も。
呉越同舟ともちょっとちがうか。
同床異夢ってとこですね。
好きな男の腕の中でも、違う男の夢を見る〜、
みたいな。(古!)
Posted by 六@渋研X at 2008年05月17日 08:10
南雲です。はじめまして。

実はアメリカの政策研究所の知人に『9.11陰謀論」についてメールを送ったら、そんなばかなことを信じているの?みたいな返事が返ってきました。

本家本元のアメリカでの扱いは、どうも日本ほどではないようです。それにしても、どうしてこんなトンデモ論に引っかかる市民運動家がいるのか・・・。
Posted by 南雲和夫 at 2008年09月17日 20:43
南雲さん、はじめまして。kikulogでお名前をお見かけしていました。

いつぞやはご著書が陰謀論扱いされてしまったとのことで、そんな弊害もあるのかと驚きました。

9.11陰謀論の「本家」がアメリカなので、日本の陰謀論者もついつい「アメリカでは常識」みたいに思いがちなのかもしれませんね。日本でも大筋では、まともなメディアのまともな報道記事・番組では扱われず、バラエティや週刊誌ネタに留まっていると言っていいのだと思います。

ただ、「まともな報道記事・番組」と「バラエティや週刊誌ネタ」の区別をつけられない(つけていない)方が、一定程度はいるということが言えそうです。おそらく日本に限らないのでしょうけれども、少なくとも日本ではそのようです。
もちろん「権力を利することを言うヤツには裏があるに違いない」というようなバイアスもあれば、早のみこみもあるのでしょうけれども……。
Posted by 亀@渋研X at 2008年09月19日 09:57
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Excerpt: 「護憲運動」のお歴々が9.11陰謀論に感染していて困ったもんだという話がありますにゃ。そのあたりの事情がよくまとまったものとしては、「陰謀論系ニセ科学批判」の可能性について - 玄倉川の岸辺なんかが..
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Tracked: 2008-05-16 04:38
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