<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>

<rdf:RDF
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
  xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
  xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
>

<channel rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/">
<title>PSJ渋谷研究所X</title>
<link>http://shibuken.seesaa.net/</link>
<description>『ポピュラーサイエンス日本版』から『家電批評monoqlo』と渡り歩く「ニセ科学研究所」のBLOG</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://blog.seesaa.jp/" />
<items>
<rdf:Seq>
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/103426360.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/103342857.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/103341235.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/103339586.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/103296752.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/103231689.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/103174522.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/103174462.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/103164964.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/103110370.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/102990247.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/102975965.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/102770392.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://shibuken.seesaa.net/article/102620383.html" />
</rdf:Seq>
</items>
</channel>

<item rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html">
<link>http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html</link>
<title>私家版「ニセ科学用語の基礎知識」β1</title>
<description>ニセ科学の関連語いくつかについて辞書風に書いてみる。だいたい100字程度でまとめるのが目標。冒頭のいくつかは「ニセ科学入門」をベースにしています。科学そのものについては過去のエントリ「科学的ってどういうこと？」があるので省略。〈私家版「ニセ科学の基本用語・簡易版」β1〉を改題しました。（2007.12.12）［初公開：2007.9.1 最終更新：2007.12.18 ときどき更新（更新履歴）］</description>
<dc:subject>そもそも</dc:subject>
<dc:creator>亀＠渋研X</dc:creator>
<dc:date>2010-09-01T12:49:19+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
ニセ科学の関連語いくつかについて辞書風に書いてみる。だいたい100字程度でまとめるのが目標。冒頭のいくつかは「<a href="http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/%7Ekikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html" target="_blank">ニセ科学入門</a>」をベースにしています。科学そのものについては過去のエントリ「<a href="http://shibuken.seesaa.net/article/4455166.html" target="_blank">科学的ってどういうこと？</a>」があるので省略。<br /><br />〈私家版「ニセ科学の基本用語・簡易版」β1〉を改題しました。（2007.12.12）<br /><br />［初公開：2007.9.1 <span style="color:#FF0000;">最終更新：<a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#ニセ科学批判" target="_blank">2007.12.18</a></span>　ときどき更新（<a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#new" target="_blank">更新履歴</a>）］<br /><br /><a name="more"></a><dl><br /><a name="ニセ科学"></a><dt>ニセ科学　<a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#ニセ科学" target="_blank">permalink</a></dt><dd>見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの。科学者ではない一般の人たちには科学と区別がつかない（かもしれない）が、科学の専門家から見れば荒唐無稽なもの。科学的に確かめられた事実がないにも関わらず、科学的な裏付けがあるかのように主張される事柄。</dd><br /><a name="非科学"></a><dt>非科学（的なもの）<a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#非科学" target="_blank">permalink</a></dt><dd>科学ではないもの。科学的な外観を持たないもの。たとえばオカルトは、そもそも科学としての外観を備えていないのでニセ科学とは呼ばない。また、個人的な体験や信念・信仰に基づく主張など、定義不能なもの、検証不能なものは科学でもニセ科学でもない（ただし、科学的な裏付けがあるかのように主張されればニセ科学の仲間入り）。</dd><br /><a name="未科学"></a><dt>未科学 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#未科学" target="_blank">permalink</a></dt><dd>今後「科学的な主張」として認められる可能性があるが、十分な科学的検証を経ていないもの。現段階では検証不能なため仮説の段階に留まっているもの。ニセ科学ではない（ただし、科学的な裏付けがあるかのように主張されればニセ科学の仲間入り）。</dd><br /><a name="間違った科学"></a><dt>間違った科学 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#間違った科学" target="_blank">permalink</a></dt><dd>科学的な手続きに則って検証された過程で否定されたもの。科学の発展は仮説と実証の積み重ねであるから、中には「間違った仮説」も「正しくなかった実験」もあったし、今後も新たに生まれるが、いずれも「ニセ科学」ではない。にもかかわらず根拠なく「間違っていないはずだ」と強弁しているとニセ科学の仲間入りを果たすことができる。</dd><br /><a name="グレーゾーン"></a><dt>グレーゾーン <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#グレーゾーン" target="_blank">permalink</a></dt><dd>白から黒に至る連続的な変化のうち、白とも黒ともつかない「どっちつかず」の領域。科学とニセ科学のあいだにもグレーゾーンがあるが、当然ながらすべての事象がどっちつかずなわけではなく、大半はどちらに属するか明らか。当然ながら「ほぼ真っ黒なグレ―」を「真っ白」と同等として扱う理由はありません。</dd><br /><a name="ビリーバー"></a><dt>ビリーバー <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#ビリーバー" target="_blank">permalink</a></dt><dd>ある主張が正しいと頑なに信じて疑わない立場。信じる根拠はさまざまだが、主に「信じたいから」であって論理的に否定されても態度を変えない。六さん。</dd><br /><a name="個人的な体験"></a><dt>個人的な体験 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#個人的な体験" target="_blank">permalink</a></dt><dd>個人的な体験は、否定することはできないが、逆に一般化することもできない。錯覚、思い込みなどによる勘違いである可能性が排除できないうえに再現・検証が困難なためである。</dd><br /><a name="悪魔の証明"></a><dt>悪魔の証明 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#悪魔の証明" target="_blank">permalink</a></dt><dd>たとえば「Aという物質が存在するだろう」という仮説は、その物質を見つけ出すことで「正しい」と証明できたことになる。しかし「Aという物質は存在しないだろう」という仮説は証明できない。まだ見つかっていないだけだという可能性を捨てられないためだ。つまり、科学の手法では「ないこと」は原理的に証明できないわけだ。このような命題を「悪魔の証明」という。</dd><br /><a name="極端な相対主義"></a><dt>極端な相対主義 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#極端な相対主義" target="_blank">permalink</a></dt><dd>「検証を経ていない仮説」と「否定された仮説」は同じではない。したがって「間違いだという確証が得られるまでは、間違っていない可能性が残るので『否定された』と考えるべきではない」とする立場。実際には、命題によってはどれほど検証しても「間違っているという確証」は得られないケースがあり得る（「悪魔の証明」参照）ため、十分な検証を経ても裏付けるような結果が得られない仮説は、事実上否定されたも同然である。</dd><br /><a name="科学教信者"></a><dt>科学教信者 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#科学教信者" target="_blank">permalink</a></dt><dd>科学万能主義者。科学原理主義者。</dd><br /><a name="科学万能主義"></a><dt>科学万能主義 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#科学万能主義" target="_blank">permalink</a></dt><dd>「現代科学で解明できない現象はない」「すべての事柄は科学的に説明可能だ」などとする立場。科学に関する代表的誤解のひとつ。当然だが、未知の事柄や解明されていない事柄はこの宇宙に無数にある。地球上の生物種さえまだ把握し切れていない。また科学史は「なにかがわかると、その先にわからないことが見えてくる」という繰り返しという側面ももつことから考えると、すべてが解明される日というのは来ない可能性さえある。→科学依存症</dd><br /><a name="科学原理主義"></a><dt>科学原理主義 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#科学原理主義" target="_blank">permalink</a></dt><dd>「科学的に確認された事柄だけが事実で、それ以外の主張はみんな間違いだ」とする立場。「極端な相対主義」の裏返しのような立場か。これも明白な誤り。前述のように、科学が答えを出せない問題は山のようにある（例：道徳）が、科学が扱えない命題であることは、その命題が誤っていることを意味しない。→科学依存症</dd><br /><a name="科学依存症"></a><dt>科学依存症 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#科学依存症" target="_blank">permalink</a></dt><dd>「ニセ科学」信奉者のなかには、科学っぽい外見に安心してしまい、内容を吟味していない結果引っかかった……ということが少なからずありそうだ。科学教信者、科学万能主義者、科学原理主義者のなかにも、「科学的である」ということに安心感があるのかもしれない。なにか「科学に頼らないでいられない」とでもいうような不安でもあって、こうした初歩的な誤りから抜け出せないのかもしれない。そうだとすれば、これは科学依存症とでもいうべき状態である。心霊現象を「非科学的だからアウト」などと一言で切って捨て、返す刀で高価で怪しげな浄水器商売などに引っかかる……といった事例は、この種の症状ではないか。（この項、科学万能主義、科学原理主義を修正していて思いついた言葉なので、後で取り下げるかも）</dd><br /><a name="奇跡"></a><dt>奇跡 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#奇跡" target="_blank">permalink</a></dt><dd>あり得ないほど低い確率の現象。しかし、たとえば1万分の1の確率でしか起き得ない事柄は、10万人の人間がいれば1年間に10人に対して1度ずつ起きることになる。きくこま博士的には「奇跡は必ず起きる。しかし、それはあなたのところではない」。</dd><br /><a name="マイナスイオン"></a><dt>マイナスイオン <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#マイナスイオン" target="_blank">permalink</a></dt><dd>大気イオンのことだという人もいれば陰イオンのことだという人もいるし、そうではないという人もいる、つまり「なんだかわからない」もの。定義されない以上は、少なくとも「科学的」とは呼べない。それだけなら非科学か未科学かもしれないのだが、定義も定かでないのに「ある」「一定の効果がある」「計測できる」と主張し続けることによって晴れてニセ科学の仲間入りを果たした例。国民生活センターは「測定方法や評価手法が定まっていないため、センターとしてはマイナスイオンの効果に肯定、否定の判断を下すことはできない」としている（2002年）。</dd><br /><a name="マイナスイオン三人衆"></a><dt>マイナスイオン三人衆 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#マイナスイオン三人衆" target="_blank">permalink</a></dt><dd>堀口昇・山野井昇・菅原明子。ここ数年のマイナスイオンブームの立役者。マイナスイオンの権威として扱われることが多い。