ぼくが読んだアシモフ作品はフィクションが大半だ。SFとミステリ。でも、実はアシモフの書いたものは、一般向けの科学書のほうがずっと多い(フィクションだってたくさんたくさんあるんだけれどね)。科学書のなかでも「科学エッセイ」シリーズは、ぼくが学生だった頃からファンが多いことで知られていた。いまはどうなのかな。
その「科学エッセイ」に、こんな一節がある。
5/20 14:55修正:
地動説とすべき部分を天動説としていましたので修正しました。
コメント欄でご指摘くださったAboutさん、ありがとうございます。
ああ恥ずかしい(滝汗
アリスタルコスは、地球をふくめた惑星がすべて太陽のまわりをまわっているという提案をした最初の人間だった。この努力の報いに彼は笑いとばされ、少なくとも一人の哲学者(ストア学派のクレアンテス)は、彼を不敬の罪で裁くことを要求した。こんなキ印理論を写したところで必要な報酬をもらえる筆写人はほとんどいなかったから、アリスタルコスの研究は残っておらず、われわれがこうした理論について知る唯一の方法は、他のギリシャの哲学者たちがそのことに冷笑的に言及していることによるのである。アシモフの科学エッセイ 5
『わが惑星、そは汝のもの』
(ハヤカワ文庫、山高昭・訳)
言及されているアリスタルコスは、 紀元前310年 - 紀元前230年頃の人らしい(wikipedia)。コペルニクスのはるか以前にも
この一節には、こんな追記がある(確か傍注だったと思う)。
もちろん、私も、第一章や第四章でやっているように、キ印の考え(あるいは、私がキ印の考えと思うもの)について酷評をするつもりである。いつか、誰かが、次のようなことをいうことになる危険のあることは、私も承知している。「われわれがこれこれの重要にして世界を震撼させる理論について知る唯一の方法は、アシモフの冷笑的な言及を通じてしかない……」だが、私は危険を冒すつもりである。
「第一章や第四章」というのは、確か占星術の流行だとか、ヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』について語った部分だ。
アシモフは「危険」にさらされる憂き目には遭わずに世を去った。しかし、これからも、その「危険」に脅かされる可能性は消えない。
もっとも、その可能性は、とてもとても小さい。彼がその可能性を「ちゃんと計算しなかった」なんてことがありそうにないのは、彼の愛読者なら誰でも同意してくれることだろう。そして、ぼくは無学だけれども、アリスタルコスやガリレオ・ガリレイやウェゲナーのような人が、そんなにむやみにいるとは考えにくいという点だけ考えても、アシモフのリスク計算は間違っていなさそうだと考えている。
というわけで、ぼくもアシモフにならって、その「危険」は冒すつもりなわけだ。もっとも酷評も冷笑もうまくできないので、大方の場合は困って見せるだけなのだけれど。
kikulogの古いエントリ「人類の月面着陸はあったんだ論」についたコメントで、アシモフのこの言葉を思い出したので、書き留めておく。
あわてて付け加えると、アシモフが言及もしていないようなことについてアシモフを引き合いに出すのは妥当性を欠くし、ひょっとするとアシモフに対して失礼かもしれない、ということはぼくも気づいている。まあ、心意気を見習う、という話だと理解していただければと思う。
あ、アシモフを見習えないところも書いておこう。
アシモフは、こっそりと「占星術やヴェリコフスキーが忘れ去られて、自著が生き残る」という未来を語っているわけだ。ものすごい自信だよね。正直びっくりだ。
これは、アシモフ流ジョークというか、彼のお茶目の定番でもあるんだけれど、さすがにぼくは、自分の書いたものがそんなすんごいことになるとは思えません(^^)
タグ:ニセ科学批判
>コペルニクスのはるか以前にも天動説を唱えた人はいた。
地動説、ですよね?
ご指摘ありがとうございます、直しました(大汗
ああ恥ずかしい(滝汗