</dd><br /><a name="波動"></a><dt>波動 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#波動" target="_blank">permalink</a></dt><dd>なんだかわからないが高額なもの。思念が物質に影響を与えるとか個人個人には特有の波動があって、などという文脈で根拠として使われる「波動」は、物理学上の「波動」とは名前が同じなだけで全くの別物。単なるオカルトに科学用語と同じ名前をつけ、計測できると主張することでニセ科学の仲間入りを果たした。</dd><br /><a name="科学的でない"></a><dt>科学的でない <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#科学的でない" target="_blank">permalink</a></dt><dd>科学以外のものや、科学が要求する一定の手続きを経て確認されていないものに対する評価語。科学という方法論で問えない命題や科学的手法では確認・検証できない主張などは無数にある（たとえば道徳的命題などの内心の問題について科学は答えを出すことができない）。そのため、「科学的でない」や「ニセ科学である」ということと「主張が間違っている」ということは同義ではない。</dd><br /><a name="線引き問題"></a><dt>線引き問題 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#線引き問題" target="_blank">permalink</a></dt><dd>「どのような要件を備えた主張（命題）が『科学的である』ないし『科学的でない』と言えるのか」といった問題。またはこうした問題を扱う議論の総称。科学哲学上の大きな問題設定のひとつで、素人にとっては迷宮と化している。カール・ポパーなどの反証主義に基づく立場が有名。手出しをしようとするならば科学哲学上の多様な概念を理解していることが求められるため、うっかりすると大やけどをする（Wikipediaで<a href="http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%B7%9A%E5%BC%95%E3%81%8D%E5%95%8F%E9%A1%8C_%28%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%93%B2%E5%AD%A6%29&oldid=15462077" target="_blank">関連項目の多さ</a>を見るだけでめまいがすること請け合い）。ぼくなんぞでは「反証可能性」に関する例文を作ろうとしてもできない。</dd><br /><a name="反証可能性"></a><dt>反証可能性 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#反証可能性" target="_blank">permalink</a></dt><dd>ある命題について「検証によって否定すること（反証すること）」が可能かどうか。「疑似科学の特徴として『反証可能性がないこと』が挙げられる」などと使われる。そのためか「反証可能性があれば科学で、なければ非科学（疑似科学・ニセ科学・オカルト等々）だ」という話をよく見かけるが、命題をちょっといじると反証可能性が出てきたりにするので、「科学の必須要件」なのだと考えると迷宮から出られなくなる（この辺、<a href="http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7&oldid=14964819" target="_blank">Wikipediaでも</a>見ておいてください）。ワレワレ素人は、「ニセ科学などの特徴として反証可能性がないことが挙げられる（ことがある）」ということを頭の片隅に置き、しかし、これは必ずしも「科学的主張には反証可能性がある」ということを意味していない、両者はイコールではないと理解しておく方が実用的だし重要。</dd><br /><a name="信じる"></a><dt>信じる <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#信じる" target="_blank">permalink</a></dt><dd>辞書的には「疑わないで受け入れる」。「信じる」とはどういうことかという問題は、ニセ科学関連問題についてまわる。ビリーバーの心理を考えたり、ある主張が科学的言明なのか信念の表明なのかを検討したり、自分たちが科学的方法論をどう評価しているかについて内省するときには、避けて通れない。しかし「なにかを信じる/信じない」といった状態が具体的にはどういう要件を備えた状況をさしているのかは、なかなか難しい。試しに議論してみると、驚くほど合意を得難い。きっと心理学や哲学上の重要な命題のひとつに違いない。<br />辞書的にはともかく、実生活上は「あることがらや人物などを無条件に肯定的に受け入れて揺るがない」といったニュアンスがつきまとうのだが、いい大人はふつうそんなバカなことはしない。なんらかの留保条件がついたり、条件が変われば反古にしたり転向したりするからだ。そのため、特にその強度（揺らがなさや無条件さの度合い）について、論者によってかなりのバラツキがある。こうした特徴をもつ語彙や用語法は無数にあり、議論の際に使用すると無用の混乱を招くことがある。</dd><br /><a name="用語法"></a><dt>用語法 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#用語法" target="_blank">permalink</a></dt><dd>言葉の使い方・選び方。前述「信じる」の検討時のようなリスクを回避する手段としては、和語を使わないで漢語・熟語の類似概念のなかから言葉を選んで使う方法がある。たとえば「信じる」の場合は「信頼」「信用」「確信」「妄信」「盲信」「信念」「信心」「信仰」などである。多くの漢語は和語よりは新参であって、使われる文脈が比較的限定される場合が多いからだ（そのため、ムズカしい問題を扱う文章は外来語や漢字が多くなる）。安直かつ手軽であり、とっつきやすさは犠牲になるが、こうやって言葉を選ぶと、「実は『確信』や『信念』とはかなり遠い『受容』とか『採用』『傾向』といった心持ちまで『信じる』と言っちゃってたんじゃないか」、なんてことに気づける効用がある（場合もある）。<br />さらに余談だが、ライター・編集者としての経験から言うと、日常語にもなっているような基本的語彙ほど、こういう「個人のもっているバイアスに由来する、埋めがたいバラツキ」がある傾向は強く、辞書や専門書による定義から遥かに離れてローカルルールだけで議論してしまうようなことが起きやすい。</dd><br /><a name="定義"></a><dt>定義 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#定義" target="_blank">permalink</a></dt><dd>決めよう。決めないと。上述の「信じる」のように、人はそれぞれ同じ言葉から別のものを思い描いていることが珍しくない。「細かいことにうるさい」と思うかもしれないが、定まっていないと議論が成立しない場合さえある。検証や議論のうえでは、できれば一意（ユニーク。ある語彙とある意味が一対一で対応して例外のない状態）なほうが都合がいい。そのため、ローカルルールとして定義を定めることもある。</dd><br /><a name="受容"></a><dt>受容 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#受容" target="_blank">permalink</a></dt><dd>受け入れること。困ったことに、いろんな言説を無批判に受け入れる人のなかには「鷹揚な人」「細かいことにうるさくない人」つまり「定義を気にしないで言葉をテキトーに選ぶ人」が少なくない。鷹揚さは人徳だと思うが、議論や論考の際には鷹揚さは対人関係で発揮して、論題やそこに出てくる要素（つまり自分の使う言葉）に対しては厳密になろうとするのが礼儀だったりルールだったりする。と考えている方が吉。</dd><br /><a name="ローカルルール"></a><dt>ローカルルール <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#ローカルルール" target="_blank">permalink</a></dt><dd>ある特定の場でだけ共有されている決まり。よその場では通用しない、いわば方言なのだが、実際の方言と同様にうっかりするとそれが方言だと気づかないことがある。自分だけで勝手に定めたものは「マイルール」「オレ様ルール」とでもいうべきもので、独り言や脳内言説以外では無効。</dd><br /><a name="ニセ科学批判"></a><dt>ニセ科学批判 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#ニセ科学批判" target="_blank">permalink</a></dt><dd>ある主張について「これはニセ科学である」と指摘・問題視することを総称して「ニセ科学批判」と呼ぶことがある。しかし、実態は個別のニセ科学的な主張に対する議論であり、動機も問題とされる部分も、論者によって異なる。また、同じ「ニセ科学」という言葉を使っていても、必ずしも共通の認識をもっているとは限らない。<br />たとえば個々の事例については次のような論点が提出されている。怪しい風説に対する抵抗力など社会規範や常識の問題、科学者として「それを科学だと思われると迷惑」「まともな研究に予算が回ってこなくなりかねない」、教育現場・市民・政治家・企業人の科学的リテラシーの問題、職業倫理・企業倫理の問題、メディアリテラシーの問題などなど。<br />特定の団体が、一定の合意に基づいて批判に乗り出したという事例も（いまのところぼくの知る限りでは）ない。</dd><br /><a name="「ニセ科学批判」批判"></a><dt>「ニセ科学批判」批判 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#「ニセ科学批判」批判" target="_blank">permalink</a></dt><dd>なんらかの理由で「『ニセ科学批判』はよろしくない」と表明することを「『ニセ科学批判』批判」と呼ぶことがある。しかし、ニセ科学批判自体が前述のような状況のため、有効な批判は困難。構造としては実態があまりにも多様なニセ科学的言説（たとえば陰謀論やマイナスイオン、波動など）に関する議論と似ているかもしれない。いずれも「わら人形論法」と呼ばれる誤りを犯しやすい。</dd><br /><a name="わら人形論法"></a><dt>わら人形論法 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#わら人形論法" target="_blank">permalink</a></dt><dd>架空の論敵を批判する手法。議論において、相手の主張をねじ曲げたうえで、あたかも相手がそのような主張をしているかのように批判することで自説の正しさを示そうとするような誤った論理構造を持つ。実際には存在しない主張をこしらえたり、別々の主張をごちゃ混ぜにして、それを批判することもある。straw-man argument。論理学の用語。<a href="http://harvardmedblog.blog90.fc2.com/blog-entry-104.html" target="_blank">参考1</a>　<a href="http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ストローマン&oldid=14525272" target="_blank">参考2</a><br />以下余談。「呪いのわら人形を想起しちゃって違和感が」という人がときどきいます。日本でも、剣術や拳法の稽古やデモンストレーション、戦時下の銃剣術等の演習では、標的となる「わら人形」や「わら束」を自分でこしらえて、それを攻撃するというパターンだったわけだし、「呪いのわら人形」もその点では同じなんで（本人を木に張り付けて釘を打ったわけじゃないでしょ？）、それを思い出してくれれば違和感は減るんじゃないかな。</dd><br /><a name="優先順位問題"></a><dt>優先順位問題 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#優先順位問題" target="_blank">permalink</a></dt><dd>ニセ科学的言説の批判の際に持ち出される「もっと重要な問題があるはずだ」「それを叩くなら、なぜ○○を叩かない」といった問題提起ならびに、それに関する議論。「批判の仕方批判」のひとつ。「ニセ科学批判」批判の一種かもしれない。「ニセ科学批判」が前述の状態である以上、飽くまで個人的な言論の範囲に留まっているわけで、人によって優先順位として合意できる部分がある場合もあれば、ない場合もある。誰であれ、個人的な取り組みとしては「自分の気づいた問題について、自分のできる方法で採り上げ、自分が語れるように語る」しかないのである。</dd><br /><a name="批判の仕方批判"></a><dt>批判の仕方批判 <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#批判の仕方批判" target="_blank">permalink</a></dt><dd>「○○を批判するならば、もっと別の方法を考えるべき」といった方法論に関する批判。「別の方法」は「別の論点」「別のアプローチ」「別の論理」などとも交換可能。重要な部分での事実誤認や明白な論理的誤りといった根本的な問題の指摘などではなく、飽くまで「より効果的に伝えるため」の指摘であることが多く、また主張そのものに対しては批判的でないことが多い。方法についての検討が重要であることは自明だが、これが建設的な態度かというと疑問視されている。どのような言説も相手があってされるものであり、すべての欲求を満たすことはできない。また、「この論者に、こういう言説をしてほしい」と期待することは自由だが、個人的な営みである以上は限界もある。したがって現状では、自分がよりよいと考える方法なりアプローチなりで、自力で論を展開するしかないということになる。</dd><br /></dl><br />記事には出て来ないけど大事かな、と思う語彙も入れています。他にも重要な語彙があるし、説明が適切でない場合もあると思うから加筆・更新するかもしれません。矛盾・過不足などの不備についてのご指摘を歓迎します。今はとりあえずβ版（ver.0.1）とか「2007.8.31版」ってことで。<br />ただし、主に渋研や九段研究所の記事、このブログなどでどう扱っているかといった観点で、できるだけ短くまとめています。すべての異論・反論と整合することはできないだろうと思います。<br /><br /><a name="new"></a>更新履歴<br />さっそく修正。ちょっとした推敲 :-p（2007.9.1 4:00AM）<br />「科学的でない」を追加（2007.9.4 0:21AM）<br />「科学教信者」「科学万能主義」「科学原理主義」を修正、「科学依存症」を追加。<br />↑この「科学万能主義」「科学原理主義」の修正は、<a href="http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-10-25;jsessionid=B00026C6EFD51EF30FB22B1015CC2626" target="_blank">ぼくたちのコモンセンス</a>（Chromeplated Rat　2007-10-25）の、主にコメント欄で得た知見に基づく。これまでは「現代においては実際に存在するか疑問」という立場だった。（2007.10.27 2:15AM）<br />各項目にアンカーを付けた。単純に項目名をそのまま採用。<br />ex <a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#非科学" target="_blank">http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#非科学</a>　という具合。（2007.12.11）<br />〈私家版「ニセ科学の基本用語・簡易版」β1〉を〈私家版「ニセ科学用語の基礎知識」β1〉に改題。（2007.12.12）<br />不細工になっていたところを修正。各項目にlinkを追加。各項目語に参照リンクを貼りたいときは<del>「link」</del>「permalink」で示されるURLを使えばいいんだからね＞オレ　（2007.12.13）<br />「線引き問題」「反証可能性」「信じる」「定義」「受容」「ローカルルール」を追加。「線引き問題」を書き始めたら止まらなくなったのだが、なんだかどんどんニセ科学問題からずれてきて、しかも辞書的記述からも離れてきたような気がするのでいったん停止。どれかはあとで消すかも＜こればっかり（2007.12.14）<br />「ニセ科学批判」「『ニセ科学批判』批判」「わら人形論法」「優先順位問題」「批判の仕方批判」を追加（2007.12.18）<br />「<a href="http://shibuken.seesaa.net/article/52939434.html#ニセ科学批判" target="_blank">ニセ科学批判</a>」を微修正。〈指摘・問題視することを「ニセ科学批判」と〉→〈指摘・問題視することを総称して「ニセ科学批判」と〉（2007.12.26）<br />「link」→「permalink」に修正（2008.4.3）<br /><br />この後、書こうかなと思っている用語の覚え書き（順不同）。<del>「わら人形論法」</del>「真理・真実・事実」「再現性」「反証実験（の必要性）」「倫理・道徳（と科学/ニセ科学）」<del>「優先順位問題」</del>「仮説」「命題」「血液型性格判断」「占い（は統計か）」「科学っぽい（科学っぽさ）」「相関関係」「因果関係」「遠くから見れば一緒」「リスク，ハザード、ベネフィット」「一次情報と二次情報」「論理（的）」「懐疑（主義）」「ホメオパシー」「代替医療」「シンクロニシティ」「水の記憶」「水からの伝言」「オカルト・超能力」「『現代の科学ではわからないだけ』」など

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/article/103426360.html">
<link>http://shibuken.seesaa.net/article/103426360.html</link>
<title>高校生のための「心理学入門」入門</title>
<description>えー、ちょっと個人的な事情で、高校生が進路選びの際に心理学についての情報を得るためのサイトや本など調べてみました。ついでなので、ここに投下。ただし、ぼくは心理学を学んだわけではありません。いま、にわかに調べた程度です。特にここで挙げている書籍については、実際に読んだわけではなく、出版社をはじめとする各所での紹介や目次、amazonなどの読者レビューなどから得た情報に基づいた判断で書いています。ツッコミ希望。</description>
<dc:subject>渋研X的日乗</dc:subject>
<dc:creator>亀＠渋研X</dc:creator>
<dc:date>2008-07-23T13:53:41+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
えー、ちょっと個人的な事情で、高校生が進路選びの際に心理学についての情報を得るためのサイトや本など調べてみました。ついでなので、ここに投下。<br />ただし、ぼくは心理学を学んだわけではありません。いま、にわかに調べた程度です。<br />特にここで挙げている書籍については、実際に読んだわけではなく、出版社をはじめとする各所での紹介や目次、amazonなどの読者レビューなどから得た情報に基づいた判断で書いています。ツッコミ希望。<br /><br /><a name="more"></a><a href="http://psy.isc.chubu.ac.jp/~mizunor/high_school/page.html" target="_blank">高校生のための心理学</a><br />　中部大学の先生の作ったページ。高校生にオープンキャンパスなどで受けることが多い質問と，その答えを簡単にまとめている。「１. 心理学って何?」「２. 心理学の２大領域」「３. いろんな心理学」とリンク集という構成。入り口はすごく簡潔だけど、「いろいろ」の先なんか、なかなか詳しいよ。<br /><br /><a href="http://www.psych.or.jp/o_interest/univ.html#3" target="_blank">心理学を学べる大学</a>（日本心理学会）<br />　心理学って、なに学部にあるのか、なに学科だと学べるのか，よくわからんことが多い。一般教養にもたいがいあるので紛らわしい。なのでこれは便利だと思う。それにしても、全国の、とってもたくさんの大学で学べるですなあ。<br /><br /><a href="http://www.psych.or.jp/o_interest/future.html" target="_blank">心理学関連資格一覧</a>（日本心理学会）<br />　すぐに仕事に結びつくものばかりではありませんなあ。<br /><br /><strong>■心理学の入門的な本</strong><br />上掲サイト「<a href="http://psy.isc.chubu.ac.jp/~mizunor/high_school/page.html" target="_blank">高校生のための心理学</a>」でもわかるけど、心理学は大変に幅の広い学問。「○○心理学」なんていうのがたくさんある。なので、だいたい全体像をつかめそうな本を紹介。できるだけ古くないヤツね。<br />とっつきやすく、わかりやすいだろうと思うものから順に紹介しているつもり。<br /><font color="red">全部の本を読む必要は、もちろん<B>ない</B></font>と思う。よさそうな本だと思ったら、リンク先も見てみて。ちょっと詳しい紹介などが出ているから。<br /><br />後の方でアルファベットで紹介した本は、ちと本格派な本。数字で紹介した本を１、２冊読んでから進むのがいいと思う。がっちり読み解けるのは大学に入ってからかも。ま、それまでは図書館で借りて読む手もある。<br /><br />１）森まりも『<a href="http://www.kitaohji.com/books/2140_3.html" target="_blank"><strong>チビクロこころ</strong>―中学生高校生のための心理学入門</a>』（<a href="http://www.kitaohji.com/" target="_blank">北大路書房</a>）1,470円<br />　絵本ぽいからといってバカにはできない本。高崎経済大でも使われている。「心理学って、どういう学問なのか」を説いた本。内容的には、けっこう深い。まず最初に読んでみよう。<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4762821403/" target="_blank">amazonの読者レビュー</a>が詳しい。<br />　北大路書房は、心理学の本をたくさん出している出版社。あ、次もそうだ。<br /><br />２）市川伸一『<a href="http://www.kitaohji.com/books/2277_9.html" target="_blank"><strong>心理学って何だろう</strong> - 心理学ジュニアライブラリ 00</a>』（<a href="http://www.kitaohji.com/" target="_blank">北大路書房</a>） 1260円<br /><a href="http://www.kitaohji.com/wadai/jr.html" target="_blank">心理学ジュニアライブラリ</a>というシリーズの一冊。このシリーズは、心理学について知るだけでなく、心理学によってこういうこともわかってるんだ、なんていう「心理学を味わう」「心理学を体験する」ことができる。その１冊めがこの本で、まずは心理学っていうのはどういうものなのか知っておこう、というわけ。どれも100ページちょっとで薄いし、このシリーズはどれもオススメかも。<br /><br />３）松井豊『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4477010990/" target="_blank"><strong>高校生のための心理学</strong></a>』（<a href="http://www.dainippon-tosho.co.jp/" target="_blank">大日本図書</a>）998円<br />　この本によると、受験生の「心理学」のイメージは誤解だらけらしい。そうだろうなあ、とぼくも思う。というか、世間一般が心理学に抱いているイメージが誤解だらけなのだろう。<br />　というわけで、この本の詳細はよくわからないのだけど、イメージと実際がどう違うか、ちょっと読んでみるのもいいんじゃない？　amazonで「この本を私が高校時代に手にしていたら、絶対心理学の道に進んだのになぁ」って<a href="http://www.amazon.co.jp/review/product/4477010990/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?%5Fencoding=UTF8&showViewpoints=1" target="_blank">言ってる人</a>もいました(^^)<br />　出版社にはすでに在庫がないようなので、アマゾンで買おう（まだ5冊あるらしい）。その後は図書館だな。増刷希望な本かも(^^;;<br /><br />４）教学社編集部 編『<a href="http://www.kyogakusha.co.jp/cgi-bin/book_search.cgi?mode=search&keyword=%BF%B4%CD%FD%B3%D8%B2%CA%A4%F2%A4%E1%A4%B6%A4%B9%A4%A2%A4%CA%A4%BF%A4%D8&x=26&y=10" target="_blank"><strong>心理学科をめざすあなたへ</strong>―高校生のための進路ガイド</a>』（<a href="http://www.kyogakusha.co.jp/" target="_blank">教学社</a>）819円<br />　「心理学科の大学生・卒業生・先生あわせて200人以上のナマの声を集めた、高校生のための心理学科ガイド」だそうだから、進路を検討するにはうってつけかな。特に、具体的な大学名や教員名を「オススメ」として挙げていたりもするそうなので、どこにどんな先生がいるのか知るのにもよさそう。<br /><br />５）ナイジェル・C. ベンソン著、清水佳苗・大前泰彦訳『<a href="http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2573237" target="_blank"><strong>マンガ心理学入門</strong>―現代心理学の全体像が見える</a>』（<a href="http://www.kodansha.co.jp/bluebacks/">講談社　ブルーバックス</a>）840円<br />　イラスト式でとっつきやすそう。ただし、いわゆるマンガではない。<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062573237/" target="_blank"></a>amazonでも表紙が見られるのだけど、それでわかるようにバタ臭～いイラスト。でも、こういうのもハマると楽しいよ。<br />　内容がちょっと独特なところもあるようだけど、最初のころに読むには十分だろうと思う。<br />　<a href="http://www.nakui.biz/index.php/2007/10/06/200" target="_blank">こっちの個人ブログ</a>も参考になる。amazonの<a href="http://www.amazon.co.jp/review/product/4062573237/ref=dp_db_cm_cr_acr_txt?%5Fencoding=UTF8&showViewpoints=1" target="_blank">読者レビュー</a>も。<br /><br />６）都筑学『<a href="http://www.nakanishiya.co.jp/books/ISBN4-88848-776-6.htm" target="_blank"><strong>やさしい心理学</strong>―心の不思議を考える</a>』（<a href="http://www.nakanishiya.co.jp/" target="_blank">ナカニシヤ出版</a>）1,680円<br />　これも「チビクロこころ」といっしょに高崎経済大で使われている（「チビクロこころ」の次に教材として使う）。大学１年生を主な対象にした本だっていうんで、この位置にしたんだけど、先に読んでもいいかも。特に、<font color="red">入門書に疲れたら読んでみるといい</font>と思う。<br />　っていうのは、心理学のことをちょっと調べると、統計がどうのとか分析がどうとか、実験心理学の手法についての話が多いじゃない。で、「それって理系じゃねえの？」「かったるそう」とかなって、「心理学のおもしろさ」がどっかに行っちゃいそうになるわけ。でも、実験心理学だけが心理学じゃないし（基礎のひとつだけど）、統計やなんかっていうのは、ある意味で「道具」でしかない。<br />　心理学のおもしろさとか、なんで心理学なんだっけってところがわかんなくなったときにも読んでみるといいんじゃないかな。<br /><br />７）久能徹・松本桂樹監修『<a href="http://www.natsume.co.jp/category/d9784816329272.html" target="_blank"><strong>図解雑学 心理学入門</strong></a>』（<a href="http://www.natsume.co.jp/" target="_blank">ナツメ社</a>）１３６５円<br />　「雑学」とうたっているように、読みやすさ・わかりやすさ重視の本。ただしオトナ向けだけど。ナツメ社のサイトで紙面見本を見ると、いわゆる実用書っぽいね。<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4816329277/" target="_blank">amazon</a>の<a href="http://www.amazon.co.jp/review/product/4816329277/ref=cm_cr_dp_all_summary?%5Fencoding=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending" target="_blank">レビュー</a>ではなかなか評判がいい。<br />　「図解雑学」シリーズには「社会心理学」「発達心理学」などもある。こういうのにうまが合うようなら、シリーズを読み進めていってもいいと思う。<br /><br />８）海保博之『<a href="http://www.iwanami.co.jp/hensyu/jr/toku/0303/500427.html" target="_blank"><strong>心理学ってどんなもの</strong></a>』（<a href="http://www.iwanami.co.jp/hensyu/jr/" target="_blank">岩波ジュニア新書</a>）777円<br />　「大学では何を学ぶのか」「どんな進路や資格があるのか」「占いと心理学は関係があるのか」「心理学を勉強すると、人の心が読めるようになるか」など40項目にわたって解説される。<br />　ほんとなら上位に来るはずの本なのだけど、「ジュニア新書」のくせに難しい言葉が説明なしでそのまま使われていたりすると<a href="http://www.amazon.co.jp/review/product/400500427X/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?%5Fencoding=UTF8&showViewpoints=1" target="_blank">言ってる人</a>も複数いるのだ。ひょっとするとほかの本と併せて読まないとつらいかも、ということでこの位置にしてある。<br />　しかし、岩波がそこまでのヘタを打つとは考えにくい（実はどっかに用語集が掲載されているのに、評者が気づいていないとか）。ま、実物を見ないとなんともわからんのだけど。<br /><br />９）三木善彦、橘英弥、滝上凱令、南徹弘『<a href="http://www.tokishobo.co.jp/search/books.cgi?free=%90S%97%9D%82%CC%8Ed%8E%96&mode=or&view=20&sort=1&hits=4-88602-535-8&next=&keyback=1" target="_blank"><strong>新版 心理の仕事</strong></a>』（<a href="http://www.tokishobo.co.jp/" target="_blank">朱鷺書房</a>） 1,680円<br />　大学の後＝就職先ってどんなのがあるのかを考えてみるのもいいかもしれない。この本では心理学を活かした仕事の数々が紹介されている。心理関係の資格、心理学を学べる大学・大学院の最新データなどの一覧もあり。<br /><HR><br />ここから後は、上記の本を１、２冊読んで、各分野についてではなく、心理学そのものについてもちょっと詳しく、とかいう気分になったとき用。高校生の間は<font color="red">斜め読みや、わかるところだけ拾い読みでオッケー</font>なんではないかと思う。<br /><br />Ａ）サトウタツヤ，高砂美樹『<a href="http://www.yuhikaku.co.jp/bookhtml/012/012065.html" target="_blank"><strong>流れを読む心理学史</strong> - 世界と日本の心理学</a>』（<a href="http://www.yuhikaku.co.jp/series/series_2.html#arma" target="_blank">有斐閣アルマ</a>Basic）1700 円<br />　学問に限らないけれども、あることについて知るには、その歴史を知るのが手っ取り早いという側面がある。先人は何を目指していたのか、どういう変化があって今の状況があるのかがわかるからだ。心理学のように多岐にわたるものは、なぜ、なんのために枝分かれをしたかがわかると、それぞれの分野の特徴のようなものをつかみやすいだろう。<br />　ちなみに、「心理学史」というのもひとつの学問ジャンル（心理学についての歴史学）なんで、突っ込み始めるとキリがない。なので、高校生は斜め読みを推奨なわけだ。<br /><br />Ｂ）金城辰夫監修『<a href="http://www.baifukan.co.jp/sinkan/shokai/056987.html" target="_blank"><strong>図説現代心理学入門</strong>（三訂版）</a>』（<a href="" target="_blank">培風館</a>）2100円<br />　心理学史といってもこの本は、「始まりから現代までを均等に」ではなく、最近（19世紀半ば以降）の流れ、特に日本での事情を重視した本というところが特徴的。分野ごとに専門家が執筆。<br />　<a href="http://yuhikaku-nibu.txt-nifty.com/blog/files/ver20060511.doc" target="_blank">ここ</a>で、ちょっとした紹介と、各章のオマケ的な話がワードのファイルで提供されている。<br />　目次を見る限り、これまで紹介している本よりも、もうちょっと本格的っぽい。<br />　専修大学の先生たちを中心に作られている。<br /><br />Ｃ）下山晴彦『<a href="http://www.seishinshobo.co.jp/30152a.html" target="_blank"><strong>心理学論の新しいかたち</strong>（心理学の新しいかたち　１）</a>』（<a href="http://www.seishinshobo.co.jp/" target="_blank">誠信書房</a>）3,360円<br />　「心理学の新しいかたち」というシリーズの１冊。この巻では、心理学にどんな分野があって、それぞれどんなことをやっているかを知るための本。最先端の事情もカバーしている。たぶん、この中では最も本格的で詳しい。<br /><br />Ｄ）中央ゼミナール編、伊藤順康監修『<a href="http://www.tokyo-tosho.co.jp/books/ISBN4-489-00687-X.html" target="_blank"><strong>心理学を学びたい人のための大学・大学院の歩き方</strong></a>』（<a href="http://www.tokyo-tosho.co.jp/" target="_blank">東京図書</a>）2310円<br />　これはまあ、おまけ。<br />　大学院まで目指すなら、あるいは臨床心理士などを目指すなら、大学に入ってからこういうふうにしたらいいよ、というようなガイドブック。特に大学院への進学を中心とした対策本ですね。うまいこと大学に入学できたら読んでみるといいと思う。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/article/103342857.html">
<link>http://shibuken.seesaa.net/article/103342857.html</link>
<title>開いた口がふさがらない</title>
<description>先ほどアップした記事に、さっそくコメントスパムが到来。リンク先を見たら、削除するだけでは親切過ぎると思ったので、ここでさらすことにする。究極の真実が今、明かされる！アレグリアと共にhttp://blog.livedoor.jp/alegria0714/少しでも興味があったらご覧下さい☆Posted by リュウジ at 2008年07月22日 03:04署名からリンクされているのもコメント本文と同じURL。エントリとなんの関係もないコメントになんぞ、別に興味はわかないが、いっ...</description>
<dc:subject>渋研X的日乗</dc:subject>
<dc:creator>亀＠渋研X</dc:creator>
<dc:date>2008-07-22T04:42:35+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://shibuken.seesaa.net/article/103339586.html" target="_blank">先ほどアップした記事</a>に、さっそくコメントスパムが到来。リンク先を見たら、削除するだけでは親切過ぎると思ったので、ここでさらすことにする。<blockquote>究極の真実が今、明かされる！<br /><br />アレグリアと共に<br /><br /><a href="http://blog.livedoor.jp/alegria0714/" target="_blank">http://blog.livedoor.jp/alegria0714/</a><br /><br />少しでも興味があったらご覧下さい☆<br />Posted by <a href="http://blog.livedoor.jp/alegria0714/" target="_blank">リュウジ</a> at 2008年07月22日 03:04</blockquote>署名からリンクされているのもコメント本文と同じURL。<br />エントリとなんの関係もないコメントになんぞ、別に興味はわかないが、いったい全体どういうタワケがこういうことをするのかには（腹立ちまぎれの）興味がわいたので、ちょっと見に行ってみた。<br /><br />以下は、おヒマな方のみどうぞ。ぼく？　ヒマじゃないからこんな時刻まで起きてるんだけどさあ。とほほ。<br /><br /><br /><a name="more"></a>リンク先は「アレグリアと共に」というブログで、本日現在のトップ記事は「<a href="http://blog.livedoor.jp/alegria0714/archives/cat_11541.html" target="_blank">目覚め</a>」というもの。「アポロ８号・観念」という副題かなんかもついている。で、こう始まる（実際にはリンクされていた部分は青で示す）。<blockquote>初めて来られた方は、まず下記５つの記事をご覧下さい。<br /><br /><span style="color:#0000FF;">僕の夢<br />お金の観念浄化<br />引き寄せの法則<br />引き寄せの法則　part2<br />生きる為に生きるとは？<br /><br /><br />全国 ACN Ascension 2012　Dream Team</span>まだまだ増えます。<br /><br /><br />過去記事からご覧になることをオススメします☆<br /><br /><span style="color:#0000FF;">あいさつ<br />免疫学<br />メンタルヘルス</span><br /><br />目覚めの記事もご覧下さい！<br /><br /><span style="color:#0000FF;">9.11テロの真相 <br />地球温暖化詐欺 <br />ＨＡＡＲＰの実態 <br />ケムトレイル <br />抗癌剤とは？ </span><br /><br /><br /><br />☆推薦サイト☆<br /><br /><span style="color:#0000FF;">温故知新　2012アセンションに向かって<br />精神世界の鉄人<br />永遠の存在<br />コッツウォルダー<br />デーヴィッド・アイクの情報<br />反ロスチャイルド同盟<br />日本人が知らない恐るべき真実</span><br /><br /><br />☆オススメブログ新着記事☆<br /><br /><br /><span style="color:#0000FF;"> 07/22 お城への路<br /> 07/21 暑中お見舞い申し上げます♪<br /> 07/21 「生理的敗北」に終わりはない　再掲<br /> 07/20 情報を見分ける方法No.4 　　　<br /> 07/19 イラク派遣兵士の訓練<br /> 07/18 Writing is a full time job!<br /> 07/18 非常に大切な「開闢・かいびゃく」について<br /> 07/04 最期のカギ！<br /><br />Powered by Ayapon RSS!  ホームページ制作 アバクロ</span><br /><br /><br />［<span style="color:#0000FF;">ここにはブログ村などランキングへのリンクが２つ</span>］<br />☆ポチッとクリックお願いします☆<br /><br /><br />感謝*ヽ(*ﾟ∀ﾟ)ﾉ*感謝</blockquote>いやあ、痛い。並んでいるテキストも痛いが、「あれ読んで」「これ読んで」のオンパレードだ。記事がいつまでも始まらない。その挙げ句に、どうしてブログランキングなんだ。<br /><br />この記事、まさかこれで終わりじゃないだろうな、と思ったら、ちゃんと始まった。ただし、こうだ。<blockquote><span style="color:#0000FF;">温故知新　2012アセンションに向かって</span>の中の５次元への移行からの転載記事です。</blockquote>転載かよ！　しかも、転載記事の後にブログ主の意見等がついているわけでもなさそう。そんなんだったら、それもリンクで済ませとけばいいじゃん！<br /><br />しかも、長い長い転載記事を斜め読みしてみると、半分ほど進んだ辺りで「<span style="color:#FF0000;">とまぁ、あるサイトで書かれているアポロ８号の記事です</span>」なんて書いてある。<strong>孫引きか！</strong>　しかも出所は不詳。んで，<span style="color:#FF0000;">その後も別の不詳サイトからの引用</span>の模様。はっきりとは示されてないんですけどね、もう、リンクだけで終わらせてくれてればまだましなのに。<br /><br />まあ、どこかにオリジナルな部分があるのかどうか、よくわからないような引用・転載のしかたなんですけどね、それでもまあ、長い長い転載・引用もそのうち終わります。で、次（ひとつ前）の記事が出て来るんですが……また、「初めて来られた方は、まず下記５つの記事をご覧下さい」から始まるんですよ（泣）。<br /><br /><span style="font-size:large;">振り出しに戻るかよ！</span><br /><br />とことん情けなくなりました。＿|￣|○

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/article/103341235.html">
<link>http://shibuken.seesaa.net/article/103341235.html</link>
<title>子どもとゲーム：実は「ゲームが問題」ではないことも-2</title>
<description>実は、前エントリを書いた理由のひとつは、同じ読売（こちらはWebサイトだけど）でこの記事を見つけたからでもある。子どもとゲーム（YOMIURI PC 覗き窓 2008年7月15日）http://blogs.yomiuri.co.jp/pc/2008/07/post_96f7.html書き手は読売の記者らしい。 子ども世界でゲームの占める地位たるや大変なものがあります。わが家は、今年に入ってＤＳとWiiを購入したところ、最近は、週末といえば男の子たちが集まって完全にゲームセンタ...</description>
<dc:subject>渋研X的日乗</dc:subject>
<dc:creator>亀＠渋研X</dc:creator>
<dc:date>2008-07-22T03:42:24+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
実は、前エントリを書いた理由のひとつは、同じ読売（こちらはWebサイトだけど）でこの記事を見つけたからでもある。<br /><br />子どもとゲーム（YOMIURI PC 覗き窓　2008年7月15日）<br /><a href="http://blogs.yomiuri.co.jp/pc/2008/07/post_96f7.html" target="_blank">http://blogs.yomiuri.co.jp/pc/2008/07/post_96f7.html</a><br /><br />書き手は読売の記者らしい。<blockquote> 子ども世界でゲームの占める地位たるや大変なものがあります。<br />わが家は、今年に入ってＤＳとWiiを購入したところ、<br />最近は、週末といえば男の子たちが集まって<br />完全にゲームセンター状態です。<br />「外で遊ぶように」とも、この暑さではいいにくくなり、<br />これから夏休みを控え、どうしたらいいのか、頭を抱えるばかり。<br /><br />YOMIURI PCの連載「子どもＩＴ駆け込み寺」をお願いしている<br />唯野司さんに愚痴をこぼしたところ、次のようなアドバイスを頂戴しました。</blockquote>と始まるこの記事、実は標題を裏切ってゲームと関係のない話になっていくのだ。続きはリンク先でお読みいただきたい。<br /><br /><a name="more"></a>思うに、ゲームの扱いに困っている保護者たちの悩みのなかには、確かにこうした側面があるのだ。しかも、自分の体験を振り返ると、少なからず。前エントリで紹介している記事の第3回タイトルが「仲間はずれ心配 「反対派」／なくても遊べる 子どもの力」であることも、その一端を示しているだろう。<br /><br />コンピュータゲームが着眼されてしまうのは、いま現在それが目の前にあって目立っているからだけでなく、保護者のなかにはゲームに親しんでこなかった人も少なくないからとか、メディアがゲームの害を喧伝するからといった要因もあることは、すでに頻繁に指摘されている。子どもの交遊とゲームの関係や、遊びのなかに占めるゲームの比率も、ある時期には同じ立場としてテレビやマンガが槍玉に挙がっていたわけで、別にゲームに限った話ではないことも同様に指摘されている。<br />仲間はずれの話もそうだ。流行のおもちゃやテレビ番組、スポーツなどでも疎外感を感じるようなことは起きる。そういったこと全部に迎合的に生きていくことをよしと考えるかどうか、といった話だ。<br />しかし、そうした構造を指摘しても、いま実際に保護者が気になるほど身近な異物はゲーム機であって、そこから目をそらすことはできないということだろう。<br /><br />ところが、上記記事ではいとも簡単にゲーム機から目がそれている。しかも書き手である記者は、おそらくそのことを十分に意識できていないことがタイトルから読み取れる。もしもそこに気づいていれば、もっと違うタイトルがついたかもしれない。「ゲームのせいかと思ったら」とかなんとか。<br />そうでもないか。ゲームとのつきあい方で困っている人に向けて、という意識が働いたから、このタイトルという可能性もあるかな。<br /><br />まあしかし、上掲の回答者（というのも変だが）の話は、ものの見事にゲームの話「ではない」。小気味よいくらいだ。<br />また、提示されている内容もよくある「ちゃんとルールを作ろうね」に、具体例がついただけのものである。なんでこれだけで満足できちゃうのか、腑に落ちないものがあるくらいだ。<br />記者＝この保護者がゲーム脳を心配しているわけではないから、かもしれない。<br /><br />前エントリで採り上げた読売の連載記事も、こういう方向に進んでいくのかもしれないとも思う。そしてまた、「ゲーム脳」という根拠のない呪縛から保護者たちが解放されるためには、こうした「なにをすればよいのか」という処方箋が提示されることが重要なのかもしれない。<br /><br />とはいえ、それをしなければならないのは、おそらく育児などの専門家だろう。<br />ニセ科学問題を追い続けている側は、せいぜいそうした方面の専門家の方々の目にも留まり、利用してもらえるように問題を整理して提示することに精出すこととしよう。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/article/103339586.html">
<link>http://shibuken.seesaa.net/article/103339586.html</link>
<title>子どもとゲーム：実は「ゲームが問題」ではないことも-1</title>
<description>読売の連載「子ども／ゲーム」、興味深い記事なので、ここらでぼくも一度エントリを起こしておく。記事を引用しながら、問題点なども挙げてみる。</description>
<dc:subject>渋研X的日乗</dc:subject>
<dc:creator>亀＠渋研X</dc:creator>
<dc:date>2008-07-22T02:23:56+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
読売新聞の家庭欄に「子ども」という連載記事がある（ネットには上がっていない）。<br /><br /><a href="http://shibuken.up.seesaa.net/image/Yomiuri_200807.jpg" target="_blank"><img src="http://shibuken.up.seesaa.net/image/Yomiuri_200807.jpg" alt="Yomiuri_200807.jpg" width="300" height="152" border="0" /></a><br /><br />この7月17日から始まった第４部のテーマは「ゲーム」。初回の冒頭で、こんなふうに主旨説明されている。<blockquote>　子どもに普及している電子ゲームに、親がほんろうされている。6月に掲載した「子どもゲーム」の記事には、読者から約150通の投書が寄せられた。そのほとんどがゲームの扱いをめぐって苦悩する内容だ。年間連載「子ども」第4部では、引き続きゲームに焦点を当て、親の不安の背景を探る。<br /><div style="text-align:right;">（読売新聞「子ども／ゲーム」第1回　2008年7月17日）</div></blockquote>今のところ、第３回までが掲載されたが、「親の不安の背景を探る」というだけあって、読者から寄せられた不安の内容を紹介する部分が多い。コンピュータゲーム（記事では「電子ゲーム」とされている）を子どもにどう与えるかは、保護者にとって大きな悩みの種なのだ。<br /><br />興味深い記事なので、懐疑的に採り上げていたTAKESANさんとちょっと話題にしていたのだが（<a href="http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_cfa5.html" target="_blank">ナンセンス</a>のコメント欄とか<a href="http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_65bb.html" target="_blank">子どもとゲームと親</a>）、ここらでぼくも一度エントリを起こしておこう。<br /><br /><a name="more"></a><strong>■保護者の不安をクローズアップしすぎていないか</strong><br />第3回まででは、子どもの精神的な発達に与える影響を懸念する読者も多いことが、繰り返し書かれている。おそらく、今後もこうした部分は少なくないだろう。<br />今後の展開も見てみなければ評価はしづらいが、記事としては、不安を煽るような記述にならないようになんとか踏みとどっているように見えつつも、先行きが危なっかしい展開ではある。<br /><br />たとえば、第1回「４歳児 ずるずる３時間／操作簡単 はまりやすく」ではこんな不安が紹介されている。<blockquote>　東京都の主婦チエさん（33、仮名）は、格闘ゲームに没頭する長男（5）を見ていると、漠然とした不安に駆られる。茨城県土浦市や東京・秋葉原の連続殺傷事件などの容疑者がゲーム好きだという報道を見て、長男の姿に重ねてしまう。現実とゲームの世界の区別がつかなくなり、道徳心が育たないのではないか、と思う。<div style="text-align:right;">（読売新聞「子ども／ゲーム」第1回　2008年7月17日）</div></blockquote>この回には、子どもとゲーム関連で保護者が不安になった体験が５例並んでいる。上記はその最後のものだ。ほかはもっと具体的に記述され、より大きなスペースを割いている。<br />また、投稿者がゲームの影響かもしれないと心配していることが、本当にゲームのためなのかはここでは指摘もされない。原因を明らかにする術もないが、投稿者の思い込みだけが提示されるのである。<br />実際にそういう投書が寄せられたのだろうけれども、このように書くことで不安を煽る結果になりはしないかということが懸念される。<br /><br />主要読者は、おそらく「よくはわからないながらも、ゲームが子どもに与える影響について不安になっている保護者」だろう。彼らに読まれるような記事のつくりを、と考えると、まずは「共感メソッド」を、と考えてしまうのかもしれない。「こういう不安、あなたにもありますよね」というわけだ。<br />というのは、３回を通しても読むと、「ゲームが原因と決まったものではないよね」「っていうより、ついついゲームと結びつけて考えちゃうけど、別の角度から考えた方がいいのかもしれないよ」というような姿勢が透けて見えるようにも思えるのだ。もしもそうなのであれば、せめて、その心配なできごとが、本当にゲームの影響なのかといった釘を刺すとか、そこを含めて考えていこうといった「記事の方針」だけでも書けなかったものか。<br /><br /><strong>■保護者の不安はメディアに起因している</strong><br />「感情暴走　不安な親／「ゲーム脳」科学的に批判も」と題する第2回では、冒頭からこんな調子だ。<blockquote>　子どもが電子ゲームをすることで、脳の発達に悪影響があるという、いわゆる「ゲーム脳」を心配する親は多い。<br />　新潟県の母親（37）は今冬、長女が通う幼稚園の配布資料に「ゲーム遊びは、幼少期の子どもの脳の発達を妨げる要因になる」と書かれていたのを読み、不安になった。<br />　小学2年生の男児を持つ兵庫県の母親は、「死ね」などと言いながらゲームをしている子どもを見ると恐ろしくなる。「ゲームをしているときの脳はキレやすい」とニュースで聞いたことがあるからだ。<br /><div style="text-align:right;">（読売新聞「子ども／ゲーム」第2回　2008年7月18日）</div></blockquote>上記に引用した部分では、不安がなにに起因しているのかがはっきりと書かれている。<br />〈茨城県土浦市や東京・秋葉原の連続殺傷事件などの容疑者がゲーム好きだという報道を見て〉<br />〈長女が通う幼稚園の配布資料に「ゲーム遊びは、幼少期の子どもの脳の発達を妨げる要因になる」と書かれていたのを読み〉<br />〈「ゲームをしているときの脳はキレやすい」とニュースで聞いたことがあるから〉<br />「報道」「配布資料」「ニュース」である。幼稚園での配布資料も、メディアを通じて得た知見である可能性が高い。コンピュータゲームとの関連を疑わせるような身近な事例があり、漠然とした不安を抱く。そこへメディアを通じてゲーム悪玉論が紹介されると、はっきりとした不安が形作られ、強く印象に残ってしまう……といった図式を示唆している。つまり、保護者たちの不安は主にメディア報道によって明確化されたものだと、ほかならぬ新聞が明言したに等しい。<br /><br /><strong>■「ゲーム脳」の扱い方、慎重だが不備も</strong><br />行きがかり上、どうしても「ゲーム脳」に触れないわけにはいかない。第2回では、前記引用の後「ゲーム脳」説そのものが紹介される。<blockquote>　ゲーム脳という言葉は、日本大学文理学部教授の森昭雄さん（脳神経科学）が、2002年に「ゲーム脳の恐怖」という本を出版してから広まった。長時間ゲームをすることにより、脳の前頭前野（おでこの内側付近）で活発な働きを示すベータ波が低下する状態を示す造語だ。<br />　森さんによると、前頭前野は脳の司令塔のような役割を持っていて、理性や道徳心、善悪の判断を決定する場所。その前頭前野が機能しなくなると、記憶力が低下したり、無気力になったり、感情のコントロールが利かず、キレやすい性格になったりする恐れがあるという。<br />　森さんは「すべてのゲームが悪いとは言っていない。ゲームによっては前頭前野の活動が増大することもある」と話す。ただ、幼少期は脳の発達にとって大切な時期。どんなゲームでも時間制限が必要だという。「幼児にはゲームはやらせず、小学生は一日15分までに制限すべきだ」と森さんは訴えている。<br /><div style="text-align:right;">（読売新聞「子ども／ゲーム」第2回　2008年7月18日）</div></blockquote>「2002年に「ゲーム脳の恐怖」という本を出版してから広まった」という表現は、間違ってはいないかもしれないが、正確ではない。同書が高く評価されたとか、口コミで評判を呼んだというような印象をもつ者が出てもおかしくないような書きぶりだが、実態はそうではないからだ。<br />逆に、この本は出るや否や噴飯ものの烙印を押されていると言っていい。2003年度の第12回日本トンデモ本大賞にノミネートされ、次点となっている。この本は、新聞や雑誌などのメディアで大々的に好意的に採り上げられたために広まったのであって、そうでなければ、ただのとるに足らない戯れ言として、一部の好事家以外には知られずに消えていった可能性さえあるのだ。<br />「出版後に広まった」などと自然現象みたいな顔をしていていい状況ではない。<br /><br />また、森の専門を「脳神経科学」とするなど、本人の主張に引きずられている感は強い（森の専門は運動生理学のはず）。しかし、言葉はかなり慎重に選ばれている印象もある。「ゲーム脳という言葉は」日大の森昭雄による「造語」とされ、その主張も慎重に「森さんによると～する恐れがあるという」などと、学界の主流的なもののように書かれているわけではなく、森による主張であることが明確にされている。そのため、妙に「森さん」が頻出する。もっとも、はっきりと「森独自の説」と書かれているわけではないので、読者にそれがどこまで伝わるかは、まことに心もとない。<br /><br /><strong>■「ゲーム脳」批判の扱い方が舌足らず</strong><br />記事ではその後、次のような指摘が紹介される。<blockquote>　一方、このゲーム脳については、データの不備や調査手法などを理由に、「非科学的」と批判する専門家もいる。<br />　日本デジタルゲーム学会会長で、東京大学大学院情報学環教授の馬場章さんは「前頭前野は将棋をやっているときもあまり働かないというデータもある。だが、将棋を長時間やると、脳に悪影響を与えるとは言われない。ゲームによる影響について、海外でも様々な研究が行われているが、ゲームを続けると前頭前野が機能停止状態になるという『ゲーム脳』の考え方が広まっているのは日本だけだ」と指摘する。<br />　ゲームが、子どもの脳にどのような影響を与えるのかは、まだ科学的には明らかになっておらず、定着している学説はない。ただ、脳への影響は別にしても、ゲームについて「漠然とした不安」を持っている親は多い。「ゲームはテレビに比べ、ずっと新しいメディアで、どんどん進化している。ゲームを知らないことが、親の漠然とした不安を生んでいる」と馬場さん。<br /><div style="text-align:right;">（読売新聞「子ども／ゲーム」第2回　2008年7月18日）</div></blockquote>ここもいかにも弱い。<br />まず、「批判する専門家もいる」では実態を表しているとは言えない。ぼくの知る限り、<strong>肯定している専門家はいない</strong>。それどころか、日本神経科学学会の津本忠治会長は、『ゲーム脳の恐怖』や『脳内汚染』について、「こういった本は神経学に対する信頼を損なうことになる」「これからは間違いを正すべく努力したい」とまで述べている（学会報『神経科学ニュース』2006年1号）。つまり「<span style="color:#FF0000;">専門家はゲーム脳を認めていない</span>」または「<span style="color:#FF0000;"> 専門家はゲーム脳を否定している</span>」ぐらいがより実態に近い。<br /><br />もちろん、専門家自身はそうは言わない。「ゲームを<strong>やりすぎる</strong>ことが、子どもの発育になんらかの悪影響を与える可能性」が否定されているわけではないためだ。心ある専門家なら、その点については結論は出ていないと考える。それが記事中の「ゲームが、子どもの脳にどのような影響を与えるのかは、まだ科学的には明らかになっておらず、定着している学説はない」だ。こうした状態であるにもかかわらず、すでに結論が出たかのような「すでに得られた知見についての大きな誤解」を避けようとするのが、まともな学者の態度だ。<br />ただし、そのために「ゲームをやることによって脳の一部の機能が破壊されるなどという研究成果は存在しない」、したがって「ゲーム脳などという論は、ただの思い込みかとるに足らない戯れ言のレベルだ」という意味では伝わらない。誤解の訂正までの力は持っていない。<br /><br />一方で、ムチャやデタラメや戯れ言を言う側は「断定できないはずのこと」を平然と断定する。そして記事の前段で森の専門を「脳神経学」としてしまった愚と相まって、「学問上、議論の余地がある」かのような印象を与えてしまう。記事の作りとしては、ここをなんとかできなかったのが、大いに悔やまれる。<br /><br />「データの不備や調査手法などを理由に」というのも、十分ではない。「ちょっと足りない」とか「ミスがある」とかいうレベルではないのに、そのような印象を与えかねない。実態としては、研究や調査というにはあまりにもお粗末で、その考察も杜撰に過ぎるのだ。<br />これもまた、慎重な専門家はこういう言い方をしない。いや、できない。なぜか。まともな論文が出ていないのだ。手前味噌な自分で作った学会に出された、中途半端な論文が一本あるだけで、著書刊行から何年も経つのに、そして明白に主張しているのは自分だけなのに、森は追試もしているようすもなければ、まともな論文も出さいない。<br />つまり、外から見ている分には「とてもまともに研究をしているとは言えない」状態なのだ。<br />まともな論文がないと、ちゃんとした検討ができない。ちゃんと検討できないと、いつまでも「怪しいなあ」という状態で、はっきりと「ゴミです」「ヨタ話です」とまでは言いきれないのが専門家同士の評価語の使い方というものなのだ。<br />こういう状況を「データの不備や調査手法などを理由に」と述べるのは、表現を和らげ過ぎだ。<br /><br /><strong>■この記事を整理し直すとこうなる</strong><br />この辺、重要なので念のため繰り返す。この記事で専門家たちが言っていることは、日常語に直すとこういうことのはずなのだ。<br /><br /><strong>ゲーム体験が脳に悪影響を与えるなどという学説は存在しない。そのようなことを主張しているのは、森昭雄<del>ただひとり</del>などごく一部である。その主張も、学説の体を成していない。そのために、森とその主張は批判されている。</strong><br />（<span style="color:#FF0000;">7/22 03:53</span> TAKESANさんからいただいたトラックバックのご指摘により「森昭雄ただひとり」を「森昭雄などごく一部」と修正しました）<br /><br />噛み砕き過ぎと考える人もいるかもしれないが、主旨としては間違っていないはずだ。しかし、前述のような記事では上記のように読み解ける人は、ごく限られることだろう。<br />また、この記事からは読み取れない部分を補うと、こうなる。<br /><br /><strong>森昭雄の専門は脳科学ではない。そう言っているのは、森昭雄のみであり、それをそのまま伝えるマスメディアだけだ。<br />教育や保育の専門家のなかに「ゲーム脳」説を引用する者がいる。それは、マスメディアを通じて、あたかも確立された学説かのように誤認したためである。いわば、森とマスメディアにだまされているだけである。<br />脳や神経の専門家で、「ゲーム脳」説について肯定的な発言をしている者は、まずほとんどいない。</strong><br />有り体に言うと「学者なら、『ゲーム脳』などと恥ずかしいことを主張するのはやめなさい」と言われているのが実態なのだ。そういうことも、はっきりと書くべきだった。<br /><br />もっとも、内容や経緯についてあまり知識のないデスク等から、もっと表現を和らげないと訴訟リスクなどを考えると掲載できない、などと圧力をかけられた結果だったりするかもしれない。あるいは、そうならないために通りそうな原稿を書いた、なんてこともあるかもしれない。もちろん、記者自身がここまでの認識は持っていないのかもしれない。<br />しかし、上記に引用したような書き方では正確な把握につながらない。<br /><br /><strong>■榊原意見が記事としての結論なら、もっとはっきり打ち出してほしい</strong><br />第2回は以下のように結ばれる（あー、結局、第2回は全文を引用してしまったなあ……まあ、致し方ない）。<blockquote>　お茶の水女子大学教授で小科医の榊原洋一さん（発達神経学）は「ゲーム脳の考え方がもてはやされているのは、親が子どもからゲームを取り上げる根拠が欲しかったからではないか。しかし、ゲームをやらせるかどうかは、親の価値観に従って各家庭で決めることだ」と話している。<br /><div style="text-align:right;">（読売新聞「子ども／ゲーム」第2回　2008年7月18日）</div></blockquote>記事を書いた記者としては、ここをいちばん言いたかったのではないか、とも思える。というのは、次の第３回「仲間はずれ心配 「反対派」／なくても遊べる 子どもの力」は次のように結ばれているからだ。<blockquote>　不安に駆られるばかりでなく、子どもの遊び環境についで親同士が語り合い、ゲームに対する「我が家の方針」についてじっくり考えたい。</blockquote>いつかどこかで見た「最初に結論を書いてくれ。まずトンデモ説を紹介してしまうと、最後まで読まずにトンデモ説だけ読んで『なるほど』となってしまうからやめてくれ」という話を思い出す。<br />そうでなくても細切れな新聞連載では、前後の回まで含めて読み解くといったことはしにくい。<br /><br />この連載にはリード文がない。あれば、記事のスタンスがもう少し明確になったかもしれない。ぼくも「どっちに行きたいのだろう」とやきもきしないで読めるのだが……。<br /><br /><strong>■不備はある。しかし、後続の記事に期待</strong><br />これまでの連載の記述は、上記に見るように、かなり慎重に書かれている印象はあるが、十分でない部分が何カ所も見られる。また単独の回だけ読むとゲームに対する誤解に基づく不安を助長させかねない部分もある。<br /><br />「ゲーム脳」のような杜撰かつ誤った主張に対しても「科学的に批判も」といった見出しも出してはいるが、評価の甘さも目立つ。もちろん、科学的に批判されているのだが、それがどういう意味なのか。つまり、学説としてはまともに採り上げられていない、ということが、この見出しで伝わるのか。とはいえ、この文字数でどういう見出しを書けばよかったのかというと、悩ましいのも事実だが。<br /><br />ただ、まるでダメな記事かというと、必ずしもそうではないだろう。強いて言えば、志に追いついていない、眼高手低といったところか（自分の仕事を棚に上げてしまいますが）。<br />すでに根拠の怪しい主張に惑わされている保護者たちを「その不安には根拠がないよ」と引き戻し、「いたずらに不安にならずに、ちゃんと考えていこうね」と促すのだとすると、今のところいかにも物足りないだけでなく、逆効果なのではないかとさえ思える部分もある。そこがもどかしいのだ。<br /><br />明日22日に第４回が掲載の予定。果たしてぼくが期待しているような方向に進んでいくのか、それともぼくは期待し過ぎなのか。<br />今後の展開を注視していく。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/article/103296752.html">
<link>http://shibuken.seesaa.net/article/103296752.html</link>
<title>トンデモ系企業サイトの有効な利用法（かも）</title>
<description>サギとマルチと疑似科学（幻影随想 2008年07月20日）深く納得。ブクマコメントで「うーむ。ということは、あの船井・江本・七田・比嘉などの「巨魁」の背後にも、やっぱり切れ者がいるわけか……？？ いるんだろうなあ…… / あ、カルトも同じ構造がありそうな……。」と書いたりしたのだが、ふとほかにも関係ありそうなことに思い至ったのでメモ。だいたい「この話、だいじょうぶかなあ？」と思うような企業のサイトを見るときには、会社案内とか企業情報といったページをチェックしてみる。そこに「主...</description>
<dc:subject>渋研X的日乗</dc:subject>
<dc:creator>亀＠渋研X</dc:creator>
<dc:date>2008-07-21T13:07:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://blackshadow.seesaa.net/article/103236187.html" target="_blank">サギとマルチと疑似科学</a>（幻影随想　2008年07月20日）<br /><br />深く納得。ブクマコメントで「うーむ。ということは、あの船井・江本・七田・比嘉などの「巨魁」の背後にも、やっぱり切れ者がいるわけか……？？　いるんだろうなあ…… / あ、カルトも同じ構造がありそうな……。」と<a href="http://b.hatena.ne.jp/kamezo/20080721#bookmark-9364381" target="_blank">書いたりした</a>のだが、ふとほかにも関係ありそうなことに思い至ったのでメモ。<br />だいたい<Ul><Li>「この話、だいじょうぶかなあ？」と思うような企業のサイトを見るときには、会社案内とか企業情報といったページをチェックしてみる。</Li><Li>そこに「主要取引先」とか「主要出資企業」「代表者」「役員」のような情報が出ているかどうかを確認する。</Li><Li>そういう情報がなんも出てなかったら、眉につけるツバをちょっと増やす。</Li><Li>もしもちゃんと出ていたら、これ幸いとググってみる。</Li><Li>書籍などでは奥付や執筆者プロフィールなどに応用する。</Li><Li>投資など切実なときは、小銭かけて登記簿や企業情報サービスを利用するなど、「自分でできる信用調査」もあり。</Li></Ul>……というような話。<br /><br /><a name="more"></a><div style="text-align:center;">◆</div><br />ぼくは仕事でIT系の企業のWebサイトを、ちょこちょこ見る。「見る」っていうか、場合によっては理解しようとして根掘り葉掘りひっくり返す。ベンチャー系と呼ばれるような新興企業も多い。<br /><br />で、ニセ科学やらオカルトやらの疑いを持たざるを得ないような製品を扱う企業のサイト（ここでは乱暴に「トンデモ系企業」と呼んでしまおう）も、まあ、よく見るわけです。やっぱり理解しようとして根掘り葉掘りひっくり返す。<br />トンデモ系企業も新興の企業が少なくない。で、見ていると、前述のようなベンチャー系サイトと、こういうところが違うなあなんて、以前から違和感を感じていたことがある。<br /><br />数えたわけではないけれども、ベンチャー系では「会社案内」とか「企業情報」みたいなページに「主要取引先」とか「主要出資企業」「代表者」「役員」とかが、それなりの高確率で記載されている。ところが、トンデモ系企業ではほとんどの場合、まったく明かされていないことが多い。<strong>ような気がする</strong>のだ（ここ大事。その程度の信憑性の話だからね）。出ていても代表者ぐらい。<br />いま、いくつかのサイトをちょこちょこと確認してみたけど、まあ、うん、だいたいそういえるかな。<br /><br />ちなみに、あの水伝の江本氏（株式会社アイエイチエム）の場合、かつては代表者として江本氏の名前が企業情報みたいなページに掲載されていた。が、ある時期から掲載されなくなった。代表者として出ているページもあるし、江本氏のプロフィールにも記載されているのに、企業情報としては書かれなくなったのだ。「おや？　なんで引っ込めたんだろう」と思った記憶がある。<br />役員とか出資企業、主要取引先も出ていない。出てるのは取引金融機関とグループ会社ぐらいか。<br /><br />「代表者」とか「主要取引先」とかが書かれていれば「あー、ここはちゃんとしてるな」みたいな印象を受けるかというと、そうと限ったもんでもない。内容がビミョーだなあなんていう事業や製品を扱ってるところが、麗々しく大企業の名前を「資本金出資率××％」なんて書いている場合は、逆に「あー、大資本が噛んでるから安心だよと言いたいわけね」なんて思ったりして、微妙ではある。リトマス試験紙みたいに、書いてあればいい、なんてはっきりと識別できるわけではない。<br />新興企業の場合、単にサイトの作り方や企業情報の出し方をよく知らないだけだったりする可能性もあるし、これだけを判断基準にすることはできないだろう。<br /><br /><div style="text-align:center;">◆</div><br />でも、今回「幻影随想」の記事を読んで、<strong>「書けない事情」なんてもんも、あるのかもしれない</strong>、と思ったりもしたわけです。<br /><br />「幻影随想」の黒影さんの記事が教えてくれるところでは、「幹部」がいて、そこが利益を吸い上げるポジション。そうなのであれば、その名前は「主要取引先」「主要出資企業」「役員」あたりのどれかに入っちゃいそう。これは書きたくないよね。<br />「幹部」というか、裏で糸を引く鵜飼いの常として、あちこちで似たような商売に噛んでいるということなので、名前なんか出しちゃったら、あちこちの名前を突き合わせるとバレバレ、みたいなことになりかねないし。<br /><br />「書けない」というわけでなくても、トンデモ系企業の場合は、自分では既存の権威や常識を否定しているつもりなのだとすると、「書式を整える」なんていうことには関心が薄くて出てない場合もありそうですけど（もちろん偏見ですともさ）。<br /><br />また「サイトの作り方や企業情報の出し方をよく知らない」のだとすると、そこは単に「若い企業」だというだけでなく、「幼い企業」「つたない企業」である可能性が増す。いろんな点で未熟で行き届かない可能性があるのだ。<br />なんか連絡をよこすときでも、必要事項がなにかしら欠けているとか、タイミングがおかしいとか、そういう会社ってあるじゃないですか。ああいう感じ。<br />もちろん「一事が万事です」とは言いきれないけど、人も企業も体質とかものの考え方って、端々に見えるものではないですか。人のことは言えませんが。<br />そういう「やりとりにロスやストレスがつきまとうような企業」って、いざトラブったときの対応なんか、ろくでもないことになる可能性が高そうだなあとか、思いません？　そういう企業と、おつきあいしたいですか？<br /><br />というわけで、<strong>「だいじょうぶかなあ？」と思うような企業のサイトを見るときには、会社案内に前述のような情報が出ているかどうか、ちょっと見てみて、なんも出てなかったら、眉につけるツバをちょっと増やすといいかもしれない</strong>……という冒頭の話になったわけだ。<br />つまり「載っていれば安心できるわけではないが、載ってない場合はダメな可能性が高くなる」ってことですね。<br /><br /><div style="text-align:center;">◆</div><br />一方、運良く代表者や役員、関連企業の名前が出ていても、それで安心しちゃいけないのは前述の通り。<br />その場合は、これ幸いとその名前でググりましょう。するとなんかわかるかもしれない。これは<strong>書籍の奥付や著者プロフィールに出ている情報なんかでも同じ</strong>。なにも情報が得られないこともあるけれど、さらに運が良ければ（悪ければ？）、なにかわかることもある。似たような商売をいろいろやってるけど、どれもこれもまあ×××で、とか、悪評があるなあとか、ソッコーで出て来て「たはは」な気分になれることもある。本当に運が良ければ、安心できることもあるかもしれない。<br /><br />前述の考察（ってほどのもんではないが）が正しければ、「幹部」が名前を出すわけがないのだが、冒頭の記事によると、看板にされる真性のビリーバーさんや、看板や「幹部」を支えちゃう人だって、あちこちで共通していたりするらしい。彼らは「幹部」ほど警戒する理由はないだろうから、名前が載っていても不思議ではない（黒影さんが引用している記事では、彼らは「キチガイ」と「馬鹿」と呼ばれている。彼らをカモにしている幹部の談話だったりするので、身もふたもないのだ。でも、ちょっとそう呼ぶのは気が引けるので、まだるっこしい言い方になるわけです。そう考えると「ビリーバー」とか「カモ」って、まだ優しい表現なのかもしれん。そうでもないか）。<br />そしてまた、そういう人たちが支えているのだとすると、「幹部」が気づかないうちに「幹部」の名前を載せちゃってたりする可能性も捨て難い。「幹部」がいろいろと周到な知能犯だったとしても、その上と下はカモで固める必要があるのであれば、セキュリティ上の大穴がいっぱい開いていてもおかしくないじゃありませんか。<br />もちろん、きっとそういう人たちのなかにも、世間一般の不用意な人たちと同様に「載せてもいいかどうか、確認した方がいいんじゃない？」なんて考えない人がいるに違いないし（ひょっとすると、不用意な人の介在率が高い、なんてこともあるかもしれない。ええ、これも偏見ですともさ）。<br /><br />実際問題として、その「だいじょうぶかな？」などと気になった商品名なりサービス名なり企業名そのものでググるだけで、「あらまぁ」な情報にたどり着けることも少なくない。だから、これはダメ押しや、裏取りといった段階になるかもしれない。新しい商品などで、調べても空振りだったときの第二弾調査かもしれない。<br />また、実際になんかヒットしたとしても、決定的なものではないことも多いだろう。<br /><br />でも、こういうことをやってみて、<strong>グレー度が上がっていくようなら、近づかない方が無難だ</strong>、ということは十分に言えるわけだ。まるっきりムダということもなかろう。<br /><br /><div style="text-align:center;">◆</div><br />そうそう。<br />そういう情報が全然手に入らないけれども未練断ち難く、マジで調べたいなんていうときは、<a href="http://www.tdb.co.jp/" target="_blank">帝国データバンク</a>とか、そういう企業情報サービスを使う手もある。有料だけど（たとえば「アイエイチエム」で帝国データバンクを検索したら５件ヒットした。１件500円ぐらいか。ちょっと見てみたいような……）。<br /><br />そーだそーだ、こういう情報は、Webサイトにはなくても、どこかに公開されていたりもする。登記簿とかだよね、きっと。多くのベンチャーやトンデモ系企業は上場なんかしていそうもないし、帝国データバンクあたりも把握してないなんてこともありそうだけど、そういうのも登記簿でなら調べられるんじゃないかな。その辺はよくわからんけど、株式会社とかの「法人」ならされてんじゃないのかな。<br />あ、解説サイトがあった。<br /><br />自分で調査する「企業信用情報」- 相沢京子調査室<br /><a href="http://www.web-chosa.com/verification/" target="_blank">http://www.web-chosa.com/verification/</a><br /><br />そうか、これって当たり前の信用調査のひとつなんですな。ま、大金を突っ込もうとかいう知人や親戚がいたら、教えてあげてください。<br />もちろん、素人が登記簿を見たからなにがわかるってもんでもないかもしれません。登記簿で役員とか代表とか、そういういろんな情報が得られるから、それをとっかかりにして、またググるなりなんなりしてみて、みたいな話ですわね。<br /><br />ちょっとハードルが高いかもしんないけど、切実なときは、小銭と手間を惜しまずに調べましょうってことで。うわ、すげえ当たり前な結論。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/article/103231689.html">
<link>http://shibuken.seesaa.net/article/103231689.html</link>
<title>【ヨタ話】USBプレイヤーとかギターとか</title>
<description>コメント書いてたら長くなったのでTB！</description>
<dc:subject>その他</dc:subject>
<dc:creator>亀＠渋研X</dc:creator>
<dc:date>2008-07-20T11:52:47+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
Hietaroさんちでの話題。<br /><br />Phono端子要らず？（『digital ひえたろう』 編集長の日記★雑記★備忘録　2008/7/20）<br /><a href="http://taizo3.net/hietaro/2008/07/phono.php" target="_blank">http://taizo3.net/hietaro/2008/07/phono.php</a><br /><br />SONYのUSB端子付きのターンテーブル（アナログ・レコードプレイヤー）が話題になってまして。これです。<br /><br />PS-LX300USB（希望小売価格28,350円）<br /><a href="http://www.ecat.sony.co.jp/audio/hi-fi/products/index.cfm?PD=30859&KM=PS-LX300USB" target="_blank">http://www.ecat.sony.co.jp/audio/hi-fi/products/index.cfm?PD=30859&KM=PS-LX300USB</a><br /><br />これ一時期仲間内で話題になりました。要は「アナログレコード専用のPC向け音源取り込み機」ですよね。家に眠っているアナログレコード、データ化しましょうよ、ってやつ。<br /><br /><a name="more"></a>発想は「あり」というか、おもしろい。問題はやっぱり価格というかC/Pですよね。マーケットの狭さからこの価格なのでしょうかね。<br />「これ、オーディオ機器というよりは家電だよね、コロムビアあたりが出してそうな。それなのにこの価格かい」って感じで。なにしろニュースリリースに、オーディオ的なスペックがあんまり書いていない。なんだか動画はあるけど。<br /><a href="http://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/200803/08-0312/" target="_blank">http://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/200803/08-0312/</a><br /><br />で、他社はこういうものを出していないのかというと、あるんです、これが。<br />ちょっとヨドバシを見てみたら、ほかにはこんなのがありました。<br /><br />NUMARK　TTUSB（ヨドバシ特価：￥20,349）<br /><a href="http://www.numark.jp/products/product_view_overview_144.html" target="_blank">http://www.numark.jp/products/product_view_overview_144.html</a><br />「可変幅±10%のピッチコントロールを搭載」「Windows/Macの両方に対応」「ハイスピード・レコーディングをサポート」ってあたりが売りでしょうか。NUMARKってのは、スキャナなんかをOEM提供しているメーカーじゃなかったかな。<br /><br />アイオン　TTUSB10（ヨドバシ特価：￥24,800）<br /><a href="http://www.pro-audio.jp/ion/ion_ttusb10.html" target="_blank">http://www.pro-audio.jp/ion/ion_ttusb10.html</a><br />こいつも「可変幅±10%のピッチコントロールを搭載」「Windows/Macの両方に対応」「ハイスピード・レコーディングをサポート」ですね。型番がほぼ同じこともあり、一瞬NUMARKのOEMかと思いましたが、筐体は違うから、同梱しているソフトが同じ「Audacity」なせいかも。<br /><br />アイオン LPDOCK（ヨドバシ特価：￥29,800）<br /><a href="http://www.pro-audio.jp/ion/ion_lpdock.html" target="_blank">http://www.pro-audio.jp/ion/ion_lpdock.html</a><br />「iPodドック搭載ターンテーブル」ですよ！（笑）<br /><br />ちなみに、SONYのは「特価：￥25,800」だそうな。なんか、こう見てくると「SONYはブランド名に寄りかかり過ぎじゃないか？」みたいな気もしますね。<br /><br />どいつもこいつも2万円以上しますが、まあ、そんなもんかなあという気もしないでもない。ターンテーブルは最もセコいのは数千円からあるけど、それはあまりにも安い、そこまで下げなくていいよ、となると1万5000円ぐらい。その上は、3万円を超えるかな。<br />で、USBオーディオ・インターフェースが1万円ぐらいする。<br /><br />どうなんでしょうね、1万5000円クラスのスペックがあるなら、ソフトウェアの分、単純に足し算したよりはお得な金額なんだけど（あれ？　Audacityってフリーウェア？　ううむ）。<br /><br />感覚的には、どうしてもオーディオ機器だと思ってしまって、ついついUSBを勘定に入れずに「こんなターンテーブルなら、実売で1万円を割るなら納得できるかな」となっちゃう。ソフトウェアはフリーウェアやシェアウェアでそれなりに持ってたりするし（だって、カセットからデータ化するのに使ってたからさ）。だけど、ま、そこまで言っちゃあ気の毒かなあ、とも思う。<br /><br />遠からず実売1万5000円ぐらいになって、そのまま姿を消しそうな気も。ていうか期待してるだけか(^^;;<br /><br /><br />んで、余談の余談。<br />この手の発想のものではUSBギターってのもあるんですが、こいつらは1万円台半ばからあるようす。<br /><br />あのベーリンガーからも出ている。<br /><a href="http://www.behringer.com/iaxe393/index.cfm?lang=JPN" target="_blank">http://www.behringer.com/iaxe393/index.cfm?lang=JPN</a><br /><br />聞いたことのないメーカーからも出ている（Guitar＞USB Guitarとたどってください）。<br /><a href="http://www.samick.co.jp/" target="_blank">http://www.samick.co.jp/</a> <br /><br />GarageBandみたいなソフトでPCで録音して遊ぶには便利そう。PC用のアンプシミュレータやマルチエフェクターもいろいろ出ているようなので、そのままPAに通してライブで！　なんて強者もいるのかも。いないか(^^;;<br /><br /><br />いやまあ、どれにしても安くても買いそうな気はしないんだけど。だって、あっても使ってる時間がなさそうなんだもん。ちょっと欲しいな、とは思うんですけどね(^^

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/article/103174522.html">
<link>http://shibuken.seesaa.net/article/103174522.html</link>
<title>子ども、「校長先生の授業」、TOSS - 2</title>
<description>拝読して考えたアレコレなど、なんだか的外れなような気もしつつ。</description>
<dc:subject>渋研X的日乗</dc:subject>
<dc:creator>亀＠渋研X</dc:creator>
<dc:date>2008-07-19T10:15:22+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="http://shibuken.seesaa.net/article/103174462.html" target="_blank">前項のようなもやもやした思い</a>を転がしていたら、toshi先生のブログでこんな記事を読んだ。<br /><br />校長先生の授業（２）　ＴＯＳＳとくらべて<img src="http://parts.blog.livedoor.jp/img/face/4.gif">（教育の窓・ある退職校長の想い　2008年07月19日）<br /><a href="http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1149106.html" target="_blank">http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/1149106.html</a><br /><br />小学校の授業だが、ここで紹介されている「校長先生の授業」には、舌を巻いた。さすがプロ中のプロだ。こういう、自分が考えたことが次につながる授業なら、子どもたちは学校が楽しみになることだろう。<br /><br /><a name="more"></a>自分の考えたことをグループで討論させたり、ノートに書かせたりして、それを発表させる……といった授業は、小学校でも中学校でもたくさん見て来た。高校でも見た。<br />しかし、その度に、授業の進み方がよどむような印象を受けた。テンポが悪くなりやすいのだ。小学生たちは、高学年でも、全員がそうそう素早くてきぱきと適切に動くことはできない。配られているプリントに鉛筆で記入するというだけのことが、もたついてしまう子も少なくない。ちゃんと気構えができている子はとっくに記入が終わっているのに、やっとプリントと鉛筆を構え直しているような子を待たなければならなかったりもする。後ろや横を向いて、ほかの児童生徒に話しかけて時間をムダにする子もいる。<br /><br />この授業では、そうしたよどみが生じないような工夫がいくつもされている。事前の作文もそうだし、設問の簡潔さも、マグネットを使っているのも、チョークでちょっとした書き込みをするだけ、というのもそうだろう。<br />もちろん、ぞろぞろと前に出て行ってなにかをするだけで、ある種のよどみは生じることだろう。でも、すべてを終えてプリントを前にぼんやり待っているよりも、並んだり戻ったりする方が、無為に過ごしている感じはしないことだろう。<br /><br />「なぜそう考えたか証拠を示す」なんていうのは、特に時間がかかるだろう。こういうところは、多くの場合、挙手して何人かが発表となりがちなのではないか。でも、「根拠に基づいて考える」ことを重視するためもあるのだろう、校長先生はひとりずつの考えを聞く。緩急をつける意味もあるのかもしれない。<br /><br />一時限45分の授業で意見発表も含めてこれだけのやりとりが生じているということは、全体としては大変にテンポの良い授業と感じられたはずだ。<br />中学や高校ではこうはいかないかもしれない。社会科や総合などでは、この手のことをやろうとしても設問は複雑になるし、自分の答えをまとめるのにも時間がかかるようになる。いきおい、２つぐらいの設問をやりとりして終わることになったり、４つも５つも設問があるもので、ものすごく駆け足な感じになったりする。小学校の段階ならではの授業テクニックという部分はあるだろう。<br /><br /><div style="text-align:center;">◆</div><br />TOSSや主宰者の方針や言動については、疑問に思うことが多かったので、今日の記事は特に興味深かった。ぼくは彼らの特徴として、妙に子どもも大人も類型化したがる点がある（そして、自分にもそういう傾向がある）と考えていたけれども、それがなぜなのか、またどうしてそれがまずいのか、今日の記事でわかったような気がする。個々の子ども（人）を見ているようで、実はバリエーションに当てはめて「想定している」だけで、実際には見ていないのだろう。TOSSの場合は「法則化運動」なのだから当然かもしれない（ぼく自身の場合は、子どもや相手を「つかむ」ことを急ぎ過ぎているのかな）。<br /><br />若い先生が、手ぶらで教室に放り出されるような思いをされているのであれば、TOSSのようなスタイルに惹かれる多いのはうなづけるものがある。でも、どうせ法則化といったことを考えるのであれば、この校長先生の授業のように、どうやって学習意欲をかき立てるか、子どもの意を汲むか、どうやって授業をたるませないか、そのためにはどういう準備が必要か……単元ごとに小手先で格好をつけるようなノウハウよりも、そういう根っこの部分のノウハウを共有することに傾注すればいいのに。そう思ってしまう。<br />願わくば大学や教育実習で、そうした「教授法」が身につけられるといいのに。<br />ま、きっと昔からそういう取り組みがありつつも、学校を出たばかりでは実地に活かしにくいとか、そういう事情も少なくないのだろうという想像もつくのだけど。<br /><br />さっき、小学校ではうまくできても、中学や高校ではうまくいかないだろうと書いたけど、これもぼくの想像力不足や無知のためかもしれない。もしも、「学習意欲の涵養は小学校で終わり」なんてことにでもなっていれば別だが（もちろん、そんな事実はないはずだ。でも、いつまでもそんな手取り足取りでもいられないことだろう）、多くの知見が積み重ねられているはずだものね。<br />それが数少ない公開授業体験や、ウチの子どもたちを通しては見えてきてないだけなのだろう。うん。ぼくが思いつくことぐらい、教育の専門家が思いついていないはずはないものね。<br /><br /><div style="text-align:center;">◆</div><br />「子どもの意を汲む」とか「やる気を引き出す」なんていうと、迎合なんじゃないか、勉強はおもしろいばかりではない、つらいもので当たり前、なんていう声も聴こえてきそうだ。ぼくだって、そう思っている部分がないではない。<br />だけど、ムダなつらさを増やす必要もない。それが学習意欲をそぐものであれば、なおさら。<br />ほめられる（認められる）ように振る舞うことが動機となって学習や生活に取り組むというのでは、確かに危うい。外ではなく、内に動機をもっていてほしい。<br />他者と比較することや、他者とやりとりすることでしか知り得ないこともある。でも、だからといって他者と比較することや、他者からの働きかけが前提になってもらっても困る。<br /><br />子どもに迎合するのではなく、子どもの意を汲む。<br />自己肯定感？　自尊心？　わからない。<br /><br />与えられた課題を従順にこなすことも必要だ。だけど、それしかできないというのは困る。<br />では、興味関心をもったことしかやらないというのは？　困るだろうか？<br /><br />うーん。職場の上司としては、確かに困ったことがあった。<br /><br />かつて職場（編集プロダクション）で「級数とか歯送りとか、編集者としては基本的な知識なんだから、いい加減に覚えろよ」と部下に言ったとき、「だって、そんなことには関心がないんですもの」という返事が返って来て驚いたことがあった。おそらく95年頃のことだと思う。当時、そいつは27歳だったか。「書かれている内容」や「いかに書かれているか」にしか関心が持てず、制作物としての本については、装丁や造本にしか関心がもてないらしかった。組版なんかどうでもいいと思っていたのかどうかは、わからないけれど。<br />そいつは後に会社を辞めた（ぼくが辞める前に）。「ふつう程度には、そこそこなんでもこなせる編集者」にはならず、校正者になった。校正者としては、そこそこ優秀だっただろうと思う。<br />そいつの人生としては、それでよかったのかもしれないとも思う。<br /><br /><div style="text-align:center;">◆</div><br />今日のtoshi先生の記事の主題とは関係がないのだけど、こうした展開は習熟度別授業や少人数指導では起きにくいのではないか、ということもちょっと気になる。<br />多様な意見が出にくいということが予想されるだけでなく、長女の高校受験の際に、いくつかの都立高校を見て歩いて、「均質」ということに強い違和感を感じたせいもあるに違いない。「学力で薄く薄く輪切りにする」のが今の都立高校受験だとすると、その結果生まれた均質さは、一部の上位校を除いて「諦め」「無力感」「敗北感」を受験校選びの段階から生み、それが高校では倦怠感という形で表出されているのではないかと思えてしかたがなかったのだ。<br /><br />地方出身者にとっては想像を絶するほど、選択肢が無数に提示される。自分に合うかどうかの判断が迫られる。しかし、受験期が近づくと、学力が中程度の者は、実際にはその半分ほどは、そもそも選ぶことができないことも知らされる。<br />確かに受験とはそういうものだ。でも、そういう体験は、15歳たちに生々しく現実世界の冷酷さを突きつけてしまうように思われた。甘いんだろうけど。<br />でも、学区制を廃止していなければ、ここまで薄い薄い輪切りにはならない。ほんの数校のなかからしか選べないのであれば、運不運の大きさも違うし、なによりもちっとは多様な生徒が集まることになる。極薄のハムのような均質さはないに違いないし、上昇志向を根こそぎ奪うようなこともないだろう。<br /><br /><div style="text-align:center;">◆</div><br />自分で課題を見つけて取り組むこと（課題解決型の学習）が大事にされるような指導要領が始まって、何年になるだろう。小学校にはかなり根付いたと、ぼくは見ている。中学校や高校でも、なんとか形はそうなっている授業が増えているとは思う。しかし、「覚えなければならないことの多さ」と「考える時間の少なさ」の前で、習熟度別編成や少人数指導の前で、なんだか生徒間の格差ばかりが根付いていやしないか、そんなふうにも思う。<br />「ゆとり教育」は悪者扱いされることが多いが、ぼくは見るべきところも多い指針だと考えている（態勢を含め、問題がないなどと考えているわけではない）。十分に花開き、実を結ぶにはつらい環境があったにも関わらず、小学校では、その「見るべきところ」がうまく機能した部分が多々あった。６学年という時間のなせるわざでもあるのだろうか。<br />2002年度の学習指導要領改訂を鍵と見るならば、それが中学、高校でも、花開き、実を結ぶとしたら、これからだったはずだ。小学１年生のときから2002年度の指導要領で学んで来た子どもたちは、いまようやく中学に上がったところだ。<br /><br />1992年度の改訂や、「ゆとり」という言葉が初登場した1980年度に着眼すれば、もちろんそうではない。1980年の小１は、もう30代半ばだ（「ゆとり世代」という言葉は嫌いだけど、いまの学校の先生の多くも、その「ゆとり世代」なわけだ）。でも、「ゆとり」路線の真価というか「PISA的な見果てぬ夢」は2002年度にあったと思うんだよね。その意味ではそれ以前の指導要領も「ゆとり」とは呼ばれていても、また授業内容の厳選とか授業時数などで共通する傾向があるとしても、一線を画したものだったと思うんだけどな。<br />無責任な「壮大な実験」や、三浦朱門や毛利衛のような優生学的発想、格差拡大型の発想では困るけれども、ゆとり世代の小学校の先生がたは、2002年度の指導要領の「意義」や「課題」を正しくつかんでくれている人が、少なくないと思っている。<br /><br />もうちょっと、今の方針での成熟と広がりを待ちたいなあ……。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/article/103174462.html">
<link>http://shibuken.seesaa.net/article/103174462.html</link>
<title>子ども、「校長先生の授業」、TOSS - 1</title>
<description>なんだかまとまりのないもやもやを、あれこれと。＃「１」は、個人的な話ばっかりです。＃ひょっとすると「２」に至る背景説明としてお読みいただければ、＃少しは意味があるかもしれないけど、意義を期待しちゃいけません。◆金曜日、中２になる次女の中学校で一学期が終わった。今日は高１の長女が終業式だ。次女の成績は、中の下といったところか。絶対評価なので、山勘だけど。いまの絶対評価で３が多いというのはなあ……ちとつらいね。「関心・意欲・態度」は軒並みＡなのだが、まあ学力は高くない。有り体に言...</description>
<dc:subject>渋研X的日乗</dc:subject>
<dc:creator>亀＠渋研X</dc:creator>
<dc:date>2008-07-19T10:13:50+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
なんだかまとまりのないもやもやを、あれこれと。<br /><br />＃「１」は、個人的な話ばっかりです。<br />＃ひょっとすると「２」に至る背景説明としてお読みいただければ、<br />＃少しは意味があるかもしれないけど、意義を期待しちゃいけません。<br /><br /><div style="text-align:center;">◆</div><br />金曜日、中２になる次女の中学校で一学期が終わった。今日は高１の長女が終業式だ。<br /><br />次女の成績は、中の下といったところか。絶対評価なので、山勘だけど。いまの絶対評価で３が多いというのはなあ……ちとつらいね。<br />「関心・意欲・態度」は軒並みＡなのだが、まあ学力は高くない。有り体に言って，あまり知的なタイプではない。級友には不思議ちゃんと呼ばれたりもするらしい。<br /><br /><a name="more"></a>考えたり発表したりするのは好きで、よく頑張っているのだが、自宅学習はぜんぜん足りていない。理科は好きなのに、論理的に積み重ねるという点では、訓練不足がモロに出ている気がする。通信簿の観点別評価を見てだけではなく、本はぼちぼちと読むのだが、説明したり文章を書く力はからきしなので、そんなふうに思うのだけど（断片的な、感覚的なものは好きでよく書いている。まあ、中２の女の子だったらこんなものを書くだろうなあ、というものを書いている。恋愛のこととかね。ちょっと年齢よりは幼いところがあるかな）。<br /><br />小さな頃からの「なにかを身につけるために、同じことをコツコツと繰り返すのがイヤ」という気質（？）が、中学になると勉強には大きなマイナスとなって来ているのがわかる（きっかけというか、モチベーションをつかむと集中できるのだけどねえ……手芸なんぞ、根を詰めてやっていたりする。70～80年代のポップスが好きで、よく覚えている。マニアというほどではないのがまた、ちょっと寂しいのだが）。<br /><br />特に英語に苦手意識をもってしまっている。<br />もともと、「これ」というジャンルでも見つければともかく、ヘタに学を志したりするよりは手に職をつける方が、本人も生き生きと生きて行けるのではないかと思う。だが、いまどき何かを調べるとすぐに英語に行き当たる。英語の成績はどうでもいいが、英語に苦手意識を持つのは大いに損だ。せめて「辞書を片手に、読めば読める」ぐらいに思えていればよいのだが。<br /><br />また、教師に対する好き嫌いが教科の好き嫌いになり、挙げ句に「なんとなく、先生ってイヤ」「勉強がイヤ」になっている。幸い、学校がイヤとまではなっていないのだが（少なくとも強く嫌がってはいない）、楽しみにしていた部活も顧問の先生が変わって、いろいろと戸惑っているようだ。先生というものがイヤなので、夏休み中の補習教室みたいなところにも、行きたくないという。まあ、勉強に行くということ自体、気後れするのだろうけどさ。<br /><br /><div style="text-align:center;">◆</div><br />先生のどこがイヤかと聞くと、「（教室で何が起きているか、個々の生徒が何を考え、どう感じているのかを）なんにもわかってないくせに、わかったような、えらそうな口をきく」と言う（こんなに整然と語ったわけではないけど）。一部には、そうでもない先生もいるけど……ということは、ほとんどの先生はそうだと思っているわけだ。<br /><br />きっと、「まあ、先生って言ったって、大半は単なるふつうのオトナだもんな。やたらと立派な人格者なわけじゃない。期待しすぎるとつらいよ」などと言ってみても、なんの慰めにもならないだろうし、むしろ有害かもしれない、なんて思うとかける言葉もなかなか見つからない。でもまあ、ぼくはそう思っているので「生意気を言うな！」などとも言えない。やっぱりかける言葉がない。<br />自分自身が中学生だったとき、「うちのオヤジは、なんて世間知らずなんだろう」と呆れてバカにしていたことを思い出す。教師に対しては、「あの先生はすごい」と思うこともあったが、若い理科の担任男性教師を「かわいいものだ」と思っていたり、家庭科のおばさん担任教師を「自分の劣等感から来るカンシャクを生徒にぶつけている」と思っていたりしたなあ、なんてことも思い出す。<br />次女はそんなオレのようにひねくれているわけではなく，まだまだ素朴に教師に期待していて、徐々に教師も「ただのオトナ」だと失望しつつあるのだろうと思う（ダメなオトナもいる、少なくない、ということは、小学校もなかばで理解できたようだ。道を歩いているだけで、交通ルール無視の連中はいるし、お店などで列を乱す者もいる。でも、教師にはまだ失望していなかったのだろう）。<br />順当に育っているだけかもしれない。<br /><br /><div style="text-align:center;">◆</div><br />「十全な人間ではない者が、職権と称して権能をふるう」なんてのは、当たり前の風景だ。世間では人格者の方が珍しい。職場では上司が人格者じゃないのは、むしろ当然だ。<br />しかし、彼ら教員はぬるい職場の上司と違って、「それなりに仕事さえこなしてくれればよい」とは言わない。生徒たちに十全な人間であることを要求する。<br />昔の教員のように、勉強さえできればほめてくれるなどという慎ましい要求しか持っていないわけではない。テストでよい成績がとれたって、意欲的でないとか、友だち関係がどうだとか、危険に近づくなとか、地球環境がどうだとか、まるで「万能の聖人君子でなければならない」かのようにいろいろなことを言う。いやまあ、目指すべきところはやっぱりそこなのだろうから、言わないわけにもいかないだろうけど。<br /><br />特に目立った能力がなくとも、そこそこまじめにしてさえいれば、お目こぼしにはあずかれる。でも、それは「いてもいなくてもいい自分」を作るようなものだろう。そして、ひとからげに扱われるときには、やはり理不尽な思いをすることもある。<br /><br />でもなあ、学校で一日中ジャージとサンダルで過ごしているような人に、服装の乱れとか言われても説得力はないよね。同じように、とても手本に見えない人に立派なお題目を言われても、説得力はないわけだ。こりゃ、ある年齢に達すれば、誰もが思うことだろう。<br />まあ、それだから、教師がいよいよ横暴にも不遜にも見える、ってことは避けられないのだろう。思春期？　反抗期？<br /><br />確かに小学校の先生に比べると、中学校の先生は細やかに生徒の意を汲むとは言い難いとぼくも感じている。「なぜ、どうして」よりも、まず「覚えろ」という傾向が強くなっていると感じる。教える技術について、小手先の工夫になっていっているように見える。大学のダメ教師のように、ただ念仏のようになにかを唱える授業も、中学高校と徐々に増えていく。<br />高校入試や大学入試があるから、って側面も、少しはあるかな。ま、高校以上は義務教育じゃないからな。<br /><br />ただ、個々の先生と話をすると、中学高校の先生が必ずしも個々の子どもたちのことを考えていないわけでもないし、やる気を失っているわけでもないのだとも感じる。<br />でもまあ、小学校の教師の「どうやって教えるか」の努力と熱意に比べると、見劣りすることは多い。「生徒は授業を受ける準備が万全にできている」という前提で授業をしたいという欲求が強いんだろうな。当然かもしれない。<br />でも、そうだとすると、中１プロブレムってのは、「小学校時代には常に用意されていたハシゴを、中学でいきないはずされる」ってことだわな。もしも、これを「段差」とか「ギャップ」と呼んで、スムースな接続を模索するなら、小学校のようなやり方を中１に導入して、徐々にハシゴのない状態に慣れさせていくのか、小学校段階から徐々にハシゴをはずしていくのか、そこは検討しなくちゃいけないよね。今のところ、ぼくの知っている小中一貫教育は、中１プロブレム「だけ」に着目してしまって、同じ問題が中２に起きているようにも見える。もっとも、すでに中学にある程度馴染んでからなので、中１のときに直面するよりはマシなのかもしれない。<br /><br />なにはともあれ、我が子の「やる気」ぐらいはなんとかしたいなあ、と思いつつ、手をこまねいている。

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shibuken.seesaa.net/article/103164964.html">
<link>http://shibuken.seesaa.net/article/103164964.html</link>
<title>水素水と認知症？</title>
<description>認知症予防に道、水素水が記憶力低下を抑制（YOMIURI ONLINE 2008年7月18日）http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080718-OYT1T00613.htm今のところ他紙にはこの話は出ていないもよう。同記事のはてブhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080718-OYT1T00613.htmYahoo!ニュースの方の記...</description>
<dc:subject>渋研X的日乗</dc:subject>
<dc:creator>亀＠渋研X</dc:creator>
<dc:date>2008-07-19T04:38:41+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
認知症予防に道、水素水が記憶力低下を抑制（YOMIURI ONLINE　2008年7月18日）<br /><a href="http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080718-OYT1T00613.htm" target="_blank">http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080718-OYT1T00613.htm</a><br /><br />今のところ他紙にはこの話は出ていないもよう。<br